9・囚われた妖精姫
元王太子フランシードの処刑が翌日に迫った日、王国には小雨が降り続いていた。誰かが、『国民の涙』だと言った。模範的な王子として国民に愛されていた王子が、狂気に走って大逆の罪を犯したと……国の悲しみだと。
それに、国民の愛する薔薇の剣姫は、婚約者が明日処刑されるという哀しみに打ちひしがれて涙を流しているだろう。国民は長年、未来の立派な国王夫妻として二人を敬愛していたし、婚約破棄騒動、決闘騒ぎの時も、王太子の一時の気の迷いであって、マリアローゼに打ち負かされれば、王太子は若気の至りと反省して再度の婚約を願うだろう……などと、無邪気に噂されていたのだった。
ミリアローゼも宮廷では、今や『薔薇の妖精姫』と呼ばれ、求婚者があとを絶たないが、国民にはまだそれほど知られていない。
「フランシードさまの死を以って婚約破棄とさせて頂きたく思います」
死の瞬間まで婚約者でありたいとの、マリアローゼの要望も、何とお優しいと国民の涙を誘った。……本当は、あんな穢らわしい男から婚約破棄された女、として残りたくない、というマリアローゼの意地に過ぎなかったのだが、大衆はとかく贔屓をしたがり、話を美しく盛り上げたかったので。フランシードの真の動機は正式には発表されていないが、前例を見ないフランシードの、父の後妻を奪いたいが為の狂気は、『亡き母の愛を求めるが故に狂った王子』と書き換えられ、新聞の見出しを飾った。
そんな空気の中、マリアローゼは王宮で、国王と父宰相からの願いを受けていた。勿論、悲しみに暮れてなどいない。相応の報いを受けてくれれば、涙の一粒くらいは流すかも知れないが。
国王と宰相の要請は、即ち、『次期王太子となるアルフリードの婚約者になって欲しい』というもの。まだフランシードが死んでもいないのに気が早すぎるのではと思うが、騎士になりたいという彼女の願いを知っている二人は、口約束だけでも、と考えた。
案の定、マリアローゼは顔を曇らせ、
「そんな……わたくしは、フランシードさまとの婚約がなくなれば、騎士団に入り、一層剣の道を極めたいと思っておりましたのに」
「アルフリードが嫌いなのか? あれが軽薄に見えていたのは、当初はただフランシードに対し、野心のない事を示す為、弟が殺された後は、うつけのふりをして兄の陰謀を探る為だったのだが……」
「それは伺っていますし、解りますわ。嫌いなんかじゃありません。命を救って頂きました……でも何故わたくしが? わたくしは、大逆人の婚約者だった者です。王妃になろうなんて思えません。ミリアローゼの方が適任と思います」
「ミリアローゼは何年も療養生活で、王妃教育を受けていない。それに此度の事はそなたには何の責もない。民もそなたを王妃にと願っている」
「……」
内心、マリアローゼはそれが理由か、と落胆していた。アルフリードの願いではないのか、と。何故そんな事で落胆するのか、自分でもよく解らなかったが。
「ミリアローゼは今からでも充分王妃教育は間に合うと思いますが……でも、陛下と国の御為なら、わたくしは夢を諦めないといけませんわね」
「マリア、これは強制ではない! だが、騎士団には入れずとも、そなたの剣に関しては、アルフリードはいつも感嘆していたぞ」
―――
しかし、この時、会見の間の扉が激しく叩かれた。
「父上! 父上! 一大事です!」
飛び込んできたのはアルフリード。
「どうしたのだ、血相を変えて」
「兄上が脱獄したのです。……恐らく、隣国に通じた者の手引きで」
「なんだと!!」
「早く見つけ出さねば、大罪人の王子の逃亡を許したとなっては、我が国の恥です。それに……ミリアローゼが危険かも知れません。母上の方は、すぐに護りを固めさせましたし、流石に逃亡者の身で王妃に近づこうとはしないでしょう。でも、ミリアの方は、急襲されれば手薄かもしれません」
はっと、マリアローゼと父は息を呑む。
「わたくし、すぐに館へ戻ります!」
そう言いおいてすぐさま馬を飛ばし、マリアローゼはアルフリードと共に自館へ向かった。
「王宮の奥深くの地下牢から脱獄なんて……いったい警護はどうなっていたのでしょう!」
「またしても毒、らしい。兄上の協力者は相当そういったものに通じているようだね」
ふたりは馬を飛ばしたが……既に手遅れだった。
警護の騎士たちは毒にやられ、ミリアローゼはフランシードに連れ去られていた。
「ミリア! ミリア! 返事をして!」
震える侍女たちを押しのけて半狂乱で最愛の妹を呼ぶ、マリアローゼの肩に手を置いてアルフリードは、
「恐らく兄上はミリアを殺したりはしないよ。人質として、そして妻にしようとしての事じゃないかな。でも、急いで取り戻さなければならない状況には違いない。きっと兄上は隣国との国境へ向かっている筈。騎士たちを待ってはいられない、共に追おう!」
「アルフリードさま……でも、大事な御身体ですのに、そんな危険な事は駄目ですわ。わたくし一人で大丈夫ですわ」
「何を言ってる。相手はどんな卑怯な手を使ってくるかわからないし、男としてきみだけを行かせて安全な場所にいる訳にはいかない」
「アルフリードさま……」
「大丈夫、きみの足手まといにはならないよ」
琥珀色の瞳は優しい光を浮かべている。
「解りました……アルフリードさまの御身は、わたくしが命に代えてもお護りしますわ」
でも、本当は感じていた。アルフリードの方が自分より強いだろうという事。そして、マリアローゼはずっと、自分より強い男性を望んでいたのだった。
「……フランシードさまのお命が尽きるまでは、わたくしはあの方の婚約者。その枷から自分を解き放つ為にも、フランシードさまを追わなくては」
「そうだね。きみが自由の身になったら、僕も自分の気持ちを話すよ」
「え?」
「……いや、今は目の前の事だね。急ごうか」
そうして、二人は並んで馬上の人となった。