星幽界との邂逅1
彼は目を覚ますと『ヘッドギア』をつけたまま寝てしまっていたことに気がついた。
霞む視界に目を擦り、辺りを見渡せばモダンなつくりのゲーム内の自宅だった。
間接照明が室内を照らし、夜になると光る機能を思い出した。しかし、それはゲーム内に於いてはほとんど見ることのできなかったもので、見たのは数回程度のものだった。
そもそも時間という感覚はゲーム内に於いてはあまり意味を成さない。というのも、ゲーム内では四時間毎に日にちが経過するからだ。外で採集等をしていればあっという間に日は落ちて、気がつけば上っているなんてことはざらで、土日にダンジョンに潜ればゲーム内で三日経過していたなんてことも彼は経験している。
寝起きに声を漏らしながら軽く屈伸をしてみると、今までよりもより現実的な筋肉と間接が伸びる感覚を彼は味わった。
「なんかやけにリアルな感覚になったな。そういえばステータスウィンドウが無いけど。UI――HPやMPなどの画面――はどこいったんだ?」
虚空に手を伸ばして普段どおりにアイテムメニューなどを開こうと試みるも、奇妙な踊りで終わってしまう。
腰まで伸びた金髪に、ガラス細工のような碧い瞳。プレイヤーの制作するキャラクターの中でも見た目に特に拘って作られたものだ。
鏡に映る自分の姿にどこか照れてしまったのか、頬を紅潮させたマリアの姿が見える。
「というか、寝たって事はもう朝かもしれないし、さっさとログアウトだ。――シャットダウン」
マリアは目を瞑り、シャットダウンコマンドというゲーム終了のボイスコマンドを発した。
視界が黒く染まり、後はヘッドギアを外す動作をする。
目を開けばそこには見慣れた小汚い部屋が視界に入る――はずだった
目の前には先ほどとなんら変わらないモダンな一室。マリアンヌの姿を映す鏡。間接照明。壁にはグラーシア王国の平原の絵。部屋の角に置かれたテーブルには過去のパーティメンバーとの写真が飾られている。
部屋の広さは、現実世界にある八畳の部屋の五倍はある無駄に広い作りになっている。
マリアにはそれがもっと広く感じられた。
「いやいや、流石にないだろ。運営が意図的にログアウト拒否とか、VRゲーム発売前に危惧されてた人体実験がどうとかいうやつ?こんなん許されるわけないだろ」
マリアの声が震える。
室内温度は常に一定に保たれていて、それは快適に過ごせる温度であるはずだったのだが、マリアにはそれが酷く寒く感じられるのか、両手で身体を抱きしめるように小刻みに震えていた。
ソファの上で丸くなった彼女の耳に声が届く。
「ココ、誰カスンデルノカ?」
濁ったような、酒に喉が焼かれたような声だ。
何人かの話し声が彼女の耳に届く。
「コンナデカイ家ココニアッタカ?動物ヲ飼ッテルシナ」
「石ノ壁ニカコマレテルカラ、ドンナヤツガイルカト思ッタゾ」
「ダレモイナイナラ、ココニスルカ」
現在マリアがいるのは二階の一室。突然の来訪者にマリアは驚いたが、他のプレイヤーだろうと思い、一回に向かった。
彼女は「きっと彼等は自分と同じようにこの出られなくなったゲームで休む場所を探しているに違いない」と考えて階段に向かう。
木製の階段からは前のバージョンではしなかった軋む音が用意されており、より一層この世界がゲームではなく現実に近くなったことを実感させた。
「恐るべし、オラトリオ」
青ざめた顔がリビングから出る時に、鏡から窺えたが彼女は意識しないようにしながらエントランスホールへ向かう。
家の大きさは部屋の数が何部屋あったか彼女には覚えられないほどにあった。
家はゲーム内でも一番の大きさのもので、これを建てるのに一年、毎日デイリークエストを行って手に入れた『星の欠片メダル』をすべて使ってようやく手に入れられる最上級の物で、ギルド館に利用するプレイヤーもいたほどだ。それを一人で管理するというのは非常に面倒であり、建てたはいいものの、エントランスホールとリビング、三階にある大きな自室以外はほとんど利用していない。
これは田中賢治のコレクター魂によって作られたに過ぎない。
元々、特殊専門技能の熟練度を上げるか、レアアイテムを狙って世界を渡り歩いていたため、自宅である屋敷にいたことはほとんど無い。しいて言えば、地下室が宝物庫となっていて、転移魔法を用いて移動するぐらいで、ほとんど屋敷を家として利用したことが無かった。
ふらふらとした覚束無い足取りで玄関の大扉にたどり着いたマリアは、そこでようやく自分の息がやたらと乱れていることに気がついた。
それは、これから見るモノを恐れているが故なのか、彼女にはわからないことだった。
「ンオ」
「え」
マリアと緑色の肌を持つ異形種――ゴブリン――達は互いの顔を見て驚きの声を漏らした。
マリアが驚いた理由はゲーム内に於いて、プレイヤー以外のモンスターが会話できるのは竜族や天使といった上位種のみだったからだ。
さらに、その口元がやけに動く。表情も変化し、驚いた表情から血に飢えた獣のように変化し、目が充血し自らを昂る雄叫びを上げた。
そのあまりにも自然な動きに彼女の背筋に悪寒が走る。
普段であればプレイヤーの操るゴブリンであると考えられた。それはオラトリオに於いて、異形種はキャラクターとして選択可能であったからだ。しかし、それでもゴブリンを選ぶプレイヤーは圧倒的に少なかったのをマリアは知っている。それが目の前に十数体はいるのだ。
人間の子共ほどの身長の、手足は短いが発達した筋肉を持つ、初心者に恐れられる獰猛な怪物。
それぞれが棍棒やボウガンを構えて、マリアンヌを狙っている。
だが、そこでマリアはようやくと言っても良い事実に気がついた。
「そうだ、俺ってレベル112だった。こんな奴等簡単に・・・・・・」
そこでふと思い出す。
表示されないUI、ステータスなどのウィンドウ。普段であれば、戦闘に入ればステータス画面が少し大きめに表示され、自身のHPとMPの値をしっかりと認識させてくれる。さらに、魔法等はボイスコマンド一つで発生させられる。
UIが表示されないだけかもしれないが、形容しがたい不安がマリアの中で蠢いていた。
「ふ、飛翔!!」
咄嗟に補助魔法に分類されるフライを発動させようと唱えた。しかし、普段であれば発生するエフェクトは一切でず、マリアの声に驚き身構えていたゴブリン達は、何が起きたのかと互いに顔を見合わせていた。
分けがわからないのはこっちだ。と言いたい衝動に駆られるマリアだったが、魔法が使えなくとも基本的なステータスは特殊専門技能をすべて上限にしたことでかなりのステータス上昇もしているため、単純な物理攻撃でも一撃で倒せるはずだとゴブリンの群れに突撃を試みる。
雄叫びにも似た奇声を発して、ゴブリン達には金切り声に聞こえるマリアの必死の姿にゴブリン達は鼻で笑った。
「は?」
戦闘のゴブリンは棍棒を使ってマリアの攻撃を受け流した。
それは物理攻撃適性の槌を持つプレイヤーがよく使う――自分よりも弱い相手にのみ成功する受け流しというスキルであった。
体勢を大きく崩し、そのまま地面に倒れこんだマリアはすぐさま身を起こし、絶望の光景を前に喘いだ。
112レベル 人種 超越者 職業 光の女神
ゴブリンに絶望する。
今までトッププレイヤーとして名を列ねてきたマリアのプライドに大きな傷を付けられることとなった。
「これが、星幽界との邂逅?」
夜の大平原には、鳴き声と共に肉を叩く音が響き渡った。