1・王太子と薔薇姫
「マリアローゼ、重要な話がある」
と、ある日の午後、テラスで対面してお茶を頂いている時、公爵令嬢マリアローゼは突然に、婚約者であるフランシード王太子から告げられた。
「なんでしょう、殿下」
「突然こんな事を言いだして済まない……。私は、きみとの婚約を、なかった事にしたい……」
マリアローゼはさすがに驚いて軽く目を瞠り、
「いったいどういう理由でございましょう?」
「……他に愛する女性がいる」
「つまり、他の女性に心を移された、と。それなら、殿下のお心を繋ぎ止められなかったわたくしにも非はありますわね」
フランシードは、救いを得たとばかりに神妙な面持ちから一転、喜色を浮かべて顔を上げた。
マリアローゼは内心、失望する。変わった女であるという自覚は勿論あったけれど、王子はそれを受け入れてくれていると思っていたのに、やっぱりそうではなかったのだ、と思ったからだ。
国一番の美姫、『薔薇姫』……主にはその容姿を好いていてくれているのだとは、知っていたけれど。
「ならば、承知してくれるのか」
マリアローゼは溜息をつき、
「わたくしたちは、陛下が定めた婚約者同士……殿下のご一存で、なかったものに出来るとは思えませんけれど」
「いや、父上には先ほど話を通してきた」
「え? 陛下はなんと?」
「『マリアローゼに地に這いつくばって詫びろ。マリアローゼが許すなら仕方ない、目を瞑ろう』と……」
「本当ですか。だって、わたくしたちの婚約は、宰相の娘たるわたくしが王妃となって、王家と貴族家の結束をより固める為に、と……。わたくし以外の誰に、その務めが出来ましょうか?」
「宰相にはもう一人娘がいるだろう……そなたには本当に済まないが……私は、そなたの妹ミリアローゼを愛してしまったのだ。それで父上も渋々お許しを。そなたには別に相応しい相手を探すからと」
さすがにマリアローゼは驚きを隠せない。
「ミリアを! ミリアも承知しているのですか!」
一卵性双生児の可愛い妹……そのミリアローゼが、自分を裏切って、知らないうちに自分の婚約者と愛し合っていた?! そんな馬鹿な筈はない。何一つ隠し事などない、珍しいと言われる程に仲の良い姉妹なのに!
けれど、王子の次の言葉は、彼女を安堵させた。
「いいや。まずはそなたとの婚約を解消し、その上でミリアローゼに求婚する、それが筋だと思ったから……」
「ミリアが受けるとは思えません。それにわたくしも、ミリアを『姉の婚約者を奪った女』などと人に言わせたくありません」
「でも、そなたは、『自分にも非があった』と言ったではないか! 私は長年我慢してきた……そなたの花のかんばせだけを見て、その恰好は見ないようにと……」
その恰好。
マリアローゼは、公式の場以外では、男装し、剣の道を極めると公言して生きてきたのだ。
きりりと引き締まった男装は彼女の美しさを、ドレス姿の時との違いからか、更に引き立てるようで、彼女は薔薇姫……正確には、『薔薇の剣姫』と呼ばれ、多くの令嬢たちの憧れの的であり、貴族の子息にも剣を交えた縁から友人になった者も多く、更には国民にも人気が高かった。
対するミリアローゼは、その顔立ちは姉と瓜二つでも、虚弱な体質で、何年も田舎の保養地で過ごしていた。成長して随分体力もついたという事で、王都に戻り、社交界に出たのはつい最近のこと。
マリアローゼはしょっちゅう自身で馬を飛ばして、仲の良い妹に会いに行っていたが、フランシードはもう何年も彼女に会っていなかった。
それで、とマリアローゼは合点がいく。
この婚約者は、相手の良い所は顔だけ、と思っていたので、瓜二つでしかも淑やかで庇護欲をそそる妹に、あっさり心を移した訳だ。
むらむらと怒りが湧いて来る。そもそも彼女は気が短い方なのだが、王子の前では色んな事を耐えて来た。剣の修行の時間にしたいものを、王妃教育も完全にこなしたいと思い、寝る間も惜しんで努力してきた。なのに、王太子ともあろう者が、顔が同じで女らしい、という理由で婚約を破棄したいなどと……!
彼女はがたんと席を立つ。
「マリア……?」
「そういう事でしたの。わたくしの恰好が、振る舞いがお嫌ならば、そう言って下されば、もう少しお気に召すよう努めましたのに!」
「しかし、きみは父上のお気に入りでもあったし、他の事は完璧であったから、それ位は我慢しようと……」
「我慢して頂かなくて結構です。でも、こんな理不尽な婚約破棄、受け入れられません。陛下も仰ったのでしょう、わたくしが許すならば、と」
「私の愛はもうきみにはない。それでも、婚約者の座を捨てたくないというのか!」
「そんなものはこちらだって願い下げですわ。でも、殿下の仰りように、はいわかりました、と答えられる程、物わかりの良い女でもございませんの!」
いつしか、二人の喧嘩する様子に、テラスの付近にいた者たちが気づき、何事かと集まってくる。
そんな中、マリアローゼは、言い放った。
「わたくしと決闘して頂きます! わたくしが負ければ、仰る通りに身を引きましょう。逆に、わたくしが殿下を、陛下の仰ったように地に這いつくばらせる事が出来れば、許して差し上げます」
「じゃ、じゃあ、結果は同じじゃないか! そんな無駄な事をせずとも……」
「いいえ、そうでなければわたくしの矜持が保てないのです!」
と、短気な薔薇の剣姫は衆目の前で叫んでいた。
「いくら『薔薇の剣姫』でも、王太子殿下に決闘を挑むとは、不敬ではありませんかね~」
誰も口を挟む事の出来ない緊迫した雰囲気の中で、たった一人、意見した者がいた。
第二王子のアルフリードである。彼は取り巻きの令嬢たちと、庭園を散策中だった。
けれど、弟の言葉にフランシード王太子は首を横に振り、
「いいや、受けよう。父上は、『地に這って詫びよ』と仰せだったのだから、父上の許可を頂く為なら、決闘くらい構わない。マリアローゼ、きみは女性の割には随分腕が立つが、私とて、王太子の名に恥じぬよう研鑽してきたのだからな。今のうちに引き下がればよし、そうでなければ、女性相手と言えど手加減はせぬぞ。自慢の顔に傷が残っても知らんぞ」
と言い放つ。
対してマリアローゼは益々眉を吊り上げ、
「わたくしは容姿を自慢にした事など一度もございません! この婚約がなくなるならば、騎士団に入りたいと陛下にお願いしたいと思いますわ!」
と言い返す。
かくして、王太子と公爵令嬢の決闘の日時が取り決められた。