第十話 竜殺の試練(Ⅶ)~衝撃と目覚め
ヘンリ=ドルマンが掲げた、即時最優先での撤退を示す、赤紫色の雷光。
上空に広がるそれを、離れた場所に居る仲間――ディトー、“許伝”の面々、ブラウハルトは――。激戦に追われる中、音と一瞬の視認によって確実に認識した。
それは同時に、ブラウハルトが撃退したレッドドラゴンを凌ぐ敵が、ヘンリ=ドルマンを襲っているという絶望的な状況を知らしめるものでもあった。
すでに彼らが相対している戦局は勝利を目前にしてはいたが、その結果をもって安心できるような状況ではなくなったということ。
ヘンリ=ドルマンは気脈の乱れへの対処を終えており、目的は果たしている。自分を見捨て、全員すぐに撤退し危機を遠ざけよと命じているのだ。
この事実に対し3つの頭全てで驚愕の表情を浮かべ、ブラウハルトは恐ろしい音を立てて歯ぎしりをした。
暴風域のような殺戮を展開していた、この場で最強の敵が突如沈黙した隙を逃さず――大量のバジリスクどもは、ブラウハルトに向け飛びかかっていった。
気脈は封じられたが、地上に放出された分の過剰魔力が希釈される数時間の間までは、この怪物どもの活力が衰えることはないのだ。
無論即座に反撃を開始しようとしたブラウハルトだが、敵バジリスク5体は――彼に到達する前に、炎上し燃え上がり地上に無様に落ちていった。
「ブラウハルト!!!」
ブラウハルトのすぐ後方にまでやってきていたのは、ナユタだった。強力な魔導を放ち敵を一掃した彼女は、友に迫る敵を払ったのだ。
すぐにブラウハルトの脇へと走りよりながら、ナユタは声を上げた。
「ブラウハルト! 状況はどうなんだい!? ここにいないフレアやダン、ジュリアスやニナはどうなっちまったんだ――」
「駄目だ!!! こちらへ来るな!!! 向こうへ行け、ナユタ!!!!」
ブラウハルトは右の頭をナユタに向け、恐ろしい形相で怒鳴った。彼がナユタに対し決して発することのなかった、迫力と緊迫感に溢れた怒声でナユタはビクッ、と足を止めた。
だが、遅かった。
ナユタと、彼女の肩にいたランスロットは、見てしまった。
ブラウハルトが必死で、ナユタらに見せまいとしたものを。
彼がなぎ倒したバジリスクの死骸の山の間で、姿を見せてしまった「それ」を。
赤く、極限までずたずたにされ、血の海に浮かんだ肉塊だった。
生命を感じさせないそれは、かろうじて――。
人間であったことを示す形をしていた。
貌はなく、四肢は切れ切れになった状態のそれは、ナユタにとって極めて見覚えのある布、いや――。衣服だったもの、で覆われていた。
「う――あ――あああ……。ああああああ……あああ……!! ぐっ!!! ううええ……!!!」
顔面蒼白となって震え、うめき声を上げ――次いで、胃からこみ上げてくる猛烈な吐き気を手で押さえて必死にこらえる、ナユタ。
ランスロットも、恐怖のあまりガタガタと震えるばかりで、言葉を発することができない。
その後すぐ――何事かと彼女らに追いついてきたラウニィーも、同様の光景を目の当たりにし、眼球が飛び出んばかりに目を剥き、ワナワナと震えた。
「そ――んな。そんな、バカな――!
ありえない――ニナ。あんたが、そんな――。『それ』が、それがあんただなんて――。さっきまで、あんな笑ってた、あんた、だなんて――」
途切れ途切れの声を喉から絞り出す、ナユタ。その横まで来たラウニィーは、両眼からツーッと涙を流し、震え声を発しながら身体を崩れさせた。
「いや……やだ……そんな……ニナ。嘘――嘘って云ってよ――! 死んじゃ、やだ――。私と――私と一緒に一人前の魔導士になるって――約束したじゃない――!!」
その様子を見てナユタはハッと身体を硬直させた。
そう、ラウニィーとニナは、生まれたときからの幼馴染で親友。共に希望をもって大導師府へ入門した姉妹のような存在であるという――その事実に対して。
ラウニィーは――他の者とはニナとの絆の強さが違いすぎ、それゆえの衝撃と悲しみは比較にもならないほどに大きいのだ。
ナユタの中で――激烈な「怒り」が噴出してきていた。友を殺されたこと。そして、親友の大事な存在を奪い、悲しみのどん底に突き落とした、その対象に対して。無念が転じたともいえる怒りのやり場、としてのその存在に対して。
一転獰猛な表情になり、上目遣いでバジリスクの群れをにらみながら前進するナユタ。両手には、すでにダガーがしっかりと握りしめられている。
「てめえら……畜生の分際で、よくも――やってくれたねえ。あたし達の掛け替えのない仲間を奪い、あたしの親友を悲しませやがって!!!
てめえらクソトカゲ共一匹残らず!!! あたしが焼き尽くしてやらあ!!!!!」
云うが早いか、一歩を踏み出したナユタは身を低く、ダガーを交差させて前に突き出し――。
これまであと一歩のところで発動できなかった、より高位の魔導を発動させたのだ!
「喰らえやああああ!!!! “魔炎煌烈弾”!!!!」
刃の先端から噴き出し爆発する――直径5m、最大長15mにもおよぶ、地獄の火炎。
それは、間近にいる3人に激烈な熱量を感じさせながら憎悪の対象にまで向かって伸び――。そこに密集、迫ってきていたバジリスクの群れを直撃。十数匹を一気に、消し炭もしくは完全に消滅させた。
その急上昇した魔力を感じたブラウハルトは、呻くように中央の頭から言葉を発した。
「ナユタ、お前――それは“限定解除”――!
お前のキーは、それでは『怒り』の感情だというのか――」
その言葉をしかし、当のナユタは全くただの一言も、耳に入れてはいなかった。
彼女は――。雷撃もしくは炎を弱点とするバジリスクにとって、現時点で最大の脅威の対象になった。さしも知能低く獰猛な本能だけのバジリスク達も恐れをなし、棲家である湿った岩場に逃げ帰ろうと退散を始めていったのだ。
これを追跡するべく、怒りに我を忘れたナユタはランスロットを伴ったまま全速力で駆け出していたのだ。
「逃がすかあああああ!!! トカゲども!!! ならてめえらの巣ごと、根こそぎ焼き払ってやらあああ!!!!」
「待て、ナユタ!!! 落ち着け!!! 止まれ!!! 止まるんだ!!!!」
ナユタの背に向けて、ブラウハルトは再度怒声を浴びせた。しかし――先ほどは彼女の足を止める事ができた迫力をもってしても――。今回は同様にはいかなかった。
ナユタの姿は、またたく間に森林の彼方に消え失せてしまったのだ。
「――くっ!!」
ブラウハルトは歯噛みした。ナユタの攻撃で残りのバジリスクが退却を始めたことにより、実質この戦場での敵は「0」となる。ディトーやラウニィーら、身体もしくは心が傷ついた者を残してナユタを追っても何ら問題はないが――。彼の脳裏には、魔導生物たる身として最大の関心事が渦を巻いていた。結果、ナユタを追うのを、やめたのだった。
「――ランスロットも、ついている。今のナユタなら心配はいらんだろう。それよりも、俺は――」
そう云ってブラウハルトは6個ある目を全て、東の方角に向けていた。そして、そのままディトーに云った。
「ディトー、俺は只今より主の命に背き、その元に馳せねばならない。俺一人の意志では、そのような背信行為は成しえん。頼む――俺は死ぬつもりはないゆえ、命に背く拘束力は比較的弱い。お前が背中を押してくれさえすれば、俺はすぐに飛び出せる。頼む」
ディトーはその言葉の意味を、瞬時に理解した。そして一度苦笑を浮かべた後すぐに、その言葉を発した。
「――ブラウハルト。俺はヘンリ=ドルマン師兄に生きて帰ってきてほしい。命には背くがお前に、師兄を助けに行ってほしい。今すぐに、だ」
ブラウハルトは微笑み、ディトーに感謝を告げた。
「ありがとう、ディトー。俺は行く。ラウニィーと、ここに戻ってくるだろうフレアとダンのこと、よろしく頼んだぞ!!!」
云い残すと、ブラウハルトは一迅の旋を残して、かき消すようにその場から跳び去った。
それは、スライム掃討後、誰も追って来ない状況を訝しみ――。元の場所に舞い戻って驚愕の状況を目の当たりにした、フレアとダンの2人が戻ってきたのとほぼ同時のタイミングだった。




