第一話 大導師の一番弟子と、無二の存在【★挿絵有】
緊張が、その場を支配していた。
そこは、ハルメニア大陸において、魔導を志す者のほとんどが目指す場所。
北の大国ノスティラス皇国の皇都ランダメリア、その外れに独特の威容を構える城塞、“大導師府”。
それだけの規模にも関わらず、人口150万を構える皇都にあって、わずか100人ほどが居を構えるのみのその城塞には――。
誰もが、入門を許される訳ではない。
大陸でも頭抜けて魔導が普及する皇国、その聖地というべき魔導の総本山には、真の素質と成長性を兼ね備えし選ばれた者のみが迎え入れられるのだ。
そして今ここに、大導師府の門を叩いた若き魔導士が、一人。
それは、未だ幼ささえ漂わせる、うら若き少女であった。
城塞の城門前に設置された広場。少女はその中心に立ち、大導師の弟子たちと思われる者達がそれを取り囲むという状況だった。
彼女は極めて、強烈な個性を放っていた。外面も、内面も。
肩よりも長く伸びた、さらさらのストレートの髪は、燃えるような真紅。
ほっそりとしなやかながらも、女性としての魅力を発現し始めた身体は――。なけなしの金で揃えたのだろう、綿生地に一部魔導用アルム絹を織り込んだ白のローブで覆っている。
そして粉雪がほのかに付いたように真っ白で瑞々しい肌。その肌に覆われた貌は――息を呑むほどに美しかった。睫毛の長い、茶色の大きな瞳、通った鼻筋、整った唇。可憐という言葉が相応しい容姿だった。
しかし、その容姿とは裏腹に――。
表情は「凶悪」とさえいえるほどに歪み、禍々しいまでの殺気を放っていた。並のものではない強烈な意志の力と、おそらく生来のものであろう突出した負けん気が形成したものと思われるが――。弟子たち数人の中でも、何人かの若者はその気迫に気圧されて貌を青ざめさせるほどであった。
「それじゃあ、あんたが放った魔導をあたしが耐魔し、次にあたしが放った魔導が満足のいくものなら『合格』。そういう理解でいいんだね……? “一番弟子”さん?」
少女が、容姿にそぐわない、ドスのきいた低い声で呟くように云う。その声、そして射るような視線を向けられた相手は――。少女の真正面10mほど先に、そびえ立つように立っていた。
「そういう理解で良いわ、可愛いお嬢さん。
ただ……相当に自信がおありのようだけど、できるのかしらね?
このアタシ――。大導師アリストルが一番弟子、ヘンリ=ドルマンの魔導を受けた上での『反撃』というものが!!!」
高いトーンの女性の口調を話すその「男」ヘンリ=ドルマンは、言葉を切るやいなや――。
予備動作なくいきなり、魔導を発動してきた!
それは、目前に突如として出現した「雷撃」であった。
視界が眩むほどのまばゆい光を放つ、太い無数の稲光。
これまで少女が魔導学校レベルで目にしてきた試技などとは、2つも3つも次元が違う強力なる雷撃魔導であった。
しかもこれだけの瞬時に手すら動かさずに放つ魔導。男にとって指一本動かすまでもない、撫でる以上に軽い一撃であることの証明だ。
――嘗めやがって。
自分を軽く見積もられたことに、少女は激昂した。そしてどうにか弾き返してやろうと、全力の耐魔を発動する。
そして受けた、雷撃の重みは――。
完全に、想像を絶していた。
稲妻が体表から防ぎきれずに体内に達し、瞬時に全血液が煮立つような苦痛――少女に人生で最大といえる、肉体の苦痛がもたらされる。
――耐魔は、魔導士でないものも含めて、魔導の力に対抗する力として鍛錬しうるものだ。己の中の魔力を集中し、防御に特化して高めることで、魔導士の放つ魔導を打ち消す。
自信を持っていた己の耐魔だったはずなのに、そのような力など、目前の暴虐な力には文字通り焼け石に水のごときものに過ぎなかった。
圧倒的な、相手と己の魔力差。
「ぐ――ううあああ……!!!!」
両手を交差させたまま、目を剥き歯を噛み鳴らし、全身を震わせて少女は耐える。
雷撃の衝撃は脳にまで達し、意識を遠くに吹き飛ばそうとするが、ギリギリでそれを踏みとどまる。
そのような少女に対し、彼女の試練の裁定者としてこの場に降り立っているヘンリ=ドルマンは、相手を見下した冷酷な視線を投げかける。
大導師アリストルの一番弟子としてその名を轟かす男、ヘンリ=ドルマン・ノスティラス。
皇国中のみならず大陸にまで名を知られた一流魔導士であり――。現皇帝の実の甥であるという極めて高貴な貴族たる彼の事を、当然ながらナユタも知らぬはずはなかった。
一部で「女男」という不名誉な誹りを受ける彼は――。確かに180cmを超える長身に紫の優雅なローブ、厚い化粧、豪華な髪留めでアップにした金髪という出で立ち。
すらりとした美男子という恵まれた容姿でなければ、正視できない異様な姿ではある。
加えてここへ現れるなり向けてきた、人を人とも思わぬ傲慢かつ尊大な態度に、少女は最大限の怒りと反発心を喚起されていたのだ。
しかし――その高名、やはり伊達ではなかった。見た目からは想像もつかぬ雲の上の存在といって良い大魔導士であることに、全く疑いは、ない。
(冗談じゃないよ……! 相手がどんな化物だろうが、関係はないんだ。
こんな程度で、諦めるわけにゃあ、いかないんだよ!!! ここを通りたくても通れなかった、『トリスタンのために』!!!!)
少女は心の裡でそう叫ぶと、残された気力の全てを総動員させて、両手を素早く腰のダガーに伸ばした。
鞘から抜き放った二本の白刃の先を、真っ直ぐにヘンリ=ドルマンに向けた少女。
裂帛の気合とともに、渾身の魔導を前方一点に集中し、放つ。
「おおおおお!!! “火焔槍”!!!!」
渦を巻く槍のごとき強烈な炎は、膨大な熱を伴いながらヘンリ=ドルマンに向かって突き進む。
己の眼前に迫るその魔導の強さを目にしたヘンリ=ドルマンは――。傍目にも明らかに目を輝かせ、興奮の表情をその貌に形作っていた。
そして――。またしてもローブから指一本出すことなしに、ヘンリ=ドルマンは少女の渾身の“火焔槍”を一瞬にして霧散させてしまった。
「ち……く、しょう……が……!!!」
己の攻撃が通じなかった現実に呪詛を吐きながら、少女は崩れ落ちて、前のめりに両手を石畳についた。
ダメ、だったのか……? これほどまでの心血を注ぎ修行に邁進し、万全の体勢で望んだ入門試練だったのに。自分は外界では天才ともてはやされた優等生だったのに、この頂点の世界では所詮、通用しない程度の才能だったというのか。
絶望に打ちひしがれ、ついに悔しさと悲しさのあまり涙を流し始めた少女の耳に――。
異様な、足音が聞こえ始めた。
爪――? そして厚い肉で地面を踏みしめる、凄まじい体重を持った者にしか出せぬ、あまりに特殊で重い音だ。
同時に、凄まじく籠もった響きをもつ重低音の、それでいて、とても優しい感情の込もった独特の声が、耳に入ってきたのだ。
「やれやれ……。そのぐらいにしておいてやれ、ドルマンよ。まだ子供であろうに、あまりに可哀想だぞ。
お前らしくもないな。柄にもなく剥きになって。『試練では到底見せんような』、大人げない力の雷撃まで出すとはな。
いや、むしろ最初から、試練を課すまでもないのだろう?
これほどの天賦の才能、滅多に見い出せるものではない。両手を上げての『合格』しかあり得ん、そういうことではないのか?
やり過ぎると、大導師に云い訳が立たんぞ」
恐る恐る、貌を上げた少女の目前に――。
衝撃の「存在」が、姿を現していた。
「それ」は、人間、ではなかった。
声が発せられていたのは、2mはあろう高みからだ。その時点で違和感を感じてはいたが、実際に声を発していたのは人間の頭部ではなく――。
「狼」? いや、「犬」の頭部だったのだ。それも、とてつもなく巨大な。
そう、それは、体高2m、体長4mにも及ぶ、巨大な「犬」であった。
いや――犬、とも違う。なぜならその生物の肩からは、両側に2つの頭部が突き出ていたからだ。
合計で3つの頭部を持つ、巨大な犬のような生物、いや怪物。
文献で、その存在について読んだことがある。エスカリオテ王国南部の密林にのみ生息すると云われている希少なる怪物。その名は、ケルベロス。
文献では、黒い硬質の毛並みを持つと云われていたが、眼の前のそれは、極めて柔らかく触り心地が良さそうな、フワフワの毛並みに覆われていた。かつその色は、ヘンリ=ドルマンの衣装同様の、鮮やかな紫色だ。
そして、人を喰らう極めて危険で獰猛な生物のはずであるが、3つある頭部の金色の眼はいずれも、明らかな高い知能を伺わせる人間が宿す光に満ちていた。先程の人語を喋ったのは、間違いなくこのケルベロスだ。
まさか――これ、魔導生物なの? 少女は目を疑った。
魔導生物は、中級以上の魔力を持つ魔導士にのみ作り出すことが可能な、魔導士の下僕。
望む生物の受精卵に己の魔導を込めることで誕生させ、培養することで思いのままの力、性格を持つ魔導生物を得ることができる。それは魔導士一人につき一体しか持つことができない。
少女もランダメリア市内で何人かの高位魔導士が連れているのを見たことがあるが、それらはいずれも肩に止まる程度の鳥であるとか犬猫、大きくても馬程度でしかない。まさか、ケルベロスの魔導生物を従える者が居ようとは夢にも思わなかった。
会話からして、ヘンリ=ドルマンの魔導生物に相違ないであろう。そして言葉を聞く範囲では、理性ある優しい大人の男性の性格を持つようだ。
ケルベロスは巨大な歩幅で瞬く間に少女の目の前にまで迫った。そして大口を開け、中央の頭を下げて少女と目線を合わせた。
知能を持つ存在だと分かっていても、見た目は紛れもない人食いの巨大生物。少女は青ざめてガクガクと身体を震わせ、怯えた。恐怖を止めることが、できない。
「ひ……ひいい……ああああ……ああああ……」
「そのように怯えることはない。俺はあちらのヘンリ=ドルマンが下僕、魔導生物のブラウハルトという。肉は大好きでよく食うが、もっぱら俺は仔牛が好きでな。人間は食わぬゆえ安心するが良い。
ドルマンに代わって申し伝えよう。お前は大導師の試練を見事通過した。弟子の一員として、我が大導師府に歓迎する。これは偉大なる大導師アリストルの代理として宣告するものである。
お前の名は、何と云うのだ? 試練を終えたゆえ、聞かせるがいい」
ケルベロス――魔導生物ブラウハルトは、少女に優しい眼差しと言葉を送った。
そう、大導師の試練を通過できない者は、名前を名乗ることすら許されないのだ。試練の末受け入れられ名乗りを上げることは、魔導士の卵にとって夢である。
少女は、恐怖におののきながらも、自らの名を名乗った。
「ナ…………ナユタ……。ナユタ・フェレーイン、です……と、いいます……」
ブラウハルトは、少女――ナユタの名乗りを受けてはっきりと「笑顔を浮かべ」、次いで大口を開けてナユタに食らいつこうとしてきた。
「い、いやああああああ!!! 死にたくない!!!! いやーー!!!!」
驚き、恐怖のあまり石畳にうずくまるナユタ。小水を漏らしそうになるのを必死で堪える彼女の身体を、ブラウハルトはしかし優しく噛んで持ち上げ、首を後ろに曲げてそっと己の背中に乗せた。
「え……えええ……? ……?」
震えて涙ぐむナユタは戸惑いながらも、あまりに心地よい毛束のモフモフの感触に、思わずブラウハルトの背中に抱きついてしまった。
「はっはっは!!! あれだけの威勢と才を見せながら、年相応に可愛いところもあるではないか! 俺はお前が気に入ったぞ、ナユタ。主人の手荒い歓迎で怪我をした詫びだ。大導師の元まで俺が乗せて行ってやる。道中、いろいろと案内しながらな。
ドルマン。ナユタに何か云っておくことはあるか?」
声をかけられたヘンリ=ドルマンは、苦虫を噛み潰したような貌で舌打ちしながら、踵を返して背を向けながらナユタに言葉をかけた。
「……ナユタ・フェレーイン。アタシもやり過ぎてしまったのはお詫びしておくわ。ごめんなさい。
貴女のような小生意気な娘は、アタシの一番嫌いなタイプだからつい虐めてやりたくなってしまってね。
けど……率直に云って、貴女の才能は、素晴らしいわ。
アタシが試練の裁定をするようになって以来、最高の天才に出会ったといっても過言ではないかも知れない。現時点でそれほどまでの耐魔と魔導を操るとは……。成長性も底が知れない。大導師府へ、歓迎するわ。
ただし……覚悟なさいよ。その代り貴女に対し、修行では一切の容赦手加減を加えることはない。これは師アリストルも同様よ。かつてアタシが洗礼を浴びたようにね。生半可な覚悟では、ここでは1週間と保たないのだということを、重々理解しておくことね」
そう云い残すと、ヘンリ=ドルマンは足早に歩き、城門の向こうへと姿を消してしまった。
ブラウハルトはその背中に向かってクスリと笑い、「右の」頭で背中のナユタを振り返って云った。
「素直でない主人ですまんな。ああ見えてあ奴は本当は器のでかい、偉大な才能と人間性の持ち主なのだ。今も、己以来の才能が大導師府に加わってくれることが、嬉しくてたまらんのだ。分かってやってくれ。
俺もお前のような面白い子供が仲間に加わってくれるのは、嬉しい。これからもよろしくな、ナユタ」
ナユタはようやく、緊張をほぐしてきたようでぎこちないながらも笑顔を見せ始めた。そして、ゆったりとした振動を背中から伝えながら歩き始めたブラウハルトに対して、これまたぎこちなく言葉を発したのだった。
「よ……よろしく……。
あの……だけど、その……あんまり『子供、子供』って扱いは、して、欲しくはないんだけど……」
小さく控えめな反論を聞いたブラウハルトは、今度は左の頭で哄笑し、中央の頭で言葉を発し、これに答えた。
「それは済まなかったな! 確かにお前ほどの魔導士に『子供』は失礼だな。
以後は改める! だが子供でないということは……俺とは対等の『友人』ということになるのだからな。そこを忘れるなよ!」
その人間よりも人間らしい、屈託のない豪快な言葉に――。
ナユタはすでに、この見た目恐ろしい巨大な怪物が人外であることなど忘れかかってしまっていたのだった。
――これが、ナユタ・フェレーインの大導師への弟子入りの瞬間であると同時に――。
彼女にとって最も偉大なる魔導生物との、出会いの時であったのだった――。