第十九話 紫聖獣と、狂気の信仰者
その頃、ラウドゥス統候領、グィード山脈。
大陸最高峰、アンドロマリウス連峰の北東に位置し、極寒の連峰に比べ比較的温暖で緑豊かな、自然に満ちた山々だ。
その樹々の中に――。
じっと座って頭を垂れ、精神統一をはかり続ける、一頭のケルベロス。
魔導生物、ブラウハルトの姿があった。
彼は、主ヘンリ=ドルマンとの魔導組手が今回の鍛錬行のメインだが、それを動とするなら現在は静。
ヘンリ=ドルマンもまた、静かな湖畔の岸に座し、自然と一体となることで己の魔力を高めようと精神統一を図っているという――。別行動の最中であったのだ。
己の中の雑念を払い、無となった心の裡。
静かな小宇宙の中に漂うような感覚の中に、周囲を飛び回る鳥の羽音と鳴き声はもちろん、地をせわしなく動き回る虫の足音ですらも流れるように感じ取ることができる自分がいた。
そのブラウハルトにとって――。
刺し殺そうとするかのような激烈な殺気は、静かな水面に落下した大岩のごとくに、揺さぶられるように強く、即座に感じ取れるものだった。
「シィイイイイーー!!!!」
鋭い気合とともに己に打ちかかってくる、強力無比な魔力――それも、「法力」に変換された、力。
光弾をまとわせた手刀を振り下ろし、襲撃者は上空から襲撃する。
ブラウハルトは即座に6つの目全てを見開き、上方に聖壁を展開した。
しかし――ブラウハルトほどの法力使いが展開したそれを、襲撃者は打ち破らんとするかのような強力な法力で押し続けてくる。
かつ――間髪入れずに前方からもう一つの殺気を感じた。
「“裡門”!!!!」
太い男の声で発された気合ともに、前方から迫る同じく法力の一撃。
戦巧者のブラウハルトはすぐに、法力での押し合いを捨て、物理攻撃への移行を選択した。
「ヌウオオオオオオオオ!!!!」
上空からの襲撃者には神速の斬馬刀のごとき尾の斬撃で、前方からの襲撃者には前足の打撃によって迎撃を行った。
ガッ! という鈍く巨大な2つの衝撃音とともに、弾かれるように襲撃者は吹き飛び、ブラウハルトの前方の地面に着地した。
そこに立っていたのは――。2人の、男だった。
一人は、上空から襲ってきた男だ。身長は高く190cmに届こうかという程だ。身体は鋼のような筋肉をもつ細身なのだろうが、今は攻撃的法力使い、“背教者”としての血破点打ちの影響で膨張している。まだ極めて、若い。ナユタ達と同じ位か。そして――まるで絵画から飛び出てきたかと思われるほどに、美しかった。クセのある長い金髪、なめらかな白い肌、流麗な青い目、高い鼻。もはや絶世の美男といって差し支えない。にもかかわらず、発する殺気と邪悪さは超一流の暗殺者のそれだ。
今一人は、極めて体格の良い、50代と思われる初老の男だった。同じく血破点打ちを施しており、現在のシルエットは岩のようにごつい。短く刈った髪、口髭と顎髭は白いものが混ざり、深い険がきざまれた表情は恐るべき威厳に満ちていた。
立ち位置や雰囲気から、初老の男のほうが立場は上なのだろう。だが今手を合わせた感触から、戦闘者としての実力は若い男の方が上なのではないかとブラウハルトは感じとっていた。それほどの、恐るべき潜在力を秘めた手練だ。
いずれにせよ、これほどの戦闘力を誇る者達の身分として、考えられるのは「一つ」しかない。
自分たちを見定めるブラウハルトの視線を見返し、初老の男が口を開いた。
「修行中の所を邪魔した非礼はお詫びしよう、魔導生物ブラウハルト。そして名乗らせて、頂こう。
儂は、サタナエル“法力”ギルド将鬼、メイガン・フラウロスと申す者。
こちらは、同じく副将、ゼノン・イシュティナイザー。以後、お見知りおきのほど」
ブラウハルトは、将鬼メイガンと、副将ゼノンを中央の目で交互に睨みつけ、言葉を発した。
「暗殺組織サタナエルの幹部ともあろう者が、この一介の魔導生物に、何の用だ?
俺には一向に、こうして狼藉を働かれるような覚えがないのだがな」
ブラウハルトはそう云ったが、内心全く身に覚えがないわけではなかった。――相手が法力使いのような、ハーミア信仰者である場合に限るのだが。
「覚えがないとは、自覚がなさすぎるよねえ……。信仰者にして“背教者”、ブラウハルト」
若い男、副将ゼノンが口を開いた。美しい容貌に違わない、聞き惚れるように柔らかく美しい声だ。しかしその内包する邪悪さは、ブラウハルトの毛穴を刺すように刺激した。
「君は理解するべきだ、己の存在そのものが許されざる外法なのだと。
神がお認めになることのない邪悪な力、魔導。それが生み出した、生命を冒涜する歪んだ存在、魔導生物。
そんなこの世の排泄物のような存在が、よりにもよって――。信仰などを持ち法力を用い、神の下僕面をして堂々陽の下で生きている。僕ら真っ当な信仰者にとって、滅びて当然の唾棄すべき存在でしかない、そういうことなんだよ」
ゼノンは貌を上げて見下しながら、ブラウハルトを指差した。柔和な眼差しを保っているが、その奥にある身震いするような狂気の光を、即座にブラウハルトは見抜いた。
メイガンが苦笑しながら、自らもブラウハルトに云う。
「そういうことだ、ブラウハルト。我ら“法力”ギルドは、許されざる存在である貴様を兼ねてから監視し、抹殺の機会をうかがってきたのだ。
そこへ――先ごろ北ハルメニアにて、“斧槌”将鬼レヴィアタークが貴様と交戦したという知らせが入ってきた。
奴の情報によれば、信じがたいことに――。貴様は我ら将鬼に比肩するほどの実力を発揮しおったと云うではないか。
それは、由々しき事態。我らはこれ以上貴様が脅威の存在となる前に滅ぼすべしと、行動を開始したというわけだ」
「なるほどな。それでこうして、大将御自らが様子見にと、俺が一人になったところを見計らって襲撃してきたというわけか」
「左様。儂は用心深く無駄を嫌う性格でな。リスクがある戦いに情報もなく無闇に突っ込んだりはせん。レヴィアタークやソガールめのようにはな。
そして手合わせた感触としては、今戦闘に突入するのは得策ではないというのが結論だ。貴様の実力は噂どおり。そして今は近い場所に“大導師府の女男”もおるゆえな。
ゆえに、今は退く。入念な準備のもと、近いうちに貴様を滅ぼしに参るであろう。
首を洗って待っているがよい。――さらばだ」
そういって将鬼メイガンは、踵を返して歩き始めた。
そしてそれにゼノンも、続こうとする。
ブラウハルトはその長身の背中に、声をかけた。
「ゼノン・イシュティナイザー、といったか。若者よ」
ゼノンは――冷笑を浮かべたまま、ブラウハルトを振り返った。
「俺は本来、貴様らサタナエルと戦う理由はない。俺や、ましてや主を殺そうとする者に対し、火の粉を振り払うだけだ。
だが――貴様は違う、ゼノン。
貴様は、極めて危険な狂った男だ。俺の勘が警告を発している。このまま放置すれば恐ろしく強くなり、その力で途方もない数の人々の命を奪うことだろう。
貴様は、生かしておくわけにはいかん。サタナエルとは関係なく、俺は貴様を必ず殺しに行く。覚悟しておくがいい」
「――その言葉、褒め言葉と受け取っておくよ。そして挑戦、こちらこそ望むところだ。
ごきげんよう、ブラウハルト。いずれ相まみえる時を、楽しみにしているよ」
ゼノンはそう云って最後に凄惨な笑みを投げかけると、振り返って歩き出し、内心ひとりごちていた。
(面白く、なってきたじゃないか。これは、潰し甲斐があるというものだ。
糞のような魔導生物が、神の第一の下僕である僕を、一丁前に挑発するとはね。
フレア……同志である君が、奴の元に潜入している状況は、とても心強い。
期待しているよ。奴を毛も残さずにこの世から消滅させるための、内部からのご協力をね……)
そう云って、己の命の恩人であり、サタナエルでの再会を誓いあった元恋人たる相棒に、語りかけていたのだった――。




