鐘の鳴る方へ2
村に到着したマリアは訝しげに見張り台を見つめていた。
それは、農具を武器のように構える村人達に囲まれた状況への怒りからきている。
見張り台は大きいとは言えないが、それでも危険を感知するには十分な役割をするだろう。しかし、現在「ゴブリンが着やがった」と声を震わせながらガゴンとマリアを睨みつける村人を見て、危機管理能力の低さに苛立ちを覚えていた。防衛能力と言っても良いだろう。
見張り台とはギルド戦争の防衛戦に於いて重要な役割を担っている。
それは、相手の動向を警戒、観察するための建物だ。敵の情報把握さえ出来ていれば対処も速やかに行えるだろう。しかし、農具を武器に身構える村人達を見るからに、見張り台はハリボテだとマリアは思った。
――期待した俺がバカだったのか。いやロールしなくては、私がバカだった。
村の見張り台が見えたことで、自分達はすぐに気付かれたと思っていた。しかし、近づいても警戒しているような素振りは遠目から判断できなかったからだ。もしも警戒をしていたならば、彼女がここに来るまでになんらかの手を打つことが出来ただろう。もしくは村の門――のように見える木で作られたアーチ――の前で武器を持って待ち構えたはずだ。
彼女等が門から見える位置にたどり着いた時、そこには誰もいなかった。
マリアは誰か来ないかと辺りを窺っていたとき、偶々通りかかった村の青年に声をかけたのだが、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、村の奥へと走りさってしまったのだ。
何事かと、青年の姿を見たであろう村の男達が現れたため「あのー、村の偉い方とお話がしたいのですが」と言ったところで、また奥へと行ってしまった。
二、三分ほど待っていると、農具を持った男達が現れ、現状の出来上がり。といった具合だ。
仮にも異形種が跋扈するゲーム世界だろうと苛立ちを覚えずにはいられなかったマリアは、隣でガチガチと震えるガゴンに目を向けた。
「どうして震えてるの?」
「い、いやー女神様がお怒りだなぁと思いまして」
言葉からして、マリアへの恐れかと彼女は肩を下ろした。
そして、アップデート前の世界を思い出す。
Oratorioでは、一定期間毎に村がモンスターに襲われるというイベントがあった。それは三日に一度のペースで行われ、村を救うことで魔法の効果を持つアイテムが手に入れられる初心者用のイベントである。
村は通常木の塀に囲まれていて、独自の防衛方法を持つ。それを上手く利用して、無数のモンスターに囲まれた村の防衛をすることはこのゲームを始めて、初めて味わう達成感なのではないかとマリアは考える。
それがどうだろうか。アップデート後の世界では村には塀は無く、あまりにも無防備である。
武器は農具。それでは農作業に支障が出るではないか。
畜産・農業の行えるオラトリオで、その専門技能の熟練度を上限に達したプレイヤーであるマリアは、農具をそのように扱う村人に対して怒りを抱かずにはいられなかった。
しかし『農具以外に武器になるものが無い可能性』に至った彼女は、沸騰した心を徐々に冷ましていった。
不意に、彼女の耳に鐘の音が届く。
ゴブリンに鐘の音が聞こえるか確認をしてみても聞こえていない様子だ。
そこでマリアは修道女という前職のスキルを思い出す。
修道女の鐘
かつて、同職のプレイヤーに煩いだけのクソスキルと称されたそれは、彼女の修道女ロールプレイに於いては頼もしい友であった。また、実際にはHPが危険域に達するプレイヤーを確認できるということで、回復タイミングの調整にも役立っていた為、このスキルは知る日とぞ知る至高のスキルだと言えよう。
それが何故、今発動したのか。
――たしか、同種族もしくはパーティメンバーのHPが危険域に入るか、死亡した場合に鳴るんだったか。
「この村で今、死者か危篤の者はいませんか?」
マリアは警戒を解くのにもっとも効果的と思える手段を行おうと、村人に一歩歩み寄った。
その言葉に一部の村人が動揺を見せ、ここだとマリアの直感が信号を送る。
「私が助けましょう」
――神威Ⅰ発動。
マリアの背後から光が生まれる。
周囲に広がる白い波動が村人達の視線を釘付けにする。
「私が着たからにはもう大丈夫です。私は癒しを齎す者です」
この世の者とは思えないものを目の当たりにしたかのような、愕然とした村人の表情を目にしたマリアはもう一歩踏み込む。
「さぁ、つれてきなさい。神の名のもとに――」
自信満々に、空を仰ぎながら告げたマリアに村人の一人が言った。
「女神だ」
その声に醜悪な異形の者が言葉を返す。
「そうだとも。だから俺も従っている」
ガゴンというゴブリンの言葉に村人達はざわめいた。
「ゴブリンが喋ったぞ!」
「嘘だろおい」
「あの人、あのお方はただの神官じゃないぞ!あの神々しい光を見ろよ」
マリアは白を貴重とした金の装飾が施された修道服を着ていた。
神威によって齎された光が、その服をより白く輝かせ、見る者を魅了する。
「あれは高貴なお方に違いない。もしかしたら奇跡が使えるんじゃないか」
――あぁ、気持ちいい。
マリアは嘗て無いほどの高揚感に満たされていた。
ゲーム内では笑うものが多かったロールプレイが見事にNPCに受け入れられ、崇められているかのように感じられていた。
――アップデートに感謝。
本来のゲームではNPCの感情まではあまり作りこまれていなかった。というのも基本的なAIを主軸におおまかな設定しかされていなかったからだ。
表情に多少の変化はあったものの、プレイヤーの行動に対するリアクションは従来からかけ離れた人間にそっくりというものではなかった。
オラトリアのデータ量の大半はワールドの描写、多岐に亘るクエスト自動生成システム、容姿、職業、スキル、魔法等といった部分に重点が置かれ、AIにはあまり容量が割かれなかったのだ。
超大型アップデートというのは失敗ではなかったとマリアは熱弁できるだろう。それは他のロールプレイが好きなプレイヤーであれば同じはずだ。
悦に浸っているマリアに、しゃがれた男の声が届いた。
「お話とはなんでしょうか」
スキルを解除して、マリアは咳払いを一つ。
「まずはこの村で亡くなった方、もしくは危篤の者を診させてください」
「なんと・・・・・・残念ながらあの者の家には対価を支払うだけの余裕はありません」
「え?お金を取ると思っているんですか?」
「では逆に、何故神官であるお方が治療に対価を欲しないのでしょうか」
質問に質問で返されたことにマリアは怪訝な表情を浮かべる。
――たしかにゲームで重傷を負った時は、大きな街で神官にお金を払って回復魔法をかける必要があるけど、村にも配置されていたはずだけど。
「私はお金を必要としていません。神の名のもとに無償で行っております」
「それはそれは志の高い信仰者でいらっしゃいますな。しかし、些か疑問が残ります。失礼ながら、信用できぬものを、ましてやゴブリンを連れた者を村に通すわけにはいきません」
そういうことか。とマリアは納得する。
流暢に人語を解する、ゴブリンの中でも特に醜悪な見た目のガゴンを連れた「蘇生させて上げますよ」と何の対価を求めない人物が怪しまれるのはアップデートされたAIであれば、人間のような彼等にしてみれば当然と言えば当然だろう。
「ガゴン」
「はい」
「帰りなさい」
「・・・・・・はい」
――そんな悲しそうな顔をするなよ。案内してくれたことは感謝してるんだからさ。
目で意志を伝えようとガゴンに視線を送るも、ガゴンはふらふらと力の抜けた様子で来た道を帰っていった。
時折振り向いてマリアを見つめるその目は今にも泣きそうだ。
そんな目を見てはいくらAIとはいえ、良心が痛むというものだろう。
マリアは気がつくと胸元を右手でギュッと握っていた。
「彼は私の従者だったのですが、信用していただけないのでしたら仕方がありませんね」
「はい。いや、しかし他にもゴブリンが潜んでいる可能性があります。貴方を拘束させていただきます」
「は?!」
「貴方が彼の者の主人であるというのであれば、貴方を拘束すれば襲ってくるという愚かなことはしないでしょう。あの者はゴブリンにしては高い知性があると見受けられました」
「いやいや、普通に考えて逆効果でしょう!!」
「何を取り乱しておられるのでしょうか。そうですね。三日ほど私の家で軟禁させていただこうかと思います。それまでどうか辛抱してください」
老人が手を挙げると、4人の男がマリアの体を掴みに掛かった。
「いや、ちょっと待って!おかしいでしょ絶対!離せ!」
振り切ろうと必死の抵抗を見せる彼女は、村の中でも大きな家に連れて行かれた。
イレーネ家の朝は、この村の誰よりも早くなっていた。
それは、父が亡くなったことで母、長女、次女の一人当たりの労働量が増えたからだ。
日が昇り始めた瑠璃色の空を背に、サリナは洗濯を済ませる。
本来であれば、汚れた服は日が高くなってから行っていたのだが、そんなことをしている暇は無い。
三日前から母と役割分担をし、未明から洗濯を始め、水を運ぶ。
母は昼からの父の仕事である薪割りを始めていた。
少しでも稼ぎを減らさない為に、畑を縮小させずに父が生きていた時と変わらず畑仕事をすると決めたのだ。
サリナは兄からの仕送りを使わないのかと母に聞いたが、母から聞いた一言がまだ頭に残っている。
『兄さんは、三年前から何も送ってくれてないの』
父は『兄さんの稼いだお金は、兄さんが帰ってきた時に使うんだ』と言っていた。それは嘘だったのか。このまま家族は最悪の未来を迎えてしまうのだろうか。
様々な不安がサリナの脳裏で蠢き、希望を食いつぶし、彼女の心に暗雲を生む。
前日の母との会話を思い出していたサリナは、村から抜け出し、終わらなかった仕事を片付けていた。
日は落ち、皆が寝静まる時間だ。
彼女は母の負担を減らそうと、巻き割りを林の中で行っている。暗い林の中、星の明りを頼りに何ども何ども斧を振り下ろした。
しかし、まだ成人もしていない少女に、父の代わりが務まらないのは、彼女自身にもわかっていたことだった。未だに一本だって満足に割れていないんだ。
サリナは血豆が破けた手の平を見て、奥歯を噛み鳴らしていた。
たったの三日で手は血豆だらけ。冷たい小川の水が潰れたそれに沁みる。
イオナの前では決して音を上げないと再度誓ったサリナは、朝の小川の音にかき消されることを祈ってしくしくと泣いた。
「兄さんに会えば、もしかしたら――」
例年よりも激しい暑さだと村の人たちは言っていた。
広場には村の人間が集まっており、農作業をしている場合ではないと空気が語っている。
燦々とした陽光に汗を浮かべた面々は、ただ暑いから汗を浮かべているわけではない。
それは不安からだ。
悲しむべき知らせが村中で上がっていることに、サリナは胸がすっとしていた。
同じ気持ちを抱く者が現れたからだろうかはわからない。しかし、サリナは彼等の悲しむ姿に同情する心は生まれなかった。
「今年はこれで七人目だぞ」
「範囲を狭めて病人が出ないようにするしかないんじゃないのか」
「にしても誰がやったんだ。暑さが原因じゃないだろう」
村には色々な憶測が飛び交っていた。
まず、ゴブリンを連れたという女性の来訪。
名乗らなかったその人物は、ゴブリンに何かを指示するかのようにその場から逃がしたことから、村人達は恐怖で足が竦んで動くことができなかったらしい。女性を捕らえた後に、周囲を村の男達で警戒したが、それらしいモンスターの姿は見受けられなかった。
捕まえたその女性は、村長の家にある地下室で監禁しているとのことだが、ゴブリンを使役しているような存在が黙って捕らえられているはずがない。というのが村人達の見解だ。
サリナはその女性がどこから来たのだろうか。と、ふと思う。
ゴブリンという怪物は、両親から聞いたことはあったものの、その存在を目にしたことの無い彼女には、モンスターを連れているというのは、猟犬を連れている隣家の狩人くらいの感覚だ。
他に、堀の建設に勤しんでいた女性達は、林がやけに静かであるという話だ。
林に何人かで確認に向かったが、動物達がいなくなっているという異常な事態に気がつくこととなる。
村の近くにある林は、小さな丘となっていて、そこから湧き出る地下水が小川を作り、生活の基盤となっている。それは村の人間達だけでなく林の住人にとっても同じだ。
鳥や兎、カエル、それらを食べるヘビ等の多くの獣達。小川にはどこから来たのか小魚もいる。
それらの姿が無いとはどういうことなのか。村の中にそれが何を意味しているのか理解できる者は一人もいない。しかし、誰もが異常であることだけは理解できている。
現状に、村長は頭を抱えていた。
朝から晩まで村人が次々に不満や異常を訴え、対策を講じようにも何をすべきかわからない彼は、地下牢に幽閉した魔女を恨んでいた。
「ゴブリンを使役した悪しき魔女め。名を語らなかったのが良い証拠じゃないか。なんて愚かな行為をしてしまったのか」
異形を従えられるのは魔女に違いない。じゃなければ獰猛で醜悪なゴブリンが人間のいうことを聞くはずが無い。
ゴブリンの中でもより醜悪な外見をしたバケモノを連れたあの魔女を警戒しきれなかったのはなぜだろうか。それは、彼女の放った光に理由があるのではないかと男は考えた。
光に当てられた時、心が緩むのを感じたのだ。
「王都の助けを待つべきか・・・・・・しかし、こうしている間にも謎の病で村人たちが苦しめられているというのに」
さらに困ったことに、先日亡くなった男の娘が「王都に行きたい」と言い出した。
主人を亡くして、女手一つで二人の娘を育てようとする彼女の母には尊敬の念すら抱くが、その娘が家族を連れてではなく、ただ「王都に行きたい」と言ったのだ。
家族を含んでいたのかもしれない。しかし、十四ほどの娘の目には陰りがあった。
おそらく、彼女は母から何かを聞いたのだろう。と村長は顔を青ざめさせる。
イレーネ家の者には伝えていないことがあった。それは村長が彼等の家族の者に対して秘匿するように言われているからだ。
老人は室内を見渡した。
窓から差し込む日の光が室内を照らしている。
薄汚れたテーブルに腰を掛ける老人は、部屋の奥の鍵が掛かった戸を開けた。
そこには漆塗りの金の装飾が施された大きな箱があり、老人はそれを手にとって左右に揺らす。金属と金属のぶつかる音が箱の中から微かに漏れた。
固唾を呑んだ老人は、何かを決心した様子で忙しなく物をテーブルの上に集め始めた。
村人がそれを見れば、この村を捨てようとしている姿に見えたことだろう。実際に、彼がしていることは夜逃げの準備だった。
彼は自身の秘密が暴かれることを恐れていたのだ。
だが、そこで彼は動きを止めた。
――村長である私が逃げたら誰がこの村を救うのだ。
自身の罪との葛藤。出来心で行った悪行が暴かれるのは恐ろしい。しかし、村を治める者としての感情が個の感情を制した。
罰せられるべき行いをした。しかし、それはある男の願いを聞き、来るべき時の為の備えとして受け取ったのだ。そう、始まりはそうだった。それが気がつけば大金となり、使い道をどうしようかと考えている内に、男からの仕送りの額が跳ね上がっていった。
それは恐らく人づてで聞いたのであろう――村の状況を。
彼から叱責されたのであればすぐにでもその金を返すことはできる。こうして一度も手につけずに補完しているのだから。
村の三年分の金を月の替わり目に送ってくる男には感謝ではなく尊敬している。
この歳にもなっていまだ幼い我が心を憂い、男は村の中央にある広場へ向かった。
一人で考えるのではなく、皆で考えようと。
自分ひとりは小さな存在に過ぎないのだから。
村長はゆっくりと立ち上がり、玄関口を開けた。
広場のすぐ近くに建てられた家であったため、彼が扉を開けると村人達の視線が彼を射抜く。
先ほどまでの行いを恥じ、家を見られても取り繕う気は無い。覚悟を決めた老人は頭を下げて声を上げた。
「皆よすまない。私が魔女を引き入れてしまったからこんな事態に陥ってしまったのかもしれん。皆であの魔女を処刑しよう。この不幸が続かぬように」