星幽界との邂逅2
ボロボロにされたマリアにはわかったことがあった。それは、常時発動型スキルが機能しているということだ。
服こそボロボロになり、恥部を露出さる自体になり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった髪と顔だが、得られたものは大きかった。
彼女をボコボコにしたゴブリンは、何故か途中から奇妙なモノを見るような目に代わり、彼女を殴るのをやめて何処かへ消えていった。
それに安堵したマリア、もとい田中賢治は年甲斐も無くわんわんと泣き叫びながら家の中に戻った。
視界の端でゴブリンが家の中に入ろうとしていたのだが、ゲームに於ける許可の無い者を家に入らせないという防衛システムも機能していたのだろう。
マリアは一階の奥にあった脱衣所に立っていた。
「なんなんだよ。なんでゴブリンがあんなに強いんだよ」
呟いてから思い出す、弱体化の勧告。
彼女は星幽界との邂逅のアップデートの際、キャラクターの弱体化について記載されていたのをはっきりと思い出した。
一体なぜ忘れていたのかと自分を怒りたくなったが、スキルが機能することを理解できたのだからいいか。と、考える。
「ん?というか、よくよく考えてみれば、服がここまで破損なんてあったか?」
脱衣所に備え付けられている等身大の鏡にはマリアの体が映し出されている。
整った顔立ち――は、色々な液体で汚くなっているが、大きすぎず小さくない乳房に控えめな乳頭。女性的な綺麗な流線型の腰のライン。
「やばい。初めて見た」
恥丘を目にしたマリアは鉄臭さと鼻奥を通る感覚に思わず顔に手を当てた。
無言で恥丘に視線を留めたマリアはボロボロの衣服をすべて脱ぎ、風呂場へと向かった。
「うーん。R18行為ができる時点でこのゲーム、本当に運営はおかしくなったんじゃないか?」
バスローブに身を包んだマリアは、二階にあるリビングのソファに腰を下ろして考えた。
元々、VR技術の導入から所謂R18行為はさまざまな問題が危惧され、倫理委員会からの強い圧力を受けてそういった方面には使えないように設定をすることが義務付けられたはずだ。しかし、浴槽で甘美な声を上げたマリアは確信した。「この世界は最高である」と。
高校生の頃、VRゲームの普及に伴い数少ない友人達とそういった下の話で盛り上がったことは少なくなかった。実際にゲームを始めて確認したことが、服装をすべて取れるか、であった。そんな彼等の淡い期待は開始数十秒で打ち砕かれ、田中賢治の友人であるたけしは「クソゲー」と言い放った。もちろんそんなことでクソゲーだと決まるはずが無い。そう高らかに言葉を返した田中賢治自身も落胆してしまったことは事実だ。それが今はどうだろうか。まさか異性のアバター、キャラクターを作成してこれほどまで喜んだ日は無かっただろう。
しかしながら、自身で生み出したキャラクターを汚してしまったという後悔もあった。
「それにしても、男と全然違うな」
これは一度は男が夢見る欲望であるとマリアは考える。異性の体というのは、体験可能であれば『なりたい』のは間違いないはずだと。
一通り試したマリアは後顧の憂いなしとアップデート後のオラトリオの世界を満喫するため、冒険の準備を始めた。
そこで、屋敷の周囲のことを思い返す。
アップデート前は平原に聳える貴族の屋敷のような、石壁に囲まれた屋敷だ。しかし、その外はどうなっているのだろうか。石壁の向こうはアップデートによって外観が変わっているかもしれないという不安と好奇心が綯い交ぜになってこみ上げてきたことにマリアはゲームを始めたばかりの頃の感情を思い出していた。
そこで、色々な問題点が休息に浮かび上がってくる。
スキルは使えるが、それは常時発動型のモノが機能しているということしかわからない。他には、何故か使用できない魔法。ステータス画面の消失によるレベルなど各種ステータスの情報、同じくメニューの消失によるアイテムの取り出し方だ。バスローブ等の防御力を持たない耐久の低いものは、屋敷内の様々な部屋に標準として置かれたタンスやクローゼットから、意識しなくてもあることはわかっていたため使用できたことに何の疑問も抱いていなかった。しかし、防御力を持たず、耐久が低いということはマリアが自身を持つ美麗な肉体を他者に晒すこともありえる。そこまで考えた彼女は、準備を後回しにし、本来ならば最初にやるべきだったと頭を抱えながらアップデート前のメニューの使い方を思い返そうとする。
半ば手探りではあるが、虚空に手を翳したり、ポケットが実は四次元ポケットになってはいないかなどを考えたがどれもハズレだったらしく、アイテムを出すことはできないようだった。
そこで、スキルは何があったか思い出す。
――神威EX、神性、神の御心、神体と原初の光に神の手、秘匿と神の叡智。超越者と光の女神になった際に手に入れたスキルだ。その他にも多くあるが、エフェクト的に派手な神威EXの威力を下げた神威Ⅰを発動しようとしてみる。
「神威Ⅰ開放」
目を瞑り、呟いた彼女の声に何も反応を示さなかった。
彼女は深い溜息を吐き、深く息を吸う。
その瞬間、彼女の背後から白い光が爛々と煌き、部屋を照らし出した。モダンな部屋はすべてが白い光により本来の色よりも明るくなる。それは室内を別世界へと変えるほどの光。
慌ててマリアは止めようとすると、徐々に背から発せられていた光は小さくなり、普段のリビングの姿を取り戻す。
「これは、呼吸に似てるな。強く意識するんじゃなくて、自然に意識?これ他のプレイヤーとどうやって共有すれば良いんだ?」
呼吸をするのと同じ。それは、生活をする上で、例外を除いて生きているものがする当然の機能であり、呼吸を常に意識して行っているものがいないように、当然のこと。できて当然のようなことだった。
理解してしまえば簡単と言っているかのように、マリアはさまざまなスキルのONとOFFを繰り返し、スキルの使い方と選択を把握した。
「つまり、呼吸を意識するみたいに意識を向けるだけでその機能が使えるってことか?意識しなくても使えてるのもあるけど、あれは常時発動型だからなぁ。仲の良い友達、作っておけばよかった」
落胆したところでもう一つ浮かんでくることがある。
「あれ?公式に繋がるのかな」
プレイヤー同士が当たり前のように行える通話機能、『念話』である。これはスキルとして標準的にあるもので、遠く離れたプレイヤー同士が連絡を取るための手段である。非常時には運営とも連絡が取れるようになっているのだが――念話の起動と同時に、激しいノイズが脳内に響いただけで誰とも繋がることは無かった。
慌ててフレンドリストにいるメンバーの名前を思い返し、意識を向けてみるが念話は繋がらない。ノイズこそしないものの、念話の起動と同時に周囲の音――鳥の囀りが遠ざかるのを感じるだけで、念話が成功しているとは思えない。
「フレンドリストも初期化されてるのか?誰もいないっていうのは完全に八方塞がりな気がするな」
困ったものだ、と小首を傾げてバルコニーへと向かう。両開きを開ければ高い石壁に囲われた屋敷が一望できた。
石壁の向こうには地平線が広がり、遠くに幾つもの山が見える。しかし、石壁があまりにも高いため、壁の向こうをマリアは視認できなかった。
石壁を高く設定したのは盗賊ギルドの荒し行為対策であったのだが、トッププレイヤーとなる頃に建てた家は、初めこそ挑戦してくるプレイヤーは多かったが時間が経つにつれてマリアのギルドメンバーの中でも血気盛んな面々がPKをして撃退していたことから狙われなくなってしまったので、過剰な防衛策となっていた。
ゲームに於いて、自分の建てた家自体は他のプレイヤーは持ち主が許可した者で無い限り、立ち入ることができない。しかし、その家の周囲の敷地内に関しては――作物などを栽培できる範囲となっている――他のプレイヤーが横取りできる仕様となっている。
牛や豚、ニワトリやマンゴスと呼ばれる小型の像に似たモンスターは育成に時間が掛かるため狙われる危険性が高かった。そのため色々な防衛策を用いなければ簡単に攫われてしまう。家畜を守る為に、石壁は動物を連れて行かれないという部分に関して、非常に有効な手段――石壁を乗り越えるのは簡単だが、動物を連れ出すには正面の門を通らなければならないため――であると言えた。
さらに、門には課金をして決められたプレイヤーしか通れないように設定しているからだ。
その他にも、石壁の中に希少な金属を用いて耐久を上げているという点もあるが、いまだに乗り越える以外で突破されたことがない為、鉄壁であるとも言えよう。
色々なことを考えている内に、マリアは動物へエサを与えることを忘れていたことを思い出す。
アップデート前であれば、柵取り付けられた郵便ポストに似たアイテムボックスにエサを入れておくだけで、エサ場に自動的に補充されるというシステムだったのだが、アップデート後の大きな仕様変更にマリアはとても追いつけてはいない。
どれだけの日数が経ったかさえも曖昧な彼女は、慌てて動物の元へと向かった。
そこには普段通り、エサを食べている牛や藁に腰を下ろして穏やかな表情を浮かべて眠る豚等の姿があった。
マリアは安堵するも、その隣に目を向けると何も無い畑が目に入った。
そこにはアップデート前に植えた現実世界で一日で生成されるジャガイモを飢えたはずだったのだが、芽も出ていない。
「もしかして、ゴブリンが採っていった?いや、でもそしたら牛や豚を殺して食べるよな。それとも植え忘れたか・・・・・・」
畑の柵にも、動物を囲う柵と同様にアイテムボックスが取り付けられている。そのポストに似た外見に手を伸ばすと、青白い光が箱の中から漏れ出し、蓋を開けると光の球体の中にアイテムが浮かび上がった。
もしや、と思ったマリアンヌは、これに似たものをイメージする。すると、虚空に青白い、淡い光を放つ球体が現れ、マリアンヌのアイテムが球体の中に映し出された。
「良かった!本当に良かった!」
思わずガッツポーズをして、その場で跳ねるマリアンヌ。何事かと彼女の動物達が視線を向けたが、彼女は気にせず何度も歓喜を上げた。
そして、それを恐る恐るといった形で見守る影が石壁の向こうにあった。
「ドウスル?アノ弱ッチイ人間、喜ンデル」
「アン?シラネェヨ。ソレヨリリーダーを早クヨンデコイ」
「アイ」
跳ね回り、少し疲れたマリアは早速アイテムを取り出してみる。
それはゲーム内に於いて最高の価値を持つステータス上昇効果を持つグレート・ビー蜂蜜酒だ。
酒を造るのには料理スキルでも非常に時間が掛かるためあまり手を出さなかったのだが、ギルド内で酒造をしていた変わり者から安く大量に買っていたため、良いことがある度に豪快に一杯を飲んでいた。
これはアップデート後の非常に重要な事柄を理解できたということだ。
実に見事な喉越しに、甘すぎず口に残らない芳醇な味わい。思わずうっとりとしてしまうその味を堪能したマリアは体の火照りを感じた。決して発情したというわけではないのだが、マリアはどうやら色欲が強くなってしまったようだ。
しかしながら、そんな欲求も慣れてしまったのか、しばらく体を悶えさせたかと思えば、一息ついてもう一杯に手を出そうと、再び球体を出現させて蜂蜜酒を手に取った。
「お嬢さん。それ、美味いのか?」
犬歯が大きく伸びた屈強な肉体を持つ戦士のような姿。毛皮で作られた防具を身に付け、腰の剣帯には大きな曲刀をぶら下げた緑色の肌をした異形。
その姿を見たマリアは驚きのあまり、取り出した蜂蜜酒のボトルを落としそうになる。
「おやおや、危ないね。俺じゃなければ怪我をしていたぜ」
流暢な日本語を話すゴブリンはマリアの腰に手を回し、落ちそうになったボトルを左手でしっかりと受け止めていた。
思わずマリアはキュンと激しく鼓動した自分の心臓を疑った。
同時に、ゴブリンに袋叩きにされた恐怖が蘇り、徐々に意識が遠くなる。
「おやおや、卒倒とは。俺も罪な男だぜ」
やれやれとゴブリンは首を振り、マリアを抱えてテトテトと歩き出した。