プロローグ 人間の世界、はじめまして
夜陰に紛れ、人目を忍んでするすると進む。
誰にも見られないように、一人も見逃さないように。あらゆるものに神経を張り巡らせて、宝物を探す。
微かな空気の揺れが、私に宝の在処を教えてくれる。街を彩る煌びやかな装飾も、影の張り付いたアスファルトも、湿気に煙る薄暗い路地裏も、全てが私の目となり、耳となる。
足元のおぼつかない中年の男をやり過ごした灰色のコンクリートが、手近な空気を捕まえて私に囁いた。
二時間前、私の望むものがここを通った、と。
たった二時間前。
それなら、このあたりにいるはずだ。
一度その姿を捉えてしまえば、あとを追うのはそんなに難しいことじゃない。
湿った空気が流れて、私に目的地までの道を示してくれる。
繁華街を抜けて、静かな住宅街まで流れ着いても、私に向けられる囁き声は鳴り止まない。それどころか、どんどん強くなる。
向こうの通り、三軒先の曲がり角、すぐそこの交差点。
そして、ついに空気が声を揃えて囁いた。
"この家にいる"と。
庭にこっそりお邪魔して窓から覗くと、そこにはごく一般的な家族の団欒があった。
オレンジ色に見える空気のなかで、三十代くらいの男女が談笑している。女性の方は知らないけれど、男性の方は知っている。
立派な調度品、とはいえないけれど粗悪品でもないテーブルは、家具屋で三万円程度の普通の量産品。奥に見える食器棚も普通の品物だし、収められた食器類も基本的には量産品だ。まさか、ここへきてこんな光景を見ることになるとは。
テレビも普通、ソファも普通、グレーのカーペットも普通。何もかもが当たり前のようにその場にあるこの光景は、私からすればむしろ珍しいくらいだ。
けれど、ここには私の宝物はいない。
談笑している夫婦に気づかれないように、今度は雨どいを伝って二階を覗く。
ひとつめの窓は、ハズレ。電気が付いていないからそんなことだろうと思ったけれど、一応覗いてみた。パソコンとベッドしかない。
次の窓には、灯りがあった。
胸が高鳴る。
きっと、ここにいるはず。
自分の心臓から鼓動が耳に響いてくるのを感じて、その窓を覗く。
ごく普通のベッド、ごく普通の学習机に、ごく普通のクローゼット。一階にあったものより少し小さいテレビに、ゲーム機。ここもさっきまでの部屋と変わりはない。
ひとつだけ、学習机に向かっている人物を除けば。
彼は、隣町の高校に通う二年生。身長は百七十八センチ。体重は七十七キロ。身長から考えるとやや重いけれど、体型は崩れていない。骨が金属なのか、そうでなければ筋肉がたくさんついているんだろう。
ショートの髪の毛は、染めていないけれどやや明るい。今日はもう洗い落としてしまったみたいだけれど、いつもはアップバング風に持ち上げた前髪をサイドに軽く流している。
利発そうな印象を受ける切れ長の目元、筋の通った鼻、ペンを咥えている口。
全てが、私の探し求めていたものと一致する。
「見つけた……」