わちゃめちゃ
エルが移動する中で見えたもの、それは複数の灰色の煙。その中でも一際太い煙を確認出来た。近づく中で気付いたのはあまりにも静かなこと。人はそれなりに居たのだから、騒ぐ声や喚く声など聞こえてきてもおかしくはない距離だ。静かなのは余りにも不思議だった。エルはスピードを上げる。
エルは貧困層へと着いた。ここの住人達は黒のハットを被った男の元へと集められていた。集められている者の中には怪我をしている人もいた。彼らは自由に外に出ることを許されていなかった。その中で己の自由を死守しようと精一杯に努力した結果がこれだ。不平等にもほどがある。いや、この場合は理不尽と表現した方が正解だろうか。
この場を襲っているのは、恐らく少女を追いかけていた男の仲間だろう。彼らの顔にも『大きな角』をモチーフとした、動物と思しき柄が掘ってあるからだ。ハット帽の男は、何故か此方をチラリと見やると手を上げ皆の注目を集める。男はまるで演説の様によく通る声をしていた。
「さぁ、皆さん。私の部下たちが手荒な真似をしてすみません。そんな皆様に私から謝罪の意を込めてプレゼントが有りますよ。クフフフ。」
「だ、だまれ! 俺たちを解放しろ!」
その言葉を聞くと、男は声高らかに相手を褒める。
「素晴らしい(ブラーヴォ)! まさにその通り。君たちを解放しに私達は来たのですよ! クフフフ。」
住人達は男の言動に疑問を抱いた。解放しに来たと言っていながら、今彼らがしているのは束縛だ。寧ろ、この現状を考えると今までの生活の方が解放とさえ思えてくる。人々が反応しない事を確認すると男は再び口を開く。
「私は、皆様の苦労が痛いほどわかります。さぁ、我々と共にこんな腐った街から飛び立ちましょう。私の知る世界はもっと素晴らしい所ですよ。クフフフ。ーー私どもと行く事を望まれる方々は、このゲートをお潜りください。クフフフ。」
男は杖で空中を叩くと、そこには大きくて丸い黒いゲートが出現した。その先に待ち受けるものが何であるかは全く分からない。そもそも、こんな胡散臭い話を間に受ける人などいるのだろうか。普通なら疑い、話になど乗らないはずだ。
だが彼らは違う。長年、この窮屈な箱の中で暮らして来たのだ。自由になる、彼の言葉でいうなら解放される、またとない機会だ。初めは何を言われているのか、何が起きたのか分からなかっただろう。
だが、次第に理解しだすとザワザワと、隣にいる人とも顔を見合わせザワザワとしだす。人々の反応が変わると男はまたも口を開く。
「あ、そうそう。確かにこのゲートは素晴らしい世界と繋がっています。でも皆さんがご不満でしたら引き返すことも出来ますよ。クフフフ。」
その言葉は人々の背中を押す。1人の男が立ち上がりハット帽の男の前へと歩み出る。
「お前の言っていることは本当だろうな。そのゲートというものを通れば俺たちは此処から解放されるのか。」
「えぇ、その通りです。貴方が皆様の道標となるべく、その一歩を踏み出せば英雄となれるでしょうね。クフフフ。」
「英雄か、大袈裟だが悪くない響きだ。ーー俺たちを解放してくれるとはお礼を言わなきゃな。ありがとよ。」
「いえいえ、此方こそで御座います。クフフフ。」
男はゲートの中へと入っていく。何かに飲まれていくかのように男は瞬く間に黒いゲートの中へと姿を消した。
その光景を見て再びざわめく。1人の男が消えてしまえばそうなるのも仕方ない。しかし、その男の後に続くものはいなかった。ここでハット帽の男がもうひと押しする。
「ふーむ。どうやらこの街に戻ってくる気配はありませんね。先ほどの男は、いえ、皆様の英雄はどうやら彼方の世界が気に入った様ですね。クフフフ。」
この一押しが効いたのだろう。次々に人々は箱の外へと飛び出すためにゲートをくぐって行く。あれほど居た人は瞬く間にいなくなる。数人だけが残る。
「おや、貴方がたは潜らないのですか?」
「貴方の言うことが本当ならそれは魅力的だ。だが、そんな簡単に変わっても私たちの成長には繋がらないだろう。人である以上、その事は忘れたくない。ーーそれに私たちの家族を探さなきゃいけないんだ。」
「ほう。そうですか。では、このままの生活でもいいと?」
「問題ない。生活よりも家族が大事なんだ。」
「分かりました。私たちは無理に連れて行くことは好みません。ーーあなた方の家族が見つかりより良い生活になる事を祈っておりますよ。クフフフ。さぁ、同志たちよ。屋敷に戻りますよ、報告のお時間です。」
男は一度ゲートを閉じると、新たに同じ形のゲートを作り出す。そこに同志と呼ばれた者たちは入って行く。最後に、ハット帽の男はエルの方をチラリと見やると一言。
「そこのマントのお人。貴方とはまた何処かで会いそうな気がしますね。これもまた運命でしょうか。クフフフ。」
男がゲートをくぐるとそれは姿を消す。貧困層の街は静けさに包まれた。
エルは家族を探すと言った人たちに向かって歩く。彼らも近づいてくる足音に気付いたのか振り返る。
「さっきの話は聞いてた。間違えてたらすまん。探してる家族はこの子で合ってる?」
エルは背中でまだ眠っている女の子を見せる。彼らはエルに向かって何度も何度もお礼を述べる。そんな彼らにエルは「気にすんな」とただ一言返すだけだった。




