第二十三話 死峰アンドロマリウス(Ⅳ)~策謀の分断
アンドロマリウス連峰最初の敵、怪鳥“氷鳥”との戦闘開始より、約1時間が経過した。
勝敗は決し、勝者である人間の前で雪原に無数の骸をさらす怪鳥たち。その数実に417羽。
しかし――。勝者の側の被害も軽いものでは、なかった。
見習いの魔導士が7名、許伝の魔導士が1名死亡。
重軽傷者20名にも及んだ。
死体は袋に包み、動けなくなった重傷者はブラウハルトの法力で処置を施してその場に待機させた。
本来は全回復させてやりたいが、最高戦力であるブラウハルトをそのためだけに足止めさせる訳にはいかない。後続で手配をしているミリディア統侯派遣の兵士と法力使いに後々のことを託す手筈だ。
早くも犠牲者を出したことで、重苦しい雰囲気に様変わりした一行。
覚悟は十分にできていたとはいえ――。とくに己が数十の敵を葬りうるほどの実力者たる自覚がある者たちは、犠牲を避ける重責を果たせなかったことを悔いているのだった。
その一人、ナユタはランスロットにつぶやいた。
「エランドゥルは……いっつもあたしを元気付けてくれるいいヤツだった。マーリンは、あたしが紹介してやった彼氏と先月くっついてとっても喜んでた……。あたしがあと2,3匹余分に倒せる力を持ってたら、もしかしたらあいつらは死ななくてすんだかもしれないんだよね」
ランスロットは強く目をつむり、首を振ってナユタに返した。
「君のせいじゃないさ。そしてそう思える君の優しさは良さでもあるけど、今は考えるのをやめるべきだ。
戦場で誇りを持って散った彼らに報いるのは、それを無駄にせず目的を果たすことだ。そう強く思うよ」
それに、ダンも同意した。
「ランスロットの云うとおりだよ。おれもエランドゥルのやつとは仲が良かったし、残念だけど――。おれたちこそが、気脈を収めてあいつらに報いるんだ。そのためにおれは全力で君を支えるよ、ナユタ」
――後ろを歩くフレアの視線を気にもとめず、彼はナユタへの愚かで実直な思いを含んだ正義感あふれる言葉を発する。
そのフレアへの油断ない視線を送り続ける、ラウニィー。フレアもまた気取られてはいないものの、ラウニィーが自分の本性を見抜き疑惑を向けていることには気づいているはず。そう思い遠慮会釈なく挙動に目を向け、この邪悪な学友の真意を暴こうと思索を続けていたのだった。
(この子は――私達のことを仲間なんて思ってない。取るにたらない愚かな邪魔者と考え、自分が上り詰めるために蹴落とすことしか考えていない。そう、殺してでも。
その中でも特に、ナユタに対しては凄く強い――妄執みたいなものを持ってる。爪に針を刺して自分を抑えるのは、決まってナユタが何か優れた能力を証明したか、彼女に屈託なく声をかけられたとき。これだけの試練の場というチャンスの中、ナユタに何かを仕掛けてくるのは確実。もしかしたら、彼女と同時に私やダンのようなライバルとなりうる者を一網打尽にしてくることだって、ありうる。それは――その契機となるタイミングがいつか見極め、私が守らなければ――)
「ラウニィー。さっきから怖い貌して……もしかしてあんたも、気に病んでるのかい? あたしと同じように」
思索の世界の外から突然ナユタに声をかけられて、ラウニィーはビクッと肩を震わせた。
だがすぐに微笑を浮かべた表情に変わり、言葉を返した。
「ええ……そうね、私もショックだけれど……。ダンたちの云うとおり、前を向きましょう。
この初戦で、はっきり実感できた。ラージェの時と今回の戦いとでは、次元が違う。いつ誰が死んでもおかしくないこの戦いで、これ以上犠牲者を出さないことを考える。すでに亡くなった子たちには酷だけれど、それが今は何よりも大事だわ」
そう云うと、ラウニィーは思い至ったように背負ったバックパックの中を探り、何か光るものを取り出した。
それは――。一本の金色のカチューシャだった。魔工具として規格加工された、中々の逸品。
カチューシャを手に渡され、ナユタは戸惑いながらラウニィーに質問を返した。
「ラウニィー。これは……?」
「あなたに贈るわ、ナユタ。
これはね。私が大導師府に入るとき、母から贈られたものなの。卒業したら付けようって、とっておいたのよ」
「……!! そ、そんな大事なもの……」
「いいの。私、前から思っていた。あなたと何か、つながりの証が欲しいなって。自分の一番大事なものなら、それにふさわしいと思って。
あなたはとても華やかな人だから、私なんかよりずっと、光輝くものが似合うと思うし……このカチューシャ、受け取ってほしいの。まだ魔石も何も嵌っていないけれど、いつかそれも私から贈るから。必ず二人で、生き残りましょう?」
「……わかったよ、ありがとう。その気持ち、すごく嬉しいよ、ラウニィー」
ランスロットも、この贈り物は一も二もなく称賛した。
「すごく綺麗だ。きっと君に似合うよ、ナユタ。君もちゃんと、ラウニィーに似合う逸品をお返ししないとね。責任重大だよ?」
一行は――ルヴァロン山の麓、目的の洞穴に無事到着した。
数千m級の険にふさわしい、巨大な洞。幅は100m、高さは40mはあるだろう。開口部の大きさゆえに、自然口でかなり奥まで見渡すことができる。
だがあくまで、ここから先は地底につながる道。しばらく歩けばたちまち光は途絶え視界は暗転する。炎や光、雷撃を使う者が照明役を担うが、万一単独となったときのため、それ以外の者も松明と火打石の準備をする。
先頭を行く一団のリーダー、ヘンリ=ドルマンは最強の雷撃をもって電玉を出現させ前方を照らす。これに比べれば他の者の照明はロウソクのレベルであり、ナユタなどの術者は苦笑して魔導を収めてしまった。
そのヘンリ=ドルマンの表情は――先程に増して厳しく、洞穴に歩みを進めるに従って殺気を増した。それは、単なる試練に向かい合う様子の度を超えていた。
「ブラウハルト――。当然、気づいているわよね」
小声で語りかける主に、ブラウハルトは同じく低く答えた。
「ああ――。もはや、己の魔力を隠そうともしておらんな。気脈の膨大な魔力の中でも、まざまざとわかる。
――『奴ら』が、ここにいる。このルヴァロン山に。俺たちの睨んだとおり、何かを仕掛けてくる気だ。
すまんな……やはり俺は、今回同行すべきでなかったのでは……」
「いいえ。奴らの狙いが貴男なら、どこにいようと人質となる可能性を含めて大導師府の皆が一連託生だし、そんな問題では断じてない。貴男の敵は、アタシ達の敵。
お師匠も兼ねてより『奴ら』に対抗する機会を伺っていたのだし、云い掛りを付けられた状況なら逆にチャンスと仰せられた。
返り討ちに、する。貴男が目をつけたという、優男を含めてね」
「――ああ。『奴』は俺が殺す。俺とは決して相容れぬ、生かしてはおけぬ狂信者。必ず、息の根を止めてみせる」
会話をしつつ進むうち、先頭の彼らはついに地下への降り口に差し掛かった。
階段のように下っていく、坂道。電玉でもすべてを照らしきれぬほどの、深い深い漆黒。
ヘンリ=ドルマンは後ろを振り返り、一行に告げた。
「皆。これより先は、敵の巣窟。各々、魔力を充填し即時の戦闘に備えよ。
布陣は、現在のまま進む。我らが先行し、許伝、見習いの順、ディトーを殿とする。案内人は、後方に下がり、洞穴の入り口付近で待機し安全を確保せよ」
同行していた案内人が這々の体で下がるのを目で追っていたヘンリ=ドルマンの目前で、ブラウハルトが突如――絶叫した。
「ドルマン!!! 後ろだ!!! 大量に来るぞ!!
アイスゴーレムだ!!!」
アイスゴーレム。氷結系最強の、怪物。氷を介する場所になら、どこでも現れる。その媒介は――。洞穴の天井にぶらさがり始めていた、見落としそうな小さなつらら、だった。
即座に天井の岩は轟音とともに震え始め、亀裂が入り始める。これを受けてヘンリ=ドルマンが叫ぶ。
「炎熱系魔導士、前へ!!! 重力魔導使いは、落石に備え仲間をサポートせよ!!!」
貌を青ざめさせながらも指示通りに展開を始める魔導士たちの前で、強敵は姿を現し始めていた。
岩の間から、落石ともに降下してくる、氷の巨人。つららが姿を変えたモノもいれば、岩壁を破って姿を現してくる大型のモノもいる。1m~5mほどまで大きさはまちまちながら、共通するのは水晶が人体を粗く構成したような不気味で無機質な容貌。電玉の光を乱反射したプリズムのような身体は美しいがそれゆえにかえって悍ましい。目も鼻も口もない六角柱の頭部は、“氷鳥”のように動物がベースとなった怪物が見せる表情など微塵もなく、得も言われぬ恐怖感をただ増大させるものだった。
神速で血破孔打ちを完了し、アイスゴーレムたちに殺到するブラウハルト。その牙と爪がもたらす甚大な破壊、それに負けぬパワーで殴り返す怪物どもが破壊する石壁からの振動と轟音。
騒然となる戦場の中で、ナユタはアイスゴーレムを警戒しつつ爆炎を充填する。
そして――恐れをなして逃亡していく案内人が脇をすり抜けたその時。
案内人の男の、フードが戦場の衝撃風によって、めくれ上がった。
そのフードの下からフワッ、と広がった柔らかい金髪に、凄まじい既視感を感じてナユタは猛然と振り返った。
案内人の男は、その視線に気づいたか、身を翻してこちらに身体を向けた。
両掌をあわせてこちらに突き出し、魔力を充填した「魔導の構え」を、男はとっていた。
その表情は恐怖が多くを支配していたが、同時に「憎しみ」と「喜悦」と「狂気」を貼り付けた醜いもの。
それらが、男の美しい貌立ちと相まって、ぞっとするほどの戦慄を見るものに感じさせるのだった。
ナユタは――記憶しているその男に向けて、名を呼んだ。
困惑と、驚愕と、悲しみがないまぜになった、叫び声で。
「――『ジュリアス』!!!! 『ジュリアアアス』!!!
あんたが!! あんたが何で、ここにっ!!!!」
その叫びを受けて、一斉に振り返る、許伝の仲間とディトー。
彼ら彼女らの眼前で「ジュリアス・エルムス」は、錯乱した狂気の笑いを発した。
「は――はははははあ!!! ひやあっはははははあああ!!!!
そ――そうさナユタ!!! 俺だ、ジュリアスだ!! お前や、ダンやラウニィーや仲間に、悪人の烙印を押され見捨てられたなああ!!!
俺はな、戻ってきた!!! そして今お前らに、復讐を果たす!!!!
“貫通光斬撃殺”!!!!!」
叫びとともに発された、強力な光魔導の光線。それがジュリアス・エルムス最強の技と知っていたナユタは、耐魔を放棄し身をかわした。
太さ5cmほどの、いかなる鉱物をも切り裂く死の光線。しかし――。
それが狙っていたのは、ナユタではなかった。
「危ない!!!! ナユタ!!!!!」
緊迫の叫びとともにナユタに迫ったのは、風魔導をまとったラウニィーだった。
彼女は疾風のごとくナユタの足元にたどり着きかがむと、すかさず己の周囲に小竜巻を発生させ――。
ナユタとランスロットの身体を、上空高く、吹き飛ばした!
「うあ!! ラウニィー、何を!!??」
数m跳ね上げられたナユタの身体は、その方向にいたディトーの逞しい腕で、見事にキャッチされた。
その目前で――。
ジュリアスの放った光線が切断した地面が地鳴りをあげ、次々崩れ始めたのだ!
そう、ジュリアスの目的は、ナユタの殺害ではない。
緩い地盤を見極め、崩して地面ごと仲間を落とし、ヘンリ=ドルマンら師範代と分断させる作戦だったのだ。
まるで線を引かれたように、ジュリアス自身、数人の見習い、ダン、フレア、そしてラウニィーは――。
安全な場所に飛ばされたナユタとランスロットの目の前で、地面の下の大空洞へと為す術もなく落下していった。
「うおおお、ジュリアス、ジュリアス!!!! 君はあああああ!!!!」
ダンの無念の叫びとともに、落ちていく仲間たち。
体勢を崩した姿のまま、落ちていくラウニィー。自分を救ってくれた親友が小さくなっていく姿を前に、ナユタは両眼を剥き、涙を流して絶叫した。
「ラウニィー!!!! ラウニィー!!!! いや、いやあああああああああ!!!!!」
身体をディトーに抱き止められながら彼女を助けようともがく、ナユタの前で――。
見えなくなる寸前、ラウニィーは安堵と愛情のこもった笑顔をナユタに投げかけたように、見えたのだった。




