決断と決意
窓から射し込む光が部屋を明るくする。朝、目覚めるには心地の良い今日、外では鳥が朝を告げるために鳴き、その気持ち良さに羽根を広げ空を飛んでいる。次第に人々は1日の生活を始める中、まだ眠りから目覚めない男が1人気持ち良さそうに寝ていた。そんな彼の世界に響く規則正しい音。
コンコンコン
「エル、入るわよ。」
少し待っても返事がなかったのでもう一度断りをいれてからエルの部屋に入る。ミエラがベッドを見るとエルは掛け布団を蹴り◯としていたり、お腹を出していたり、手を頭の横に置いていたりと自由に寝ていた。相変わらず自由だなと思いながら彼らしいなとも思う。でも、もう2日間も寝続けてるのには驚かされた。ラムネルと戦った後に「腹減った」と言ったから料理長に頼んで思いっきり料理を作ってもらったのに呼べども騒げども起きてこないとは思わなかった。折角作ってもらった料理を余して捨てるのは勿体無いので屋敷にいる人や街のみんなに出来るだけ配って仲良く全部食べる事にした。少しでも今回起きた騒動の謝罪に繋がれば良いな、と淡い期待を抱きながら。
その日は料理を食べて私自身も寝てしまったが、エルはあの戦いからずっと寝たままだったので少し心配になってくる。心配事というか気になる点だが、今回の事件を引き起こしたもう一人の人物、兄の姿が見当たらない事だ。屋敷中を探しても見つからず街の人からは捕まっていた所までは一緒だったという報告と助けてくれたマントの男が最後まで一緒だったという報告と森に歩いていく人物を見たという様々な報告があった。「マントの男が最後まで一緒にいた気がする」という証言のマントは恐らくエルの事を指していると思うが今は寝ているので聞くことが出来ない。時間があった時に今度聞いてみようと思っている。
それはそうと、今のエルの状態が心配だ。1日寝て起きていたらそんなに心配はしないが今はもう3日目の朝だ。彼のライフスタイルを知っているわけではないが普通の人間なら滅多にある事ではないはずだからこそ心配だ。それならばせめて起きてご飯を食べてから寝てほしいと思い、新たな作戦をとる為に扉を開け外で待機している料理長にお願いをする。
「料理長!準備してちょうだい!」
「はい。分かりました。お嬢様。」
料理長は台と炭、そして火を付ける。その上には焼き網を敷きそこに竹串に刺された肉、ネギや真ん丸に作られたお肉等を先程の焼き網の上にセットする。うちわで扇ぎ、時にはタレに付けもう一度焼き網の上へ。タレに付けられたお肉はタレと程よく絡み合い段々と茶色っぽさを帯びていく。肉の旨味とタレの塩っぱさが絶妙に絡み合い熱せられた炭の上へと◯ちていく。その時、「ジュワ」っと聞いていて心地の良い音が鼓膜を振動する。その振動は今聞かされた音を身体で共有するべく全身を走り回る。次に、熱せられた液体は煙へと形を変え、存在を知らしめるかのように全身の1つ1つの細胞を刺激する。この香ばしい何とも食欲を唆られる匂いがエルの眠る部屋へと流れ込む。
洞窟でエルが捕まった経緯を考えうるに、この作戦で起きるはずだ。そうして待つこと数十秒、エルに変化が起きる。さっきまで全然起きなかったのに、もぞもぞと身体を動かし手を動かし始める。そして遂に、パチリと目を開けたかと思うと首がグルンっと動き此方を見る。ゴクっと唾を飲み込み此方を凝視するものの、まだ状況を理解していないのか動かないエルを見たミエラは次の作戦に移る。焼き網の方に目を見やり食べられそうな『焼き鳥』を手に取りエルの方を見て一欠片食べる。
熱々のお肉に「はふっはふっ」と口の中に空気を入れ最後の仕上げをする。たった一欠片にも関わらず、咀嚼するればするほど溢れ出るお肉の甘み、口一杯に広がる肉とタレが奏でる極上のハーモニー。普段なら嫌われるであろうちょっとした焦げ目による苦味、それすらも焼き鳥の美味さを引き立たせている。そして飲み込むとお肉が喉を通るたびに身体に広がる旨み。これら全てが食欲を駆り立てる。次のお肉を口に入れようと手を動かすと急いでベッドから降りお腹を鳴らしながら一直線にやって来る。
「俺にも食わせてくれェ!」
「あら、エル、おはよ。」
「おはよ、ミエラ、、、じゃねェーよ!何でお前だけ食ってんだ。起こしてくれりゃいいじゃねェか!」
「何言ってるの、昨日も起こしに来たけど起きなかったの貴方でしょ。」
「、、、ん?どゆこと?」
「バカね、ホント。貴方が戦った後から今日で3日目よ。流石に心配だから起こしに来たのよ。」
「あーはっはっは!そうならそうと早く言ってくれよ!すまんすまん」
謝るなら人の背中を叩きながら言わないで欲しい。でも、どこか憎めない性格をしてるのだ。
「もう何でもいいわ。久々なんだからゆっくり食べるのよ。まずは水をどうぞ。」
「ん?おぉ。ありがと。」
そう言ってまずは水を飲み干すエル。そして遂に待ちにまった焼き鳥の時間だ。エルは一本の焼き鳥を手に取り口に入れる。
「うんめぇ!すんごくうめぇ!」
「それだけ美味しそうに食べて頂けたら作った私も大変嬉しいです。」
「エル、貴方少しはゆっくりと食べなさいよ。」
ミエラの忠告など無視してバクバクと食べ進めていく。焼くスピードよりも食べるスピードが速すぎて食べられる焼き鳥が底をつく。
「あれ?もうないぞ。」
「アンタが次から次へと食べたからでしょ。全然話を聞こうとしないわね。夜になったらまた準備してあげる。それまでは待ってなさい。」
それに渋々ながらも了承の意を示す。
おかしい。お腹が減っているのに我慢出来るのか、このエルという男が。怪しい。そんな事を考えていると何かブツブツと喋っていることに気付く。
「どうしたの?エル。」
「これからも旅を続けると考えるとやっぱり美味い飯を食いたいな。よし、『料理人』探ししてみようかな。どんな奴がいいかな。想像するだけで楽しみだなぁ。」
ブツブツと何かを考えていると思ったら今度はニヤケ出したので取り敢えずそっとして置くことにした。その方が彼の為だろうと思い何も聞かないであげた。
そんな事をしてる内に、兄について尋ねることを忘れてしまっていた。
ーー所変わって屋敷の外れにある訓練場。
ここは日々兵士たちが自分を鍛える場所だ。そこに騎士長ナリュートと顔を腫らし包帯でグルグル巻きのガルムが向かい合って座っている。戦いが終わり街が活気付いている中、この2人のいる空間はどこか重々しいものがあった。ガルムが医務室でこれまでの事を改めて思い出しこれから先の事について決意をした時、別のベッドで休んでいたはずのナリュートがやって来た。「話がある」と言われ、今は訓練場にいた。
呼び出され向かい合ってからまだ数分の事だろうが、この重苦しい空気のせいでたった数分間が何時もより長く感じる。一体どれだけの時間、このままでいたら良いのだろうか。自分が呼び出された理由は恐らくあの事だろう、それが分かっているからこそ、この沈黙の時間がツラい。我儘な事だと思うが責めるなら思いっきり罵倒し殴り飛ばしてほしい。それで今回の過ちが少しでも償えるのであれば殴られた身体の痛みなんてまだ耐えることができる。そして遂にナリュートが重い口を開く。
「ガルム、お前に1つ聞きたいことがある。エルが洞窟で言っていたことは本当の事か?」
洞窟でミエラを助けることなく見捨てた事実を今まで戦いだったせいで誰からも本格的に責められることがなく、自分の中でずっと後悔として残り続けていた苦しみからこれで少しは解放されるかもしれないと期待して質問に答える。
「ーーはい、本当です。ミエラが目の前で連れて行かれるのを自分の命を優先して逃げました。」
「そうか。」
その一言を最後にナリュートは何も喋ることはなかった。またも沈黙が支配する。それから少しして再び名前を呼ばれる。やっと責めてもらえる、そう期待していたのに次のナリュートの言葉に驚く。
「よくやった。」
「え?」
自分の耳を疑った。目の前にいるナリュート騎士長は今なんて言った?聞き間違いでなければ「よくやった」、そう言ったのか?
「ナリュート騎士長。聞き間違いでなければ今、よくやった、そうおっしゃいましたか?」
「あぁ、そうだ。お前はよくやった。」
やめろ、やめてくれ、なんで褒める。俺は褒められる様なことなど何一つしちゃいないのに。俺は褒められる為にここにいるんじゃないんだ。罵ってくれたらどれだけ楽だろう。身体の痛みはいつか消えてくれるが、この心の痛みだけはいつになっても消えてくれない。泣こうが謝ろうがいつまで経ってもだ。お前のせいだ、お前は逃げたんだ、そう言ってくれたらいいのに。
「どうしてですか?」
「ん?」
「どうして俺を褒めるんですか!?怒ればいいでしょ!お前が逃げたせいで街が壊されたと!お前が逃げたせいでミエラが危険な目に遭ったと!怒ればいいでしょ!ーーお願いです、怒って下さい。ツラいんです。ミエラを守ると誓った筈なのに背を向けて逃げたあの時からずっと心が苦しいんです。」
「今回の戦いにおける私達の勝利とはミエラ様が生きている事だ。それは、お前が敵を前にして逃げず、身を呈してボロボロになってまで守ったからだ。逃げなかったお前は誓いを破ってはいない。この勝利を得ていながら後悔しているのか?貴様はこれ以上、何を望む?逆を考えてみろ。お前が逃げずに戦っていたらお前は殺されていた。お前が逃げて生き残っていなかったら、エルが助けに行くまで誰がミエラ様を守っていた?お前が殺されていたらラムネルはミエラ様を傷付けてでも欲しい物を手に入れていただろう。その後、必要のなくなったミエラ様は確実に殺されていただろう。お前がいなければエルは間に合わなかっただろう。あの時のお前は逃げて正解だったんだ。」
「結果論ではありませんか!?」
「『結果』が有るからこそ『過程』を評価出来るのだ。結果的にお前はミエラ様を守った。だからその過程にある逃げ出したお前の後悔も自ずと正解となる。お前はミエラ様の命を守る、その最も大切な結果に繋げるために数ある過程の中から正解の道を選んだのだ。その時の自分に感謝することはあれど責めてはならん。ミエラ様の命を守った、その事実に先ずは胸を張れ。ーーそれでも尚、お前が後悔の自責に苛まれるとするならば方法は1つだ。誰よりも強くなれ。今更、もしもあの時などと架空の事象を考えたところで過去の事を変えることは出来ん。だが未来はいつだって変えられる。自分の目指す道をしっかりと見極めろ。ーーガルム、お前は弱い。力も心も。それでは誰も守れない。もう一度言うぞ。後悔しないように強くなれ。」
まさか褒められ失敗だと思っていた選択が正解であったと認めてもらえるとは夢にも思わなかった。少しだけ気持ちが楽になったように感じた。自分の心の内にあった後悔が今こうして頬を流れているのは、新たな道へ進む為に必要な儀式であると信じたい。少し落ち着いたところでガルムは医務室で決意した事をナリュート騎士長へ話す事にした。
「ナリュート騎士長、お話があります。」
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エルが目覚めた日の夜は盛大な盛り上がりをみせた。料理は沢山でどれも美味しくて最高だった。エルとナリュートそしてガルムの3人で誰が1番料理を食べられるかを競ったり、負けたガルムのおデコに「へっぽこ」、ほっぺたに「弱虫」と書いてふざけ合ったり。ミエラも楽しそうだった。温泉も気持ちよかった。飛び込んだり泳いだりするな、と予めミエラに忠告されていた。だが、そこはエル。「バレないバレない」、「誰も俺を止めることなど出来ないのだ!」などと独自の理由で飛び込み、平泳ぎをし出す始末。
ナリュートは医務室を勝手に抜け出しふざけ合い、更には傷の関係で絶対安静にしろという半ば強制命令を受けたので言葉にはいない。ガルムは鏡を見て「チクショー!」と泣きながら文字を消す事に精を出していた。漸くガルムも文字を薄く目立たない程度に消す事が出来たのでお風呂の中に入ろうとしたらエルに止められた。
「おい!ガルム!お前は危ない。上がってろ!」
「は?何言ってんだ、何が危ないんだよ。」
「気付いてないのか!?お前は今、顔全体が真っ赤だぞ!」
「お前のせいだよっ!顔がまだ少し腫れてるのに顔に書きやがって、凄く痛かったわ!」
「ガルム、すまんっ!ーーアハハハハ!」
「反省する気がないなら謝るな!」
エルの勘違いもあったがガルムはお風呂の中で寛ぐ。傷口が偶に染みるが全てが終わった後だと気持ちがいい。未だお風呂場で遊んでいるエルをじっと見る。するとエルは視線に気付いたようだ。
「俺にそんな趣味はないぞ」
「俺もだよっ!」
疲れる。この男はふざけることを楽しんでる。でも、こんな男が今回助けてくれたんだ。不思議だ。そんな事をやってのけるような威厳、威圧感そういった近寄り難いオーラは感じられず寧ろ親近感を抱きやすいタイプの人間だと思う。本当に不思議だ。今だってそうだ。お風呂上がりに瓶のコーヒー牛乳を飲み幸せそうな顔をしている。何とも不思議な魅力を持つ男だ。軽く会話をした後、各々の部屋へと戻っていく。こうして夜は少しずつ更ける。
翌日の朝は、前日に比べ雲が多く太陽の光は遮られ幾ばくか気温の低い日であった。そんな日にルスカーデの門にはマントを着たエルと何故かガルムがいた。
「よぉ、エル。待ってて正解だったぜ。」
「あれ?ガルム。お前何やってんの?」
「今回のお礼をまだ言ってなかったからな。それで待ってたんだ。ーーエル、今回は本当にありがとな。お前のおかげでミエラは助かった。」
「どーいたしまして。お前も逃げずに頑張ったよ。ーー弱いけど。アハハハハ」
しばし沈黙が流れる。だが、少しして意を決したようにガルムが口を開く。
「エル、俺は弱い自分を変えるために世界政府が管轄する軍に入る事にした。そこでミエラを守れるように強くなってみせる。ミエラが危険に晒されないように1人でも多くの悪い奴らを捕まえてやるんだ。お前がこの先悪いことをしたらその時は容赦なくこの俺が捕まえてやるからな。憶えとけよ!」
その決意の篭った瞳に、いつものふざけた調子ではなく真面目な顔になって応える。
「絶対に逃げんなよ。」
少し驚いた。鬼が笑うようにお前じゃ無理だとか弱くて戦力にならないとか、からかわれると内心思っていた自分が恥ずかしかった。今までの行動を考えれば真面目な話にそんな適当な返事をする人ではないと考えれば分かる事なのに俺はまだ何も分かっていなかったんだなと改めて認識させられた。だから、その期待に応えられるように自分の決意をもう一度声に出し示す。
「あぁ、もう絶対逃げない。」
その返答に納得したのか、真面目な顔から一変して笑顔になって歩き出す。
「みんなには宜しく言っといて。あ!そうだ!」
歩き出したはずのエルが、何かを思い出したように大きな声を上げると振り返ってガルムに伝言を頼む。
「それとオッサンに報酬は料理長から貰ったからもう要らないって事も伝えといてくれ!ーーじゃあな、ガルム。お前は強くなる。大丈夫だ。」
そう言って再び歩き出すエル。
最後に何か言っていた気はするが止めるのも申し訳なかったのでそのまま見送る。その背に向かってミエラを助けてくれた事、自分を成長させてくれた事、様々な意味を込めて「ありがとう」と言い、頭を下げるガルムだった。
こうしてエルはルスカーデの街での緊急クエストを無事に成功させ、次の目的地へと旅立つ。本来のクエストを成し遂げるためにーー。