第九話 竜殺の試練(Ⅵ)~災厄の巨人【★挿絵有】
ドラゴンの襲撃に端を発し、一転崩れることとなった“許伝”の組。
それがようやく反撃の緒を掴むと思われた刻より、一時間ほど前――。
一団のリーダー、ヘンリ=ドルマンは、探索任務の最終目的である場所へと到達していた。
「久し、ぶりね――。
“気脈の乱気流”。相も変わらずの禍々しさだわ」
彼が佇むのは、地底深き洞穴の奥底。
海岸にほど近い場所にある無数の入り口の中から、目指すものが存在するその洞穴を、ヘンリ=ドルマンは迷わず選んだ。そして自らの雷撃魔導で作り出す強光の照明を掌に乗せ、ここまで駆けてきた。
気脈の乱れはあらゆる生物に影響を与える。だがそれによって凶暴化した怪物ですらも、気脈の乱気流と呼ばれるそこに近づくことは叶わない。あまりにも暴虐的な魔力が渦巻くゆえに。魔力の影響を己の力に変えつつ制御できる熟練の魔導士でなければ、この場所に立っていることなど考えられないのである。
そこは、狭い通路が続いてきた洞穴からは想像もできないほど――。上下前後左右に向かって広大な空間だった。上下と左右の距離はおよそ50m。ヘンリ=ドルマンが現在立つ、切り立った崖のようになっている場所から見渡せる奥行きに関しては――。何km、あるものだろうか。彼が洞穴内を煌々と照らす強光をもってしても闇を駆逐しきれないほど――不気味なほどに果てしなくどこまでも続いていた。
「3年前は、電磁波が使えるレジーナとキャダハムに譲ったけれど――。今回はアタシ自らが封に当たらざるを得ないか。気が重いわね」
ヘンリ=ドルマンは眉間に皺を寄せると、己の立つ高台から、広大な空間の広がる下方へと雷光を放ち始めた。
強化されたまばゆい光の筋は、恒久の闇に包まれていた空間を照らすばかりでなく――。
そこに存在していた、「絶大な力」を過剰なまでに可視化して見せたのだった。
魔導によって着光されたそれは、見た目には巨大な「光の川」のように見えた。地下の広大な空間一面に、明確な流れを形作っていた。ヘンリ=ドルマンが立つ高台の下から流出し、彼方の空間に向かう巨大な奔流となっているのだ。
これこそが――。大地が有する膨大な魔力の流れ、「気脈」だ。
それが禍々しい結果を地上にもたらすものでありさえしなければ、この世のものとは思えぬほどに美しい風景であったかもしれない。
だが今やそれは、人の世にあっての災厄そのもの。即座に封じる必要がある。
災厄の根源たる部分は、すでにヘンリ=ドルマンの眼前に展開されていた。光の川の中で一箇所、大きく上方へ流れを変えて柱のように盛り上がっている光の束がある。その幅は太く、30mに達している。光の束は真っ直ぐに洞窟内の天井に伸び、吸い込まれるように消えている。
光の束すなわち、何らかの偶発的要因で流れの歪んだ魔力の塊が、際限なく地上に向かって放出され続けているのだ。まさにこれが、「気脈の乱れ」。封印するべき、対象だ。
「諸悪の根源のお出まし、といったところね。すぐに大人しくさせてあげるわよ――“束圧電砲・収束 ”!」
集中の気合とともに発された高電圧の収束砲。ヘンリ=ドルマンの交差した両掌から発されたそれは轟音とともに垂直に進み、気脈の乱れのポイントとなる柱部に見事命中した。
上方へ禍々しい魔力を打ち上げていた柱は見る見るうちに流れを変え、地の奥底に向かって流れる気脈の元へと合流。地上への流れは完全に消えた。
これにより――気脈の封印は完了した。
もう地上に悪しき影響がおよぶことはない。今地上を跳梁跋扈している怪物も、大半は消え去っていくことになる。
だが責を成し遂げた当のヘンリ=ドルマンは、安堵の表情どころか顔面蒼白となり、頭を押さえてふらついていた。強いめまいと吐き気が襲い、倒れそうなほどに疲弊していたのだ。
「ぐっ……ぬうう……! わかっては……いたけど……キツいわね……!」
これが、彼が「気が重い」と云っていた理由。気脈を封じるその時合流のエネルギーで、乱れた時の10倍もの量の魔力が周囲に拡散される、その影響だ。
いかに気脈を制御する術を知る魔導士とはいえ、それほどまでに濃密な魔力の波に脳や身体は耐えることができないのだ。3年前にこれを行ったレジーナという女性は瞬時に失神し、仲間の男性デレクに運び出されたほどだ。
ヘンリ=ドルマンは彼女より数段高位の魔導士ゆえ、自力で歩くことはできた。壁に手を付き、ふらつく足取りのまま洞穴をしばらく進み――。どうにか、入り口の光が見える箇所までさしかかった。
そのまま、洞穴を後にし外に出る。早く、任務の完了を告げる信号用魔導を、空に向けて放たなければ。そう思いを巡らせながら、光に目がくらんだまま、陽光が差す地上に戻ってきたヘンリ=ドルマンの表情が――。
まさに瞬時、で一変した。
ざわっ――と、全身が総毛立つ感覚。寒気、次に強烈な電気が走る感覚。
毛穴から血管に刺さり、毒を注入されたかのような、あまりにも急激な危険信号が彼の身に降り掛かったのだ。
洞穴を出てきたヘンリ=ドルマンの背の方角。西北西の方角から、その危機は迫っていた。
先に彼が感じたのは、強い魔力の波動。しかし今、そのような感覚に頼らずとも、何が自分に迫っているのかを示す別の感覚――聴覚と平衡感覚が、明確に危機の存在を知らせていた。
音。今まさに迫ってきているのは、それ。聞いたことがない、音だ。木こりが木をなぎ倒す音。それが何十奏にも重なって恐るべき破壊音と化している。さらには――。それと連動して近づいてくる、音というよりは、「声」。何か途方もない、低くて籠もる不愉快な、それでいて大音量の叫びのようなもの。
もう一つが、地揺れ、振動。重量ある巨大生物が、短いピッチで大地を踏みしめ揺らしながら近づいてくる、そういった戦慄の感触だ。小刻みに平衡感覚を刺激してくる、危険な信号。
あまりに、早い。ヘンリ=ドルマンが衝撃で固まっていた2秒ほどの間に、もう背後数十mにまで迫っている――そう感じた次の瞬間!
「オオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアッーーーー!!!!!」
周囲の空気を揺らすがごとき、人外の雄叫び。それとともに背後の森林から飛び出してきたもの。
それは一気に7mほどもの高さ、15mもの距離を跳躍し、すぐさまヘンリ=ドルマンの――眼前5mほどに着地。これまでに数倍する振動と轟音を響かせ、背を向けた巨大な姿を現した、その存在。
それは――。「人」の姿をとってはいた。
しかし、およそ人間の範疇に当てはめようがない、途方もない巨躯であった。
膝をついた状態で、高さは2m半以上。立ち上がれば優に3m半は軽く超える身長であろう。全身はエメラルド色の刺々しく禍々しい鎧に覆われ、それを含めた重量は500kgに届くのではないかと思われた。加えて身体だけではなく、その頭部もまた同じくエメラルド色の刺々しい造形の兜に覆われ、内部を窺い知ることはできなかった。
それに加え、巨人が極めて強烈な印象を残すのは、両手で握られた巨大に過ぎる一本の戦鎚だった。
赤銅色に妖しい光を放ち――。長さ3m半、先端の槌部が長さ1m半、80cmはある径をもつ金属の塊。この巨人でなければ持ち上げるのも不可能な、300kgを超えるであろう重量もさることながら――。
その色と光が、物語っていた。蛮族の国家、ドミナトス=レガーリア連邦王国。そこに古代より伝わる宗教シュメール・マーナの神々が所有したと云われる数種の神器。それにしか用いられぬ、地上最硬の金属――アダマンタインで形成された武器であることを。
巨人は、構えを解かずにゆっくりと立ち上がりながら、ヘンリ=ドルマンのいる後方へ振り返った。
そして、仮面の間から猛烈な息を吹き出しながら、独特の――。骨と骨が擦れ合うかのような不快な発音、それでいて籠もったように低い大音量で、言葉を発した。
「会エテ――嬉シイゾ、ヘンリ=ドルマン・ノスティラス。ラウドゥス候子ニシテ、大導師アリストルガ一番弟子ヨ――。
オ主ガ発スル尋常ナラヌ魔力、噂以上ノモノ。ソレトナク見テハオッタガ、気脈ヲ封ジタ際ノ爆発的魔力ヲ感ジ、コノ身ヲ抑エルコト叶ワズ、出張ッテシモウタワ……!」
巨人を前にした小動物のごときヘンリ=ドルマンは、大きな生唾を一度、飲み込んだ。貌は青ざめ、背中の冷や汗は止まらない。が、震えだけはどうにか自制し止めた。
そして、軽く深呼吸をした後、普段どおりの様子で言葉を返した。
「……お初にお目にかかるわね。我が皇国影の支配者たる、貴殿のお噂もかねがね。
暗殺組織“サタナエル”……“斧槌”ギルド“将鬼”、レヴィアターク・ギャバリオンどの。
アタシに会いたくてたまらなかった、というのは身に余る光栄だわ。
普段の日課にされているというドラゴン退治は、お休みなのかしら、英雄“竜壊者”としては」
巨人のごとき「人間」、“竜壊者”レヴィアターク・ギャバリオンは――。まるで嗤っているかのように、仮面の奥の充血した目玉を動かしこれに答えた。
「コノ儂ガ、『ソレ』ヲ行ナワヌ日ナドナイ。ココヘハ、レッドドラゴンドモ3体ホドヲ追イ立テナガラ参ッタ。儂ガ追ウノヲヤメタユエ――。ソノママ西ノ方角ヘ向カッテイキオッタワ――確カ、『オ主ノ仲間ガ居ッタハズノ方角』ヘ、ナ」
その衝撃の言葉を聞いたヘンリ=ドルマンの長い金髪の、全ての毛先が――。
一瞬にして浮き上がり、魔導の急激な発動を示した。
表情は憤怒と焦燥にゆがみきり、緊迫の度合いは極限にまで高まっていた。
「“巨下垂雷撃”!!!」
両腕を交差したヘンリ=ドルマン。すぐに異変は現れ、天空から一筋の稲光――自然の落雷としか思えぬ強烈な雷が、レヴィアタークの頭上へと落ちかかってきた!
レヴィアタークは――己の戦鎚を立てて避雷針にもせず、直立に構えたまま、脳天から全雷撃を受けた。そしてまばゆい強光と轟音で、目がくらんだヘンリ=ドルマンが1秒後に見たもの。
それは――。身体の無数の箇所から煙を発し、所々鎧に過熱の七色のシミを作ってはいるものの――。全くダメージなくそこに立ち尽くす、緑の巨人の姿であった。
「――!!!」
「オオ――凄マジイ、魔力ダ――! 我ガ組織最強ノ魔導士“第二席次”ニモ引ケヲ取ラヌヤモシレヌナ。コノ儂ガ本気ノ耐魔ヲ展開セザルヲエナンダ。血ガ、タギルワ。マダマダ、本気ヲ出シテナドオラヌデアロウ!? サア、サアアーー!!! 畳カケテ見ヨ!!! コノレヴィアタークヲ、存分ニ楽シマセテ見ヨ!!!!」
叫びとともに、戦闘狂の巨人はついに動いた。
巨体から想像しようもない、動き。残像を残しその場から消え、5mの距離を一気に詰める。
そして猛烈な風圧とともに眼前に現れたときには、すでに技の発動を完了していたのだった。
右手側に大きく振りかぶられた、神器。横面からの隕石にも等しい、馬鹿げた戦鎚の強撃は、もはやヘンリ=ドルマンの眼前にまで迫っていた。
「“積乱雲”!!!!」
まともに喰らえば血と肉片に姿を変えられるであろう、死の災害。これに対抗し耐魔の派生強化魔導、障壁の光る壁を左側面に作り出す、ヘンリ=ドルマン。
神器の一撃を受けた障壁は、グニャリ――と大きく変形した。――あり得ない。ヘンリ=ドルマンほどの術者が作り上げた障壁の強度は、厚さ50cmもの鍛造オリハルコンに匹敵するはず。自然の力の中で、このような馬鹿げた現象を可能にするものなど通常ない。
「ぐっ――!!!!」
やむを得ず、ヘンリ=ドルマンは非力な己にできる限りの勢いで、衝撃と反対方向に跳躍逃れた。にも関わらず――障壁を破壊した死の戦鎚が、大きく威力を弱めながらも己のガードした腕に命中した。
「がっはああああああああっ!!!!」
腕が脇腹に深くめり込み内臓を損傷させ、ヘンリ=ドルマンの肉体を大きく水平に吹き飛ばす。
5m先の、巨木の幹に激突した彼は、ダメージのあまりずるずると根元に身体を崩れさせていく。
血を吐きながら、ヘンリ=ドルマンは頭脳をフル回転させていた。
(化物――が。なんて耐魔力。今のアタシの魔力では、隙を突けでもしない限り通用はしない。さすがは、“サタナエル将鬼”――!
ここまでの、ようね――アタシも。けれど、アタシは死んでも皆は生きて返さねばならない。
怪物の群れに加え、レッドドラゴン、3体――。ブラウハルト、貴男が居てくれればギリギリなんとか、皆を助けてもらえそうかしらね。
その場を離脱し、一刻も早く逃げるのよ! ドラゴンなんかとは次元の違う、この災厄の魔物から必ず逃げ切るのよ――!!!!)
そしてヘンリ=ドルマンは天空に向けて掌を向け、「赤紫の」雷撃を強く放った。
雷撃は轟音とともにはるか上空で拡散し、5秒ほどで消えていった。
それこそが――。訓練時より、弟子同士で共有しているヘンリ=ドルマンのサイン。
「緊急度最大の、戦略的撤退」を示すものだったのだ――。




