3・王太子と薔薇姫と第二王子
お祭り気分で、王国史上初であろう、王子と婚約者の決闘を見物に来ていた人々は、国の宝と愛してやまない薔薇の剣姫が、折れた剣に貫かれる光景を瞬時に想像し、ある者は泣き叫び、ある者は目を覆った。
国王と宰相は険しい表情で思わず椅子から立ち上がり、マリアローゼの名を叫ぶ。
……が、間一髪、毒の為に力が入らず、茫然と立ちすくんだ薔薇の剣姫の手を強く引いた者がいた。
マリアローゼは痺れた身体をただその力強い腕に預けるしかない。後ろに引っ張られて倒れた瞬間、彼女が立っていた場所にがつんと剣は突き刺さった。
「痛て……間に合ってよかった、マリア」
「アルフリードさま!」
付添人のアルフリード王子は、日頃の『軽薄王子』とは思えぬ速さで危機に反応し、マリアローゼを抱きかかえて後ろに跳んだ。結果、彼はマリアローゼの下敷きになる形で仰向けに地面に倒れてしまった。
「だ、大丈夫ですか?! お怪我は?」
「平気平気。はは、やっぱりこういう事があるから、己を鍛えるのを忘れちゃ駄目だね」
「え、アルフリードさま、ちゃんとお稽古なさっていましたの?」
「いやいや、マリアに比べれば全然だよ」
王子はそう言うが、今の動きは、普段の自分に劣らないものであった、とマリアローゼは感じる。彼女を抱えた腕は、普段見てもいなかったが、鍛えられた筋肉が備わっている。
観客はアルフリード王子の名を叫び、喝采を送っている。
国王と宰相は安堵の吐息を洩らして椅子に座り込む。
一方……。
折れた剣を下げ、蒼白になったフランシード王子は、唇を噛み、弟と婚約者を睨み付けていた。
事故であわや薔薇の命が散る所であったというのに、それが救われたのを喜ぶどころか怒り、叫んだ。
「アルフリード! 神聖な決闘の邪魔立てを致すとは何事か!」
「神聖……ですか」
マリアローゼに送っていた柔らかな笑顔は一転、きついものになる。アルフリードは琥珀色の瞳に凍てつくような怒りを迸らせ、それでも冷静に兄へ向かって言い放つ。
「最も近くで見ていた私には、色々な事が判った気がするのですが……、今、ここで申し上げてもよろしいですか?」
「なにっ!」
フランシードは表情を引き攣らせる。
アルフリードは全て見抜いている……そう気づいたマリアローゼは、か細い声で彼の袖を引いた。
「いけません、アルフリードさま。こんな公の場で、それを口にすれば、フランシードさまは破滅……そして王家の恥ともなります」
「じゃあ兄上の言い分を認めるって言うのか! ……そうか、きみはまだ兄上を愛しているから……」
「ち、違います! 今となっては、あんな卑怯で身勝手な方を一生懸命愛そうとしていた自分が愚かしく思えます」
「……それを信じるなら、僕が兄上に遠慮する理由はないな。王家の恥と言えど、それが真実なのだから仕方ないだろう。僕も正直、兄上がこんな愚かな方とは思わなかったよ。とにかく僕は兄上を告発する。刃を調べればすぐに判る事だよ。兄上は、きみが両利きな事さえ知らず、右腕を封じれば普通に勝てると思われていたようだからね」
「アルフリードさまはご存知でしたの? 両利きなこと……」
「え? あ、ああ、まあね」
フランシードは小声で話し合う二人の様子を、焦りと苛立ちを隠さずに見つめていたが、突然、何かを思いついたようだった。いきなり、つかつかと二人に近づいて来る。
「どうやら二人して私を陥れる作戦でも立てているようだが、そうはいかぬぞ」
「陥れる? マリアローゼを陥れようとなさったのは兄上の方では?」
思わぬ王太子の開き直った態度に、マリアローゼとアルフリードは驚く。その驚きに、フランシードはしたり顔で、
「なるほど。マリアローゼは、私の婚約者でありながら、アルフリードとも情を交わしていたのだな。今の様子でそれが判ったぞ。いつも軽薄なアルフリードが、別人のように真剣に……」
「なんと、たかがそのような事で、とんでもない疑いをでっち上げ、ご自分は罪から逃れるおつもりか! ひとの命がかかっていたのですから、真剣になって当然でしょう! マリアは兄上の為に、この場で不正を告発するのを止めようとしていた位なのに、よくもそんな言いがかりを! マリアローゼの名誉を傷つけた事、今すぐ謝罪して下さい!」
こんなに怒りを露わにするアルフリードを目にするのは、マリアローゼには初めての事だった。いつもへらへらして複数の令嬢に取り巻かれている優男、としか思っていなかったのに、力強い腕で命を救われ、おまけに自分の名誉の為に凄い勢いで抗議してくれている。
「罪から逃れる? 罪とはなんだ? 剣が折れたのは事故。勿論マリアローゼを殺すつもりなど全くなかった。だが、女だてらに決闘などと言い出すから危険な目に遭うのだ」
「事故は確かに兄上の罪ではありません。しかし、ご自分でお解りでしょう、ご自分の犯した罪の事くらい! 神聖な決闘の場で、己が何をしたかを!」
二人の王子が言い争う様に、観客は不安げにざわつき始めた。だが勿論、話の内容は彼らには聞こえない。
この時、国王と宰相が、事情を聴いて兄弟喧嘩をとりなそうと近づいて来た。
彼らは、今日はマリアローゼの体調が優れなかったのだろうと考えた。それで、かすり傷とはいえ右手に受けた事のない傷を負って、左に剣を持ち替えた為、事故が起きたのだろうと……。フランシードは弟が決闘に水を差したと怒っているのだろうが、結果的にマリアローゼの命を救ったのだから、むしろ、もうすぐ破棄されるとはいえ婚約者なのだから礼を言うところだろうと宥めようと……その程度に思っていた。
「父上たちが来られます。私はマリアの為に全て話しますよ。時間稼ぎにもなりませんでしたね」
「いいや。充分時間稼ぎになったさ」
「え?」
フランシードは、二人だけに聞こえるようにこう言った。
「おまえたちは、剣を調べれば毒が見つかると思ったんだろう? 私がそんな浅はかな男と侮ったか。時間が経つと消える毒……というものがあるのを知らなかったか。今から調べても、毒は検出されない。仮にそんな訴えをすれば、おまえの方こそ、私の名誉を傷つけた罪に問われるぞ、アルフリード!」