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3章 はじめての、はじめまして

ところで、バイトというのはいい。この一カ月で、本当にバイトが楽しくなってきた。なぜなら、バイト先にはアリシアが来ないから。

「気の抜けた顔をしてる」

「そうですか?」

「せっかくイケメン雇ったんだからもっとビシッとしといてもらわないと」

店内の掃除をしていると、欠伸をしながら店長が声をかけてきた。気が抜けているのはお互い様だ。

俺がアルバイトをしているのは、地元にある個人経営の雑貨屋。母の高校時代からの友人だという女性に誘われて、彼女が経営している店で週に三日のペースで店番をしている。客が来ないこともないが、正直に言って、アルバイトが必要なほど忙しい店ではない。ただ、店長がよく店を空けるので、その間は俺が店に立っている。どこで儲けているのかは分からないものの、時給はわりと良い。念入りに店内の掃除をして、やってきた客と話して、あとは店長とどうでもいい話をしたりしていると、時間が過ぎるのはあっという間だ。

「最近どうなの?」

一通り店内をぴかぴかにしたら完全にやることがなくなって、店長が俺に話しかけてくる。ちょっと低めの声でいつもややローテンションだが、母の知り合いということは、この人もひょっとしたら昔はゴリゴリのガチヤンキーだったのかもしれない。そんなことを思うようになってしまったのも、アリシアのせいだ。

「何がですか?」

店長が俺に脈絡のない話を投げてくるのはいつものことなので、俺もいつも通りに、あまり前のめりにならない程度のテンションで返事をする。母が言うには、店長の話にいつも全開で楽しそうに答えられるのは、この世で旦那さんひとりだけなんだそうだ。

「女の子釣れてんの?」

「釣ってませんが」

「またまたぁ」

店長は、俺が常に女子をいやらしい目で見ているんだと信じている。俺が女性客の接客をしたときは、だいたい「今の子は可愛かった?」とか「気に入った?」とか聞いてくる。そういうのは本当にやめてもらいたい。全員が可愛いに決まっている。

「あ、そうそう」

俺がナンパを生きがいにしているかのような話は早々に飽きたのか、それとも最初からそんなことはどうでもいいのか、店長が思い出したように手を叩いて俺を見る。

「あのあれ、なんだっけ、可愛い女の子がホームステイしてるんでしょ?その子とはどうなの?」

「うわ出た」

「出たってなにがよ」

ここではアリシアの話は出ないものと信じていたのに。というか、一昨日のバイトまでは店長からこんな話は出てこなかった。つまり、一昨日から今日までの間に誰かから聞いたということだ。どうせ母からだろうが。

「涼子が昨日うちにきてさぁ」

「やはり……」

「ホームステイの子が明日から琥珀と一緒の高校に通うのよぉって言ってたのよ」

「似てますね」

身体をくねくねさせて店長がする母の物真似がものすごく似ている。あんな感じで言いそうだ。

「で、どうなの。可愛いの」

「顔はね。やっぱり外国の出身だとね。見慣れない顔立ちというか」

アリシアの見た目は圧倒的だ。見た目は。

「性格に難があるみたいな?涼子はものすごくいい子って言ってたけど」

店長は何も知らないだろうから、あいつ魔族だから考えてることがおかしくて意味分かんないんですよぉ、みたいな本当の話はできるはずもなく。

「難があるわけじゃないんですけど、ちょっと文化の違いというかなんというか……」

ちょっとした価値観の違いで心臓に穴を開けられた。いつまでも根に持ってやる。

「まだちょっと壁があるのね」

「壁はありますね」

ちょっとではないが、壁があるのは確かだ。

「狙っちゃいなよ、いざとなったらその顔でなんとでもなるでしょ」

「それはちょっと……」

「硬派気取りめ」

その時、店長のポケットに入っている携帯電話が鳴りはじめた。彼女はその画面を見て一瞬だけ眉をひそめると、ため息をついて通話ボタンを叩く。

「はい……はい、え?ああ、はい……」

そのまましばらく話してから電話を切った店長が、首の骨を鳴らして俺の肩に手を置く。

「今日はもう店じまいだから、帰ってもいいよ」

「まだ全然早くないですか?」

「大人の事情なの」

いつもなら、この時間に店長が店を空けるとしても俺は店番で残っている。そのまま閉店の作業を俺がすることもあるくらいだが。

「じゃ、お疲れ」

大人の事情というからには、あまり踏み込まない方がいいだろう。こんなのは初めてのことだが、俺はおとなしく帰ることにした。



「そんで帰ってきちゃったわけですね」

帰宅して自室に入るなり、アリシアがそう声をかけてくる。どこらへんから話を察してるんだこいつは。

「おはようございまーす、の時からです」

「出勤からじゃねぇか」

もはやアリシアが俺の頭のなかを覗いて会話してくるのには完全に慣れてしまった。そのままでも普通に話せるようになってきたのが怖い。

いや、待てよ。今日のバイト開始からの俺の行動を理解しているということは、この一カ月ずっとそうだったんだろうか。

「もちろんです。離れていても琥珀のことは手に取るように」

「気持ちわりーな」

「愛さえあれば許されるんです」

「もう何も言うまい……」

アリシアはこういうやつだと、この一カ月で散々学んできたじゃないか。そろそろ驚くのは卒業して、そういうものとして扱えるようにならなければ。

「店長が今日はなんだかおかしかったですね?」

俺がなんとか気持ちに整理をつけようと頑張っているのは無視して、アリシアが当たり前のように店長のことを話題に出す。プライバシーってなんだろう。

「まあ誰にだって予定が入る日くらいあるだろ」

今まではたまたま俺のいる日にこういうことがなかっただけで、店長に急用が出来て店を閉めるなんて普通にあるのかもしれない。よくあることだ。

これでおしまいのはずなのに、アリシアはさらに続ける。

「おかしいと思いません?」

「思いません」

「いやいや、おかしいんですよ」

アリシアに目を向けると、彼女は自分の口元に手をあてて軽く微笑んでいる。それを見た瞬間、なにか嫌な予感がして背筋がすっと寒くなった。

「お前まさか店長のプライベートまで覗いたりしてないよな?」

もしそうなら問題だ。さすがに無関係な店長の私生活まで勝手に覗くのはよくない。俺がそう言うと、アリシアは小さく首を振って答える。

「覗いてはいませんが、でも私は魔族なんで」

「魔族ならなんだよ」

人の私生活を覗き見するのと魔族に何の関係があるんだろう。もしかして、魔族とは覗き趣味のある生き物なんだろうか。

「違いますよ。分かっちゃうんです」

アリシアが意地悪そうな顔で笑う。

「魔族はね、どんなに些細な痕跡だとしても、悪意は見逃さないんですよ」



店長が犯罪に巻き込まれる可能性がある。

何が根拠なのかよく分からないが、当然のようにそう言いきったアリシアに連れられて、俺はなんと空を飛んでいる。

「人間の世界で社会勉強するって、こういうのを待ってたんですよ」

アリシアが何か言ってるが、答える余裕がない。なにせ空を飛んでいる。アリシアに手を掴まれたまま足が地面を離れ、身体が浮いて、空中を滑るように移動している。彼女に手を離されたら落下するやつだ。たぶん、きっとそうに違いない。店長がどうこうとかどうでもよくなってきた。

「降ろせ!おーろーせ!」

魔族のびっくり超能力を披露するなら、一度に一個ずつにして欲しい。テレパシー的な力で犯罪を見つけるとか言い出して、それを確認する前に空を飛ぶとか、そんなことされたら、もう前者なんか頭から抜けてしまう。

「ビビりまくる琥珀も素敵。かわいい」

「どうでもいいから降ろせ!」

「飛んで一直線で行かないと間に合わなくなりますよ。落とさないから安心してください。ていうか、最悪落っことしても琥珀なら死なないからへーきです」

「安心できるか!」

生身で飛行はさすがにだめだ。本当にだめだ。それなのに、アリシアは恐怖におののく俺のことなんて気にしないですらすら話をはじめる。

「社会勉強するって言ったじゃないですか。人間の世界で悪いことしてる人ってどれくらい悪い人なのか確かめるための社会勉強ですよ」

「はあ?」

アリシアにとっての社会勉強ってなんなんだ。それに、人間の世界で悪人を調べたいなら、それこそわざわざ俺のところになんて来る必要はないはずだ。

「いや琥珀はマストなんです。まず琥珀ありきで、琥珀と一緒にそういう悪い人とかを見学に行こっかなって」

「ふざけんなてめぇ俺を犯罪に巻き込むつもりか」

「いやいや、見に行ってほんとに悪い人だったらなんとかしますよ、魔界もあんまりクソみたいなのはいらないですからね」

いらないってなんだ。あ、いけない。一応声に出して会話をするように心がけなければ。無言で飛行するのは怖すぎる。

「いらないってなんだよ」

いらない、とはどういうことだろう。魔界ってどういうところなんだろうか。今さら、しかもこんな状況で気になってきた。

「魔界の説明を軽くしてあげましょうか」

アリシアがそう言うので、俺はすぐに頷いた。

「魔界っていうのは、人間が思う地獄みたいなものです」

「なるほど?」

よく分からないが、なんとなく察しがついた気がする。

「地獄に落ちるって、魔界に行くってことなのか?」

この世で悪いことをしたら、死後に地獄に落ちるというが、その行き先が魔界なんだろうか。

「まあ、厳密には違いますけど琥珀だから正解です」

アリシアが笑いながら言う。

「死んだあと、人間は死後の世界の門に行くんです」

「門?」

「なんかね、そこに面接会場みたいなのがあって」

急に訳が分からなくなってきた。

「その門で、生前に良いことをした人は天界へ、ちょっと悪いことをした人は魔界へ行きます。そんで、人間のクズは魔界よりさらに下の地獄に行きます」

「あ?魔界より下?」

「そうです。地獄ってほんと地獄ですよ、何万年も何千万年もただ何もない空間に閉じ込められて、永遠に何もしてもらないし、何もさせてもらえないんです」

万年とかいう単位が普通に出てきて、いまいち実感がわかない。ただ、なんとなくやばそうな雰囲気だけが分かる。

「何万年も何もないところにただ存在させられるんです。でも意識はあるんです」

「そんなん発狂するわな」

「でも、頭がぶっ壊れてもそのままですよ」

「やだやだ」

つまり、地獄とは俺が想像するよりもずっと地味で、ずっと嫌なところらしい。何もないところにほとんど永遠に閉じ込められるなんて、想像もしたくない。そんなところに落とされるなんて、よほどの極悪人なんだろう。

「地獄って何したら落ちるんだ?」

俺はたぶん行かないだろうが、そんな地獄に落とされるほどの罪がなんなのな気になる。俺がそう尋ねると、アリシアが少し悩んだように首を傾げて答えた。

「んーと、なんか、ものすごくたくさん殺すとか、ものすごくたくさん壊すとか?」

「知らないのか?」

「いえ、知ってるんですけど、細かい定義がちょっとよく分からなくて」

「つまり?」

知ってるのに分からないとは、どういうことだろう。それはそうと、アリシアの悩む顔なんて珍しい。

「可愛い?」

「顔だけならな」

「琥珀って顔面のことは素直に褒めてくれますよね」

アリシアが俺の手を掴む力を少し強くして、高度をやや下げる。滑空のスピードが上がった。それから、俺の耳に顔を寄せてアリシアが囁く。

「地獄に落ちるのって、神様に反逆した人だけなんですよ」

「神様?」

天界とかいうのがあるくらいだから、神様もどこかにいるんだろう。わりとショッキングな事実だが、俺は特に宗教を信じているわけではないので、あまり驚かない。

「大きな破壊活動をしたり、身勝手に何人も人を騙したり殺したりすると、そんな人間は神様の作った世界には必要ないってんで地獄に行くんです。まあそんなことする時点でまともなやつじゃないんですけど、地獄ってほとんど刑務所みたいなもんなんですよ」

「へぇ」

「まあ、刑期は永遠ですけどね」

アメリカンジョークのオチを言ったみたいな顔でアリシアが肩をすくめた。ちょっとむかつく。

「俺は地獄には行かなくて済みそうだな」

俺は善良な人間なので、きっと天界に行く。

「琥珀は私と一緒に魔界に行くんですよ。琥珀が王様で、私がお妃です」

「嫌です」

誰が魔界になんぞ行くか。

「あ、そうそう」

ふと思い出したように、アリシアが呟く。

「永遠って言いましたけど、実は地獄から出てきたやつもいるんですよ」

永遠じゃないじゃないか。

「脱獄みたいなものらしいですけどね」

「どうやって出てきたんだよ」

「それはナイショです」

「知らねえんだろ」

「ふふーん」

それきり、アリシアが前を向いて静かに飛行を続ける。無駄話をしていたおかげで、少し慣れてきた。

「あとちょっとで到着ですからね」

アリシアにそう言われて、慣れてきた感覚のままゆっくりと下を見てみると、そこは電車で五駅ほど離れた土地のようだ。電車に乗って出かける時に、車窓から見える景色で見覚えのある建物がある。

たしかに、この距離は飛んでくると圧倒的に速い。



アリシアが魔族のスーパー超能力で俺を連れてきたのは、とある警察署だった。

「……ほんとに犯罪絡みなのか?」

店長が犯罪に巻き込まれる可能性があるとか言って俺を連れ出したが、まさか本当に犯罪が絡んでいるのだろうか。警察署に連れてくるというのは、そういうことだろう。というか、店長のことは、魔界だの地獄だのの話でほとんど忘れていた。

「ここに店長がいます。いま、うーん、よく分かんないけど、いるのは確かです」

アリシアが、警察署の門の前で建物を見上げながら呟く。魔族の超能力的なもので、中に誰がいるのかが分かるんだろう。しかし、こめかみに指をあてて首を捻っているところを見ると、何をしているのかとか、目的までは分からないみたいだ。

すると、アリシアが俺に顔を向けて笑う。

「なんか断片的には分かるんですけど、繋がりがいまいち見えてこなくて」

「断片的にでも見えてる時点でちょっと引く」

「そのうち琥珀にもできるようになりますよ」

俺にもできるということは、こういうのは魔族の基本能力なんだろうか。

「できるようになりたくねぇな……」

魔族のハーフとはいえ、基本的には人間でいたい。

そんな俺の頭のなかは無視して、アリシアが手を引っ張って歩き出す。もうここまできたら、とりあえず付き合ってやろう。

空を飛ぶのも人の思考を読むのも本当なら、店長が犯罪に巻き込まれそうなのも本当なんだろう、きっと。それなら、俺とアリシアが行くことで、もしかしたら止められるかもしれない。

「んー、積極的になってきましたね」

俺の手を引くアリシアが楽しそうだ。

実を言うと、俺も少し楽しい。超能力で察知した犯罪現場に向かうなんて、まるで映画みたいだ。

なんてことを口にするとアリシアが調子に乗るのでやめておく。しかし、どうせ勝手に俺の頭を覗いてるんだろう。彼女が俺の手を握る手に、さっきよりずいぶんと力が入っている。

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