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2章 学校の皆さん、はじめまして

朝には強い方だ。

目覚まし時計が鳴りだす十分前には目が覚めるし、目覚めたらすぐに体も動く。眠気を引きずった事なんてないし、疲れが残っていると感じた事もない。人よりも健康で元気な事が自慢だった俺だが、それも実は人間じゃないからなんじゃないだろうかと思えてきて、最近は少しうんざりしている。

アリシアは色々と手続きやら何やらがあるとかで、俺よりも少し早く家を出た。もしかしたら、俺にとって平和な登校は今日が最後かもしれない。

「珍しいな。琥珀が朝から元気なさそうだ」

憂鬱な気分の理由はなるべく考えないように学校への道をだらだら歩いていると、背後からそんな声がかけられた。

「俺にだってそんな日もあるわな……」

振り返らずにそう答える。聞き慣れた声だから、誰から話しかけられたのかすぐに分かった。

「健康と能天気だけが売りの琥珀がそんなんじゃお前、顔しか残らないな」

ただでさえ憂鬱なのにそんな残酷な罵声を浴びせてくるのは、同級生の氷川ミミ。彼女はお互いに物心ついた頃からの友人で、気がつけば高校生になっても同じ顔をずっと突き合わせている。

「どうせまた振られたんだろ。これで何連敗だ?」

ミミは、可愛らしい名前に似合わずかなりキツい性格をしている。こいつだって、顔だけならそれなりにレベルが高いのに、未だに彼氏のひとりもいない。口と態度が極めて悪いからだ。ショートカットの髪型に猫のような目元と整った鼻筋、スタイルがよく、いかにも健康そうでスポーツとかをやっていそうなのに、実は文芸部だったりする。部室に入り浸っては後輩をこき使っているらしい。

「みんな本当の俺を知らないんだよ」

気分が憂鬱なのは振られたからではないが、気晴らしにミミの話に乗ってみる。

「本当の琥珀を知ったら、もっと引くだろうけどな」

一瞬だけ、どきっとした。ミミが言っているのは、きっと内面的な話だろう。しかも冗談だ。それなのに、少し嫌な響きがある。

本当の俺。つまり、半分人間じゃない魔物がみんなに知られたら、みんなからどんな目で見られるだろう。ただでさえ今日は不安で憂鬱なのに、この一カ月でなるべく考えないようにしていたことに意識が向きそうになって、さらに落ち込みそうだ。

ミミがこんな風に俺をいじめて遊ぶのはいつもの事だが、タイミングが悪い。なんせ今日からは学校にアリシアがやってくる。家の感じであいつが何かトラブルを起こしたらと思うと……。

「なに黙ってんだよ」

俺の心配なんて気にもせず、ミミが背中を軽く叩いてくる。顔を見ると、なんだか不機嫌そうだ。俺には分かる。こいつはこいつで、今の発言はちょっと言い過ぎたかな、くらいに思っているに違いない。態度は悪いが、性格はそんなに悪くないやつなのだ。

「モテたかったら背筋を伸ばせ、お前みたいなのが背中を曲げてると普通より湿っぽく見える」

「はいはい」

俺の背中をばんばん叩いてくるミミに軽く返しながら、だらだらと学校までの道のりを進む。アリシアが何をしでかすかは分からないが、最悪の場合、学校では無視してしまえばいい。一応、たぶん聞き入れてもらえないだろうとは思いつつ、学校では俺に構うなと言ってある。あんなやつはいないものとして生活を送れば、なんとかなるかもしれない。ならないだろうから不安なわけだが。



学校に到着し教室に入ると、何やら騒がしい。そこらじゅうで、いつも話しているような事とは違う内容で盛り上がっている。

どうやら、うちのクラスに転校生がくるらしい。すごい美少女なんだそうだ。

「ウソだろ……」

まさか同じクラスだったとは……。

「どうした?」

これからの高校生活が真っ暗になった俺に、ミミが能天気に話しかけてくる。

「今日マジで体調悪いのか?」

「なんでもねぇよ……」

「なんでもねぇわけねぇだろ」

机の横に鞄を引っ掛けて席につくと、ミミが俺の机に腰掛けて前の椅子に足をのせた。態度が悪すぎる。

「美少女の転校生だって、聞いたか?お前の大好物だろ」

何も知らないミミが無邪気にそんなことを言う。たしかに、美少女の転校生がやってくるなんて、俺だって他の連中と同じように喜びたい。しかしその転校生はアリシアだ。

「あんまり嬉しくない」

「なんでまた。美少女だぞ、美少女。いつもの琥珀なら既に三回はデートに誘って断られてるだろ」

こいつは俺をなんだと思ってるんだ。

俺が美少女なら何にでも飛びつくような節操のない男だと思われているのは心外だが、あながち間違ってもいないのでそこはあえて訂正せずに、声を落として周りに聞こえないように呟く。

「俺その転校生知ってるんだ」

「あ?」

「会ったことあるんだ、そいつ」

会ったことがある。そして、その美少女とやらが今日この学校に転校してくることを知っている。その上であまり喜んでいないという点から、ミミならきっと何か察してくれるだろうと思ったからこんなどうでもいいプチ情報を伝えたのだが、思いのほか彼女のリアクションは薄かった。

「……へぇ」

それどころか、少し不機嫌になったようだ。ミミは小さく鼻から息を吐いて、俺の机から降りた。

「楽しみだな」

絶対にそんなことは思っていない顔をしてそう呟くと、ミミはさっさと自分の机の方へ歩いて行ってしまった。どうして急にちょっと怒りだしたのか分からないが、おかげで俺はまたさらにブルーになった。

これであと数分したらアリシアがやってくるというのだから、できれば帰ってしまいたい。



チャイムが鳴って、担任が転校生を連れて教室にやってきた。その瞬間の盛り上がりたるや、それはもううんざりするくらいの歓声だった。ただ、自宅に届けられるなり大喜びで試着した時に一回、昨日に一回、そして今朝の一回と、もう三回も見ているアリシアの制服姿は、誰が見てもため息をついてしまうくらい魅力的なのは分からないでもない。これでアリシアじゃなかったら……。

「今日からこのクラスに転入することになった、アリシア・L・マクラウドさんだ。みんな仲良くするように」

あいつのフルネームってそうだったのか……なんてことを考えていると、教室を一通り見渡していたアリシアと目が合う。明らかに俺と目を合わせて笑った。

「皆さん、今日からよろしくお願いします」

どよめきが起こるほどに愛らしい笑顔と澄んだ声で軽く頭を下げたアリシアは、担任に促されるまま用意された席に移動し、椅子に座った。隣の席の男子生徒ににこやかに挨拶をしている間も、周囲の視線を完全に独占している。

とにかく、これでアリシアはこの学校の生徒になってしまった。今のところ、まだ一分か二分くらいしか経っていないが、問題は起こっていない。このまま何も起こらないといいが……。



昼休みだ。

奇跡的に、何も起こることなく、俺は昼休みを迎えることができた。なんだ、アリシアもやればできるじゃないか。

学校では俺に構うなと言ったのを守ってくれているらしく、アリシアは休み時間のたびに複数の生徒に囲まれて質問攻めにあっている。

「……あれ、琥珀の知り合いなんだろ?」

鞄から取り出した弁当をぼんやりと食べながら、いつの間にか隣の席に勝手に座っていたミミの声を聞く。まだ何か怒っているみたいだ。

「知り合いっていうか、会ったことがあるかなっていうレベルの、なんか、人だよ」

「そんなアヤフヤな記憶なのに、あの美少女がお気に召さないのか?何かされた?」

鋭い。何かされたのだ。たしかに、とんでもないことをされた。というか、されている。

しかし、さすがに心臓に穴を開けられたなんて言えないので、俺は曖昧な返事をした。んー、みたいな声を出して頷くだけのやつだ。すると、ミミが不思議そうに首を捻る。

「あの美少女だからなぁ、琥珀なら大抵のことをデレデレして許しそうだけど、でも嫌がるレベルってことは、かなりやべぇやつなんだろ」

「ミミのなかでの俺の評価どうなってんの」

「目の前でうんこ漏らされたとか?」

「ごはん食べてるんだけどなぁ」

「おっと」

ミミはいつも昼に弁当を食べないので分からないかもしれないが、昼食は大切なのだ。そんな大切な食事中に汚い話をされると困る。

「琥珀が今さらそんな話で食欲」

ミミがそこで言葉を切る。急に黙ったので隣に目をやると、彼女は俺を見たまま固まっていた。

「どうした?」

呼びかけても返事をしない。本当に固まってしまったみたいだ。というか、気がついたらクラス全員が固まっている。騒がしかった教室が静まり返り、みんなが静止して何の音も立てない置物になっている。

少々驚いたが、驚きよりも強い濃度でため息があがってきたので、俺は遠慮なくそれを吐き出させてもらった。

いつの間にか俺の目の前でにこにこしている、美しい転校生に向けて。

「びっくりしました?」

「した」

ミミを含めてクラス全員が急に固まってしまって、俺は本当にびっくりしている。ただ、何が起こった?とか、何でこうなった?とかよりも、あぁ、アリシアってこんなこともできるんだぁっていう気持ちの方が大きくて、驚きを表情に出す気になれない。

「こんなこともできますの。クラス全員?いえいえ、みーんな止まっちゃってますよ」

嬉しそうに笑うアリシアを無視して廊下に出ると、そこを行き交っていた生徒も止まっている。空中で静止しているやつもいる。何をしてたんだろう。

隣のクラスも静止しているのを確認してから自分の席に戻りながら、ふと素晴らしい考えが頭に浮かんだ。

女子生徒のスカートのなかを覗き込むなら今しかないんじゃないか?

「だーめーでーすー」

「なんも言ってねぇよ」

「私と琥珀は以心伝心でしょう?」

それは一方通行だ。俺はアリシアの考えていることは分からない。

「ミステリアスなあなたのアリシアです。もう、ようやくふたりきりになれたのに」

自分と俺以外の全員を止めるという強行手段を使っているのは、完全に反則な気がする。いや、完全に反則だ。だ、だ。言い切っていい。

ずるいし意味が分からないしで戸惑っている俺は無視して、席についた俺の膝にアリシアが乗ってくる。

「学校って楽しいですね」

「よかったな」

「でも琥珀とあんまり話せないからちょっと残念です」

アリシアはそう言いながら、俺を見たまま静止しているミミに目を向ける。

「この子、ずいぶん可愛いですけど、どういうお友達ですか?」

「お前には関係……」

「ありまぁす」

拗ねたような顔をして俺の首に腕をまわし、アリシアがキスをしてくる。神聖な学び舎でなんたることか。

「幼馴染だよ」

唇を離して、アリシアから顔を背けながら教えてやる。みんなが見てる前でこれは緊張する。

「みんなには見えてないですよ」

「みんなに見られてるように俺には見えるっていうのが問題なんだよ」

「ほんとのふたりきりがいいってことですか?」

「ん?うーんとね、ちょっと違うんです」

動かないとはいえ周囲に人がいる状態でこんなことをするほどの勇気はないんだという話だが、アリシアはそれを無視して俺の胸に顔を埋める。

「うーん、琥珀いいにおい」

また匂いを嗅がれている。マジでやめろと言ってもやめてくれない。いや、アリシアにやめろと言ってやめてくれていることなんてほとんどないが、そのなかでもトップクラスにやめてほしいこれは、残念ながら彼女のお気に入りらしい。一日三回は俺に抱きついて深呼吸をする。

「琥珀と仲良しなの、羨ましくて嫉妬しちゃいます」

「しょーがないだろ、ガキの頃からずっと一緒なんだから」

アリシアの言葉にそう答えながら、俺はなんでわざわざミミとの関係を言い訳のように説明してやってるんだろうと悲しくなってきた。ミミとは妙な関係になりようがないが、たとえミミと付き合っていたとしても、アリシアにはカケラも関係がない。

「たしかに関係ないですけど、でも私は琥珀のことが好きなんです。好きな人が女の子と親しくしてると、ちょっと嫉妬しちゃうでしょ?」

「だからみんなを止めたのか?」

「それは単純に琥珀とベタベタしたかったから」

「横暴すぎんだよな」

せっかく昼休みまで何事もなく過ごせたと思ったら、急にとんでもないことをしやがった。アリシアが学校に通いはじめたら何かしらのトラブルを起こすだろうと思っていた俺の不安は的中だ。

まあ、静止しているみんなには今の状況が見えていないというのが本当なら、最悪よりはちょっとマシではあるが。

「でしょ?ちょっと気を使ってみたんです」

「気を使うならそもそもやんないで欲しかった」

それから、アリシアはひとしきり俺の胸に顔を埋めてすりすりしたり頬や首筋に唇を這わせたりして散々人のことをおもちゃにしたあと、五分くらい経過してから赤い顔でため息をついた。ものすごい満たされた表情をしている。

「はふぅ、これで午後も頑張れましゅ」

こいつはこれで頑張れるかもしれないが、俺は頑張れない。

すると、アリシアが俺の膝から降りて、溌剌とした笑顔で自分の席に戻りながら俺を見る。

「頑張れませんか?」

「お姫様のおもちゃにされて疲れちったもん」

「仕方ないなぁ」

そう言うと、アリシアは自分のスカートをつまんで、少し持ち上げてみせる。そこには、太すぎず細すぎず、ちょうどいい肉付きで色の白い美しい太ももと、細かいレースの刺繍が入った黒い下着があった。

「ほら、さっき琥珀がスカートのなか見たいって言ってたから」

そう言いながらアリシアが後ろを向き、尻を俺に突き出して後ろからもスカートをめくる。心臓が急に跳ね上がった。

「い、言ってねぇけど……」

やめろとか、べつに見たくないとか、とにかく否定するようなことを言わなければならないのに、喉が詰まって言葉が出てこない。顔がすごく熱い。

正直に言って、ものすごく完璧だ。雑誌やら何やらで目にしたそれ系のものなんか全然お話にもならないような、完璧な何かがある。アリシアはどうしてここまでぶっ壊れたことができるんだろう。

「ふふ。琥珀も元気になりました?」

スカートを下ろして、アリシアが俺に向けて微笑む。ここで頷いたら色々な意味でダメな気がするが、とはいえ、すごいものを見たせいで心臓が活発に活動しているから、いまの俺はさっきより確実に元気だ。

「……なった」

「良かった。好きですよ、琥珀。また放課後ですね」

アリシアは当たり前のように俺への好意をむき出しにして笑うが、俺にはどうしてそこまでできるのか分からない。顔はいいし、全開で向けられる好意も気分の悪いものではないが、この無条件の好意が、妙に恐ろしく感じることもある。すごくいいものを見させてもらったが、なんでここまでするのかが分からない。それはそのうち聞き出していく必要があるだろう。

そうだ、この一ヶ月はずっとアリシアの奇行に驚くばかりだったが、お互いに少し会話と理解が足りていない気がする。意味が分からないから俺の方が避けていた。これからは、ちょっとずつでもアリシアと会話を増やしていってもいいかもしれない。パンツ見してもらったことだし。

「あ、そうだ」

まずアリシアと増やすべき会話の第一歩として、自分の席についた彼女がクラスを元に戻す前に、俺の方から声をかける。

「今日はバイトだから、お前先に帰ってろよ」

今日は、また放課後、というわけにはいかない。

「うーん。残念ですけど、仕方ないですね」

アリシアが軽く頷いて、俺に手を振る。

こんなにまともっぽい会話ができたのなんて、たぶん初めてな気がする。一歩前進だ。パンツのおかげである。

「なくすようなやつとは思ってなかったわ」

アリシアが俺に手を振ってから瞬きをするくらいのほんの一瞬の後、いきなり隣からミミの声がして飛び上がるほどびっくりした。

「……なんだよ」

過剰に驚いた俺を不審なものを見る目で睨むミミだが、俺はそれどころではない。周囲はもうすっかり元通り。つい数分前までの喧騒が帰ってきている。

「な、なんでもないなんでもない」

ミミに返事をしつつ、急に全部を元に戻したアリシアをちょっと恨む。せめて何かしらの合図とか予備動作とか、今から戻しますよ的なものが欲しかった。ミミとしていた会話の内容もちょっと思い出せないし。

「ごめんなさい、戻しました」

「お?なんだなんだ?」

急に耳元でアリシアの声がしてきょろきょろする俺に、ミミがさらに変人を見る目を向ける。

「琥珀が壊れた」

「いや、なんか、その、あれ?」

アリシアは普通にクラスメイトと談笑しているが、空耳だろうか。

すると、また耳元で声が鳴る。

「テレパシーです。てへへ」

ため息がこみ上げてくる。

これだから魔族は。

これだからお姫様は。

これだからアリシアは!

よし。

帰ったら少しお説教をしてやろうと心に決めて、俺はすぐにアリシアへ意識を向けるのをやめた。

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