7章 後輩、はじめまして
アリシアに手を引かれて、俺はまた電車に揺られている。話の流れ的には、藤崎のバックについている魔界の犯罪者とやらを捕まえに行くんだろうが、俺としては、先ほどの警察署でのアリシアが頭から離れない。
「ちょっと圧がすぎました?」
俺の手を握ったまま、アリシアが首を傾げて微笑む。表情はいつもと同じだ。先ほどもそうだった。
「なんか、お姫様って感じがした」
お姫様、とは言ってみたものの、あれはもっとランクの高いやつだ。問答無用で鷹宮に膝をつかせた時のイメージとしては、王様とか皇帝とか、もっと圧倒的な力の差を感じた。もちろん俺もだ。椅子に座っていなかったらひっくり返っていたかもしれない。
「琥珀は私よりも上にいていいんですよ」
アリシアはそう言うが、魔族がどんなものかすら分かっていない俺でも本能的に恐怖したくらいだ。もしあの状態のアリシアにまた出くわしたら、逆らわないようになければ。
「琥珀だって慣れればそのうち手を触れずに人を土下座させるくらいできるようになります」
「性格の悪い超能力だな」
「それが王の力です」
アリシアって本当に王様の娘なんだというのが感覚として理解できたところで、窓の外を流れる景色に目をやってみる。地元の駅からはもう三十分くらいは離れただろうか。俺がよく服やアクセサリーなどを買いに行く街に近づいている。
「モテないからナンパついでに買い物に行く街、ですね」
ナンパなんてした事がない。
「おっと、童貞にそんな勇気はなかった」
「でかい声で言うな」
こちら方面の電車は、平日のこの時間帯には人があまり乗っていないとはいえ、ゼロではない。こういう辱めはよくない。
「なんでモテないんでしょうね。私からしたら都合がいいんですけど、彼氏がモテモテなのもそれはそれで優越感というか」
歪んでいる。というか、なぜ急に俺がモテるモテないの話をはじめたんだろう。あと、彼氏というのもどこかおかしい。
「人気はあるんですよね。学校でも女の子からキャーキャー言われてるじゃないですか。なのにいつまでたっても彼女的なものができないのって、どうしてなんでしょう」
アリシアが俺の顔を覗き込みながら言うので、顔をそらす。俺は普通の高校生だから、悲しみに耐性がない。
「イケメンだし勉強できるし運動もできるし、ちょっとそっけないけど性格も悪くないのに。おしゃれにも気を使ってるのに不思議ですね」
「もうやめろ、ちょっと泣く」
これはいけない。けっこう前からわりと頑張っているのに本当に彼女ができないのだ。俺だって気にしてるのに、それを改めて真面目に疑問視されると胸にくる。
「ごめんなさいって」
あまり悪いと思ってなさそうに微笑みながら、アリシアが俺の顔をまた覗き込んでくる。
「……お前はモテるのか?」
ふと気になったので、アリシアのそっち方面の話も聞いてみることにした。このまま電車でどこまで連れて行かれるか分からないし、そういえば彼女の魔界での様子なんて聞いたこともなかったから。
「それはもうモテますよ」
「だろうな」
「妬いてます?」
「べつに」
魔界というともっと怪物みたいなやつが住んでいると思いがちだが、鷹宮や俺の父が魔界出身で、見た目が普通の人間なわけだから、みんな人間みたいな容姿のはずだ。俺の父が結婚したのはこっちで生まれ育った普通の人間ということは美醜の感覚もそこまで離れていないようだし、アリシアの顔面なら人気があって当然だろう。
「でしょ?顔がスーパー美少女だからもう大人気ですよ」
アリシアが自慢げに頷く。内面は問題あるが、見た目は本当に完璧だと常々思う。
「あとお姫様ですからね。社会的地位というか、パパが王様なので、私のご機嫌をとって王様に取り入ろうっていう方面での人気も高いですね」
「意外とヘビーなのな」
「段ボール箱をかぶるのが趣味なんです」
「……あ、ヘビだけにな。ボケが遠い」
なんてどうでもいい小ボケだろう。それはそうと、そういえばアリシアは王族だ。政治的な意味での立場というのもあるんだろう。そんなのがあっさり人間の世界に渡ってきて大丈夫なんだろうか。
「社会勉強だからへーきです。あと琥珀に会いたくて来てるんですからね」
「そこなんだよな」
アリシアはよく俺に会いたかったとか俺のために来たとか言うが、いくら社会勉強がどうのこうのといっても、王族が国を離れるには動機が弱すぎるんじゃないだろうか。
「琥珀に会いたくて来てるんです。それができてしまうほどの存在なんですよ」
「お姫様だろ?わざわざ別の世界に行く理由がそんなことって、なんて説明したんだよ」
「魔族なら、自分より強い相手に逆らったらどうなるかくらい分かりますよ、誰でもね」
すると、アリシアが鼻で笑って俺の手を握る。それから、俺の耳元に口を寄せて囁いた。
「パパは私よりずっと弱いの」
柔らかい吐息とともに入り込んできた言葉のせいで、背筋がすっと寒くなった。アリシアを見ると、いつも通りの顔で微笑んでいる。
「……お前って実はすごいんだな」
いい加減な言葉でお茶を濁したけれど、すごいとか強いとか以前に、アリシアにはもっと別の何か大きな秘密がありそうな気がする。秘密というほどではないかもしれないが、何か俺に言っていないこと、俺に言っても理解できないようなことがあると思う。まだ一ヶ月しか一緒にいない俺では、魔界も魔族も、そこのお姫様のことだって全然理解できていない。
「すごいんですよ、あなたのアリシアはね」
俺がいま何を考えているのかわかった上で、アリシアがいつも通り微笑む。いつも通りなのに、今はいつもと同じようにアリシアを見られない。俺がいつもと違うからだろうか。
もっとアリシアのことを知ったら、いつも通りだと思えるようになるのかもしれない。いまの気分でアリシアと接するのは、正直に言って少し怖い。それなら、いっそのことアリシアをもう少し知りたいと思った。
何をしても言っても、やっぱりこいつはいつもこんな感じだな、なんて思えるくらいにアリシアを知っていたい。などと思うようになったのは、また少しアリシアの知らない部分を知ったからだろう。
よく知った街でも、いつもと違う時間帯に来てみると、全く違う風景だったりする。のろのろと走る各停電車に揺られてやってきたいつもの街は、すっかり日が暮れた夜では雰囲気が違って見える。見慣れた看板でも、過剰なくらいライトアップされているせいか、初めて見るくらいに目を引いた。
「夜遊びをしない健全な高校生なんですね」
駅前の広場で道行く人々の視線を全身に集めまくっているアリシアが、両手を上にあげて身体を伸ばしながら呟く。
「夜遊びっていうほどの時間でもないけどな」
日は暮れているが、まだ十九時。いたって健全な時間帯だ。いつもここへ来るときは、昼間のうちに来て用が済んだら昼間のうちに帰っている。電車が混むからだ。
「彼女ができない理由ってそういうとこなんじゃないですか」
微笑むアリシアに返す言葉もないが、返す必要もないだろう。こいつは人間界の通勤ラッシュというものを分かっていない。こういう都市では、平日も休日も変わらず、だいたい十八時くらいから深夜〇時頃までは悪夢のように電車が混み合っている。
「……あれ?」
ここへやってきた目的は、藤崎のバックにいる魔族を捕らえることだ。俺は乗り気じゃないが、ともあれアリシアについていくしかないわけだが、そのアリシアがなかなか動こうとしない。なんてことを思っていると、彼女に目を奪われながら動く人並みのなかに、見知った顔を見つけた。
「……うわ」
俺とアリシアの声が完璧に重なる。俺は会いたくなかったが、アリシアもそうなんだろう。
「ハナクソがいるじゃないですか」
「そういうことを言うな」
顔をしかめてアリシアが見つめる先には、ミミがいた。なんでこいつはこんなにミミが嫌いなんだろう。
ミミは後輩の男子生徒と並んで、ファーストフード店のカップに刺さったストローを咥えている。表情はいつもよりややイラついているように見えるが、デートだろうか。
「今ならバレてない。邪魔しちゃ悪いからさっさと行こう」
アリシアはミミが嫌いだし、どうやらミミもアリシアが嫌いらしい。ここで鉢合わせたって何も良いことなんてないから、向こうが俺たちに気付く前にさっさと離れるべきだ。そう思ってアリシアの腕を引くと、彼女は柔らかい髪の毛を耳の後ろにかき上げながらゆっくりと歩きはじめた。
相性が悪いなら絶対に離れるべきなのに、なぜかミミに向かって歩いている。
「やめろ、おいマジでやめろ、ほんとに」
「あらあらぁ?ハナちゃんじゃないですかぁ」
何がしたいんだこいつは。
明らかに挑発するような声に気付いたミミが軽く周囲を見回してから、すぐにこっちを睨む。
「なんだてめぇ」
口が悪い。隣に立っている後輩も怯えるように肩を竦めている。
「こんなところで何してるんですか?ナンパ待ち?」
「あ?」
鬼のような顔をしたミミがアリシアに向けて一歩踏み出す。もう見ていられない。
「わざわざ挑発すんなって」
「落ち着いてください……」
そう言いながら俺がアリシアの肩に触れるのと、後輩がミミの腕に触れるのはほぼ同時だった。
「リーチてめぇあいつの味方すんのか?サンドバッグか?」
「いやそういうわけじゃないんですけど……」
怒りMAX状態のミミに触れることができるほどの勇気に溢れた彼は、佐々神凛一。俺たちよりひとつ下の後輩で、文芸部でミミにこき使われている。ミミの話にとてもよく登場するのでお気に入りなんだろうとは思っていたが、目につくものを皆殺しにしそうなほど怒り散らしている彼女に触れて制止できるほどの仲だったとは。
「離せコラ」
「はい、すみません……」
ミミが小さく呟くと、凛一が大人しく手を離す。その時に、彼女の腕を少し自分の方に引いていた。この期に及んでまだ喧嘩を止めようとしているあたり、おどおどしているようで本当に勇気がある。俺だったらもう逃げている。
「……あの、こんばんは、先輩」
「おう、ごめんな、なんか」
凛一には何回か会っているが、いつ見ても弱々しい。大きくて丸い目はなんだかいつも潤んでいるように見えるし、整った鼻筋と小さい口はいつも俯き気味なせいで少し暗い。パーツは悪くないのに、もったいない。ミミより少し低い身長で身体を小さく縮こませながら俺を見上げる様は、小動物みたいで愛らしさすらある。怖い人にいじめられないようになりたいなんて言いながらミミにいじめられている弱々しい凛一だが、たったいま認識を少し改めた。ミミの恐怖に屈さずにいられるあたり、実はかなり頑強な精神力の持ち主なのではないだろうか。
「ただのヤンキー娘に対してずいぶん過大評価してますね」
アリシアが俺に顔を向けて囁く。肩に触れたままだった俺の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと目を閉じてから軽く首を振った。
「またあとでね、私の天使ちゃん」
「うるせぇ、邪魔すんなよ」
おっかない顔をしたミミに向けてアリシアが手を振ると、イライラした様子のミミが凛一の手を引いて歩き出す。
「行くぞリーチ、馬鹿がうつる」
「あ、すみません痛いですミミさん、ミミさん?痛い痛い、ごめんなさい先輩、また学校であ痛い痛い……」
ミミに引っ張られて、泣きそうな顔をした凛一も去っていく。人間関係というのは色々な形があるが、彼はいつもあんな目に遭っているのだろうか。今日に関しては完全に俺たちのせいだから、本当に申し訳ない。
「行きましょう、琥珀」
「お前なんでわざわざ喧嘩売ったんだよ」
何事もなかったかのように歩き出したアリシアに問いかけると、彼女は俺に向かって軽く頭を下げた。
「ごめんなさい。琥珀の友達でも私あの子だけは本当にダメなんです」
「ダメって……」
「ごめんなさい」
それから、俺の手に指を絡ませて呟く。
「生理的に受け付けないっていうじゃないですか。お互いに運命的に合わないんですよ」
お互いに、ときた。たしかにこの二人は初対面からすでに戦争モードだった。ウマが合わないっていうのの最上級だろうか。
「あんな可愛らしい彼氏がいるんだから琥珀よりあっちを構ってあげればいいんですよ」
「やっぱり彼氏なのか?」
人の頭のなかを覗けるアリシアが言うってことは、やはり凛一と付き合っているんだろうか。しまった、先を越された。
しかし、アリシアは鼻で笑って首を振る。
「知りませんけど。あの子の頭のなかなんて覗きたくありませんね」
「どんだけ嫌いなんだよ……」
これは本格的に良くない。仲直りさせようなんて考えるだけ無駄なやつだ。
「琥珀はあの子に彼氏ができたらショックですか?好きなの?」
俺の手を握る力を少し強めて、アリシアが呟く。
アリシアをフォローするわけでもミミを悪く言いたいわけでもないが、断じてミミだけはありえない。
「そういうんじゃないけど、ミミと付き合える男って忍耐力とかすごい強くないといけないんじゃないかなって、そっちに興味あるわ」
ミミは非常に気が短いし怒ったら超怖いから、ものすごく気配りができて器の大きいやつじゃないと務まらないと思う。そういう意味では、さっき見た凛一はギリギリいけるんじゃないだろうか。怯えているとはいえ、ミミがキレていても逃げ出さずにいられるなんて勇気がある。
なんていう俺の頭のなかで考えていることなんてほとんどどうでもいいみたいに、アリシアが都合よく一ヶ所にだけ返事をした。
「そうでしょう。琥珀にあの子は似合いません。やっぱり私じゃないとね」