4・王太子の闇
傍に来た国王と宰相に、結局マリアローゼとアルフリードはその場で何も言えなかった。
フランシードは毒の存在を言葉にし、アルフリードは最初『全て話す』と言っていたのに、何故黙っているのだろう? とマリアローゼは思ったが、アルフリードはただ黙って兄を睨み付けているのみ。
「フランシード、知らぬ間に腕を上げたようだな。しかし、マリアローゼが無事で良かった。おお、そなたやはり体調が悪いのだな?」
「……いえ。もうだいぶ、治まりました」
一時は身体中に広がった痺れは、段々消えてきている。消える毒……つまり、効果時間も短い、という事なのだろう。身を預けていたアルフリードに丁重に礼を言って身体を起こし、まだ少しふらつきながらも国王の前に跪く。
「陛下のご寛容な御心により、このような場を設けて頂きましたのに、我が不徳の致すところでこのような無様な姿を晒し、神聖な決闘を台無しにしてしまい、本当に申し訳ございません」
頭を垂れたマリアローゼに、フランシードは笑いながら、
「そうだ、結局地に這いつくばったのは、そなたの方であったな! さあ、降参すると言え。それで話は終わりだ」
と言い放つ。
マリアローゼは唇を噛む。決して剣の腕で負けた訳ではない。けれど、これ以上己の意地を通す事は国の為にならない……。
「フランシードよ、これは事故だ。そなたの方とて剣が折れ、それ以上闘えまい。なのにこのような形の勝利を望むか?」
「アルフリードが手出ししなければ、マリアローゼは死んでいたでしょう。そうなれば私の勝ちは動かなかった筈」
卑怯な手段を用いた癖に、とマリアローゼは内心怒りを燃やす。しかしこうなったからには、全ては王の判断に任せるべき、と押し黙る。
この時アルフリードが発言した。
「もし私が神聖な試合を穢したと仰せなら、罰を受けても仕方がありません。ですが、これは元々殺し合いではないでしょう? 薔薇の命が救われた事で、皆喜んでいますよ。しかし、兄上があくまでこの場での勝敗に拘られるならば、私が罰を受ける代わりに、剣を替えて試合を続行してはいかがです? 私が手出ししたせいでこのような形になりましたが、何もせずともマリアローゼはすんでのところで躱していたかも知れないのですから。もしそうなっていれば、剣が折れた兄上の負けになっていたのでは?」
「何だと! 勝手に手を出しておきながら、都合のいい事を言うな!」
フランシードの服用した、体力を増強する麻薬の効き目も薄らいでいる。麻薬と毒の効果が切れた状態で、彼がマリアローゼと闘っても勝ち目はない。それを判った上で、アルフリードは自らの不利益も顧みずにこんな提案をしたのだ。
一方、その言葉を聞いたマリアローゼは驚き、
「わたくしの弱さのせいでアルフリードさまが罰されるなんてとんでもないこと! それくらいなら、わたくし、負けを……」
認めよう。元々、受けて貰えるとは思わずに言い出した決闘だった。フランシードが受けたのは、アルフリードが先に、「不敬では?」と言ったから、気位の高い王太子は、それを理由に拒否するのは逃げだと思われたくない、という意地で、だと思っていた。まさか、こんな計算を咄嗟にした上での返答だとは思いもしていなかったが、それでも、もう、充分だと思った。自分の意地のせいで、誰かに罰が下るなんてあってはならない!
だが、国王はマリアローゼの言葉を遮り、
「双方の主張は相分かった。今日のところは、この試合、わしが預かろう。後日、双方に沙汰を下す。それで、良いな?」
「は、はい……」
何ともすっきりとしない幕引きとなった……この時は。
―――
夕刻、マリアローゼはアルフリードに面会を求めた。勿論、命を救われた礼をきちんと言う為だ。後は、何故、最初は兄を告発すると息巻いていた彼が急に気を変えたのかを教えて貰う為。
「礼なんか改めて言いに来なくても、きみを助けられただけで僕は充分に満足しているのに。でもまあ、結果としては、時間が出来て良かったかな。思っていたより、どうにも兄上の闇は深いようだ。父上にもお話しした。勿論、あると思った証拠が消えてしまったので、親子の私的な会話でしかないんだけどね。父上は、僕に内密の調査を命じられたよ」
「? どういう事ですの?」
「念の為に剣を調べさせたけど、やはり毒は消えていた。でも、確かにあった……きみはそれを感じたんだろう?」
「ええ、あんなかすり傷なのに、異常な痛みが走り、暫く身体が動きませんでした……それに、フランシード殿下は、ご自分で自慢げにそう仰っていたではないですか。あの言葉が何よりの証拠ですのに、何故、あの場で仰いませんでしたの?」
言って欲しかった訳ではない。この時まで、彼女が婚約者に求めていたのは、容姿でひとを判断し、心を傷つける事を厭わぬ傲慢さを反省し、王太子として成長してくれる事だった。不正を暴き、廃嫡に追い込もうとまでは思っていなかった。
あんな人物が次期国王で大丈夫なのか、という思いはあったが、それは自分の決める事ではない、と……。
けれど、アルフリードの言葉は、そんな彼女の思いを打ち砕いた。
「兄上のあの言葉は、実に巧妙な罠だったよ。兄上は今まで僕を、遊んでいるだけで満足な無害な弟と軽んじてた。でも、僕が本気を見せてしまったので、警戒した。いいかい、もしあの言葉を証拠として、兄上が不正を働いたと宣誓していたら……証拠にならないもので、王太子を侮辱した罪に問われたのは間違いない」
「えっ。あんなにはっきり、毒、と仰ったのに?!」
「兄上が言ったのは、『剣を調べれば毒が出ると思ったのだろうが、出ない』『時間が経てば消える毒が存在する』このふたつだけだ。剣に毒を塗ったとは、一言も言ってない」
「あっ……」
「僕は、もう少しで嵌められるところだったんだよ。それに、憂い事はもうひとつある。こちらは更に重大だ」
「なんでしょう?」
「毒に麻薬。何故、そんなものを兄上は所持していたのか? という事だ。決闘を受けた時点で、既にそれを所有していたのは想像に難くない。いったい、何の為に?」
「何の為……」
「……まあ、今は想像の域を出ない。でもとにかく、僕は兄上の目的を探らねばならない。今回の事は、ほんの嵐の前触れだと思うよ。マリア、きみは兄上の憎悪を受けてしまったのだから、身辺に注意した方がいい」
「……」
一度に思いもしていなかった事を色々聞かされて、マリアローゼは混乱の極みにあった。
でも、確かにひとつ、強い思いが胸にある。
「アルフリードさま。わたくしの身の心配より、ご自身の方を心配なされた方がよろしいわ。フランシードさまはアルフリードさまを排除なさるおつもりなんでしょう?」
「まあそうだと思うけど……仕方ないよ、兄上は元々権威欲の強い方だから……第二王位継承者の僕は、敵に見えないよう長年振る舞って来たけど、結局こうなっちゃうなら、それは運命としか言いようがないね」
「では、フランシードさまより優秀に見えないよう、軽薄なふりを?」
「う、うーん、まあそうかな」
返事の歯切れの悪さが微妙に気にはなったが、この返事を聞いて、一層彼女の思いは強くなる。
「わたくしにも、お手伝いさせて下さい。アルフリードさまが陛下から依頼されたこと……。一人より二人の方が、きっと手段は増える筈!」
「マリア、これは危険な事なんだよ。剣の腕だけでどうにかなるものじゃない」
「わたくしが、危険を厭う女に見えまして?」
アルフリードは暫く、呆れたように彼女を見ていたが、
「言い出したら聞かないのは昔からだもんなあ……喋り過ぎたか」
と、苦笑いして呟いた。