第十八話 旧友の訪れと、追憶(Ⅴ)~継がれる遺志と悪しき運命
*
半月後、ルルーアンティア孤児院の、応接間――。
ソファに並んで腰掛けている、ナユタとエティエンヌの二人。
その表情は、呆けたように魂を失い、色は蒼白というより青黒かった。
向かいに座るのは――。皇国東方警備軍の一員であった戦士の、ティレンツという若い男であった。
東方警備軍に臨時入隊してきたトリスタンの教育役で、彼と懇意になっていたという人物。
この日――。ティレンツはトリスタンの遺体と遺品を携えて、孤児院を訪ねてきたのだ。
彼を送り、その最期について「家族」に伝えるために。
「――トリスタンは、傍から見ても、功を焦っていたように見えたよ。
事前に話を聞いていた、君たち故郷の人間、とくに――。ナユタお嬢さん、君に誇れるような戦功をあげようとしていたんだと思う。常々それは、口にしていたんでね」
沈痛な面持ちで一度言葉をきり、その後さらにティレンツは続けた。
「彼の最期の言葉は――間近ではっきりと聞いた。身体を焼かれながら、お母さんと、『おばちゃん』、『エティエンヌ』、『ナユタ』そう叫んだあと――。最期の最期に、お嬢さん、君の名前をもう一度叫んで、事切れた」
「うっ――ううううう――!! うううううううう!!!!」
ナユタはたまらずに大粒の涙をこぼし、身体を折って嗚咽をもらした。エティエンヌがその肩と背中を優しくさする。
「お悔やみを、申し上げるよ……。彼もあの若さで夢もあって、君のような美しい婚約者を残して死ぬのはさぞかし、無念だったろうと思う。
それで彼からね、手紙を預かっているんだ……。
もし自分に何かあった場合、必ずルルーアンティア孤児院のナユタという女に渡してくれ、そう強く言付かっていた。……これだよ」
そう云ってティレンツは、懐から一枚の封書を取り出し、ナユタに渡した。
ナユタは震える手でそれを受け取り、中の粗末な紙切れを取り出した。
そこにはトリスタンの筆跡で、走り書きのように書かれた短い文章が、あった。
“ナユタへ
俺は夢を諦めるつもりはないが、今回はもしかしたら死ぬかもしれない
俺は、お前に謝りたい、心から
ひどいことをして、本当にすまない わかっていたんだ、お前たちの、気持ち
願わくば俺は、強くなってお前の元に、帰りたい
愛してる
トリスタン”
――手紙を持つナユタの手が、おこりにかかったように、震えた。
そして耐えられずに彼女は、終わることのない、慟哭を上げたのだった。
*
数日後。
部屋にこもりっきりだったナユタが、突然エティエンヌの自室をたずね、ドアをノックしてきた。
「ナユタ……! 大丈夫かい? 心配してたんだよ……!」
部屋のソファに彼女を通しながらエティエンヌは、その憔悴しきった様子に胸が痛んだ。
ナユタは低い声でうっそりと、エティエンヌに目線をあわせずに言葉を発した。
「エティエンヌ……。
あたしは、罪を犯した。重い、重い罪を。人殺しをね……」
「ナユタ!!! バカなことを云うな!!!
僕も悲しいのは一緒だけど、君には何の責任も――」
「あるんだよ……。あたしの考えは甘かったし自分本位だった。自分の才能に気づいた時点でトリスタンに正直に話すのが完全に、正しい道だった。
あたしの浅はかさが、結果的にトリスタンの道を誤らせ、あそこまで傷つけズタズタにし、あんな危険を犯すまでに追い詰めちまったんだ……。
自分の愛する人を、殺しちまったんだよ……」
「違う!!! 絶対に、違う!!!」
「あたしはね、決めたんだよ、エティエンヌ……。魔道士に、なる。魔導学校で力を明かして推挙してもらって、大導師府に、入るんだ……」
「ナユタ……!!」
「この罪を贖わなくちゃ、いけないんだ……。あたしがトリスタンの代わりに、爆炎の大魔道士に、なる。大陸最強の魔道士に、なるんだ。
あいつの夢を、あたしが実現するんだ。……それじゃ足りないかもしれないけれど、あたしにできることはそれぐらいしか、ないから……」
「…………」
*
そして現在。大導師府の応接間。
ナユタとエティエンヌが語る長い物語を、ランスロットは集中を切らさずにじっと聞き入っていた。
あまりにも興味深く、心を打たれる真実だった。――エティエンヌがナユタに恋していた部分は、彼も語らなかったランスロットの想像によるものだったが。
目を閉じて内容を噛み締め、ランスロットは口を開いた。
「なるほど……。話してくれて、ありがとう。そんなことが――君たちの過去にあったんだね。
ナユタがどうして、大陸最強の魔導士になりたかったのか、その理由もよくわかった。
失った大切な人の、夢の実現のためだったんだね」
その言葉に、厳しい表情でエティエンヌは云った。
「その考え方については――。今だに僕は反対だ。
ナユタ、君は何も悪くはないし、痛ましいとはいえトリスタンの死に囚われて、悪い方向に魂を宿り続けさせるような状態はね」
それを聞いたランスロットはすかさず云った。
「うん……僕も死んだ人を悪く云うつもりはないし、あくまで客観的な意見として、トリスタン自身の要因はとても大きいとは思う。
話を聞いててなんとなく、彼は政治家だとか、軍の将官とかになったら大成しそうな人物のようだったし。挫折は誰にもあるし、その経緯だとか遅いか早いかなんて関係ない。自分でやり直すことがとても大事なのに、彼は残念ながら強いお母さんへの思いや――高すぎるプライドに折り合いを付けられなかった、そんな風に僕は受け取った」
ナユタとエティエンヌは、それぞれの捉えはあるだろうが神妙に、ランスロットの言葉に聞き入った。
「それに……僕から見て、昔のことはともかく――。今のナユタが何かに縛られて自分を殺してるなんて、とてもじゃないけど信じられない。
繊細さとは無縁にがさつで、金でも男でもがっつく欲望の塊だし、魔導に対しても執着が強くて自分が強くなるためなら手段を選ばないし、自分のシンパや奴隷男を一杯作ってて孤独とは無縁だし、何よりいたわるべき魔導生物をこき使い、ストレス解消の道具にし、虐待し――非人道的な扱いを続ける、ひたすら魔導バカのような女性の姿というものが――」
「……おっと、そこまでだよ、ランスロット……。何を、のたまっていらっしゃるのかな? 人がしんみりしてるのをいいことに、どさくさに紛れて――。このあたしのことを、親友の前で、なんて云いやがった!! この!!! 許さないよ!!! 普段の10倍は仕置きしてやる、覚悟しな!!」
「おっとととと――そう簡単には捕まらないよ。この僕をなめてもらっちゃ困るなあ。君との追いかけっこじゃあ百戦錬磨だよ!!!」
素早くナユタの横のソファから飛び降りたランスロットは、手慣れたナユタとの追いかけっこに突入していった。
その間、ランスロットはちらりとエティエンヌを見やった。
彼は先程と比べ、一転して明るい表情になって楽しい笑顔を浮かべていた。
それは良かったが、彼は気づいてくれただろうか?
ランスロットは、ナユタを気にかける彼に、心配ないよと伝えたかったのだ。
きっかけは心の傷と過去の呪縛という重いものだったかもしれないが――。今ランスロットから見て、ナユタはもうそれとは関係なく、心から魔導が好きで愛していて、自分の意志で大陸最強になろうとしているんだ。そのことを。仲間にも恵まれ充実していて、何物にも縛られていない自然体の自分自身でいるんだよ。そのことを。
エティエンヌがそれを理解して、安心してくれること。そして願わくば、自分の気持ちを伝えてナユタと一緒になってくれること。それを願わずにはいられないランスロットだった――。
*
エティエンヌは、しばらくの間ナユタやランスロットと話の花を咲かせたあと――。
二人に別れを告げ、応接間を出て帰路についていた。
城門まで送ると申し出てくれたナユタだったが、あまりに時間が押しすぎていた。すでに見習いへの講義を控えているナユタは、すぐにそちらへ向かう必要がある。それをランスロットに指摘され、仕方なくそこで、名残を惜しんだ。
エティエンヌは、思った。来てよかった。ナユタが元気なことを確認できたのもだし、彼女をいまだ深く愛している自分の気持ちも再認識できた。
これで――自分の往くべき道に集中できる。
何年かかってでも騎士の道、武人としての世界で大成して見せる。そして恥じない自分になったそのとき、ナユタに自分の想いを打ち明けよう。
想いを新たにしながら、大導師府の廊下を進む、エティエンヌ。
すると廊下の向こうから――。
談笑しながら歩いてくる、少年少女二人組の姿がある。
「――いや、美味かったなあ、あの店のケーキ! 君がそういう事に詳しいのは、すごく意外だったよ!」
「そんな――大したことないわよ。貴方がそんなに喜んでくれるなら私、もっと美味しい店を調べておくわ、ダン」
「ありがとう、嬉しいなあ! これから心おきなく修練に励めるってもんだ。今日は昨日の重力魔導の続き、教えてくれよ?」
「ええ、もちろんよ」
自分と同じくらいの歳と思われる、カップルだ。おそらくはナユタの学友の魔導士なのだろう。
エティエンヌは、二人に会釈をして少女の脇をすり抜け、通り過ぎようとした。
そのとき――。
同じく会釈を返した、少女の側に肉薄した瞬間。
エティエンヌは、全身が総毛立ち、血が全て抜き取られるかのような、最悪の悪寒を感じた。
強烈に身を震わせ、エティエンヌが振り返ったときには――。
その少女の姿は、廊下の角の向こうに消えようとしているところだった。
「いや、本当に助かるよ。探索任務で君と一緒になって本当に幸運だったよ。
『フレア』」
廊下の向こうに消える寸前。妖艶な中にも極めて冷酷で、邪悪な闇を感じさせる恐るべき視線を一瞬投げかけ、「フレア」と呼ばれた少女は消えていった。
何かは、分からない。
だがエティエンヌは、確かに感じた。この見知らぬ少女との間の、何か強烈な運命、としかいえない恐ろしい予感めいたものを。
彼はこのとき、知るよしもなかった。
8年の後――。自分がこの少女と、ある巨大な地獄の戦場において相まみえることを。
そして、そこで自分自身に降りかかることになる――大いなる運命のことを。




