狭間に聖母は何を見る1
マリアの村に対する評価は『貧困』である。
彼女が知るMMOの村というのは家屋は少なく、武器や防具を販売する店や料理や素材アイテムを売る雑貨屋などがあるという認識だ。しかし、この村に至ってはその限りではない。それどころか、サリナ・イレーネという少女から聞いた話では、そういった商いを村の中で行っているという話は聞いたことがないということだ。
サリナ・イレーネという人物から聞いた話をまとめてみる。
アラン王国の領土内、レイレン平原と呼ばれる王国郊外に当たる地にジュレイ村は存在している。
王国から距離があり、特色の無いこの村は、王国へ支払う税というのも、どこからでも得られる普通の農作物であるということだ。そのためか、王国へ運ぶ作物の量は、予想できる限りでは、相当な量なのだろう。
サリナの家に限らず、村の多くは一家で得られる一年の成果の六割ほど王国へ献上しているようだ。その他の詳しい話はサリナという少女から聞くことはできなかったものの、年端のいかないように見える少女から得られた情報としては、大きな収穫であった。
つまりは、この世界にはそういった概念が存在するということだ。
あまりにも現実に酷似した世界観であると、マリアは嘆息する。
この世界に於ける村人というNPCは、王国と呼ばれる下で管理され、繁栄しているということだろうか。
他に彼女から聞きだせた話というのも、この村の貧困についてが大半であった。
そして、彼女の抱える闇と思しき一家の苦悩も、涙混じりに語られた。
「わからいんです。なんで兄さんが私達を捨てたのか」
胃の中の異物を全て吐き出すように、少女は語っていた。
「前の火の月に、お父さんが倒れちゃって。王都のお医者さんが神の御技で、魔法で治してくれたのに、お父さんはどんどん元気がなくなっちゃって。きっとたくさんお金がかかっちゃったからだと思うんですけど、お父さんが」と、父を思う彼女の姿は、亡き父が見たらどう思うのだろうかとマリアは考え、目を伏せる。「いつもみたいに仕事をしてて、お父さんが倒れちゃった。その日はとっても暑かった。ついこの間、お父さんは死んじゃった。なんで私の家ばっかりこんなことになるの?」
田中賢治は子共を持つような年齢ではない。とても若いという訳ではないが、父の気持ちが分かるわけではない。さらに言うなれば、田中賢治に両親はいなかった。
別に他界したわけではなく、存命だ。しかし、両親から愛されたような記憶が田中賢治の中になかった、それ故か、彼女のは話に共感を示すことはできなかった、
うんうんと頷き、彼女が落ち着くのを待った。
堰を切ったように、溢れ出る彼女の感情をただ聞いてあげることしかできないマリアは、彼女が落ち着くまで話を聞くことに徹したのだ。
感情の波が落ち着くまでに、欠け月は地平線の彼方へ沈んでいた。
酷く疲れてしまったのか、声が消え入りそうになっているサリナの目は虚ろだ。
マリアは彼女を抱きしめ、頭をそっと撫でてやった。
極稀に、飲食店に子共を於いていってしまう家族がいた。
だいたいすぐに帰ってくるのだが、小さい子共はわんわんと泣いてしまい、田中賢治にはどうすることもできなかった。そこで、フロアを任されていた主婦の方が、子共をそっと抱きしめて頭を撫でていたことを思い出す。
見ず知らずの女性から撫でられた子共でも、それには落ち着いた表情をして徐々に泣き止むのを彼は呆然とみていた。
言ってしまえば、その女性の真似をしただけに過ぎない。
とてもぎこちない仕草であったが、少女は安心しきったように吐息を漏らし、一定のリズムを刻んで眠りに落ちていく。
「どうしよう」
マリアはそこで彼女をどうすればいいのかと真剣に悩む。
ちょっと情報を欲しかっただけのはずが、いつのまにか彼女の抱えていたものを受け止めて、肩を解していたようだ。
田中賢治という男は、仕事場でも場に流されやすい人間であった。もちろん意志はあり、それはゲームでのロールプレイにおいて存分に発揮されたが、現実とゲームの境界が曖昧になったアップデートの性で、彼自身混乱してしまっているのも事実だ。
マリアという田中賢治が作り出した性格を演じるのか、田中賢治という一人の人間を前面に押し出してこの世界で生活していくべきか。
胸の中で静かに息をする少女を見て、マリアは思わず笑みを浮かべた。
――まぁ、とりあえず今はマリアとしてやっていくか。
虚空に浮かんだ青白い球体から夜営用毛布を取り出す。
地平線の向こうから昇り始めた光に目を凝らし、この村ですべきことを考える。といっても、村長の家から抜け出したことで騒ぎになっていないことは不思議で仕方が無い。
とりあえずは、少女を帰さなければならないだろうと再びスキルを使い、サリナの体に蓄積した疲労を取るように癒しの力を浴びせた。
もちろん疲労まで回復するなんていう万能なスキルではない。気休めだ。
しかし、それでも彼女には強く生きてもらいたいと、短時間ながら話をした少女に対して抱いた感情だ。
田中賢治はこの世界に来て、初めて長く話をした少女に感謝を述べると、ゆっくりと少女を地面に寝かせて歩き出した。
田中賢治もといマリアは、自身の種族、超越者としての基本能力に感謝をする。
強靭な肉体と精神によって、空腹を抑えあらゆる状態異常に強力な耐性があり、不眠不休でも長時間活動が可能なのだ。元々、現実において12時間、ゲーム内時間で三日プレイをし続けた場合、最低でも一時間の休憩を必要とするゲームだ。種族ごとにも疲労度というのが設定をされていて、人間という種族であれば一日経過するごとにレベルが低ければ能力値が二割ほど低下するというバッドステータス持ちである。長時間プレイをしたいプレイヤーからすれば迷惑な仕様であったあが、VRゲームによって死亡するニュースがあればすぐに倫理委員会の圧力がかかることが予想されていたため、それは仕方の無いことだと掲示板サイト等でも囁かれていたことだ。
しかし、そのバッドステータスの影響を受けない超越者であるマリアは、実質休憩を必要としない。
とはいえ、現実のプレイヤー自身は休憩を必要とするのだが、この世界に於いては眠気をあまり感じないのだ。
何か上手いこと、この村から自分を脱出させることはできないかと考えながら、マリアはこの村に来るまでの道を思い出しながら自宅を目指して歩き出した。
ガゴンというゴブリンは、非常に義理堅い男である。
とてつもなく弱い人間は恐るべき力を持つ存在であると見抜いた彼は、その者と交渉をしてゴブリン達の土地を手に入れてくれた。そのことに感謝していない同族はいないだろうと多くのゴブリンは考える。
だが、恐るべき者と一緒に人間の村へ向かい、一人で帰ってきたガゴンは、開口一番に「戦の準備をしろ」と仲間達に告げた。
最初は何を意味するのか多くのゴブリンには理解できなかった。もちろん戦のために準備を負え、四十の武装したゴブリン達は今も理解していない者が大半だ。
リザードに跨るゴブリン・リーダーたるガゴンは、真っ直ぐに人間の村のある遠方を凝視している。
恐るべき人存在に一度殴りかかった若いゴブリンは、ガゴンに理由を聞いた。
「何故人間ノ村ヲ襲ウンデスカ?」
「女神様の気持ちを理解しない蛮族だからだ。あのゴミ虫どもは、女神様が悲しみを癒そうと歩み出たのに奴等は拘束をして閉じ込めている」
ガゴンの話が自分の知能についていかず、若いゴブリンは顔を顰めて頭を抱えた。
「つまりは、人間を殺して女神様を助け出せばいいんだ」
「ワカリヤスイ!」
ガゴンはゴブリン達が理解できるように極端なまでに言葉を短くし伝えた。
ガゴンという男はゴブリンの中でも賢すぎた。ゴブリンの中でも類を見ないほどに。
それは闘って奪うことしかしらなかったゴブリン達に秩序を齎した。
外敵や荷物を持つ人間を見ればゴブリンという種族は本能的に襲い掛かることしかできない存在だ。それはこの世界に於けるルールのようなもので、それをガゴンは不思議に感じていた。
人間を観察して、彼等の生活を理解しようとしたガゴンは、自分達種族がとても原始的な生活をしていることに深い疑問を抱いた。
何故、自分たちは得物たる野生動物達と同じような生活をしているのだろうか。
もちろん文明的な部分はあった。
木と蔓を使って作られた火起こしの道具がある。村の人間は石と金属をぶつけて火を起こしていたが、道具を持っているということは人間に近い知能を持つということだろうとガゴンは考えた。
しかし、人間のような立派な家を持っていない。ゴブリンの多くは森や山の横穴などを見つけてそこを住処とするのが大半だった。そこで、ガゴンは見よう見真似で木の枝などを集めた家を作った。
雨風を凌ぐだけの機能を持たない家に不満を抱いたが、少しずつでも文明が築けているだろうことにガゴンは笑みを浮かべて改築を始めた。
木の枝を加工することに気がついた。それは火起こしの道具は先端を尖らせて、摩擦によって生じる熱で木屑に火を点けているからだ。
ゴブリンの多くは、どこからか手に入れたその知識を火が当たり前につくものだと考えていた。しかし、紐解けばその原理という物がわかってきたガゴンは、加工について考え、石を乱暴に岩へ叩きつけて、鋭利な石を作った。
その石を使い、火起こし道具を作成するのだが、その時は木を切り倒す為の道具にするためにたくさんの石を壊し、大きな石の刃を作り出した。
木を切り倒したことに多くのゴブリンは歓喜したが、ガゴンの目的はその先だ。
木を細かな石の刃で削り、木材を作り、木の皮で壁を補強する。
そうして保温性のある家が完成したとき、初めてガゴンは喜んだ。
その異様な姿にゴブリン達は目を白黒させたが、彼の作ったものはゴブリン達を真似するように、ガゴンから受けた指導の下で集落を完成させる。
そこまで行くと発展は早く、適当に拾ってきた木の棒ではなく、切り倒した木から棍棒を削りだしたり、石の刃を細長い木の棒に蔓で括り付けて槍を作るものが現れた。
それにガゴンは高揚し、ゴブリンの発展にさらに勤しんだ。
そうしていれば、いつの間にか一帯のゴブリン達の長となっていて、人間の村から夜な夜な作物を盗み農作業を真似た。未だに成果を出せていないが、ガゴンは人間の模倣をし、文明的な生活をする仲間達を見て喜ばずにはいられない。
しかし、彼にとっての楽園は、突如として現れた強大な力、それに怯えた異形種によって村を捨てることになる。
ガゴンは仲間達の目の前で涙を溢した。
必死に作り上げた文明を一夜にして崩壊させられたことに対する怒りと悲しみ。
リーダーとして失格だと自身を罰して、何ども頭を殴りつける彼の姿を見たゴブリン達は散り散りにどこかへと消えていった。
襲ってきた者達によって仲間の大半が死んでしまった。
人間達は墓を作る習慣があることを知っていたゴブリンは、そこで初めて弔いというものを理解した。
死した者を尊い命というものを、生きている者達が前に進み、思い出して再び帰ってくる場所として墓を作るのだ。
ガゴンはゴブリンの中でも非常に優れた知能を持つ個体である。
その彼は部下達によりわかりやすく目的を伝える手段が、彼には思いつかなかった。
というのも、ゴブリンとは本当に簡単なことしかしっかりと理解できないからだ。
試しに「村人を傷つけず女神を奪還するぞ」と言ったとして、傷をつけないということを理解できないのがゴブリン達だ。
ガゴンは、傷をつけずに女神を奪還するための手段を幾つか思いついている。
しかし、それは仲間のゴブリン達に暴れてもらい、密かに一人で村の中にある大きな家に侵入するという陽動作戦だ。
仲間のゴブリンは知能もさることながら、『傷つけない』というのがどういったことなのか理解できるものは少ないのだ。
もちろん『同族に攻撃するな』であれば理解できるかもしれないが、『人を攻撃するな』では言葉の意味を理解したとしても、『何故攻撃しないのか』というのに混乱し、思考を捨てて暴力に及んでしまう。
ガゴンは、結局のところ自分達はそういう血を持つ異形種なのだと納得せざるを得なかった。
しかしながら、それを受け入れたくないガゴンはゴブリンに教育を施し、人間と対話できる程度には教養を与えている。
これが、村に行った際に、どうなるのかは予想もできないが、天運に任せるしかないというのがガゴンの判断だった。
なんとしても、村を捨てることになったゴブリン達に新しい地を授けてくれた女神を助ける為に。
だが、村の見張り台が見えていた位置まで訪れたガゴンは驚愕に声を漏らした。
日が沈み始めた辺りには、無数の大きな足跡がある。そして、見張り台があったはずの場所から僅かに煙が昇っていた。
「走れ!人間よりも恐ろしいヤツがいるはずだ!人間は無視してヤツを殺せ!!!」
足跡から想像できる存在はたったの一つだ。
普段はゴブリン達に対して友好的であったオークの足跡。同族を踏み潰し、村を破壊して回ったオークの群れだ。
そこでふと、自分達が襲われた村とこの村の位置が『王国』と呼ばれる地にあり、オークの動きが王国へ向けての歩みではないかと思い至る。
――もしも、ゴブリンと共存しているようにも人間達の目から見える、オークが王国で暴れまわろうとしていたら。俺達はどうなる?
嫌な想像が脳裏を過ぎり、腰に下げた曲剣を抜いた。
「これより、オーク狩りを始める!仲間を踏み潰したクソヤロウ共を肉の塊に変えてやれ!」
ガゴンの目が血走り、言葉の意味を正確に理解できていなかったゴブリン達に、それが戦であることを十分に理解できた。ガゴンがそれほどまでに猛る様を見れば、普段温厚で冷静に見える彼が獰猛さを顕にしたとなれば、それは奴等オークを相手にする時だろうと教養のある一部のゴブリンには思えたからだ。
ゴブリンにだって感情はあるのだ。
「アイツ、ムスメ、ツブシタ!コロス!」
「オレ、オッカァ、ヤラレタ!」
「シャシャウンガォア!」
猛り狂うゴブリン達の先頭に立った、他のゴブリン達よりも大きな者が、ガゴンに話しかける。
「ガゴン、大丈夫カ?」
「あぁ。お前も気をつけろよ」
「大丈夫ダ。イザトナッタラ隠シ玉ガアル」
棍棒、石槍、石斧、そして、ある村人から譲り受けた曲剣を片手にガゴンはリザードの横腹を蹴る。
痛みに反応してリザードはゴブリン群の先頭を駆け、それに続くように緑の波が村へと近づいていった。