不穏な旅立ち
「そう言えばさー、チェスにひとつ確認しときたかったんだけど、成人の儀って結婚式とは違うんだよね?」
ベッドの上で胡座かいて座るチェスナットは、私の袖の紐をイジりながら気怠そうに翠の瞳を細めて私を流し見してくる。
うーん、顔色はだいぶ良くなったけど、まだ本調子じゃなさそうだな。まあ、明日旅立つって言い張ってるから止めないんだけど、気持ちゆっくりペースで進むか。
「違うに決まってるだろ」
「そう、ならよかった」
割と本気で。
「なんか、私の知ってる結婚式と近かったからさー、傍から観ながら焦っちゃったんだよねー」
「成人は成人、結婚は結婚だろ……やることはほぼ変わんねーけどな」
「え」
ん?ほぼ変わらないて、どういうこと?
大丈夫だよね?しっかり違うって明言してくれたし、結婚ではないんだよね?
「ご主人がそいつに返してないから、結婚は成立しないでしょう?紛らわしいことを言わないでもらえますか?」
隣の部屋で身体を拭いて戻ってきたダークは、足早にベッドに腰掛ける私のとこに寄ってきて隣に座った。
いつもの爽やかな匂いが、ふんわりと傍から香ってくる。何でだろ、同じように水で体拭いてるのに私からこんな匂い出ないのに。
これがエルフとヒトの違いなのか?
「は?紛らわしくねーだろ?!違うって言ったじゃねーか」
「ご主人、そいつの言うことは当てにしちゃダメだよ。正確じゃないから」
「正確に言っただろうが。それからオレ様はそいつじゃねぇ!下手に省略されるよりムカつくぜ。名乗ってやったんだから、ちゃんと名前を使えよな!」
「ふっ、呼ばなくても伝わるなら呼ぶ必要なんかないでしょう」
「はぁ?」
やばい、これは喧嘩になる流れだ。
ようやく明日から魔族の村を出発しようってのに、まだ村出てない段階でこの調子じゃよろしくない。
でも、大人がガキ同士の喧嘩に口挟むのもなぁ。
命に関わらなければ、彼らの成長のためにもそっとしておきたい。大人として、子ども間のやりとりは意見を求められた時に口出しするのがルールだろうと思う。
でもさ、一つ言いたい。
「ひとまずさ……私を挟んで口喧嘩するのはやめてもらえる?」
コイツら、というかダークがあからさまに私を間に挟んで相手が視界に入らないようにしつつ、この言い合いをおっ始めているのである。
おかげで冷戦時のベルリンの壁になった気分だ。
この際、高望みはしない。コイツらに親友になれとは言わんが、喧嘩しない程度には程よい付き合いをして欲しいものだわ。私の居心地的に。
まーでも、ガキどもには無理な注文かなー。コイツら2人とも、お世辞にもこれまでまともな人生経験積んできたとは言えないもんなー。
「僕は真実を言ったまでです。それに情けで残してもらった自分の名前にいったいどれだけの価値があると思ってるんでしょう?虚弱な負け犬のくせに、吠えないでもらいたいです。うざったいので」
うわ、言うねぇ。
ダークよ、今のはいかんだろ。
その名前を賭けた勝負で負けた理由はお前が騙したからだぞ?
ま、私は口は挟まないと決めたから、ここは特に口出ししないけども。
「なんだと?ふざけるなよ」
案の定額に青筋を立てるチェスナット。
「ふざけてるのはそちらでしょう?2日も寝込んで、ご主人の予定を狂わせてるんですから!ご主人もこんな足手まとい置いてけば良いのに。ずっとこんな奴の看病してるなんてどうかしてます!」
「こんな奴じゃねえ!名前を使えって言ってんだろっ!」
あー……やっぱり予定が狂ったのが嫌でイライラしてたのか。せっかく機嫌治ったと思ってたのに、ずっと不機嫌オーラ垂れ流してたもんな。
今回は私自身に心当たりがないし、掴みきれなかったんだよなぁ。
ダークと2人で話した日、チェスナットの家に帰ると案の定チェスナットは腐ってたんだけど、それに加えて高熱と腹痛でぶっ倒れてたのである。
慌てて呼んだウォルナットさんの見立てでは、長い間口から食べ物を摂取しなかった反動が来たんだろうとのこと。
確かに魔族は精気さえ定期的に吸ってたら一般的な食事の必要がなさそうだったけど、消化器官を使わないとたまに食べた時にこんな弊害があるんだね。
久しぶりに口からご飯を飲み込んだせいで胃腸がびっくりしたって感じ、人間でいうところの食あたりや胃もたれに近いものなんだろうな。
「もうもうもうー!あんなにちゃんと口から食べないと胃腸が弱るって言ってたのにー!こんなになるまで放っておくなんてー!!アセビさん達は、いったい何をしてたんでしょうかー?ちょっと問いただしてきますー!!」
パキパキとウォルナットさんが右手を鳴らしながら笑顔で家から出て行った。
あれ以降、魔族のおっさんどもの姿を見てないけど……まあ、無事であることを祈ろう。
アセビのおっさんは特に酒代わりの血とか持ってきてくれたし、分からないことに色々説明してもらったから、出来れば元気でいて欲しい。
で、このチェスナットの寝込んだ2日間で、EXイベントとやらに関する追加メッセージが届いて、達成率が90%と表記されていた。
攻略の手伝いに行こうと思ってたけど、イベント自体が完全にクリアされると、ショウが再度チェスナットを狙ってくる可能性が高まる。
だからイベント参加は諦めて、勇者達がやってくる前に早々に旅立つことにした。
マルローンの欠片も塩の湖にあるけど、魔族の村から近いし次に来た時にでも探すことにする。
あれ、考え込んでるうちにやけに静かになったけど、チェスとダークの喧嘩はどうなったんだ?
ベッドからチェスナットの姿が消えている。
「あれ?!チェスは?」
「…………」
ダークは無言だ。
「チェスー、どこいったー?」
「うるせー!よく考えたらお前らなんかと一緒にいる必要ねーからな、明日からもオレ様は別行動する!」
隣の部屋から機嫌悪そうなチェスナットの声が聞こえてきた。確かあっちにもベッドはあったけど……別行動って。
「いや、呪いは?」
「……30分毎に解除しにいく!」
「えー……まあ、良いけどさ。まだ病み上がりだし、ちゃんと寝なよ?」
ま、ダークが不機嫌さんだからチェスナットの行動も賢明ではある。
でもパーティとしてどうなの?これ。仲間意識どころか、旅が始まる前からチーム崩壊寸前なんですけど。
どうでも良いけど、ダークが想像以上に人付き合いが下手だ。
何でもそつなくこなすイメージだったし、私やサンの時はこんなじゃなかったのに。
言っちゃいけない系ワードをチェスナットにはガンガン言ってるんだよなー。何が傷つく言葉か分からないはずないけど、わざと言ってるとしたら一体チェスナットの何がそんなに気に入らないのか。
まあ、あんま口出しするつもりはなかったけど、一応言っとくか。
「ダーク、チェスナットに対しての言葉がさ、ちょっと厳しいんじゃない?相手が大事にしてることは、尊重する方がいいと思うよ?名前とかさ」
って、言ってて気づいた。
これ、『ダーク』と名前付けたり、チェスナットのことチェスって省略して呼んでる私の言うことじゃない。
ま、本人たち公認ってことで、自分のことは棚上げしても良いかなとは思ってるが。
「だってご主人が、あの魔族のこと……」
ポツリとダークが言うけど、後半が全然聞こえなかった。
ダークがこっちを見ずに視線を逸らして呟く時は、私に聞かせるつもりがない言葉だ。聞いても2回目は言ってくれないのでスルーすることにした。
「まー、合う合わないはあるから、無理して合わせろとは言わんけど……」
ダークの小さな頭をポンポンと叩くように撫でて言葉を選ぶけど、続きが思いつかない。
まあ、なんとかなるかな。
ガキはガキ同士で勝手に成長するだろうし、下手なことは言わない方がいい。
次の日、見送りに来たアセビのおっさん達の顔は、一体何があったのか、ボコボコに膨れていた。
うん、聞くのが怖いので聞かずにおこう。十中八九ウォルナットさんが関係してるだろうけど。
で、チェスナットがウォルナットさんを呼び出したので呪い解除の翻訳機としてついていく。
魔族のおっさん達から充分離れたところで、チェスナットが私の服の飾り紐を手に取った。そしてウォルナットさんを振り返らずに静かに口を開く。
「ウォル、お前がこれから何をしたって、俺の仲間に何をさせようと、俺は変わんねーからな」
「えー、チェス君、なんの話ー?」
ウォルナットさんは困ったような笑顔で小首を傾げてみせる。私も何の話か分かんないけど、邪魔したくないし黙って成り行きを見守ることにする。
チェスナットの深緑の瞳が、ついと背の高い相手の元に向けられた。
「お前も、俺の仲間だからな。どんなになってもそれは変わらねーから、忘れんなよ」
「何それ……綺麗事言わないでよ」
黄緑の眼が初めて不快そうに揺れる。
いつものウォルナットさんからは想像もつかないような表情で、これが素なのかなと思うと普段の猫被り具合が激しすぎる。
「綺麗事じゃねーよ、俺は本気だ」
「チェス君は、私の何を知ってるの?私のしたことを全部知っても、同じことが言えるのかな?」
「……俺は俺の知ってることしか知らねーに決まってんだろ。でも、こういうのは初めてだろ?」
掬い上げるように見上げるチェスナットの顔には不適な笑みが浮かんでいる。迷いのない凪いだ瞳が、ウォルナットさんの黄緑色の眼を包み込むかのように映した。
「お前は、これから俺が知ったら止めに入りたくなるようなことをやるってのは、何となく分かるぜ?それが何かは知らねーけどな。でも、いつ、どの段階でもお前は俺の仲間だ」
「そんなの……」
ウォルナットさんが眉間に皺を寄せて、ふぅと少し長めに息を吐いた。そして作り笑顔で肩をすくめてみせる。
「本当に赦してくれそうなの、チェス君は、バカだよー。マル兄さんだったら僕のこと躊躇わずに殺すんだよー?」
「じゃあ、お前は復活した兄貴にきっちり落とし前つけてもらう。それまでは俺の仲間だ。忘れんな」
聞き終わるとウォルナットさんが物憂げな笑顔に表情を変えながら、チェスナットの額に口付けをした。
「ありがとう、チェス君。ごめんね。たくさん謝らないといけないんだけど、今のチェス君には何も言えない。これからも言える機会はないかもしれない。でも、僕もチェス君の大事な仲間は守るよ」
「約束だな?」
「うん」
森の中に佇む2人の絵画のような姿に、見惚れた。
まー、話の内容はちんぷんかんぷんだがな。
強いて言えば、相手の額に口付けする行為、ダークに何回かやられたことあるなって思ったくらいか。
で、今ので2人の会話はひと段落したようで、チェスナットは用済みと言わんばかりに無言で飾り紐から手を離して自分だけサッサともと来た道を戻っていく。
マージであいつ、私のこと自動で歩く解呪器扱いしてるよな。一言くらい言ってから戻れよ。
「カナメさん」
心の中で悪態つきながら私も戻ろうとしていると、ウォルナットさんに呼び止められた。少し深みのある男性寄りの声音だ。
「どうか、この先もチェス君から離れないでいてもらえますか?あなたと居れば、僕へのあのお方の指示が止まるみたいです」
「ん?」
まあ、意図して離れるつもりはないけど……それこそ何の話?
てか、ウォルナットさん、一人称私じゃなかったっけ?たまに僕って言ってるけど、男っぽいときは僕っていうの?と、話しかけられた内容がよく分からなさすぎて、どうでもいいことの方に気を取られてしまう。
「あのお方?」
「お会いしたことがあると思いますよ。あなたからは、あのお方の香りが微かにしますので」
「え、香り?ダークの匂いってこと?確かにあの子いい匂いだよね」
自分の服に匂い移ってるのかと思って腕を匂ってみるけど、ウォルナットさんが困った顔して首を振った。
「夢の中のような、掴みどころのない方ですよ」
「???」
ショウのことか?
確かに掴みどころはないけど、夢の中って表現がしっくりこない。
「でもまたいつ、あのお方からの指示が出るか分かりませんから……」
人差し指を自分の口に当てるポーズをとりながら、祈るような目で私を見つめてくる。
「僕とレーンボルトを信用しないで。無闇に近づかないでくださいね」
「レーンボルト?」
ウォルナットさんから意外なネームが飛び出てきた。
まあ、向こうにはノズやリフリィ通してめっちゃ喧嘩売ってるし、私を敵対相手と思ってるはずだから自ら危険に近づく気はないんだけど。
自分も含めて信じるな、なんて変な言い回しだ。
あのお方って奴に逆らえない何かがあるんだろう。誰なのか知らんけど、事情があるらしいウォルナットさんからの警告なので、心には留めておこう。
「分かったよ、気をつける。チェスからも特に離れるつもりはないし」
私の言葉に、漸くホッとしたような笑みを向けてきた。
「じゃ、戻りましょうかー。あまり2人でいると、ダーク君に怒られそうですしー」
いつもの語尾を伸ばす話し方に変わったウォルナットさんに、私もちょっと安堵する。
「よく分かったね、私もそれを心配してたとこだわ。最近特に機嫌悪いんだよねー、あの子」
「ふふふー、ダーク君はチェス君に負けず劣らず、分かりやすい方ですよねー」
「チェスほど分かりやすくないと思うけど」
「カナメさんは結構鈍感ですからねー、ダーク君も苦労しそうですー」
「え、マジ?私って鈍感なのか」
嘘かどうかや機微には気付く方だと思ってたんだけど。確かにダークが意味ありげな行動してきてもよく分かんないこと多いしな。
突然、天敵の勇者に近づいて聖剣奪ってこようとするし。ウブかと思えば膝枕は率先してしてくれるし。最近はチェスナットのことを異常に嫌ってるし。
「そういえばウォルナットさん、さっきチェスにしてた額にキスする行為って、どんな意味?」
「んー、簡単に言うと相手の考え全てに従うって意味ですかねー。額は意思や考え方全般を意味する場所で、口はその人間の生きる糧を意味しますー」
「ふーん。相手の考えを自分の糧にするから、相手に従うって意味になるてこと?」
触れる顔の部位で意味が変わるって、なんか面白いな。
「それって、エルフも一緒?」
「元は創造神が人間を産んだ後に最初に授けた行為ですからねー。エルフもあまり大きく変わらないんじゃないですかねー。長寿種族は伝承による齟齬がうまれ難いと思いますー」
「へー」
確かにダークが私の額にキスしたタイミング的にも、私の考えに従うって意思表示が合ってそうだな。
「じゃさ、頬は?どんな意味が……」
「カナメ、早く行くぞ!日が暮れちまう」
話してるうちに皆んなが溜まってる場所に戻ってきていたみたいだ。
チェスナットがイライラしているのを隠しもせずに声をかけてきた。
ダークも橙の瞳がいつもの半分の大きさになるくらい据わってて、機嫌が悪いのが見て取れる。
ああ、今からアイツらと旅に出るのかと思うと気が重いな。
「カナメさん、次会う時は、さっき言ったことをどうか忘れないでくださいね」
人差し指を口元に当てるポーズをしながら、ウォルナットさんは寂しげに目を細めている。
「まあ、忘れはしないけど。あんたもチェスの言ったこと、忘れちゃダメだよ。部外者の私にはよく分かんなかったけど、君らにとっては多分、大事なことでしょ」
黄緑の眼が一瞬だけ開いて、柔らかく弧を作る。
「……はい。出来れば忘れたくありません」
なんか、変な言い回し。
ちょっと引っかかるけど、突っ込んで聞くほどでもないか。
そんな若干の心残りを抱いて、私は魔族の村を出た。
この数時間後、案の定不機嫌なガキどもに悩まされることになったわけだが。