―プロローグ―
暗黒の中に、身を焦がす女神がいた。
異世界生活型VRMMORPG――Virtual Reality Massively Multiplayer Online Role-Playing Game
OratorioRPG
広大なアトモスフィアと呼ばれる世界でアスクリタとルージェという二つの大陸間で行われる自由度の非常に高いRPG。
サービス開始以来、日本国内においてプレイしたことのないゲーム好きはいないとまでされる。そのゲームは、2048年に一般向けに発売されたVR専用コンソール『ヘッドギア』を用いた体感型MMOである。
人間の五感を仮想世界と接続させ、ゲーム世界をより現実に近づけたVRゲームは、ヘッドギアが発売されてから商業として成り立ったのは実に二十年も要したという。
このゲームの注目すべき点は、適性と呼ばれる24の項目から三つ選択してなる職業の数だ。
ざっくりと計算しても万を超えるであろうその職業数は、サービス開始前の公式発表で多くのゲーマーの目を点にさせた。
正確には、適性が一つ一つ異なっていても近い適性であれば取れなくもないのだが。故意的なものを除けば誰一人として同じ職業、キャラクターになれないのだ。
これは、多くのプレイヤーを魅了した要因の一つだと言えるだろう。また、一定のレベルまでは適性の変更が可能であるため、ある程度遊んでから気に入らなかった場合は、他の適性に・・・・・・というのも安心できる。
さらに、このゲームに於いて、どの職業もアタッカーとして活躍できるという点が、ライト層を多く取り込めた要因であるとも考えられる。
レベルがある程度上がり、ダンジョンやイベントではそれぞれ役割が重要になってくるる。
このゲームに於いてはすべての職業がアタッカーと成りえるという点が有名になった一つだと先に述べたが、タンクやヒーラー等が不要という意味ではない。
実際、70レベルに到達するまでは綿密に構成を考える必要がない為、ダンジョン募集などでは「タンクあと1です!」などではなく「あと一人どなたでもいいので来てください」が多かった。
しかし、高レベル帯と呼ばれる90レベルからはタンクやヒーラー、アタッカーという役割はヘビーユーザーも楽しめる設計だ。
他に特徴的な点といえば、エルフやドワーフなどの有名な亜人種のほかに、スライムなどの異形種を選択できることである。
異形種について説明するとすれば、所期レベルが10で60レベルまでのレベリングが非常に容易だが、高レベル帯に近づくにつれてレベルアップに必要な経験値量が亜人種に比べて多いということであるだろうか。
さらに、異形種にはバッドステータスと呼ばれる多くの弱点がある代わりに、特殊なスキルが多く備わっているのが彼等の最大の魅力だろう。
実際に、上位プレイヤーの中に異形種が多数存在している。
VRMMOが普及し始めてから三番目に発売されたオラトリアは他のVRMMOに比べてワールドの数は一つしかないという欠点がある。
アトモスフィアと呼ばれる世界に二つの広大な大陸が存在するも、ワールドが一つしかないというのはとても世界が狭いとも言われていた。実際にプレイした者にはすぐに理解できたことであるが、他のゲームの追随を許さない圧倒的なデータ量が爆発的な人気を博した要因となっている。
各種適性には大まかに三つに分類されている。物理攻撃を基本にした『攻撃適性』に魔法を含めた盗賊等の『特殊適性』数は少ないものの絶大な効果を持つ『制作適性』さらに、特殊適性に含まれる魔法は細分化され、六つの適性が存在している。
各種武器の製作に、制作適性にある『鍛冶』と『付与』を用いれば、10レベルのプレイヤーでも25レベル相当の力を得られることもあるし、それらスキルを用いて作られた武器は唯一無二の武器となるのだ。
数々の魅力、自由度を持つオラトリオはそれだけでなく、専門技能熟練度というものが存在し、鉱石採掘をしていれば『採鉱』という熟練度が上昇し、熟練度が上限に達することでステータスボーナスが得られるといった要素。異世界生活型VRMMOということもあり、一定のレベルまではそういった採集や適性にも含まれている『鍛冶』や『料理』をするだけで簡単にレベルが上がっていく。
ある者は鍛冶屋として、ある者は鍛冶屋のために炭鉱夫のように採鉱をしたり。と、ただゲーム内で戦うだけでなく、実際の生活をすることができる。
一日ごとに変わるデイリークエストをこなせば自分だけの家が買える。海に出てまだ誰もプレイヤーがいない島を発見すれば自分の物にできる。
これだけの世界を作るのに掛かった時間、動員された人数は想像するのも難しい。
だが、夢のようなゲームに対して、とあるプレイヤーの情熱は冷めてしまった。
アトモスフィア、ルージェ大陸にあるグラーシア王国郊外。広大な平原に聳え立つ大きな屋敷。
オラトリオの最上位プレイヤー、種族『超越者』の住む石壁に囲まれた家である。
彼女を知らない者はライトユーザーだけかもしれない。そう言われるだけの実力があった。その一つが種族『超越者』である。
超越者は何万のプレイヤーがいるこのオラトリオに於いて百人ほどしか存在しない。というのも、超越者とは公式大会において二度優勝を果たしたプレイヤーに送られる『大会出入り禁止』のようなもので、実際に大会で二度の優勝をしたプレイヤーキャラクターが以降の大会に参加した記録はない。
超越者の一人であるキャラクターの名前は『マリア・フィロメアーナ・レインズ』
サービス開始以来、七年の間使い続けられたキャラクターである。
地上三階地下一階の四階建ての大きな屋敷のリビングは、モダンな内装となっており、壁にかけられたグラーシア王国の平原の絵を眺めながら、マリアは深い溜息を吐いていた。
「そろそろ潮時かもな」
男性口調の金髪碧眼の女性は、王国でもっとも高いとされるブドウ酒を片手に、誰に対してでも無く語っている。
「サービス開始からずっと異端扱いされてたけど、流石に超越者の種族は無いわ」
彼女のステータス画面には112レベルと表記があった。
適性と種族から得られる『スキル』の中に、超越者となったものだけが得られるスキル『顕界突破』が表示されている。そのスキルはレベルキャップが開放され、100レベル以上になれるというものだった。しかし、レベルが90に到達してから1レベル上げるのに普通にやって2週間かかるというのに、112レベルになるのに4年も掛かったのだ。毎日レベルを上げるためにクエストやモンスターを倒していたわけではないが、それでも4年でだったの12レベルしか上がらないというのは、彼女にとって時間の無駄という感覚に陥らせるには十分だったのかもしれない。
「こんなことなら別のキャラクター作成して・・・・・・いや、すぐに飽きてたかもな。全専門技能を上限到達なんて面倒くさすぎる」
マリアの視界の端で、メールアイコンが点滅をしていた。
内容はどれもがギルドからのパーティ招待メールであり、それだけ自分が必要とされていることに高揚感もあった。が、それは昔の話。今の彼女にはただ何時やめようかという考えが脳内を支配し、今までの冒険の数々を思い出していた。
「たけしは三ヶ月でやめたし、やまとは一年で卒業する!とか言ってガンゲーに行っちゃったしな。剣と魔法の異世界生活って楽しいと思うんだけどな」
たけしややまとというのは、彼女の現実世界での友人の名前である。
田中賢治はフリーターだ。
高校を卒業して以来、ずっと飲食店でアルバイトを続けている。
高校から始めたオラトリオだったが、サービス開始が八月からということもあり、友人の一人は受験に集中する為にやめてしまい、もう一人の友人は社会人生活の辛さからゲームをしている暇は無いとやめていってしまった。
「あれは初めてギルドに加入したときの集合写真。あっちは初めて大会で優勝したとき。こっちは二度目の優勝で殿堂入りをしたとき・・・・・・」
リビングの一角にある机に置かれた写真を指差し、過去の出来事を思い返していた。
「そういえば、まだあの子は初心者狩りをしてるのか。他の人はどうだろう。初めての固定パーティの人なんかは何人かやめちゃったけど、ラッパさんなんかまだやってるのか?」
田中賢治には現実に於いて、ゲーム内に於いても特別中の良い者はいなかった。
故に、やめるか否かを誰かに相談できずに一人で思案している。
いつかのギルドで主要メンバーが引退する時は誰もが口を揃えて「やめないでください」と言っていた。しかし、彼がそのギルドを離れる時はあまり引き止められなかった。
『マリアさんがそうおっしゃるのなら仕方ありませんね』
どこか寂しげにギルド長だけが彼にそう告げて、彼はそのギルドから去り、ほどなくして別のギルドに迎え入れられた。
当時はそれを不思議に思ったことは無い。けれども、いざ自分がやめるかどうか悩んでいる時に相談する相手も、止めてくれる相手もいないというのは、彼に一抹の寂しさを生んでいた。
「子共だな」
誰に対してでもなく、自分自身に対して彼は呟いた。
田中賢治が思いふけっていたところで、視界の上部に運営から知らせが入る。
ピピピという電子音が、精巧に作られた異世界に於いて仮想現実であると知らしめる音である。
それは運営からプレイヤー全員への告知だった。
「超大型アップデート?『星幽界との邂逅』ってなんだこれ」
そこには長々と新しいイベントについての情報が書き列なっている。
その中の一文が目に止まり、田中賢治はこのイベントを最後にゲームの引退を決意した。
「えっと『注意:このイベントに参加するキャラクターのレベル、ステータスは弱体化を受けます。』か」
超越者としてのレベルは112だ。長い時間をかけてようやくたどり着いたレベルではあるが、やめようとしていた彼にとってはもうどうでもよくなっていた。もちろん他のプレイヤーが同じように高レベルのキャラクターをわざわざ弱体化させてまで参加するかは不明であり、やめようとしているからといって100レベル越えを簡単に弱体化させるとは限らない。が、その行動こそ田中賢治がこのゲームを本当にやめようとしている証明だったのかもしれない。
田中賢治は虚空に浮かぶ公式運営からの告知メッセージの二度の警告を『承諾』と押して、画面の上部にダウンロード終了までの残り時間が表示される。
徐々にカウントが始まるそれを眺めながら、彼は部屋のソファに腰を下ろして瞼を閉じた。
多くの者は、後悔することになる。