鐘の鳴る方へ3
マリアは村の外にいた。
生い茂った木々に囲まれた村の裏手で村人達を観察している。
なぜマリアが大きな家の地下室から出られたのかといえば、マリアの持つアイテムの能力によるものだ。
巻物というアイテムは、Oratorioに於いても他のゲーム同様に『魔法』を記憶するアイテムだ。
巻物を広げれば、記憶されていた魔法が発動し、その能力を一時的に使用できるというもの。
マリアは手持ちの巻物の透明化を使用した。
時折やってくる村長に対して、高圧的な態度をとってしまったマリアは、食事を運んでもらえなかった。
それに苛立ちを覚えたマリアは、村長が寝ている間に家から抜け出したのだ。
地下室は牢屋となっていたため、まずは牢屋の鍵を開ける必要があったのだが、それはアイテムにあったピッキングツールを利用した。
本来であれば、ピッキングツールを鍵穴に当てるだけで開錠されるはずなのだが、このバージョンではできない仕様に変わっていた。そのため、彼女は手探りで開錠した。
マリア自身も非常に驚いたことだが、とても簡単に鍵を開けられたことから、鍵開けが簡単にされてしまうのは鍵として機能しているのかと疑問を抱いた。
そこで、マリアは村の人々の生活を観察し、どのような世界設定なのか調べてみることにした。
マリアは三日ほど観察を続けて驚いたことがいくつもあった。
まずは一番重要な発見である時間の経過だ。
アップデート以降ではあまり長い間外に出ていたわけではないため、日が昇り、沈むまでの時間間隔はおおよそ予想していたものの、今までのゲームとは全く違っていたことだ。
オラトリオでの一日は、現実世界に於いての四時間ほどだ。
二時間が経たないうちに日は沈み、それから二時間ほど経過すると日が昇る。
だが、この世界では現実世界の時間経過と感覚がとても似ていた。
マリアは自身の腹時計を頼りに時間を認識している。
日が昇って、林の中で眠っていたマリアはまず腹の虫がなったのを確認し、朝を確認した。
手持ちのアイテムにある果物などを食べれば、それはしっかりと空腹を満たしてくれる。
残念なことに、あまり味はしないが、ゲームの世界であることを考えれば仕方が無いことだと納得する。
ゲームの世界に於いて、味覚はあまり作りこまれていない。
というのも、果物などの素材アイテムに限定された話であるが、見た目は桃のようでいて、柑橘類の酸味を仄かに感じさせる果物はお世辞にも美味しいとはいえない代物だった。
マリアは見た目からどうしても桃の味を意識してしまうため、何回か租借をして喉を通す。
しかし、自宅にいた時には感じていなかった空腹に違和感を覚えてもいた。
「家の外に出てからお腹が空くっていうことは、家には空腹を抑える効果があるのだろうか。そもそも、オラトリオには空腹ゲージとかそういったシステムは無かったはずなんだよな。新しいシステムはちょっと厄介だな」
半分ほど齧った『モレン』という果実を指で弄びながら巻物を発動させる。
どうせなら村長を怒らせず、この世界の食べ物を食べてみたかったものだと自身の行いを恨んだ。
残った果実を一気に口へ放り込み、焦げ茶色のローブを着て変装を試みた。
マリアは牢屋から逃げ出しているため、さすがに前と同じ格好では問題が於きかねないのを理解している。だが、貴重なアイテムのほとんどが倉庫に入っているため、なんとか誤魔化せる程度の物でしかないだろう。
身支度を終えたマリアは、周辺の探索を行った。
この村の周辺を囲む林の中には湧き水が川を生成していた。
マリアが知る限りでは、川とは山から流れ出るものだったからだ。しかし、それだけを理由に驚いたわけではない。
湧き出る水には微量ながら回復の魔法に似た力を持っていた。
マリアが水に手を漬けると、疲労が抜けるていく感覚があった。それだけであれば思い込みと判断できただろう。しかし、マリアには常時発動型のスキルでアイテムや魔法による治癒力を強化する治癒の波動が存在する。これは自身に掛かる回復効果や、自身によって発生する回復効果を強化するスキルだ。修道女や神官などといった信仰魔法――回復魔法を専門とした魔法適性――を選択したプレイヤーの基本的なスキルだ。
これは、効果が強化されたことがわかるようになっており、強化が行われなかった場合はスキルが無効化されていたり、回復魔法の効果を打ち消されるような場となっていることに気がつけるのだ。
オラトリオというゲームではフィールドやモンスターに特殊な効果が存在する為、一人称で戦闘をする際に、画面上部に小さく表示されるステータスアイコンに意識が届きづらくなる可能性を考慮されたスキルが多く存在していた。
修道女の鐘もその一つである。
これにより、湧き水には回復効果があることを知ることができ、今後利用する機会が増えるかもしれない。とマリアは考える。
さらに、不思議な事に、この世界には水の神という存在がいるらしい。それを知ったのは、川でよく見かけている少女達の会話を盗み聞きして得た情報だった。
姉と妹、と思われる二人の少女はここ三日は毎日昼の時間に手を洗いに訪れている。
夜な夜な、寝静まっていた村を歩いたマリアは、村の中央に滑車のついた井戸があるのを見かけている。
何故彼女等が、わざわざ林の水場にまで来て手を洗っているのかとマリアは疑問を抱いた。
ふと、マリアは姉妹の服が、他の村人に比べて汚れていることに気がついた。
村の畑で仕事をする男達を見ているマリアは、初めは彼女等が他の子供達と遊んで汚してしまっているものだと思っていた。しかし、他の畑より少し離れた場所に、姉妹とその母と思しき痩せこけた女性の三人で畑仕事をしている姿を眼にしたとき、彼女の一家は子共が働かなくてはならない状況なのだと悟った。
マリアもとい田中賢治はフリーターである。
飲食店でのアルバイト、時間帯リーダーを任されるくらいに働いている彼は、色々な客と顔を合わせ、彼等の態度などを見るのが楽しみの一つであった。
大抵の子共連れの家族は、健康的な見た目である。一方で、両親共に痩せ細った家族が偶に訪れる。
子共が目を輝かせてメニューを選ぶその姿は、店員として微笑ましく思えたが、両親の疲れた表情から零れる笑顔は、心が痛むのを覚えたことがあった。
彼女等の母も、それに似た笑みを浮かべていた。
手持ちの透明化が少なくなってきたマリアは、彼女等の会話を聞こうと近づいたところ、「水の神様は体だけじゃなくて、心も癒してくれるんだよ」と姉が妹に優しく語り掛けていた。
おそらく、悲しい出来事があったのだろう。とマリアは目を瞑り、姉妹が去るのを待った。
そして、四日目の晩に、村の探索も飽き、そろそろ村長を脅かしてみようかと企んでいたマリアは失態を犯した。
失態というのは、透明化の効果時間を忘れてうろついていた事だ。しかし、村の人間が寝静まるのは日が落ちてすぐであるため、気にする必要は無いと思われるかもしれない。
マリアはサリナ・イレーネという人物が、毎晩林で巻き割りをしていることを知らなかった。
「誰?」
マリアは驚きのあまり足下の枝を踏んでしまった。
それにより、目の前の少女に気がつかれてしまう。
欠け月の光は弱く、互いの顔を確認できるほど明るくはない。林の中であるということもあり、見えるのは人の形をした影のみだ。
暗闇の中で小ぶりの斧を持つ少女の影は、一見すると悪霊のようにも見えてしまったマリアは驚きに声を漏らしてしまう。
「あなた、誰?」
再度の呼びかけに、マリアは返事をするか迷った。
言葉を発すれば、魂を盗まれるのではないか。
「村の人・・・・・・ではないですよね?」
暗闇の中でも、彼女がどのような表情をしているのか、彼女が友好的かそうでないか。マリアは彼女が水場にいた少女であると、声音と現状から推測し、懐からランタンを取り出して辺りを照らした。
一瞬にして銀の容器の中に火がともされ、ガラス越しにその光が辺りを照らしてくれる。
茶髪で幼くも、どこか凛々しさを持った少女の顔がはっきりと確認でき、マリアは安堵の息を漏らした。
「えっと。お姉さんはどなたでしょうか」
「怖がらないで。旅人なんだけど、この辺りについたのが夜になっちゃったから村の人たちの邪魔をしないようにこれから村の外で野宿をする予定だったんだ」
マリアは髪を後ろに結び、焦げ茶色のローブに身を包み、腰の剣帯に直剣を挿した冒険者風の姿をしていた。口調も中身である本来の自分に近づけていて、とてもフランクであると言えよう。
万が一誰かに目撃された際に、村に訪れたゴブリンを連れた人間とは別人だとアピールするために服装を変えていた。
「大きな街などにいるという冒険者の方でしょうか」
「まぁ、そんなところ。この村は眠るのが早いみたいだけど、君はどうして巻き割りなんてしているんだ?」
そもそも、何故夏のような暑い季節に薪を割っているのだろうかという疑問をマリアは抱いていた。
「他の村では日が落ちても仕事をしているんですか?!とても裕福な村の出なんですね!私の家は・・・・・・とても貧しいんです。お父さんもこの間死んじゃいました」
好奇心に目を輝かせたかと思えば、一瞬にして目から光を失う少女。
――あぁ。もしかしたらあの鐘は彼女の父親が亡くなるのを伝えていたのか。
「悲しい思いをしたんだね。良かったら代わりにやってあげようか?久々だから上手くできるかわからないけど」
「だ、大丈夫ですよ!そんなこと」
「いいからいいから」
もちろん飲食店でバイトをしていただけのマリアは、薪割りなどしたことはない。北国のような極寒の地で古き良き薪ストーブを使うような環境で生活をしていたわけでもない。むしろ、薪ストーブは現代に於いてお金の掛かる品であるうえに、薪は買ったほうが早いだろう。
半ば強引に、少女の手から斧を受け取ると、ランタンを地面に於いて、切り株のような台座に置かれた小さな木材に向けて一太刀入れた。
見事一撃で割れた薪を見たマリアは、幸運だと安堵する。
「すごい!どうやったんですか?!お姉さんって見た目よりも強いんですね!」
「これでも剣を扱えるんだ。そりゃ薪の一つも割れなかったら旅なんてしてないさ」
どこから出た嘘だよ。と、軽口を叩いた数秒前の自分に思わず突っ込みを入れたくなったマリアは、乾いた笑い声を出した。
それを少女は謙遜と捉えたようで、目を輝かせてマリアのことをじっくりと観察している。
「私もお姉さんみたいになれますか?」
少女は両手を広げてマリアに見せてきた。潰れた血豆が乾いて、少女の手とは思えない酷い有様だとマリアは顔を顰めた。
その手にマリアは手を重ねると、心の中でスキルの一つを起動する。
――癒しの波動
高レベルになった修道女の上位スキルだ。使用者の傍にいる者の傷を癒すそれは、少女の硬くなった手を、歳相応の柔らかくみずみずしい綺麗な手に変えた。
「これって、魔法ですか?!」
「うーん。正確には違うけど、そんなところかな」
頬を紅潮させ、笑窪を浮かべた少女を見て、マリアも釣られて微笑む。しかし、徐々に笑顔が消えていく少女の顔を見たマリアは不思議そうに彼女の顔をのぞいた。
「どうしたの?」
「えっと。癒しをされたってことは、お金を取るんですか?」
この世界では度々驚かされていたマリアはさも知っていたかのように、一切動じず、少女の目を真っ直ぐに見て言葉を返す。
「お金なんて取らないよ。慈善ってわかるかな。これは私のきまぐれ。だから何も怖がる必要は無いよ」
「で、でも」
「じゃあ、今の村について教えてもらうってことで。私は夜遅くに眠るから、まだまだ寝るには時間が掛かるんだ。それまで付き合ってもらってもいいかい」
「はい!」
大声を上げて喜んだ彼女は慌てて口を両手で塞ぎ、目で喜びを表現していた。
隠し切れないその喜びの表情に、マリアもついうっとりしてしまう。
少女、サリナ・イレーナは、人生で初めて『夜更かし』を覚えた。