第十四話 旧友の訪れと、追憶(Ⅰ)~エティエンヌ
探索任務終了後の魔導士団が皇都ランダメリアに帰投してより、日時が過ぎた。
犠牲者ニナ・ハートリーフの遺体は、大導師の最も手厚い哀悼の意とともに、所属する全魔導士の手による無宗教の葬送の儀が盛大に行われた。そしてその後、大導師の命で密かに城塞を出た棺は、故郷ガリオンヌで然るべきハーミアの葬儀を執り行うべく、彼女の両親のもとに返されることになった。
棺には同じガリオンヌ出身の幼馴染ラウニィーが片時も離れずに付き添い、そのまま一時帰郷してニナの死の顛末を報告する辛い役目を担った。喪服に身を包み、ショックから未だ立ち直れない痛々しい姿のラウニィー。ナユタとランスロットは涙しながら親友とのしばしの別れを惜しみ、その背中を見送った。
それから一週間の後。一団の長、ヘンリ=ドルマンは任務の全てを大導師に報告、記録をしたためた後――。
従僕ブラウハルト、弟弟子のディトーとともに、己自身に謹慎を課した。
任務自体は成功を収めたものの、尊い犠牲者を出してしまったことへの責任を取るためだ。
彼はブラウハルトを引き連れて故郷ラウドゥスの山深く潜っていった。レヴィアタークは大陸で最も強大なる組織の将だが、それに太刀打ちもできなかったことが今回の根本的問題と位置づけ――。同じ敵との再戦を視野に入れるブラウハルトと、熾烈な実戦による修行に励むのだ。
探索任務の一件を機に、人が変わったようにヘンリ=ドルマンに懐くようになったナユタ。彼女は尊敬する師兄についていきますと勢い込んで云ったが、これはアタシの問題だと本人に一蹴されてしまった。もっとも本心では――可愛いナユタがそう云ってくれたことが嬉しいのだろう。耳が赤くなっていたのをランスロットは見逃さなかったが。
試練の中でナユタと一時結ばれる仲となったダンは、パートナーして共に戦ったフレアから、それ以降積極的なアプローチを受けることになったようだ。
ナユタに一途な恋心を寄せるダンは、フレアと男女の関係になることには否定的らしい。だが美少女に云い寄られて、当然悪い気はしないのだろう。彼女の求めに応じて一緒に食事をしたり、修行に励むなど、ひとまずは極めて親しい友人同士になったようだ。
ナユタは、フレアの意外な積極性に驚きつつも――。引っ込み思案で孤立気味に見えた彼女を心配していた友人として、それを喜ばしく感じていた。
その他大導師も、皇帝より急な詔勅を受けたらしく数日間の不在となっていた。
そのような訳で――。ナユタの相手になってくれる親しい者は居なくなってしまった。大人しくランスロットとともに修行に励むしかないとあきらめ、ニナの墓参りを済ませた後に修練場に赴こうとした、その時。
見習いの少女がナユタを呼び止め、来客の訪れを告げたのだった。
*
来客の名を聞いたナユタは、落胆した様から一転してはちきれんばかりに貌を輝かせ、ローブをはためかせて走った。
廊下を抜け、目的の人物が通されたという応接間のドアを勢いよく開ける。
すぐに――ソファにかけて背を向ける軍服姿の男性の、長く綺麗な金髪が目に入った。
ナユタはたまらず、満面の笑顔で叫びながら、その男性の背後に抱きついていった。
「エティエンヌ!!! ああ――エティエンヌ!!!! あたしに会いに来てくれたんだね!!
嬉しい!!!」
男性の頭に頬ずりして喜びを爆発させるナユタ。
男性は――それに苦笑するかのように微笑みながら、振り向いた。
ナユタの肩に止まるランスロットは――。その貌を見てハッと息を呑んだ。
身につけた軍服が示すとおり、肉体は男性として頑健な方の部類に入る。だがストレートの長い金髪から覗く貌は――。冷涼な眉とキラキラ輝くブラウンの瞳、細い顎と高い鼻、引き締まった唇など――。男性の心をもつランスロットですらドキリとするほどの魅力に満ちた、女性と見紛うほどの美少年だったのだ。
彼は、己の魅力を最大限に引き立てるように、はにかむような微笑を浮かべていた。しかしランスロットの鋭い観察眼は、見逃さなかった。ナユタに密着され、彼女の瑞々しい香りをかぎ、背中に乳房を強く押し付けられている状況に赤面する彼。その様子は年頃の少年が発揮する一般的な女性への興味を超えた、ナユタ個人への強い恋愛感情を表現するものに他ならなかった。
「――ナユタ、久しぶりだね。本当はもっと早く君に会いに来たかったんだけど、とても忙しくてこんなに遅くなってしまった。
元気そうで安心したよ。今日は遅ればせながらお祝いと、一つ報告があって来たんだ」
少年、エティエンヌ・ローゼンクランツは透き通った声でナユタに言葉を返した。声も話し方も、うっとりするほど上品で穏やかで、聞く者の心を落ち着かせる雰囲気に満ちていた。ランスロットは、粗雑でかしましいナユタとのあまりの差に、本当にこの二人が親しいのか疑わしくなったほどだ。
「そんな、あんたが忙しいのはよくわかってるし、気になんてしないよ! あんたの元気な貌を見て、あたしも安心した!
ありがとう。お祝い、ていうのはあたしの大導師府への入門に対してだね。報告――っていうのも、あんたのその成りを見れば、云わなくてもわかるよ。
本当におめでとう!! とうとうなったんだね。あんたの長年の夢だった、皇国軍の『騎士』に!!!」
エティエンヌから離れ、彼の向かいのソファに移動して腰掛けたナユタ。身を乗り出して自分の台詞を先取る彼女に苦笑しながら、エティエンヌは脇に隠していた紫のラベンダーの花束を手渡した。
「わああ!!! これ、孤児院の前の畑のラベンダーかい!? 懐かしい!! 一番、嬉しいプレゼントだよ……いちばん……うう……」
花束を抱きしめて、ナユタは喜びの後に涙ぐんだ。懐かしい故郷の花を見て、思わずホームシックが沸き起こってしまったようだ。
エティエンヌは一度頷くような仕草を見せた後、云った。
「そうだね、僕は最近までずっと孤児院に居たけど、君はもう2年も帰っていないんだものね……。16年、皆でずっと一緒に過ごしてきた場所に。
君にはその頃からずっと云ってきたけど、そう、ようやくなれたんだ。偉大な皇国に使える騎士に、ね。
まだ見習いになったばかりで、ずっと早くに成功した君には全然及ばないけれど……夢の第一歩に、届いたんだ」
「プッ……クククッ……!」
「成功」という言葉を聞いて、思わず失笑を漏らしてしまったランスロット。それを横目で睨み彼の頭をはたくナユタを見て、エティエンヌは云った。
「あいさつが遅れてしまったね。初めまして、ランスロット。僕はナユタの幼馴染、エティエンヌ・ローゼンクランツだ。君のことは、ナユタからの手紙で聞いていた。“あたしの最高傑作”“最高の友達ができた”“この子がいれば頑張れる”……。こんな感じでいろいろとご高名をね……」
「わーっ!!! わーわーわーわーあああああっ!!!! や、やめ!!! 今それを云うんじゃ……!!!」
貌を真っ赤にして騒ぎ立てるナユタ。ランスロットの貌はへえ……という風に呆気にとられた反応の後、目を潤ませた、喜びを押し隠したものに変わった。そしてエティエンヌに向かって、挨拶を返した。
「こちらこそ初めまして、エティエンヌ。ナユタの魔導生物、ランスロットだ。僕も、君のご高名はうかがっているよ。“あたしの無……”」
更にナユタをいじるために言葉を続けようとしたランスロットだったが、ナユタが真っ赤な貌のままついに目を潤ませて泣きそうになっているのを見て――。さすがに可哀想になりやめた。
「けど……びっくりした。話に聞いていたより何倍も美男子だよ、君は。もったいないなあ……ナユタ、どうしてエティエンヌと付き合わなかったんだい? 誰もが羨む恋人になっただろうに」
ランスロットの言葉を聞いて、ナユタは世にも意外な言葉を聞いたかのように、呆気にとられた表情になった。そしてすぐに、大笑いして返した。
「あっはっはっはっは!!! そうか、他人から見りゃそう見えるんだねえ。それはないよお、ランスロット。あたしとエティエンヌは本当に姉弟みたいなもんで、そんな男だ女だなんて関係にゃなりえないよ。たしかに綺麗な貌してるし、昔から女によくモテてたけど、あたしはそういう目で見るなんて発想自体がないのさ。ねえ、エティエンヌ!?」
ナユタの言葉を受け、エティエンヌは貌を歪めて苦笑いした。ランスロットは――やや憐れみを含んだ目で彼を見、やや非難を含んだ目で主人を見た。ナユタは恋愛の機微には鋭いくせに、自分のこととなると絶望的に鈍感だ。エティエンヌがずっとナユタに密かに片思いをし苦しんできたであろうことは、傍目にはあまりに明らかであるのに。
「それで思い出したけれど……。ナユタ、一度は帰りなよ、ルルーアンティア孤児院に。
おばちゃんに貌を見せて安心させてあげるのもそうだけど……『トリスタン』の墓も見舞ってやってほしいんだ。
あいつも、君に会いたいって、思っているだろうから」
トリスタン。その名がエティエンヌの口から出た瞬間、和やかな場が一瞬にして重々しく沈んだ。
「当事者」である二人はもちろん、大導師府でも知れ渡っている事実をランスロットは知っていたからだ。
それが、ナユタの失った初恋の人、最初の恋人の名であることを。
ナユタは神妙な面持ちで下を向き、云った。
「そう……だね。お墓参り、行かないとね……。
わかっては、いるんだ……でも正直、お墓に行きたくなくて……。孤児院に帰っていない、て気持ちもあったんだ。
行けば、思い出すから。あいつが死んだ事実を。その辛さを。そして、あたしの過去の過ちを……」
「……ナユタ、それは……違うよ」
「いいんだ、エティエンヌ。せっかく、あんたも居てくれることだし……いい機会だ。
ランスロット、聞いてくれるかい? あたしたちと……トリスタンのこと。
あたしの最愛の人が、命を落とすまでの、その顛末。ここではまだ誰にも、話したことはない、ちょっとした昔話ってやつをね……」




