分かるような、分からないような
「ダーク、あんたまさか……」
「ダークお前の仕業だろっ!」
私とチェスナットの声が重なった。
思考回路被るとか、ちょっと恥ずいな。
根拠はある。
チェスナットが滑った地面だ。
さっきまでは見た目が変わらなかったのに、今見ると明らかにツルツルになっている。
これはきっと土魔法による硬化なんだけど、ウォルナットさんがしたとは考えにくい。詠唱してなかったし、見るからに初撃からの流れはいっぱいいっぱい。防げたのも奇跡的なレベルだから、そんなことに手を回す暇はなかったはずだ。
もっと言うなら、ツルツルになった土の表面を闇魔法か隠蔽スキルで他の土地と変わらないように認識させられていた。おそらくこの場にいる全員が。こんな芸当を誰にも気づかれずに実行出来る人間って限られるだろう。
衆目監視の中、高度な無詠唱土魔法に加えて隠蔽工作を静かに実行しうる人材……てかそんな人物は私の知る中では1人しかいない。
十中八九、ダークの仕業だ。
一方、当の本人のダークは澄ました顔してストローから口を離さない。
「おいウォル!複数戦なら宣言してねぇと無効だろ!」
チェスナットが無視をきめこむダークの態度にイラつきながら、声を荒げてウォルナットさんを見上げた。
「いえ、複数戦ではないですよー?彼は宣誓以降は何もしてませんからー」
「!!…………くそっ、そういうことかよ!」
つまり、ダークはウォルナットさんが宣誓する前にウォルナットさんの背後をツルツルに工作して隠蔽していた。既にツルツル地面が『初期状態のフィールド』だから、そこから変化しない限りは共闘換算にならないってことかな?
ずいぶんと汚い手を考えるなー……つか、ダークがウォルナットさん側の作戦に乗ってるのが驚きだ。
そんなにチェスナットのこと嫌いだった?たまに嫌そうにしてたけども……私がチェスナットに向けてすることを嫌がってただけで、罠に嵌めるほど嫌いになる理由も思いつかない。
私が寝てる間に何かあったのかもしれないけど……でも、それなら仲良く3人で寝てたのも納得いかない。
ダークが本当に嫌いなら拒絶しまくって絶対近づかないイメージあるし。
「……いやぁ、びっくりだ。曲がりなりにもまさかチェス坊が負けるとはなぁ」
アセビのおっさんが漸く状況を飲み込んだようで、思いの外のんびりとした口調で呟いた。
「これ、この後どうなんの?この場合って降参みたいになるんですか?」
見たところウォルナットさんは、チェスナットに剣を突き立てた状態のままキープしている。
トドメを刺す気配がないけど、このまま終わりでもないように感じる。
「ウォルが勝者として『最期の問いかけ』をするはずだ。その返答次第で、結末が変わるな」
「さいごのといかけ?」
質問するってこと?
「名賭けの闘いで、唯一敗者が生きたまま名前を譲渡出来る方法だ」
唯一って……チェスナットの言ってた条件次第では死なないってやつのこと?
「これからウォルが、チェス坊に問いかけをする。それがウォルの予測した答えと同じなら名前の譲渡だけで済む。違う答えなら、トドメを刺さねぇといけなくなる」
「え、何それ」
ちょっと難易度が高いのか低いのか、いまいち分からんぞ。
何と言っても命懸けの闘いで負けた直後の人間相手だ。普通頭に血が昇ってて冷静な判断できないよな。場合によっちゃ「はい」か「いいえ」の二択問題を出しても、価値観が違うと無理じゃね?
「これが他種族相手にゃなかなか難しくてよぉ。予測できねー。それで、だいたい殺しちまうんだよなぁ」
ん?てかこれ、最後の問いかけの後、答えが違うとトドメを刺すって話だけど途中で辞めることはできないのかな?お互い殺す気がないなら平和的に「やっぱなしで!」って辞められそうな気もする。他にもなんか条件があんのかなぁ。ややこしくてめんどくさい闘いだな、これ。
魔族てもっと単純なルールの方が好きそうなイメージなのに。なんでこんなめんどくさいことをルール化してるんだろ。まあ、他所の文化なんてよく分かんなくて当然か。
「で?……魔族相手なら大丈夫なの?」
「普通は答えが分かりきってる質問をするからな。ここの魔族相手なら大概、『景色のために死ねるか』って投げかけりゃ終わるだろ」
「なる」
確かに。殺し合い前提じゃないなら、答えが分かりきったものを訊けばいいね。
定型文があるなら安心……か?ウォルナットさんが、ちゃんとそういう系の質問をしてくれたら良いんだけど……。
「チェス君の初血の相手、カナメさんの血を私も飲んでいいなら、命を助けますー。どうしますか?」
「「なっ?!」」
私とチェスナットの声が再度重なった。
ちょwww定型文どこいったー!!?
流石のチェスナットも翠の目を見開いてポカンとしてるわ。
「いくら飲んでも死なないんですよねー?私、そんな精気の充実した人に会ったことありませんから、味見したいじゃないですかー」
ニコニコ笑顔でチェスナットを見下ろすウォルナットさん。
まあ、ある程度飲まれても死ななかったけども。
私に直接聞くならまだしも、なんでチェスナットに訊くんだよ?!
チェスナットの命に代わるなら、貧血になるだけで私は死なないし、承諾するしかないよな。
仲間じゃない発言からの言葉を根に持つつもりはないけど、私が貧血になろうとどうなろうと、死なない限りは呪い解除出来るしチェスナットには関係ないこと。
答えはOKの一択だろ。
さあチェス、早く良いよって言うんだ。
「…………お前、ほんっとムカつく奴だな」
たっぷり数秒沈黙した後、チェスナットが嫌悪の表情で顔を歪ませながら吐き捨て、喉元の剣先を片手でガッと掴む。
掌が切れて血が指の間を伝い、チェスナットの顔に滴った。
「ダメに決まってんだろ!バァカ!!俺の許可なく触れたら同族だろうとぶっ殺すぞ!」
「バカはどっちだよ?!何言ってんのチェス?!」
思わず大きな声でツッコミを入れて立ち上がってしまった。
アホなのかな、あの子。その状況で凄んでも、殺すより先に殺されちゃうでしょうが!
てか、マズイよ!
いくら剣先を掴んでるとはいえ、態勢的不利を逆転出来るとは思えない。このままじゃチェスナットが殺されるじゃん!!
直感でそう確信すると同時に、怠惰スキルを発動させてチェスナットとウォルナットさんの間に入り込んだ……実際にはウォルナットさんが剣を引いた所に割り込んで、私がチェスナットを庇う形で抱きかかえたところだ。
倒れていたチェスナットを抱えて、回転の勢いを利用して起き上がり、態勢を整える。
ふう。
何とかトドメを刺される前に滑りこめた。
でも相手は立った状態だから、しゃがんだ態勢の私たちの方が圧倒的に不利だ。怠惰の反動が来る前に、もう少し距離をとっておきたいけど……出来るか?
「わぁ、カナメさん来るの速いですー。突然現れるなんて、全然見えなかった……せっかく条件満たしたのに、危うく勝敗が無効化されるところでしたよー」
「条件とかそんなのどうでも良いでしょ!チェスを殺すくらいなら私の血でもなんでも……ん?……」
と、違和感に気づいた。
条件を、満たした……とな?
胸の辺りのフワフワ髪がモゾッと動く。
「カナメ、終わったから離せ」
「え?あ……うん」
抱える力を抜くと、ヒョイと立ち上がるチェスナット。
怒ってるかと思いきや、意外と平気な顔して自分の手の傷を舐めて止血している。
周囲の魔族達が遅れてザワザワと色めき立ってくる。
「チェス君、凄いですよー。私、ピタリ賞ですー。一言一句違わず当てちゃいましたー」
「知るかよ!くそっ!なんで俺がこんな……お前なんか嫌いだ」
「ふふふ、私はチェス君のこと大好きですよー?予測されてるって分かってても、ちゃんと素直に答えるところとかー」
「うるせぇ!黙れ」
ニコニコと嬉しそうに微笑みながら剣を鞘に収めるウォルナットさんに、チェスナットが噛み付くように応えている。
言葉も乱暴でツンケンしてるけど、チェスナットからさっきまでの殺伐とした空気が消えている。とても命懸けの闘い直後の2人とは思えない……なんて言うか、兄弟みたいな雰囲気だ。
これは、勝敗がついたってこと?
「てか、もうチェスナットじゃねぇだろ」
チェスナットが不貞腐れたようにドカッと胡座をかいて座る。
「負けは負けだ!全部持ってけ!」
あ、そっか。
負けたから名前が奪われる……チェスナットじゃなくなるのか。チェスって呼んだらウォルナットさんのことになる。ん?ややこしいな。
これからコイツのこと何て呼んだらいいんだ?生意気坊主?それともクソガキ?
あーでも、ダークも生意気だから被るなー。
「それなんですけどねー。私、チェスナットって名前は要りませんー。その名前は一番チェス君が似合ってますからねー。私はその名前に見合うほど強くないですしー」
「……は?」
チェスナットが不審な顔してウォルナットさんを見上げた。私もまあ同じような顔してるはずだ。
そんなこと出来るの?てか、それじゃ何のためにこの人は闘ったの?
ウォルナットさんが、笑顔のままチェスナットの隣にしゃがんで続けた。黒くて長いストレートの髪がサラッと地面に軽く垂れる。
「他にも、よく知らない先祖の名前も要りませんしー。被ってるのもあるからー、お返ししますー」
「はあ?バカかお前!殆ど返して来てるじゃねぇか」
「ふふふー、こんな勝ちで全部もらおうなんて、気が引けちゃいますからねー。私が欲しかったものはしっかりもらいましたしー。先祖の名前が10個以上あれば村長になれますからー。あんまり覚えてない先祖の名前なんて要らないですー」
「は?覚えてない……って、お前、レフェイアルとかバイラントシンダーくらい持っていけよ!7代と8代前の直系だぞ」
「えー、知らないー」
「お前なぁ!一緒に司祭の授業受けただろ?!」
「一回じゃ覚えられないですー」
「は?!何回も出てきたじゃねーか!」
「そうだっけー?正直言って私は今のことを覚えるのでいっぱいいっぱいですー」
「は?今で覚えることなんか特にねーだろ」
「確かにー覚えてたこと全部パーになりましたねー」
「いや、先祖の名前を覚えろって話だろ!」
なんか、和気藹々と名前の押し付け合いが始まった。
結局、この会話でいくとウォルナットさんが欲しかったものって、村長の座ってことなのかな?
困惑する私を置き去りに、チェスナットは仕方がないから選定してやると言い、名前の後に軽い経歴の解説をし始めた。なんか、出会った時のチビチェスナットが思い起こされる。これ、2時間コースじゃね?
それに対してウォルナットさんは名前のことより会話する方を楽しんでるみたい。いちいちチェスナットのツッコミ待ちのような返答をして、叱られては笑っている。
なんか、ウォルナットさんの心底嬉しそうな顔を見てると、どんどん毒気が抜かれていくなぁ。なんていうか、この2人、仲睦まじい幼馴染って雰囲気だ。
私への言動が不一致なせいで疑ってたけど、本当にこの人は、チェスナットのことは好きみたいだな。
「なんかさ、私、邪魔した……かな?邪魔したよね?」
「ん?いえいえー、想定内でしたよー!思ったよりもカナメさんが駆けつけるの速かったから、焦りましたけどー。その速さのおかげで程よく牽制も効いたでしょうしー」
「牽制?」
てか、想定されてたのか。
私、この人には今日会ったばっかりだし、ろくに会話もしてないんだけど。どこで知るんだ?
「あ、想定してくれたのはダーク君ですよー?聞かされてましたけど、こう言っては悪いのですが、カナメさんがこんなに速く動かれるなんて思えなくて……私が甘く見てたんですー」
そう言えばダークが一枚噛んでるんだったか。
「あ、ダーク君を悪く思わないでくださいねー!カナメさんを守るための取引でしたからねー」
「え」
私を、守る?
「チェス君に勝った村長の私ですら血を飲むことが許されないのに、他の魔族が許されるはずがないという、理論ですー。そしてチェス君が同族だろうとぶっ殺すって宣言されましたからー、この村の魔族は手出しできないかとー」
いや!うん。それはなんか分かったけどね。
そこじゃないんだわ。
「私って、魔族に狙われてたの?」
「みんなの憧憬の対象であるチェス君の初血の相手でー……しかも生き残ってますからねー。それだけでも魔族はみんな興味津々ですー。それに、いろんな考えの魔族が居ますからー」
「いろんな考え……」
「チェス君は歴代魔族の中でも最強ですからねー。チェス君をカナメさんに取られちゃうのが嫌な人とかー。単純に景色のためにずっと戦ってて欲しい人とかー。お門違いにも初血の相手の血を飲めば同じくらいの力を持てるかもと考える人とかー。残念ながら協力してくれた恩を忘れた不届き者は一定数いるものなんですー」
なるほど?
チェスナットの誓う相手が生きてると都合が悪い人がいるのか。最後に挙げられた考えはお門違い過ぎるけども。
「お気づきかも知れませんが、あの家は常に信頼できるアセビさんを中心に10人体制で警備してたんですよー?その10人でさえも、カナメさんの血に興味がある状態ですー。いくら飲んでも死なないという話が出てきてからは、ご立派な思想どころか興味本位で飲みたがる輩も出てきてー、実は危うかったんですよー」
「え」
警備いたの気づかなかった。
まあでも、確かにチェスナットの家に来てた連中で羨ましがってる奴が居たな。割と軽い調子だったけど、真剣に捉えた方が良かったのか。
「チェス君が牽制してくれるのが一番なんですけどねー。でもチェス君は素直じゃないしー、放置しがちだから、こういう場じゃないと公言しないんですよねー」
「そんなやつ、出てきたら片っ端から血祭りにすりゃいいだろ?だから泳がせてたんじゃねーか」
「いやいやー、これだからチェス君は甘いんですよー」
むふーと呆れたような顔をして見せるウォルナットさん。完璧に煽りにきてる顔だけど、ちょっと可愛い……あざとい系だ。
「今はともかく、旅に出るんでしょー?いつ狙われるかわからない状態はきついですよー?カナメさんは女性ですからー、四六時中チェス君やダーク君がついてるわけにもいきませんよねー?私が同行するならまだしもー」
「お前は絶対ぇついてくんなよ!」
「もー、村長を引き継いだからもう無理ですよー」
まあ確かに、例えダークだろうとずっとくっついて欲しくはない。基本的にはベタベタするの嫌いだし。ウォルナットさんは同性に近いとは言え、そんな仲でもないし。
「……魔族を相手に警戒するのは流石に鬱陶しいので、僕が取引に応じました。ご主人の実力も同時に披露出来ましたし、良い牽制になったと思います」
いつの間にかダークが私のそばに来ていた。
橙色の瞳がチェスナットを見下ろし、ガンを飛ばす。
「……ついでに死んでくれたらいいなと思ってましたけど」
「こら!」
ぽかっとダークの頭に軽くゲンコツした。
「……痛い」
ダークが殴られたところを手で押さえながら私を振り向いた。
「私のためにしてくれたのは、ありがとう!でも、どんな理由があったにせよ、チェスには謝らないとダメだよ。騙したのは変わらないからね?それに、死ねばいいなんて言葉、言っちゃダメでしょうが!命懸けで戦ってた相手に失礼!」
ダークの眉間の皺が深くなる。
言いたいことが、たくさんあるような表情だ。
「…………でも、だって……ご主人の……」
言いかけたままギュッと口をつぐんだ顔は、どこか危うい感じがする。
「……嫌いになった?」
問いかけてくる声が少し震えている。オレンジの瞳は縋りつくようで、どこかひび割れたガラスのようにも見える。
……うーん。
ちゃんとダークの言い分も聞いてやりたいところなんだけどね。チェスナットや他の魔族も大勢いるこの場で話を聞くのも違うと思う。
「ごめんね、ダークの話は後でちゃんと聞くよ。でも私さ、ハッキリ言うけど真剣にやってる人を騙す人間は嫌いだよ。だけど悪いことをした後、潔く謝罪する人は好き。ダークはどっちの人間になる?」
「………………ずるい」
ポツリと言ったダークは、奥歯を噛み締めてチェスナットを睨みつけた。
目に涙を溜め、心の底から嫌そうな顔で、口を開く。
「……ごめん、なさい」
これは、謝ってると言うより挑発してると取られてもおかしくないなぁ。
私の心配をよそに、チェスナットはあっさりした態度を見せた。
「赦す。終わったことだからな。それに……ウォルに渡せるなら、そっちの方が良かった」
何でもないことのようにサラッと赦したチェスナットは、すぐにニヤッと口角を上げてウォルナットさんの肩に腕を回した。
「お前もこれで気が済んだか?ウォル」
「ふふふー、チェス君のキレてるフリ、なかなか迫真の演技でしたねー」
「お前が何してぇのか、分かんなかったからな」
ん?キレてる、フリ?
まだ頭を抱えて痛がってるダークをちゃんと謝ったご褒美も兼ねて軽くヨシヨシしつつ、2人の会話に疑問符を浮かべた。
「それに、半分以上本気だからな。散々俺の神経を逆撫でしやがって……女どもを勝手にここに連れてくるのはやりすぎだろ。ステルトリアがどんなめにあったか……」
「知ってる」
ウォルナットさんが急に冷めた声で遮った。
「分かってるから、それ以上は言わないで。チェス君」
長い髪が顔にかかって、私の位置からはウォルナットさんの表情は読めない。
けど、語尾を伸ばさなくなったら途端に凄みが増すんだよなぁ、この人。なんか一癖も二癖もある感じが、油断ならないと言うか。
「ったく、じゃあ何で……」
「だって……」
ここで顔を上げて、いつものふわっとした笑顔を見せるウォルナットさん。
「女達はこっちに来ておく方が安全だからですよー?そろそろ、在庫切れの時期だから、勇者を使って虱潰しに僕らの拠点に迫ってくる気がしてー。あいつら前回に引き続き、今回も大失敗したしねー」
「まあ、そろそろなりふり構わなくなってもおかしくねーな。でもよ、勇者を使うって、勇者の恨みを買うことなんて俺らはしてねーぞ…………俺の背中をブッ刺した勇者ならあり得るか。村に来てた女勇者曰く、今回の大規模戦闘の目的の一つに俺たちの捕縛も入ってたくらいだ。この後も何があるか分からねー。気をつけろよ」
「えー、男でもよくなったのー?見境ないなー」
「知らねーよ、あいつらの考えることなんか!俺は騙されかけたしな!」
「あー、それ聞いたー。チェス君バカすぎー」
「うるせぇ!」
んー……微妙に話が見えないんだよな。
特に、途中出てきた『在庫切れ』って言葉が気になる。
どういうことか聞いてみようかとも思ったけど、割り込める雰囲気じゃないし。解説してもらおうかと思ったダークは私がヨシヨシしている間に抱きついてきてて、表情が見えない。
うーん。ダークてば、なんかいつもと様子が違うんだよなぁ。
私が今日目覚めてから、普段以上にベタベタしてくるんだよこの子。私がベタベタするの好きじゃないって知ってるくせに。いつもは日中は手を繋ぐ程度で、寝る時以外は接地面積小さいのに、今日は必要以上にくっついてきてるというか……私が寝てる間、魔族の村でアウェイだから寂しかったのか?
ただ、寂しいにしては表情が見えないようにしてくるのも変。意図的に顔を隠してるよな。
何か怖いことがあって、それを隠している?ちょっと違う気もするけど。
私が思考してる間にチェスナットとウォルナットさんは会話を続けていた。
「……だからウォル、村長するなら先祖の名前を少なくともあと10名分は受け継げ。じゃねぇとうちの先祖はこれっぽちしかいねぇのかって舐められて恥ずかしいからな!今夜は寝かさねーからしっかり覚えろよ!」
「えぇー、それは嫌ですー」
「なあ、チェス坊とウォルナット、そろそろ宴席に移動しねぇか?準備はとっくにできてるからよ、みんな待ってるぜ」
2人の会話を遮ってアセビのおっさんが声をかけてきた。
「ああ、そっか……分かった、行くぞ」
「はーい」
チェスナットとウォルナットさんがサッと立ち上がって歩き始めた。で、チェスナットが数歩先で立ち止まると私たちの方を振り返った。
「カナメとダークもついてこい。一緒に食うぞ」
「あ、うん。でも、いいの?」
私たちは余所者だからお呼びじゃないと思ったんだけど。特にダークはさっきの戦いで邪魔した張本人だし。
「主役のオレ様が良いって言って悪いことなんかねーだろ。村の恩人を外すわけにいかねー。座ってるだけで良いから、来いよ」
「あ……ありがとう」
チェスナットって心が広いよなー。なんも考えてなさそうに思ったけど、意外と筋を通すし。偉そうだけど、これがリーダーの器ってやつか?
「ねぇダーク、チェスナットは良いやつだよ。それでも、死んだら良いって思う?」
「…………」
私の問いかけに、くっつき虫してるダークが無言のままクリーム色のフードを小さく横に揺らした。
返して欲しかったダークの反応に内心ホッとしつつ、小さな背中をトントンと撫でる。
「でも私にとってダークはもっと良い子だよ。私のために動いてくれて、ありがとうね。ダークの言いたいこと、全部聞きたい。私もひとつ、聞きたいことがあるしさ。後でさ、2人でゆっくり話そう」
「……うん」
私の服を掴むダークの手が震えているのが目に入ったけど、私は見ないふりをした。
はあ。
これは、予想通りな気がするなぁ。
出てきそうになるため息を何とか飲み込んで、足を踏み出す。
宴席につくと意外と早く前振りもなしに食事が始まった。先ほど成人の儀をした広場に花見の宴会場のような敷物が敷かれて、料理が固まって置かれている。
こういう場ってお偉いさんが話するとか乾杯するとかあると思ってたけど……魔族はそういうのないんだな。気楽で良いけど。
出された食事はだいたい活き造り系だから、ぴちぴち動いてる部分もあって、見た目がかなりグロい。鑑定したところ毒もないみたいなので、心を無にして少しずつ頂いているところだ。幸い、私たちの座ってる席は、ダークとチェスナット、そして動かないマルローンのみだから特に気を遣うこともない。
ただ、一つ問題があるとすれば、隣に座る主役のチェスナットの機嫌が急降下したことだ。
「チェス、お腹でも痛いの?」
「うるせぇ。お前には関係ねーだろ」
でた。関係ない発言。
マジでコイツ反抗期か?
てか、何でいきなり不機嫌になった?
さっきまでウォルナットさんとも仲良く話してたし、他の魔族とも楽しそうにしてたくせに。
食事が始まると、無言で不機嫌オーラを出しまくっている。
全く、しょーがないな。
「チェス、前見てみな」
「あ?」
しかめ面のまま、言われた通りに顔を上げて私を睨みつけてくるチェスナット。
その表情、ガラ悪いんだわ。ほんと小、中学生のヤンキーを絵に描いたような奴だな。まあ私にゃそんな脅しみたいな顔効かないけどさぁ。
チェスナットの肩に腕を回して、示したい方向に顎をしゃくってみせる。
チェスナットが私に釣られて目を向けた先、晴れ渡る絶景の山脈を背にして大勢の魔族が料理のあるところで各々円になって笑い合い、得体の知れない食べ物をつつく姿が彼の深緑の視界に映った。
「あんたの守り抜いた景色だよ、最高じゃないか?よく頑張ったね」
「…………」
ニカッと笑ってやると、突然チェスナットが持っていた茶碗をダンッと置いて両手で顔を隠した。
「え、チェス?!どした?」
覗き込もうとするとそっぽを向かれた。
両手の隙間からポタポタと水が垂れる……汗?いやこれは、涙か?
「ええ?!な、なんで泣いてんの。大丈夫?!」
「……うっせぇ!こっち見んな!」
「はあ?!心配してんのに、うっせぇて何だよ!それに泣くのを見るの2回目なんだから、別に隠す必要ないじゃん」
「う、る、せ、ぇ!そう何度もお前なんかに見せてたまるか」
「お前なんかって何さ?ほんとこのクソガキ、こっちが下手に出てんのに口悪いな!」
泣いてる時でさえ生意気って何なのさ?!
もっとシクシクと可愛く泣くならこっちも優しくできそうな気もするのにさ……いや、それはそれでめんどくさいか。壮太の時も割と放置してたし。
てかさ、機嫌直してやろうと思って言ったのに。急に泣きだすとか、意味わからないんだけど?
「……今のはご主人が悪いよ。ちょっと同情する。せっかく我慢してたのに」
私を挟んでチェスナットと反対側に座っているダークから援護射撃が浴びせられた。
まさかダークがチェスナットの肩を持つなんて。
「えっ!私、別に悪いことは言ってないよね?!」
「ご主人て、そういうの無自覚なのがタチ悪いよね……」
「え、なんかそれ、地味に傷つくんだけど」
ダークと話してる間にチェスナットは私の背後に完全に隠れてしまった。
彼の心境的にはどっか遠くに行きたいんだろうけど、腐っちゃうし、宴の主役だからね。席を外すわけにはいかないんだろう。
私の背後だと魔族から隠れられるもんな。グスグス鼻水を啜る音が背中から聞こえてくるから、まだ泣いてるんだろう。
咄嗟にウォルナットさんを探してみると、ちょうどパチっと目が合った。数メートル先の輪の中に居るんだけど、穏やかな笑顔で黄緑色の瞳を私たちに向けて、軽く会釈してきたのみ。特に心配する素振りや駆けつける様子は見せない。
「どうしよ……」
泣かしたの私みたいだけど、どうしたら良いのか分かんない。
なんかこれ、エルフの里で泊まった日のダークを思い出す。あの時のダークも途中から不機嫌で、こんな感じで寝る時に私の背後で泣いてたっけ。
ダークはチェスナットの今の気持ちが分かるんだろうか。だとしたら、本当に私が悪いのか?
「ごめん、チェスナット。何が悪かったか分かんない……でも、私が悪いみたいだから一応謝る」
「うっせぇ。お前は、悪くねぇ!」
悪くないらしい。
「でも……」
「良いから、構うな。もうちょっとで止まる……ぐすっ」
「う、うん」
構うなと言われちゃったら放置するしかない。
でもなぁ。散々壮太を泣かしてきたけど、こんな年下を泣かせたいわけじゃないし。
納得し切れないままだけど、しょうがないのでお世辞にも美味しいとは言えないスープを口に含んだ。
何気に最初出されたあの特製スープはかなり美味かったんだなと、今更ながらに感謝しておく。
「……味と匂いは、思い出すんだよ。良いことも…………悪いことも」
ダークがオレンジの瞳を手元に落としながら匙をくるくると回す。
そう言うもんなのか。私には分かるような、分からないような。難しい感情の機微だ。
「ダーク、くるくる混ぜるだけじゃなくて、一口は食べないと、失礼だからね」
「うっ……後で吐いても良いですか」
「……見えないところでなら」
ダークの耳が力無く垂れるのを横目に、再度私は笑顔溢れる魔族の村を見渡した。
私はまだ、何が正しかったのか、この結果は正しかったのか、分からないでいる。
この笑顔の裏には大勢の死……そして現在進行形で今もなお、他の人達の悲しみが積み重なっているのかもしれない。
だからと言って目の前の彼らの顔が哀しみに染まって欲しいわけでもない。
少なくとも、私の背にいる少年が切実に望んで3年もの月日をかけて守り抜いたこの景色。この笑顔溢れる景色は目に焼きついてこの先もきっと、私は忘れられない。
「……良い景色だね」
私の言葉に、コツンと私の背にある頭が揺れて当たった。
魔族の村編、やっと終わる