壮太⑨
ちょっと書くつもりが、長くなりました。
お付き合い頂けると助かります。
獣化タイプの獣人は、普段ヒトに近い姿で生活していて、獣化時に真の力を発揮する。攻撃スキルに制限がかかる代わりに、全ステータスが3倍になるというぶっ壊れ仕様だ。
まあ、この世界では混血が進んで殆どが亜人という人種に変わってるせいで、この獣化スキル持ち自体が希少らしいんだけどね。
「……じゃあ、頼む」
チェリンと共に後方に控えていたサンが俺のそばに進み出てくると、手を差し出した。
や、……うーん。
やっぱこれは慣れないし、抵抗感がなぁ。
というのも、獣化はスキルレベルによって制限がある。今の彼のスキルレベルだと、獣化時間は30分。ここまでは知ってたことだし、スキルレベルを上げていけばこの獣化時間も延長されるはず。
ただ、どうやら獣化にはゲームに提示のなかった条件があるらしい。
「はぁ、まさかこんな方法で獣化するなんてさ。ゲームの攻略情報にはなかったんだよねぇ……」
思わず小言をこぼしてしまった。
俺がついつい渋ってしまう獣化に必要な条件とは、「獣人の身体のどこかに仲間が口付けをする」こと。
いやぁ、びっくりだよ。ゲームだと時間の制限だけだったから、こういう点は現実世界ならではなんだろうけどさぁ……。
最初は半信半疑だった。でも確かに鑑定したスキルの注意書きに記述があるし、そうすることで獣化する様を見せられたら信じざるを得ない……。
それでも、いくら形式的なものだからってチェリンに男の身体にキスさせたくないし、本人も望んでない。
キーマは「恩人の恋人に手出しするのは気が進まないでしょ」と、よく分からないことをぶつぶつ言ってて頼めそうにない。サンはキーマに対して「誤解だぞ」と慌てて否定してたけどさ。
というわけで消去法的に、俺がサンを獣化させる係になった。
もう何回かやってるけどさ、かなり抵抗あるんだよなぁ……この、口付けするの。
「し、仕方ないだろ。ニャーだって出来るならお前が嫌がることをせずとも、獣化したい」
ブスッとむくれてサンが俺の心の声に反応を示した。
「まあ、嫌がるってほどではないんだけどねぇ」
……どちらかというと、自由に考えられないから、心を読まれる方が嫌なんだよね。
「…………」
おっと。
この思考をしてると決まってサンは悲しそうな顔をしてくる。気をつけないと。
心の中だけじゃなく表に出てきそうになるため息を飲み込んで、さっさと差し出されたサンの手の甲に口付けた。
紳士的な人間がすると様になるんだろうけどね、平凡な一般成人の俺じゃ無理がある。
そんな俺の苦い心境とは関係なく、サンの姿が軽く発光して徐々に立派な鬣の白い雄ライオンへと変化していった。
動物園で見かけるライオンの2倍はある大きさで、目尻や首元に黒い筋が入り、独特の威圧感のある見た目になる。
「獣人、口付け、挨拶。深く、考えるな」
白いライオンになったサンが、低めの唸り声に混じって釘を刺すように言葉を投げてくる。獣化すると発音機能が変わるみたいで単語区切りの会話になるんだよね。
ま、片言とはいえライオンが普通に話してるなんて、ファンタジー要素が強いよな。
「まあ、頭では理解してるよ。頭ではね」
理解は出来ても遠慮したいことって、あるじゃないか。
そう考えていると、サンがパチリと不思議そうに小首を傾げてみせる。大きな猫のような仕草で可愛いな。
獅子の姿になったサンの背中に3人で跨り、向かい風を受けながら頭を振る。
可愛くても、油断は禁物。サンは本来ならユシララで討伐されるはずの色欲の魔王だからね。
彼と出会ったのは、教会地下での大爆発の後、なんとか瓦礫の山から這い出てきてクレマさんを彼女のもともと居た屋敷に送り届けた時。
堕天どころか呪いすらも完全に解けているらしいサンが、クレマさんと感動の再会を遂げているシーンを目の当たりにした。
そして、クレマさんの言ってた初恋みたいなエピソードの相手の正体が魔王だったことに、その時初めて気付かされた。ゲームをプレイするだけだと絶対に気付けないよなぁ、こんな裏設定。
で、この感動の再会、傍から見てるだけで、サンがクレマさんのことをとても好きなのが伝わってきた。彼の目線は恋人に向けられるものというよりは、どちらかと言うと家族に向けた親愛寄りのものに近い。クレマさんのこと姉貴って呼んでたしね。
要と俺の関係みたいなものだろうか。
いや、アイツはクレマさんみたいに色気もお淑やかさも無いけどね。姉貴分というよりモンスターと呼んだ方がしっくりくる。
と、微妙にはみ出る部分はあれど、サンの心境に共感してみれば、ゲームで起きたようなクレマさんが死んじゃったら街を破壊してでも探しまくる気持ちは、分からなくもない。被害を考えたら俺にはできないだろうけど。
俺だって要が殺されるなんて考えたくもない。現状、俺の方が異世界で簡単に死にそうな状況だけどさ、そんなことが起きたら、俺はどんな行動をするんだろうか。想像もつかない。
要がこの世界に来てたらどうなってたんだろう?なんか、よく考えずに無理やりイベント突入して、そのままの勢いでガンガン突破してストーリー破壊しそうだな。何度アイツの無謀なゲームクリア画面を見たことか…………なんか、今のイレギュラーだらけの状況ってそんな感じだな。
ま、何にせよ、このイベントでクレマさんが魔王の攻略難度に強く影響していた理由が、こんな形で報されるとは思わなかった。
ブレイクトリチェリーのいちファンとしては感動ものだ。
で、そこからクレマさんを見捨てずに保護していた礼をサンに言われたんだけど、つい出来心で仲間に出来ないかなって考えちゃったんだよね。
そしたらサンが突然「ニャーもお前の仲間になりたい」と言い出した。その時はびっくりし過ぎて腰が抜けかけた。けど、聞けばサンは心を読むスキルを持っているらしい。
確かに魔王化してる時も目が開いていたら先読み攻撃してきたもんな。予約発動型のスキルを相殺されるような動きの理由が、これで明らかになった形だ。
魔王のスキルは公表されてないから目に見えて分かるスキル以外は、予想の域を出なかったんだけど。
いやぁ、心読めるとかどんなチートスキルだよ。
「でも、このスキルだけじゃ……役に立てないんだ」
思い詰めたような暗い顔で言葉を発するサンは、ゲーム画面で見ていた魔王化した時の無機質な表情とは全く違う。本当に生きてる、普通の人間が浮かべる自然な表情だ。
当然だけど、魔王も生きてて、実在してるんだな。
あれ、じゃあ、俺がしようとしているのは、明確に人間を殺す行為なのか……?
いや、確か魔王は堕天者が死んだ後の怨霊のようなものって設定だったはず。そこははっきりと公式の発表に書かれていた。
でも、俺の立場がそういう役目とはいえ、れっきとした人間を武器で思いきり傷つけるなんて……深く考えたくないなぁ。
「ニャーの呪いは解けたから、もう魔王にはならない。けど……このままじゃ嫌だ。ニャーのことを好いてくれるやつを守れるくらい、強くなりたい。前の主人が言ってたが、普通の人間のパーティーよりも、称号が勇者だと仲間を強くできるんだろ?」
「あ、ああ、まあ、そうだね」
前の主人って、何?て思うけど、それどころじゃない。畳み掛けるようにサンが俺との距離を詰めながらそのキラキラした桃色の瞳で俺を捉えてくる。
「お願いだ。邪魔にならないように頑張るから、ニャーを旅に連れて行ってくれないか」
「えぇ……うーん……じゃあ……」
獣人はいつでもパーティに加えられるようにクエスト消化してるけどさ、魔王になる予定だった人間を勇者のパーティーに加えるなんて、現実的にできるのか?
釈然としないまま、試しに握手のポーズをとる。
これがゲーム時の仲間にできるかどうかを図る行為で、仲間に出来るキャラなら無意識に手を握ってくる。
ただし、エルフ君の例外があるように、現実世界だからこそ、握ってくれないから絶対仲間にできないとは言えないみたいだけど。
「よろしく頼む」
結論から言うと、サンは俺が手を差し出したのを見ると躊躇うことなく手を握ってきた。
繋ぐ手に力を込めて見つめてくるサンは、ゲーム画面で見たものとは似ても似つかない強い意志が宿った目をしていた。
こんな感じで猫耳の美人男性が仲間に加わったのが、もう1週間近く前の話かぁ。キーマやチェリンともサンは上手くコミュニケーションを取れていて、今のところ特に大きな問題はない。寧ろ、キーマの表情が明るくなった気がするし、どちらかと言うとプラスの傾向だ。
で、こんな考えごとができる程度にはこの5日間で戦闘生活に慣れてきている。実際、俺たちのレベルもぐんと上がって、平均でLV60に達した。
サンに関してはまだLV30程度でスキルも無いから戦闘面には難ありだけど、この移動手段が増えたことがとてもありがたい。しかもサンは頑丈スキル持ちだ。獣人に頑丈スキルがあると、大人数が乗っていてもスタミナ減少が大幅に抑えられるという、もってこいな組み合わせなんだよね。
それで、この移動速度アップが獣人を仲間に入れる最大のメリットなんだけど、当然ながら上限人数が種族ごとにあって一長一短だ。大概の獣人が乗せられる人数は2人までで、獣王のセンジュさんが最大5人だった。
でも、サンの背中は3人が乗ってもまだまだ余裕がある……ということは、サンってセンジュさんに匹敵する種族?
最弱と揶揄されていても、世界を揺るがす魔王のうちの1人なんだもんな。潜在能力は高いのかもしれない。
一番心配なのは、サンがいきなり魔王になってしまうことなんだけど……今は考えないようにしようかな。マイナスの思考をすればするほど考えたくない未来が浮かんでくる。そんなのが現実になってほしくないし。
もうイベントも消えてるから魔王にはならないよね?本人もそう言ってたしさ。大丈夫だよね?
ああ、不安になってきた。
せめてチェリンがいつものコメントをしてくれてたら心づもりが出来るのに……あれ、そういえば仲間にする時は何かしらコメントしてくるチェリンがあの時、妙に静かだったな。
魔王候補者だってことは、俺しか知らないはずだからチェリンにとってはいつものパーティーに入れる過程と変わらないはずなんだけど。
「う、くさい」
考えているうちに、濃い鉄錆のような臭いが鼻をついた。
視線を上げると、ゲームで見覚えのある鏡の谷エリアの入り口へ突入していた。
ゲーム画面と違うのは、太陽光が歪曲し、徐々に視界が濃い赤色に変わっていく所だろう。ゲームでは氷のように澄んだ淡い水色だった行き先は、真っ赤に発光していて数メートル先も歪んでてよく見えない。
「サン、この谷の赤い視界の地域には完全に入らないで。崖の上から尾根づたいに進もう」
「分かった」
表出型ダンジョンの赤色に完全に染まったフィールドは、おそらく魔物が1フェーズ数十体規模で襲ってくる。流石にその量は今の俺達の手に負えないからね。
サンが俺の指示通りに切り立った尾根の上を目指して走る。
ふと右手側を見ると、塩の湖が遠くの方まで広がっているのが見渡せた。スコットランドの湖水地方を彷彿とさせる綺麗に透き通った水辺の風景だ。アルプスの山並みに似た山系もあいまって幻想的に映る。
不思議とこの湖の範囲だけが赤色に染められていないからだろうけど。ここだけ見れば、魔物の大量発生なんて起きてないみたいだね。加えてゲームでは水を抜き取った後の塩田風景しか見てなかったから、新鮮に感じる。
「それにしても、この臭いは何だろう?」
「……ソウタ。左側は見ない方がいい……」
「え?左?何を……ひうっ?!」
すぐにキーマの抑止を無視してしまったことを後悔した。
サンの背中越しに、左手側の崖下に広がる赤い世界を見下ろしてしまった。
いや、崖下だけじゃない。サンの走る足元にも……大量の肉片が転がっている。
大半は魔物のものだけど……その下敷きにされているのは、人間の身につける鎧や衣服と、その中身と思わしき肉片。ぐちゃぐちゃに散らばり、赤黒く染まる地面が視界に入っては高速に背後へ流れていく。眼下に広がる赤い世界が、延々とその状態なのが見てとれた。
ところどころその肉片を漁るように小さな魔物が蠢き、人と思わしき残骸には無惨に風にさらされて転がる骨が目立つ。
……地獄絵図だ。
しっかり見てはいけないと頭が拒否してるのに。脳が麻痺したかのように、衝撃的な光景から目が離せない。
頭痛と共に口の中に酸っぱいものがあふれ、胃が急激に迫り上がってくる。
「あ……ぐ、う、うぉぇぇ」
「ソウタ様?!」
「うわわ、だから言ったのに」
「まさか。嘔吐か?」
盛大にリバースをきめてしまった。
「う、おぇ、ごめんね、サン。毛皮が、う、汚れちゃって」
「いい。無理、するな」
俺が吐いたのを知ってから、サンは一旦塩の湖の辺りまで来て降ろしてくれた。
地面に足がついたおかげで、気持ちが少しだけ落ち着いた。脚に力が入らないせいでしゃがんでいるけどね。
まだ瞼の裏にはあの光景がチラついて、吐き気の波が押し寄せては嗚咽をあげてしまう。さらに追い討ちをかけるような鼻にこびりつくような鉄……いや、血の臭いは、この湖のほとりにも漂ってきている。自然と視界が潤んで涙が地面にぽとぽとと滴る。
「サン、ごめん」
「平気だ。汚れ、少しだけ」
サンがもふもふの毛を湖に浸けて汚れた所を落としつつ返事をしてくれた。
「それより、お前、状態、平気か」
「うん。だいぶ落ち着いた、かも。あんな場面を見たの、初めてで……う、うぉぇっ」
「ソウタ、思い出しちゃダメだよ。また吐いちゃうでしょ」
「ソウタ様、お水を飲んで一度落ち着いてください」
「……あ、ありがとう」
キーマが俺の背中をさすり、チェリンが水筒を差し出してくれた。
こんなことしてる場合じゃないのに。みんなは大丈夫そうなのに。心と身体がついてこない自分が情けない。
こんなの、早く慣れないといけないのに。
鼻腔をつく臭いの正体に気づいてから、ふとした拍子に吐き気に襲われてしまう。悲しんでる場合じゃないのに、涙が溢れてくる。
「慣れる、必要、ない。気に、病むな」
「サン……ありがとう」
桃色の瞳が心配そうに俺を見つめて、ふわふわの毛で俺を暖めるように顔を寄せてくれた。
サンの毛皮から伝わってくる体温と日向で寝ている猫の毛のような独特の香りにホッと息をつく。
温かい。
鉄錆の臭いが遠のいてようやく、深く息が吸えた心地がする。
「やあ、君たちもここまで来たんだね。だとすると、包囲網はもうほぼ完成したって認識で合ってるかい?」
サンの温もりを感じて落ち着きを取り戻していると、背後から声がかけられた。
飄々としたこの声は、ショウさんか。
涙を無理やり拭って振り向くと、顔や服に大量の血がついた状態で笑顔を向ける青年が1人立っていた。
「は、はい。包囲網はほぼ完成しました。あの……ショウさん。すみません、せめて赤い領域の外苑まで駆除しようとお手伝いに来たのですが、ちょっと谷底の光景に当てられてしまって…」
「ああ。あっちの方を見ちゃったのかい?それは慣れてない君にはきつかっただろうねー。無理しなくて良いよ」
ショウさんは真っ赤に染まった手を湖につけて洗い流しながら、軽い調子で返してくる。
「いえ……ちょっと落ち着いてきました。ショウさんこそ、その血、大丈夫ですか?」
「ああ、これ。全部返り血だから大丈夫だよ。返り血浴びるのは、もう慣れちゃったからさー」
この人、基本的に冷静なだけで悪い人じゃなさそうなんだけど、得体がしれないんだよなぁ。普通の現代人で返り血に慣れるって……元の世界では医者の卵だったのかな。
「あの、それに、攻略を任せきりにしてしまってすみません。ショウさんの方が大変なのに、1人だし。それなのに、こんなとこで俺は……。その、怪我とかしてませんか?休憩はちゃんと取ってますか?」
「ああ、そういうの気にしないでいいよ。僕は1人の方が足手まといがいなくて動きやすいからね、平気さ。マイペースにやってるけど、ルート調査自体は順調だよ。魔物も適当に間引いたら、今みたいにこの辺で休憩してればいいしさ」
「……そう言えば、この塩の湖に魔物は近づいてこないんですね」
「そうだねー。僕も前までは気づかなかったからさ、驚いたよ」
確かに魔物は来ないけど、ここはいわゆる荒野だ。休憩は良いとしても、テントもない状態で寝るのは難しいはず。
「でもショウさん、休憩は良いかもしれないけど、こんな場所で寝るより、一旦一番近くの魔族の村で泊まった方がいいんじゃ……」
と、ここでショウさんの笑顔が固まって、消えた。
うう、少し怖い。
ショウさんて笑顔が消えたら、真っ黒な目が異様に際立って、より一層得体の知れない雰囲気が漂うんだよなぁ。
「あの村には行けないな。この事態を引き起こした張本人が居るはずだからね。それに、そろそろ時系列的にウォルナットがあの村に滞在していてもおかしくないよ」
「え?!」
ウォルナットと言えばショウさんのメインルートで現れる、中ボスの悪党だ。確か、この魔王イベント後に近隣諸国の人間を大量に虐殺してまわる魔族の長。魔王イベントより過去の近隣村での不審死の事件の容疑者としても名を連ねている。
でも、そんなことより……。
「ちょ、ちょっと待ってください!この災害って、人為的なんですか?!」
「え?ユウキ君には伝達したんだけどな。聞いてなかったのかい?」
きょとんとショウさんが首を傾げる。
「魔王イベントの時に、呪い無効の勇者が裏切って魔族の肩を持ってたんだけどさ」
「呪い無効の勇者が……?」
まだ会っていない人だ。
そばにいたサンがピクッと鼻と耳を動かしているのが目につく。呪い無効の勇者について、何か知っているのかな?
「僕は十中八九、魔王討伐を阻止するためにその勇者の仲間がスタンピードを引き起こしたと考えているよ」
「な……なんだって?!」
勇者が、魔王討伐を阻止する……?あってはならないとは思うけど、こんな現実世界じゃ何があっても不思議じゃない。
ただ、そんなことのために民衆を守るべき勇者が、この壊滅的被害を引き起こしたっていうのか?勇者って、俺と同じ現代人のはずだろう?
心臓がどくどくと嫌な鼓動を打ち始める。
「呪い無効の勇者は……その……この事態でいったいどれだけの犠牲者が出るのか、分かっていたのでしょうか?」
「さあ?そこまで分別できないとは思わなかったけどねー。僕は魔王イベントの聖騎士の結界を維持しようと別の場所にいたから、詳しい状況はよく分からなくてね」
「……その人が今、魔族の村にいると?」
「多分ねー。あ、でももう別のところへ向かってる可能性もあるね。正規ルートを進んでないみたいだし、予測できないや。気になるなら様子を見てみたら良いんじゃないかい?でも、村の中にはあまり入らない方がいいよ」
ショウさんは会話をしながら顔を洗い、ある程度の血痕を洗い終えたのか、両手の水を切りながらすっくと立ち上がった。
「魔族は軽い出来心でもヒトを襲うからね。幹部じゃなくても奴らは強いからさ、今の君のパーティじゃ複数人の魔族相手になると不利だよ。それに、きっと君と魔族じゃ価値観が違いすぎるから話が噛み合わないんじゃないかな」
言いながら作ったような残念そうな表情で肩をすくめ、すぐに貼り付けたような笑顔をみせた。
「そんなの、会ってみないと分からないでしょう?」
「まあ、止めないよ。君は優しそうだからさ、幻滅しないように忠告したまで。何にしても、魔族の村に行くなら気をつけるんだよ」
ショウさんは何でもない事のように軽い調子でヒラリと手を振って谷の方へ歩き始めた。
「ああ、それと、コアまでのルートはあとちょっとで調べ終えるよ。攻略の方はあと3日で何とかなりそうかな」
「……はい、よろしくお願いします!ルートを調べ終えたらまた共有してください。全力でサポートします」
「うん。このイベントが済んだらすぐに各々のメインルートに取りかからないといけないね……知ってると思うけどさ、次の魔王攻略イベントからは一筋縄じゃいかないからね。その色欲の子だけじゃ戦力が足りないよ。特に君のメインルートのフリッジとヴェロニクの攻略はしっかりやらないと」
「……分かってます」
満足そうにショウさんは頷くと、赤い光の中に消えて行った。
ショウさんと別れた後、魔の谷を西へ大きく迂回してとうとう魔族の村近くに来てしまった。
「サン、ここでストップしよう。ありがとう」
魔族の村周辺はイベント停止中だから普通に魔族が徘徊しているはず。ヒトだからと即時襲ってくることはないはずだけど……ショウさんの言っていた呪い無効の勇者が何か仕掛けてくる可能性もある。大事を取るに越したことはない。
ちょうどサンの獣化時間が終わったようだ。人間の姿に戻る。
人間に戻ったサンの表情は暗い。きっとあの惨状を見た後だからだろう。俺もいまだに気を抜けば喉の奥から胃液が迫り上がってくるもんね。
もう太陽もだいぶ傾いてきている中、歩くこと5分ほどで魔族の村のシンボルである木の柵が見えてくる。
と、村の中央から歓声が響いてきた。
不審に思いつつも柵へ近づいて、中の様子を覗き見る。
「……あれ、は……一体何を……」
自分の見ているものが、信じられない。こんなの、間違いだと思いたい。でも、あれって……。
「うわぁ。なんか、お祝いしてるでしょ?」
「何て酷い。あれだけの犠牲者をだしておきながら……」
「……心から、仲間の勇姿を讃えて、喜んでいる……?」
キーマ、チェリンと続き、サンも青い顔をして目を細めながら村の中央の魔族達を見つめて呟いた。サンは心を読んだ上で言っているはずだから、悲しいことに間違いじゃないようだ。
彼らは、この状況を、あの惨状を、喜んでいる?嘘だろ?
宴会を開いている遠くに見える魔族の笑顔がどこまでも屈託なく映る。けれど、手元には……。
「うっ、あの肉塊、魔物の生肉っぽい。人間のもあったりして……」
キーマがおぇっと嗚咽を漏らしながら俺と同じところに目を向けていたようで代弁してくれた。
「ソウタ様、魔族は……その、ヒトの血液が好物と言われています。ショウ様の言う通り、ここに長居しては、襲われてしまうかも知れません」
チェリンは言いつつも険しい顔で口元をハンカチで隠して、魔族達の宴会風景から目を逸らす。
「……うん」
ここで仲間を危険に晒すわけにはいかない。
「俺が甘かったみたいだ」
辛うじて言葉を搾り出せた。
あんな奴らと手を組むなんて、この村の中に呪い無効の勇者が居たとしても……。
あの惨状を知らないはずがない。
それとも、宴会を開くほど、人間を目の敵にしているのか?
だからと言って、瞼の裏にチラつくあの地獄絵図を絶対に繰り返させてはいけない。
「俺が、止めなきゃ」
思わずポツリと、口走っていた。
話し合いでどうにもならない時、幼馴染のアイツは力づくで解決していた。それが100%正しいとは思わない。けど、怖気付いてる場合じゃないことは分かる。
あの惨状を再発させないために、止めるために、俺は強くならなきゃいけない。
でも、俺だけの強さじゃ正直言って限界がある。元々運動神経がいいわけでもないから、強くなるには……仲間が必要だ。パーティメンバーを本腰入れて組むには……彼らにつながる手がかりを得る必要がある。
決意を固めて魔族の村を後にしてから3日後、俺を含めた4人の勇者による決死の攻略の末、ようやくダンジョンコアを破壊することに成功した。
それから3日が経った。
王都で定期購読契約することで、どこに居ても届けられる王国新聞の記事を眺めながら、仲間の朝の支度が整うのを待つ。この新聞で、ストーリー展開の変化を読み取れたり、EXイベントの兆候を知れたりできる。そうでなくても、お得なアイテムの買取情報なども掲載されるから重宝するんだけど……今日の記事はそれなりに重要なことが書いてあるね。
《魔物の大量発生収束に目処。被害状況はいまだ計上中、少なくとも現時点での死亡者3000人、重症者1000人。国王はシルフティア王国神話以来の未曾有の災害として認定し、被災地域の救護を指示》
《街道封鎖を行っていた魔族の村壊滅。先の災害で捕虜となっていた王国兵士が蜂起し、魔族を討伐。詳細は調査中》
魔族の村が壊滅か。結局魔王イベントと似たような状況になったってことかな。正直、あの残虐な部族がどうなろうとなんの感心も沸かない。仲間が大量に死んでいく中であんな宴会を見せられれば、確かに捕虜たちが隙を見て反乱を起こしても不思議じゃないよね。
ショウさんは、上手くウォルナットを討伐出来ただろうか?コアを破壊したあとは自然解散してしまったからあまり話せていないけれど。
それにしても。
「……新聞に彼の死が未だに載ってないってことは、正規ルート『永劫の狂愛』攻略は確実、か」
何度も脳内でシミュレーションを繰り返した。現実世界じゃ通用しないこともあるはずだけど、もう、どんなに不測の事態が起きようと対応してみせる。この世界に来たばかりに感じていた逃げたいなんて気持ちは、不思議と今は湧いてこない。
目を閉じて、自分を奮い立たせるようにゆっくりと息を吐き出した。
この道の先には文字通り強敵が待っている。人間だからと躊躇っていたら、こちらが全滅しかねないほどの。
あの悲劇を生まないために俺はもっと強くならなきゃいけない。たとえ誰かを深く傷つけようとも。
勇者が負けるわけにはいかないんだ。
ソウタの最後の場面と、次の本編の場面が同時刻の予定です。