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第十三話 竜殺の試練(Ⅹ)~結ばれた深き絆

 その頃ナユタは、バジリスクの巣穴の底に一人、座していた。


 深淵の闇の中、何も見えない。ただ全身の痛みだけが強烈に脳髄を襲ってくる。

 腕にも、背中にも貌にも、深い切り傷を負い出血している。そして脚は、右が膝下、左が膝上で完全に複雑骨折していた。気を失いそうに痛く、とても動かすことなどできない。


 ランスロットに作らせた氷壁の中は涼しく、内部に満たさせた濃密な酸素のおかげで環境は悪くない。

 だが氷壁の外には、のこのこ落ちてきた侵入者を食らってやろうと、無数のバジリスクが貼り付いているのだ。地下の温度と、彼らの体温で氷壁は刻一刻溶けていっており、それが破壊されたとき――。自分はニナのように引き裂かれた肉と化すか、それすらも残らないようになるのだとぼんやり考えていた。


「あっけないね……こんなことに、なっちまうなんて。

あたしも、入門前に比べたら相当度胸がついたと思うけど、やっぱり怖いね。死ぬのは。

喋ってないと怖くて怖くて、どうにかなっちまいそうだよ……」


 皮肉な笑いを浮かべながらも、青い貌で小動物のように震えながら胸を掻き抱くナユタ。


「まだまだ、やりたいこと一杯、あったのになあ……大導師、あんたの教えも受けたかったし、ラウニィー、ランスロット。あんた達と一緒に一人前の魔導士になりたかったよ。

女男、やな奴だったけどあんたの教え、今にして思えば一番実になってたんだって実感してる。感謝してるよ。

死んだら――トリスタン、あんたに会えるのかなあ。天国に、行けるのかなあ」


 そう云うと、ナユタは指先をガスから防護してわずかに炎をともし、周囲を照らした。


 直径3mほどの氷壁の内部に自分がいることを視認できた。そして目の前の氷壁は――。もう危機的なほどに溶けて薄くなり、その向こうで腹をみせながらびっしりと張り付く、大量のバジリスクの存在も視認できた。こんなおぞましい生物に群がられ、牙で爪で身体を裂かれ、痛みとともに食われていくのか。


 背中が、凍った。そして間近に迫った、抵抗も許されない無力な死を実感し、さしものナユタの頭の中も恐怖で一杯になった。

 大粒の涙を流して鼻をすすり、もはやガタガタと大きく身体が震えるのを止めることができない。



「やだ……怖いよ、怖いよお……。食べられたくない……。死にたくない……。誰か、助けてえ……やだああ。

エティエンヌ……助けて……おばちゃん……ラーニアおばちゃん……あたしを助けてええ……」


 

 極限の状況下で、愛する「家族」の名を呼ぶナユタの前で――。



 ついに耐久の限界を迎えた氷壁が、ひび割れ、破壊された!



「!!! うっううううううう――っ!!!!!」



 押し寄せるバジリスクの山を前に、目をぎゅっと瞑り、唇を強く噛み身を縮こませるナユタ。



 すぐさまバジリスクの牙が自分に到達すると思った、その瞬間。




「ナユタ!!!!!」



 聞き覚えのある、叫び声。そして直後に展開する、強烈な「光」。



 あまりにも強力無比な光魔導の光線によって、数十体ものバジリスクは瞬時に消滅させられていった。



 暗闇にいたナユタは、そのまばゆい光を直視することができなかったが――。


 その魔導、その影と気配。

 誰が自分を救いにきてくれたのかは、即座に、理解できた。


 へたりこんで動けないナユタの両目から、涙がこぼれ落ちた。



「ああ……あああああ……」



「ハア、ハア……大丈夫!!?? ナユタ、しっかりしなさい!!! このアタシが来たからには、もう大丈夫よ!!!

どれだけ心配したと思ってるの!!! 貴女は、アタシの大事な貴女だけは、絶対死なせたりなんかしないんだからね!!!」



 その影――兄弟子ヘンリ=ドルマンは、ナユタが完全に耳を疑うようなセリフを口にしながら、彼女をしっかりとその胸に抱きしめた。


 ナユタは戸惑いながら、その逞しい背中に腕を回した。


 ヘンリ=ドルマンはすぐさま、ナユタの背中に十字に帯を回し、自分の身体にくくりつけ、おぶる体勢を整える。そして身を起こし、竪穴を登り始めた。

 そのあたりは流石に――心はともかく頑健な「男性」ならではの頼もしい有様であるといえた。



「アタシが光魔導も使えて良かったわ。ここじゃ炎と同じで雷撃も火事を起こすからね。

どう、ナユタ。傷は痛くない? ロープの届くところまで行ったら、ブラウハルトに引き上げてもらうからね。それまで我慢してね」



 およそ、あの鬼のような兄弟子の口から発されているとは思えない、優しく思いやりに満ちた口調と声。ナユタは――こそばゆいような嬉しいような妙な気持ちになり、どう答えていいかどぎまぎしながら、小さな声で返事をした。



「い、痛く――ない、よ、です。めお――い、いえ、し、しし師兄。

ヘンリ=ドルマン――師兄――」


 大導師府に来て完全に初めて、ナユタはヘンリ=ドルマンに対し名前と、「師兄」という尊称を呼びかけた。口にするとあまりの恥ずかしさに貌が真っ赤になり、彼女は兄弟子の逞しい背中に貌をうずめた。


「――ニナのことは、知ってるわ。本当に、残念よ。

貴女の怒りもよく分かる。ここへ来てしまったのも決して間違いではない。とにかく本当に、生きててくれてよかった。

他の者も、皆無事よ、安心して」


 ヘンリ=ドルマンはナユタの状態を慮ってか、ここではジュリアスの件を話題にしなかった。



 だがナユタはその鋭い知性で、「皆が無事」という言葉によって気づいてしまった事実がある。


 ブラウハルトはともかく、ここへ救出に来るのは問題の大小は多少あれど、人間なら来られる者はいくらでも居たはずだ。ナユタが認識していた限り一番の負傷者はディトーだが、彼ですらブラウハルトの法力を受ければ時間を要さず、来ることは可能だったろう。


 それが意味するところはすなわち――。ヘンリ=ドルマンがどうしても他の者に任せておけずに、自ら救出に来てくれたということに他ならなかった。


 潔癖症の彼は本来このような汚れた場所が大嫌いのはずだが、洒落たローブもきれいな髪も化粧した貌も、煤と泥だらけになっている。

 身体は、慣れない肉体労働を無理して行ったゆえに、あちこち擦りむいたり切ったりして傷だらけだった。これだけの高さを降りて登り、体力的にも過酷極まりないであろう。


 再び涙が、出てきた。地獄の鬼のようで、自分が嫌いで仕方ないのだろうと思っていた兄弟子は、本当はこんなにも自分のことを――。感動し、思わず嗚咽が漏れてきた。


「ううう……。ごめんなさい……ごめんなさい、師兄……。

あたし、師兄の本当のお気持ちも知らずに、今まで生意気なことばっかり云ってきて……反省してます。

あたしなんかを、こんな一生懸命に助けに来てくれて……本当に感謝してます……。ありがとう……ございます……命の、恩人です……」


 そのナユタの言葉を聞いて、今度はヘンリ=ドルマンの方が赤面した。


 彼の方も、ナユタが本当はここまで気持ちの純粋な、素直な少女だとは思っていなかったのだ。変な意地を張らず、極めて率直に感謝の気持ちを述べられ困惑してしまったのだ。


「そ、そんな……かしこまらなくたって、いいわよ……。危ない状況の妹弟子を助けるのは、兄弟子として当然のことだし……。

この際だから云うけど、アタシ……貴女ほどの才能が入ってきてくれたことが本当に、嬉しくて……。特に目をかけ続けていたのよ。

鍛えれば鍛えるほど、それを吸収していく様子も本当に頼もしくて……。いつ“限定解除(リミットブレイク)”を成し遂げるか、楽しみで仕方なかった。先程ブラウハルトから、それが現実のものになったと聞いて……こんな時だけれど、小躍りしたいくらいに嬉しかった。

ほ、本当は……貴女のこと、い、妹のように可愛くて……特別で、大切な存在だって思って、いたんだからね……。

だからあえて厳しく、辛くあたってしまったけど……いい機会だから云うわ。本当に、ごめんなさいね」


 ナユタは――こんな時ではあるが、身体の芯がじんじんと熱くなるほどの――嬉しさで満たされた。

 これほどの偉大な魔導士に目をかけられていたことが、誇らしかった。あれほどの苛烈な教育を施さざるを得ないほどに。そして、妹のように思ってくれていたことが、嬉しかった。自分が尊敬と信頼と愛情を寄せるべき相手が、驚くほど身近にいたのだということを、思い知らされた気がした。


 ナユタは甘えたように兄弟子の背中に貌をこすりつけながら、云った。


「嬉しい……。じゃああたしは、師兄のこと、姉さんって思ってもいいですか?

あれ……なんか違うな。けど兄さん、てのはもっと違うし……まあいいや。もうあたし、一生師兄についていきます!」


「ちょっ……! ま、まあいいわ。『姉さん』として慕ってくれるのならね。その代わり、約束よ。アタシはいずれ、大陸最強の魔導士となる積りだけれど……。貴女は必ず、それをも超えてみせると誓いなさい。魔導士としての研鑽を怠ることがあったら……許さないわよ」


「はい! あたしの目標でもあるし、大丈夫です! これからよろしくお願いします!」


 目を輝かせて云う、ナユタ。しかし、心は至って本気だった。

 

 この大恩に報いるためにも、より確実に「大陸最強の魔導士」の座を目指すことを心に誓う、ナユタであった。






 *


 こうして――。


 波乱の北ハルメニア、ラージェ大森林の探索任務(クエスト)は完了した。


 ニナ・ハートリーフ死亡、という多大な犠牲を払いながらも――。


 魔導士団としては、気脈の乱れの封印と、怪物の掃討という目的を成し遂げた。それに加え、二名の“限定解除(リミットブレイク)”を果たした収穫もあった。


 負傷者は、全てブラウハルトの手厚い法力の治療を受け――。


 ナユタとランスロットは全快後に初めて、ディトーからニナの死の原因となったジュリアスの罪について伝えられた。


 当然ながら、怒髪天を突くほどに怒り狂ったナユタだったが、ヘンリ=ドルマンと他ならぬラウニィーに止められ――。拘束されたジュリアスに攻撃を仕掛けるのは思いとどまり、激しい罵声を投げかけるにとどまった。


 ジュリアスは――別途信号弾によって用意された別の護送馬車に監禁され、皇都まで移送されることになった。


 ニナの遺体は、仲間たちと同じ馬車に棺で収められた。出立前、全員で黙祷をささげ、一行は大激戦の場を後にしたのだった。



 結局――。ヘンリ=ドルマンらが口をつぐみ続け、運良く“許伝(アインフル)”の中で目撃者もなかったことから、ニナ死亡の遠因となったといえるサタナエル将鬼、レヴィアターク・ギャバリオンの襲撃という大事件については公にされることはなかった。

 しかしこの一戦によって図らずもサタナエルとの因縁が生まれてしまったことは、後に比較にならぬほどの重大な事件を大導師府にもたらす原因となるのであった――。





 *


 皇都ランダメリアまでの街道の中間地点にあたる、皇国国境付近、デネヴ統候領ヴェスレヴィオ――。


 魔導士団の二台の馬車は休憩のため、停泊していた。


 皆が眠りについたり、街に買い出しに出かける中、罪人となったジュリアスを監禁する護送車は当然開放されることもなく静かに佇んでいた。

 これを、魔導士のうち一人が交代で見張りをすることとし、逃走を防止していたのだ。


 現在護送車の見張りについているのは――フレア・イリーステスだった。



 フレアは護送車の格子の前に座り、魔導書を読んでいたが、周囲に完全に人気がなくなったのを見計らい――。格子の中に向かって小声で語りかけた。



「ジュリアス――。ジュリアス。聞こえるかしら? 返事をして」



 すると格子の中から戸惑ったような様子の、同じく小声で応えがあった。



「――フレア……? ……どうしたんだ……? 悪いんだが俺は今……話をしたい気分じゃ、ないんだが……」



「聞いててくれるだけでも、いいわ。単刀直入に云うけど――私はね、ジュリアス。貴方に『脱走』をしてほしいの。そしてそのための手助けを、したいと思っているの」



「――!!!」



「貴方、このまま大導師府に帰って裁定をうければ、二度と魔導を使えない身体にされた上で追放よ。ニナも結構大導師には気に入られていたし、貴方が許しを乞うても彼、容赦しないと思うわ」



「そう、だろうな……。けど、けど俺は……」



「そう、貴方は悪くない。私は貴方の味方よ。

私ね……貴方のこと、ずっと前からようく見ていたのよ。虚勢を張ってはいるけど、小リスさんみたいにか弱くてかわいい、繊細な(ひと)……。そういうひと、私嫌いじゃないの。

いじめたり、いじめられたりする関係にはね、無神経なひととじゃ、詰まらないの。私ね、貴方のパートナーに、なりたいのよ。そして貴方が思っている――いえ、いた相手、ナユタ・フェレーインへの『復讐』を果たす、そのお手伝いをしてあげたいと思っているの。

悪い話じゃ、ないでしょう……?」



 ジュリアスは――。極限まで目を見開いて、格子の奥からフレアを凝視していた。


 この女――。大人しく地味で詰まらない眼鏡女と思っていたのに、こんな大胆で淫乱で、性悪な本性を隠し持っていたのか――? 


 元々よく見れば美人だとは思っていたし、今の自分の味方になってくれるというのなら、願ってもない話だ。

 ナユタに絶大な未練はあるが、今回の事件で決定的な溝が生まれてしまった。凄まじい罵倒を受けるほどに。またこのまま栄光と、取り柄である魔導を失ってしまえば、場末の女にすら相手にされるのは難しくなり下手をすれば――。男娼にされかねない惨めな人生が待っているであろう。ならば、目の前の救いの手を取るのが、人として当然の行動ではないのか?


 そう結論付けたジュリアスは目をすうっ……と細めた。もはや人として最後の良心もかなぐり捨てた証左だった。善人であろうとした時は巨大な枷になった彼の臆病さは、悪人となることを厭わなくなった瞬間に翻って保身と利己への原動力として強力に機能したのだ。



「……わかった……フレア。俺は、君を選ぶ。話を、聞かせてくれ……。

ニナなんて冴えない女のために、俺は人生をフイにしたくない。ここから出るためなら、何でもする……だから……」



 フレアはジュリアスのその言葉を聞き、口角を不気味に上げ、満足の笑みを浮かべた。



「いい子ね、ジュリアス……。それじゃ、今から云うとおりに行動してくれるかしら?

これから馬車は、ディアリバーを通過する。そこから皇都境界までの間に……あるわよね、急な下り坂でカーブが連続する道」



「ああ……」



「そこでは馬車は車間を空け走行する。うまく後続の私たちの馬車が離れたのを見計らって、貴方は枷を外し、格子を開けて馬車を飛び出し、草の上に降りて、逃げる」




「どうやって鍵を外すっていうんだ……?」



「貴方の光魔導なら簡単よ。その枷と格子の錠前は、大導師が光魔導で指定した3桁の信号で施錠された魔工具。信号は『859』と『716』よ」



「なっ……!!!

どうして……君は……一体何者なんだ……フレア……!」



「……ダンが来たみたい。手短に。落ち合うのは満月の夜、ノルン統候領のハッシュザフト廃城よ。

それじゃあね、ジュリアス。上手くいくことを祈ってるわ。ハーミアの加護が、あらんことを」



 最後に魔導士にとって皮肉でしかない冗談を口にし、フレアは魔導書を閉じてダンの方へと走っていった。


 困惑と若干の恐怖を表情に貼り付け、ジュリアスはその背中を見つめ続けるのだった。





 *

 

 そして明くる日、ディアリバーから皇都に向かう途中の街道で、ジュリアス・エルムスは驚異の脱走を成し遂げ、忽然と姿を消したのだった。




 その不吉な事件は、やがて大導師府を揺るがす一大事件への序章となることを、魔導士達は知るよしもなかったのだった――。

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