星幽界との邂逅3
目が覚めたマリアは、流暢に人語を話すゴブリンと共に、敷地内にテーブルを広げて茶会をしていた。
なぜこうなったかと聞かれれば、それは醜悪な外見のゴブリンがとても紳士的であったからに他ならない。
ある種のトラウマを持ったマリアはゴブリンに近づかれただけで意識を失ってしまったが、彼のゴブリンはそんな彼女を手厚く介抱してくれていたのだ。
マリアはそれこそ恐怖したが、落ち着くまで遠くで背を向けて待つゴブリンの姿に心を揺らし、こうしてテーブルを囲んでいるのだ。
アイテムボックスにあった、簡易テーブルセットと呼ばれる野営時の食事にボーナスを付与するアイテムで、木のイス付きだ。さらに、ポットに温かい紅茶が入って出てくる。
あまりおいしいとは言えない紅茶だが、もてなされたゴブリンは醜悪な顔に笑みを浮かべている。
おぞましいと思ったマリアだが、徐々に愛嬌を感じられることに気がつき、アップデートによるより完成された異世界に関心していた。
しかしながら、もてなしているとは言っても、マリア自身は何を話せばいいかと話が浮かばず黙っている。ゴブリンはマリアが口を開くのを待っている様子で、紅茶に舌鼓しつつ時折マリアに視線を送っている。
石壁の向こうから中の様子を窺うゴブリン達は、二人が紅茶を飲みながら視線を交わしている姿を見て感心していた。
「ヤッパリリーダーハスゴイナ」
「アア。アノ弱ッチイ人間アイテニヨク我慢シテル。オレニャデキネェ」
「ソロソロココヲヨコセッテ言ッテクレナイカナ・・・・・」
「リーダーハツヨイ、ケド闘イソンナニ好キジャナイ」
「ダケドヨォ、俺達モ行ク場所ナインダゼ」
ゴブリン達は腕を組み長考する。
じっとしていられなかったゴブリンの中でも若い者が、石壁を越えてマリアの下へ走っていった。
「オイ人間!ココヨコセ!」
不意に声をかけられたことに驚いたマリアは手に持っていたカップを滑らせ、走り寄ってきたゴブリンに向かって温かな液体が降り注ぐ。
それは若いゴブリンの頭部にかかり、若いゴブリンの心に火が点いた。
怒り。
若いゴブリンは恥部隠し以外に身に付けたものは無い。しかし、彼等には生まれ持った筋力がある。例え無手のゴブリンだからといって侮ると、レベル1のプレイヤー一人では返り討ちに合うことだってある。
多くのプレイヤーを見てきた、ソロでプレイしていた時間の長いマリアはそれを知っている。
襲い掛かるゴブリン。それを止めようと口を開ける犬歯の伸びた醜悪なゴブリン。全てが視界に捉えられたマリアは咄嗟にスキルを発動した。
「し――神威Ⅰ!」
顔を両手で庇うようにしての神威開放は、マリア自身とても間抜けなポーズだと発動してから思った。
後光が差すマリアの姿は、ゴブリン・リーダーには美しい女神のように映る。一枚絵のように。
「め、女神だ」
光に悲鳴を上げる若いゴブリンを微塵も気に掛けず、目の前に座る黄金の女性にゴブリン・リーダーは平伏した。
自分の目は間違っていなかった。こんな美しい方が神でないはずがないと、ゴブリン・リーダーは満足気な表情を浮かべて平伏している。
彼の表情は見えないが、平伏する長の姿を見たゴブリン達は驚きに声を上げる。それは現状を理解し難いという言葉や、とてつもない存在との邂逅に怯える声。
誰が状況を理解できているのだろうか。
理解できている者は誰一人としていない。しかし、現状に幸福感を抱く者が一人だけいた。
「何なりとお申し付けください。俺の名はガゴンと申します」
ゴブリンとは本来、知能が低い異形種である。
それは従来のMMOでは同様であり、人語を話す者はいたとしても少なかったはずだ。
しかし、マリアの前に平伏するゴブリンは違う。ゴブリンとは思えない知性を感じさせる、流暢に人語を話す存在だ。
これは間違いなくMMO史に名を残すNPCに違いないと判断したマリアは、自らを神と崇める存在に相応の態度を持って接すると誓った。というのも、彼女自身、初めてアップデート後に出会った始めてまともに話せそうな存在だからである。
先ほどまでは、自分にトラウマを受け付けた異形種の各上の存在だからと恐怖を抱いていたが、彼の口調、態度から認識が変わったからだ。
そもそもが、やたらと紳士的な態度をとる事自体にもっと関心を持つべきだったのかもしれない。愛嬌があるなぁと関心していたマリアは認識を改めて口火を切る。
「ではガゴン。貴方達はどうしてここへ訪れたのですか」
「はい。俺達ゴブリンはここより北に集落を築いていたのですが、六度の日を前から周辺で他の異形種が暴れ始めたからでございます」
「六日前ですか。それはどういった変化だったのでしょうか。何か前兆があったのではありませんか?」
「はい。むいかまえ?に、突如として強大な魔力を感知したからでございましょう。この辺りを中心に恐ろしいほどの力が周囲に溢れているからでございます」
マリアはゴブリンの話に眉を顰めた。六日前という日数は、屋敷に引きこもっていたマリアには日数感覚が薄れていたのでわからなかったが、もしかしたら自分がその原因なのではないかと直感的に悟った。というのも、マリアはOratorioRPGでは異常とも呼ばれるステータスの振り方をしていたからである。
それは精神ガン振りのMPと魔法防御を上げるステータスにのみレベルアップで得られるステータスポイントを振っていたからである。
今でこそ精神へのポイント振り分けに重点を置いた育成はある意味当然となっていたヒーラー職であったが、元々このゲームではあまりヒーラー職が重視されていなかったため、マリアの育成は異端とされていた。
匿名掲示板では『マリアとかいうプレイヤーが、意志と鉄壁とポーションだけで賄えるのに精神特化の信仰魔法主体のガチサポ組んでやがるぞwwwww』や『そもそもヒーラーの恩恵って回復のみであって現状精神が影響するスキルも魔法も強力なの無いからな。魔力特化の方がヒーラーつええし』等の書き込みがあったほどだ。
ほぼすべての職業が火力を出せるという点において、火力を伸ばさない、精神は装備などである程度補えるという点から奇異の眼差しを向けられていた。しかし、精神にレベル1ごとに3ポイント貰えるステータスポイント全てを使用したマリアのMP量は他プレイヤーの十倍以上。過去のアップデートで、精神特化で補正の入るように信仰魔法が変更されたことから、すべてのステータスが特化にしても問題が無くなったため、精神特化キャラクターの先駆者としてマリアは知られている。
もちろん他にも精神に振るプレイヤーもいたが、マリアの持つ魔法の半分以上が精神による効果上昇などをたまたま修正によって手に入れたため、マリアの育成方式がある種の基盤となった。
もしもアップデートで精神がさらに強化され、MPの量が周囲に影響を与えるというのであれば、現状MPを周囲に撒き散らす不快な存在となっているのかもしれないとマリアは考えた。
「もしかしたら、私の魔力?が影響しているのかもしれませんね」
アップデート前であれば、MPは精神の値に影響しているし、MPを魔力と呼ぶことはプレイヤーの間でも公式でも無かった。しかし、ゴブリンから情報を引き出すためとマリアは口を合わせる。
魔力とはあくまで魔法攻撃力を上げるステータスに過ぎず、MPの上昇は無い。それに不満を抱いたプレイヤーもいたが、運営はそれを取り上げることはなかった。というのも、魔力は杖や短剣、魔法が付与された武器などのアイテムに魔力値が攻撃力に加算されるためだ。
精神に関してはそういった恩恵が用意されていなかったため、ユニークアイテムと呼ばれる唯一無二の特殊アイテムに精神値による補正が入るアイテムがいくつかある程度。
それにしても、このバージョンではMPが魔力という認識になるのだろうかとマリアは考える。
頭を抱えて悩むマリアを見て、口を閉ざしているゴブリン・リーダーの姿に気がついたマリアは視線を彼に向けた。
「はい。俺は確信しました。女神様の力です。女神様の魔力は刺激が強すぎまして、ついつい本来の姿が暴れてしまうのですよ。異形種が持つ獰猛さというのが」
それを聞いてギョっとしたマリアは、持っているアイテムにステータスをごまかすアイテムがあったのを思い出す。特殊なアイテムなどではなく、通常のクエストで簡単に手に入る『隠遁者のネックレス』だ。これは装備した者のレベルとステータスを不明にし、隠密スキルを装備している間発動指せるという物で、透明化ではないため、姿が消えるわけではないがあまり注意を引かなくなるという物だ。
アイテム欄からそれを取り出し、ネックレスを首にかけると、ゴブリン達は微かに肩を下ろした。
「すみませんでした。まさか広大な大地に影響を及ぼしてしまうなんて・・・・・・」
「はい。いいえ、そのようなことはございません。俺達には恐ろしかったというだけ。女神様の恩恵か、森には上質な果物がたくさんありました。枯れかけていた木々が命を吹き返してもいました。それよりも、俺の仲間が女神様に大変な失礼を」
額を地面に擦るような土下座をしたゴブリン・リーダーを見て、呆気にとられていた若いゴブリンも土下座の姿勢をとった。
その奇妙な光景に内心笑いそうになったマリアは、なんとか笑いを堪えてゴブリンに言葉を投げかける。
「それで、ガゴン。私に何をして欲しいのでしょう」
「はい。恐れ多くも、この地に住まわせていただけないでしょうか」
「は?!」
「はい。無理は承知でお願い申し上げております。俺達は集落を壊され行き場を失い彷徨っていた者どもです。城の中にとは言いません。せめて女神様の城の近くに村を作ることをお許しいただきく思っております」
なにこのゴブリン気持ち悪ッ!!
畏まったゴブリンに困惑するマリアは返す言葉に詰まってしまった。
アップデート以降の世界は非常に不可思議で溢れ、今までの常識が通用しないものとなっていた。
ここはどうすればいいのだろうか。そもそも乗りで私とか言ったけど女言葉をこれほど疲れると思ったことは無いな。パーティでロールプレイをする感覚なら楽なんだけど。
流石に自分を崇める者の前で素の対応は恥かしいと思ってしまうマリアは、彼にどんな言葉をかければいいのか決め兼ねている。
この世界の情報についてか、もっと情報が集まりそうな場所を知っているかどうか。
結局のところ、新世界と言える新生オラトリオの情報が圧倒的に足りないのだ。それに、いつまでたってもログアウトの出来ない現状に今だ理解できない、順応できない自分がいることに、幾つかの不安を誤魔化しているマリアはこの世界を知ることが怖くもあった。
それは、異世界に転移してしまった可能性である。
R18の行為は倫理委員会からの圧力だけではなかった。
それはもちろん日本国内だけの話ではなく、ポルノ事情に厳しい国から多数意見が上がり、世界を巻き込んだVRに関しての論争が起きた。
そんな出来事があったのに、わざわざ運営停止どころか運営メンバー全員の将来を潰す可能性のある行為に出るのだろうかという疑問。
他に、UIを消失をさせることによる運営のメリット。新作の試験運用だと言われればその通りかもしれないが、先に述べたようにログアウトが出来ないような事態にするのだろうか。それも、どこかにセーブポイントのような場所があり、そこに行けばログアウトできる可能性もある。しかし、それは家を持つプレイヤーに権限を与えない必要性が思いつかない。
だが、キャラクターの大幅な弱体化を実際にしていて、それに承諾したことによってなんらかの実験として行われている可能性だけは否定できない。それはある意味、ゲームからログアウトできることの可能性の一つと考えられる。
同意の上でというのが引っかかるが、利用規約のようなものは特に無く、アップデートに関する諸注意などが書かれていただけだったはずだ。
しっかしりと目を通していなかったマリアには、そこを批難されれば言い返せなくなってしまうのだが、運営がこのような行為に走るとは思えないことからなんらかのトラブルがあったのだろうと自身を納得させる。
恐る恐るという形で、長く待たせたゴブリンにゆっくりと口を開いた。
「わかりました。この地に住むことを認めましょう。代わりに、私を近くにある人間の集落へ連れて行ってください」
大きな道も一歩から。一つずつ解明していこうとマリアは決意する。
これはきっと『星幽界との邂逅』であると思い、この新世界を楽しむのだ。