魔族の成人式事情
切るには微妙だったので少し長いです。
途中、グロ表現があるのでお食事中の方はご注意ください。
チェスナット曰く、鏡の谷周辺に突然大きな地震が起きて、精気の塊が一つ地表に出てきてしまったとのこと。とは言っても、チェスナットもずっと気絶してて目覚めたのは2日前らしいから、又聞きになる。
でも、唯一その場にいたダークは教えてくれる気がないみたいで、チェスナットの話を私の横で黙って聞いてるだけだった。まあダークの性格上、間違った情報だと訂正入れるはずだから、情報自体は正確なんだろうと予想する。
普段、精気の塊は、地下を通る聖水と鏡の谷の表面にあったツルツル……鋼床という途轍もなく硬い魔石でサンドイッチ状態になって抑えられているらしい。
魔族の見解によると、この鋼床は地震の揺れなんかではびくともしないはずだけど、今回は地表面にひび割れがあり、そのために精気の塊が地表まで出てきたと考えられるとのこと。これ、原因は聞いてる途中で予想ついたけど、私と勇者が鋼床の表面をバキバキにしちゃってたせいだよな。
ダークはこの話をチェスナットから聞いてる時、「ご主人が砕いた所と範囲が違う」と横槍を入れた。チェスナットも「そこは魔族は追及しねぇって言っただろ。今回の件は誰が砕いたかが問題じゃねぇし、こっちに実害はなかったからな」と返しているので、一応この5日間で決着のついた話みたいだ。
うん……でもこれさ、ダークはこう言ってても、4分の1くらい私の責任だよな。ちょっと範囲がズレてるとか言ってみてもさ、ツルツル面を滑ってる時にヒビを入れたアレが関係ないとは言えない。まあ、ショウが聖剣で入れた地割れの方が確かに範囲が大きかったけどさ。
で、この精気の塊を凝縮するように上下から抑えていた力がなくなり地表面にでてきたことで、弾かれたバネのように精気が短時間に空中へ大量放出されたらしい。
この精気って言うのが空気中に散らばると魔物を生み出すようで、魔物が数秒間で何百頭と大量発生して一斉に暴れ出すスタンピードという現象が起きたとのこと。
当然、チェスナットによって前半無力化された半数近い兵士たちは抵抗も出来ず即死、その他の兵士も大部分がこの魔物の大量発生に対応した経験がなく、逃げ惑いながらその命を散らしたという顛末だ。
地震と地表面のひび割れがダブルパンチに重なったせいで起こった災害、これによる数千人規模の死……私の寝た後に起きたというこの出来事は、想像の範疇を超えていた。
何処か遠くの国で起きた地震とか戦争のニュースを聞くみたいに実感が湧かないな。
いや、確かに私もその場に居たことになるんだけど、その悲惨な光景を見てないんだから、現実感がないのも当然だわ。これは一種の言い訳だろうけど、私には鮮明にその現場を思い浮かべるだけの想像力もないわけで。
まあ、逆に想像力があったらこんな呑気に飯を食おうとする気は起きなかっただろうさ。
「でもさ、そんなスタンピードが起きた中で、何で魔族は無事だったのさ?」
「あ?まだその話かよ」
自分の分のスープをよそってきたチェスナットが、私の右側に座った。
めんどくさそうな顔して私の言葉に返しつつ、呪い解除のためにどこに触るか悩んでそうに手を泳がせている。魔族の民族衣装て、確かにパッと見どこ触っていいかわからんな。適当に触るとセクハラ的な変態感が出そうだから、チェスナットが迷うのも分かる。腰紐みたいな飾り紐を持たせてやる。ダークは相変わらず私の左腕を抱えているんだけど、これを右手の方でもされると私ご飯食べれないしな。
「だってさ、魔物の大量発生って、魔族も襲われるんじゃない?何で皆んな無事だったのかなって」
「そんなもん言わなくても分かんだろ。魔族は、食う側だからな」
そう言って、スープを指差すチェスナット。
なるほど。食物連鎖的なやつか。ピラミッドでいう頂点に魔族が居て、魔物と人間がその下に続く構図ってこと?
確かに、目の前に程よい人間が転がってんのに、天敵へわざわざ群がるのもおかしな話か。
「それに微量だが、たまに似たようなことは起きんだよ。この辺の魔物は、鏡の谷にある精気の塊から湧いてくるから、オレ様達はそれぞれの魔物との闘い方も知ってる」
「…………」
「魔物は死ぬと精気の塊の元に戻っていくんだ。何度もオレ様達魔族に殺されて食われた経験があるから、基本ここにも寄り付かねーんだよ」
確かに幸いというべきかはよくわからないけど、窓から見る限りこの村も平和そうに見える。魔族の村にも魔物は寄りつかないんだ。
だとしたら余計に分からないことがある。
「じゃあ、魔族って何のために戦ってたの?」
「あ?」
ちょうどチェスナットがスープを食べようと口を開けてる時に聞いてしまった。持ち上げてたスプーンを下げて、聞く態勢になってくれる。ちょっと申し訳ないな。
「魔族が今回みたいにスタンピードが起きても平気なら、精気の塊を抑えてる聖水が枯れると危ないのは寧ろ他の種族の人間の方じゃん」
闘う相手を守るために生命がけで戦争を起こすなんて、そんな馬鹿な話があるんだろうか?
「…………戦争の始まりの詳細はよく知らねーが、オレ様達の闘う理由は変わらねーよ。景色のため。それだけだ」
「ふーん、ここの景色はあんま変わってないように見えるけど……」
「表出した精気の塊は、太陽の光を歪めるほど力が凝縮されていました。そのせいであの谷の辺り一帯が昼間でも赤く染まるほどに。きっと複数の塊が表出したならこの村も……それよりもっと遠くまで、広範囲に影響が出るんじゃないかと思います」
そうか、やっぱり景色が変わっちゃうんだな。
確かに赤い世界とか嫌だな。しかも魔物がうじゃうじゃいる場所になる……ダークは現場を見てるから説得力がある。
「まあ、ヒトだって虫がたかると面倒くさいだろ。スタンピードは魔族にとっちゃそれに近ぇ。ここはそのままなら永遠に飯が湧いてくる良い狩場だからよ、壊されたくねーだろ」
「なるほどね」
「……流石に先祖だって、んなお人好しじゃねーよ」
呟いたあと、チェスナットは暗い表情を浮かべてスープを見つめた。
私も視線を落として手渡された地獄のように真っ赤なスープを匙でぐるぐると混ぜながら……再度、私の寝てしまった後に起きたと言う災害へ思いを馳せてみる。
鋼床を砕いた手前、私にはそれなりに責任がある。だから、もっと深刻に考えようと試みてるんだけど、やっぱり見てないことには想像力の限界がある。数千人の亡くなる風景なんて想像がつかない。
そしてどんなに考えても、あの時その瞬間に、目を覚ました状態で立ち会ったとして、私に出来ることは少なかっただろう。魔物を数体倒せれば良い方って感じか。
それほどまでに規模の大きな……大き過ぎる話だ。
ぐるぐると渦を巻くスープを見つめ続ける。
「あの、ご主人…………これ、ほんとに食べるの」
「……うん」
「本気で?」
「うん」
答えの出ない思考の渦から、掬い上げるようにダークが話しかけてくる。
食べるつもりなので、一応答えておく。
「でも、さっきから混ぜてるだけだよね」
ぎくっ
「う、これは……覚悟を決めるためっていうか……うん。そういうヤツだから」
そう、決して現実逃避としてスタンピードの件を反芻してたわけじゃない。
こうして生き残れて、食にありつけるありがたみを噛み締めて「いただきます」の精神を養ってるだけだから。
ましてや感謝の意を表して村人総出で作ってくれたらしい好意を無碍にするなんて、私の食に関する道理に反するわけだ。
でも、このスープは……もう少し心の準備が要る。
「……無理、しないでくださいね」
ダークが青い顔で私の持つスープの入った椀を見下ろした。なんか、ダークの方が吐きそうな顔してる。いや、私も似たような顔をしてるかもしれないけど。
いやー、海外で数々のゲテモノを食してきたけど、手に持ってるこれを超えるものは無かったな。
この真っ赤なスープ、どうやら魔物の生き血でできてるらしい。鑑定結果を再度見る。本当にこれ、ツッコミどころの多い鑑定結果である。
《魔族の特製スープ〜ハチヨウチュウの幼体を添えて〜(上級):ブルーラッタとイエローラッタの生き血を元に作られた魔族の特製スープ。貧血を治すとされているが、魔族以外が食したことは未だかつてなく、真偽の程は定かでない》
いや定かであれよ!
せめて勇者の私が食べる前に、現地の人が誰か食っててくれよ!世の中いろんな人がいるじゃんか!ほら、なんたら探検家とかさ?!
まさか本気で私が第一号じゃないよね?!勇者って、そういう意味の勇気ある者って意味じゃないからね?!こんな形での勇者は求めてなかったよ。
そして、フランス料理みたいな小洒落た料理名に惑わされちゃいけない。
まず、ブルーラッタとイエローラッタって、ラッタ……つまりネズミだよな?ははは、乾いた笑いしかでてこない。
ネズミって寄生虫とか病原体の宝庫だよ?そんな生き血をごくごくと飲めって?つーか、よくこんな鍋一つ分くらいに溜まるまで集めたよね、一体何匹分だよ?!せめて鍋に入れてんなら加熱して出して欲しかったわ!
そしてハチヨウチュウの幼体っつーのは、この地獄のマグマのように赤い血の中をウゾウゾと漂っている、指の爪サイズの蜂の子のことだろう。
そう、これ、よく見ると……動いているんだよ!
実際、赤い見た目のスープだけなら血だろうと何だろうと正直イケる。グッと口に入れてガッと丸呑みすれば済むからね。
でもさ、こんな活きた虫の入ったスープが出てくるとは想像だにしてなかったんだよ。
活き造りって、イカくらいしか見たことない。美味しいと思ってる人には悪いけどさ、私はあれも気持ち悪いんだよ。無駄に罪悪感強いんだ、あの食べ物!活き造りされたイカと目があった時のことが忘れられないんだわ。
本当このスープの虫、何でウヨウヨ動いてるの?これ生かしておく必要あった??せめて殺してからスープに入れてきてくれ!死んだ虫なら何回か食べたことあるから平気なのにさ?!おかげでさっきから現実逃避しまくりだわ!
「……食わねーのか?」
チェスナットがムニムニとスープを頬張りながら聞いてくる。
うわぁ、ほんとに食べてるよ、あの子。
でも、なぜか食べながら不機嫌そうな顔してるけど。めっちゃしかめ面なのに、凄い勢いで食べて……え、おかわりするの?マジかよ。
不機嫌なのは私が食べようとしないからか?
ごめんって。もうちょい待って。コレは流石の私も心の準備が要るんだって。
「……あのさ、チェスナット、私これ、初めて食べるからさ。食べるにあたって何かアドバイスちょうだい」
「あ?」
口に新たにスプーンを入れようと持ち上げてるところでチェスナットが止まった。そして3秒くらい斜め上を見て考える仕草をとる。
「よく、噛め」
「……おう。アリガト」
結構普通のアドバイスをもらった。
まあでも、周りで普通に食べてる人がいたら、なんかいけそうな気がしてきたな。
こういうのは深く考えないで、イケそうと思った瞬間に勢いよく食べるのがいい。
ごくりと生唾を飲み込み、えいっと勢いつけてスプーンを持ち上げ口に入れた。
「うわ、ほんとに食べた」
ダークのドン引きの呟きを聞き流し、口の中に入ったものを噛む。
ガリッガリッ
あ、この幼虫、意外と硬いな。でも、コーンフレークみたいな食感。
味は……うーん……うん?
ああ、味覚耐性スキルが効いてるからよく分かんないのか。まあ、だからと言ってオフにする勇気もない。
もちろんおおかたの予想通り、大雑把に感じる味覚によると血みたいな鉄の味だけど、ちょっとしたリキュールに似た臭みみがある……気がする。
飲み込むと喉のところが熱くなって、一層リキュール感が強くなった。なんかちょっとお酒っぽい。
まあでも、これは……。
「意外と食えるな」
「う……」
私の言葉とダークのえずく音が重なった。
「ダーク、大丈夫?顔色悪いよ」
「ご主人……ちょっと、外の空気、吸ってきます」
「あ、お、うん。気をつけてね」
ヨロヨロと力無くドアを開けて出ていく。
あんまり気にしたことなかったけど、ダークって血が苦手なのかな……?人が食べてるの見て吐きそうになるってよっぽどだけど……いや、寧ろ自分が食べない方が吐き気を催すかも知れないな。このスープの見た目は確かにヤバいし。
まあ私はすっかり大丈夫になったので、ガリガリと二口目のスープを咀嚼しながらダークを見送ってると、入れ替わりにおっさん達が5人くらいゾロゾロと家に入ってきた。
「待たせたなチェスナット!もう少しで準備が終わるぜ!」
「チェス坊もこれで漸く成人か〜、目頭が熱くなるぜぃ」
「……おう」
チェスナットを囲むように座る魔族たち。といっても、私の隣には座らず、正面にこの中でも年配に見える2人と比較的若そうなおっさん1人、チェスナットの座る側のテーブル横に青年2人が立っている状態だ。
明るい表情の魔族達とは違って、チェスナットの方は相変わらず不機嫌そうな顔で塩対応をする。一応左手で私の服の紐を摘んだままでいるけど、あんまり歓迎してる表情じゃない。
何でこんな急に機嫌悪くなったんだコイツ。私がスープを食べ始めても表情変わらないから、私のせいではなさそうだ。ガツガツ食べてるからスープが苦手ってわけでも無いだろうし。
「チェス坊は髪染めねーのか?」
「は?要らねーだろ。そんなもん」
ん?……髪を染める?
「コーンなんか七色の頭にしてたよな!アレは傑作だったぜ」
「確かにアレは笑ったな!派手で面白かったぜ」
「綺麗に染まってたよなー、ここ最近じゃ一番笑えたよな」
髪を七色って……どこの北九州市だよ。毎年ニュースで見かけるけど成人式派手だよなーあそこ。
これには、しかめ面だったチェスナットも少し笑っている。
「で、そのまま暫く色が抜けなくてよ、敵に見つかって狙われそうになってたろ。バカだよなー」
「その後、命からがら逃げ延びてよぉ、髪が悪いって言われて結局全部剃ったもんなぁ、ははは」
「コイツ半泣きで夜剃り上げてたんだぜ、笑わずに居られねーよ」
「その顔は俺も見たかったぜ」
チェスナットが面白そうにニヤニヤと笑う。
それ、笑えることなの?他人の私からするとバカすぎて何とも言えねー。
魔族の笑いのツボって難しい。
「それにしてもよ、ウォルナットがあんなデカくなるとは思わなかったよなー」
「確かに、ここを離れた時はチェスナットより小さくて豆粒だっただろ?」
「豆粒は言い過ぎだろ、叩かれるぞ」
あ、ウォルナットさんの話か。
ウォルナットさんは私達に完成したスープを持ってきてくれるとすぐに慌ただしく別のことをしに行ったんだよね。宴の準備、大変そうだけど、コイツらサボってて良いのか?
「アイツは特にチェスナットのこと大好きだもんなー。この宴の準備も、すげえ張り切ってたぞ?」
「それだよ、何でアイツがまだ居るんだ?俺は早くあっちに追い返せって言っただろ」
チェスナットは睨むように年長っぽいおっさんを見て言う。
「おいおい、俺を睨むなよ。お前は俺がウォルナットの口を止められると思うか?あいつに口で勝てる訳ねーだろ」
「はは、一瞬で言い負かされて終わりだったぞ」
「だいたい、ウォルを止められるのはステルトリアくらいだろ?チェスナットだって、チビの時から手を焼いてたじゃねーか」
「…………」
ウォルナットさんの立ち位置よ……。じゃじゃ馬的な扱いなのかな。
「それでも、直系のアイツがいつまでもここにいたら、女達も戻ってきちまうじゃねーか」
「あー……それは、なぁ」
「まあ……な」
めんどくさそうな顔を隠そうともせずにチェスナットが舌打ちしながら言い、次のひと匙を口に入れた。その言葉に、魔族のおっさん達が微妙な反応を示す。少し言いにくいことでもあるみたいな様子だ。
「直系?」
ただ、私は思わず口を挟んでしまった。チェスナットの向かいに座った大柄なおっさんの1人が浅い緑色の眼をこちらに向ける。
「神の子が生まれたからチェスナットの親父さんが先祖の名を継いで、チェスナットに回ってきたけどな。本来ならウォルナットの家が魔族の本家なんだよ」
「へー」
「まー、チェスナットの家系も元々はウォルナットの家と同じ血筋ではあるがな」
「何千年前の話してんだよ。んなこと言ったら全部の魔族がそうじゃねーか」
「ちげぇねぇ」
ふーん、チェスナットの家が傍系だから、本家と繋がりを持たせるためにお姉さんと結婚してたってことか?まあ、お家系はよく分からないし、ましてや文化も違う魔族だから余計理解は難しそうだけど。
「だがよ、チェス坊、今なら休戦してるみてぇなもんだから女達ももう戻ってきても良いんじゃねぇか?」
年配なおっさんが慎重に言葉を選ぶようにチェスナットに話しかけた。
ああ、チェスナットの言葉に微妙な反応を示してたのはこれが言いたかったからか。
「あ?良いわけねーだろ。すぐ近くに敵国の兵団が複数いんだぞ」
「でもそいつらは俺ら目当てじゃないだろ?」
「…………」
「様子見で行ったバルサムがよ。偶然出会った勇者ご一行様に仲間にならねーかって誘われたらしいぜ」
「他にも何人か村の周辺で魔物を狩ってる奴らが、冒険者たちに見られて仲間に来いって誘われたんだぜ」
「今回は俺たちの景色を守る誓いに反しちゃいねぇ。手を組んでやっても良いんじゃねぇか?」
「上手いこといけば、そのまま休戦に持ち込めるかも知れねーぜ?」
ん?そのバルサムを誘ったっていう勇者、ノゾミさんじゃね?まあ、今更割って入る気にはなれないけど。
私は大人しく何口か目のスープをガリガリと噛み締める。
「まあでも、今はチェスナットの成人の儀が一番先だけどな!」
「そうだな!話はその後で全然遅くねー」
魔族って呑気だよな。すぐ近くで戦争相手がわちゃわちゃやってるのに儀式の方が大事って……。
「やっとお前も成人する気になったんだと思うと、感動もひとしおだよなー」
「しかしあの大規模戦闘の中でその気になるって、どういう心境の変化だよ」
「ああ、それは俺も気になってたな。あんなに拒否してたくせによ?」
「…………」
答える気がないのかチェスナットは無言だ。
成人する気になる?その気になるって言い回しが引っかかる。しかも、戦闘中?てことは、あの戦いの夜が誕生日……にしては日にちに意味はなさそうだ。よく分からないな。
「チェス坊のことだ、どうせ自分からじゃなくてオクさんのひと押しがあったんだろ?」
「…………」
「据え膳食わぬは男の恥だからなー」
「まあなんだかんだ言ってよ、ウォルや他のやつのが先にどんどん成人しちまって、どうなることかと思ったが。お前も大人の仲間入りだ。良かったなー!」
チェスナットが無言でスープを頬張る。
ウォル……ってのはウォルナットさんのことだよね。でも、先に成人って?どう言うこと?
あと、オクさんって何。ウォルナットさんを略してウォルさんの聞き間違いか?
スープをガリガリ噛んで飲み込みながら聞き耳を立てる。
「チェスナット、初めてのくせに良くセーブ出来たよな。どうやったんだ?」
「いやー、こりゃ、伝説に聞くアレだ、愛だぜ。俺はそれ以外にねぇと思う」
「やっぱりか!」
「ったくよー!いつの間に出会って仲良くなったんだよ」
「コソコソしやがってー、教えてくれても良かったのによ!」
「まあ、暫く俺のとこに来んなって宣言してたあたりから、俺ぁ怪しいと思ってたけどなー」
「つーことは、付き合いはひと月前からか?」
うん。聞けば聞くほど分からん!
混乱してるとドンッと隣から机を叩く音がして、魔族のおっさん達が一斉に黙った。
「おめぇら、黙って聞いてたら好き放題言いやがって……そんな話しかしねーなら、うるせぇからもう出て行け」
チェスナットがスプーンで最後に喋った魔族のおっさん……いや、ちょっと若いな、30歳手前くらいに見える青年を指しながら睨む。
「昨日も言ったけどよ、俺は全然セーブしなかった!俺たちが出会ったのもあの日の夕方!愛とかそんな腑抜けたもんじゃなくて、俺は死ぬほど飲んだのに、アイツが勝手に生き残っただけ!」
チェスナットがムスッとした顔のまま、今度は私の方をスプーンで指した。
何か、さっきから引っかかる。
「あのさ、話についていけてないんだけど、魔族の成人って年齢じゃないの?」
「そうか、種族が違うから知らねーんだよな。オク……」
「カナメ」
話を遮ってチェスナットが私の名前を呼ぶ。
「何?」
「カナメって呼べ。変な呼び名をつけるな」
ああ、周りの魔族たちに言ったのね、私を呼んだわけじゃないのか。
…………ん?てことは、奴ら私のことをオクさんって言ってた?
何か嫌な予感がしたけど……気のせいだよな。
「カナメ……さんの種族はヒトだから、産まれてからの年だけで成人するんだろ?俺ら魔族は、初めて血を飲んだ日から1週間以内に成人の儀をするんだ」
「へー……」
まあ、吸血したら幼体から成体っつーのに変わって、目に見えて大人になったからね。今は元に戻ってるけど。ある意味分かりやすいか。
「魔族は成人の儀が終わってから初めて歳を数えるんだ。だからチェスナットはまだ0歳だぜ」
ニマニマと含み笑いしながらチェスナットの肩に腕を回す魔族の青年。
「うるせぇ。俺のが3年早く産まれてるし、俺の方が強え」
「それでも俺が歳上だぜ?」
「歳とかどうでもいいだろ。強えかどうかだけで充分だ!」
「そんなこと言ってっから、いつまでも成人しなかったんだろ?」
「俺はこの身体で充分だから別に良かったんだ」
「お前は今回寝てただけだがよ、これはこれで快適だぜー?」
「うるせぇ!もう飲むつもりねぇよ」
「またまたぁ、美味かっただろ?」
「黙れよ!こんな欠陥スキル、持ってても意味ねぇ!」
……なかなか、ややこしいな。魔族の年齢概念って。
そしてチェスナットも吸血スキルのこと欠陥スキルって思ってたんだなー。コメカミに青筋が立ってるから本気で怒ってるみたいだ。
「コーン、それくらいにしとけ。チェス坊にはチェス坊の考えがあったんだ。それに今後はどうするにしろ、せっかくチェス坊も大人になったんだからな」
年配のおっさんが、コーンというらしい青年魔族を窘める。
チェスナットは食べ終わったみたいで匙をカランと音を立ててテーブルに置いた。左手の飾り紐の先へ視線を向けて、手遊びし始める。怒ってるかと思った顔が、今はシュンと大人しくなっている。
話もちょうど途切れたし、これならちょっと質問しても良いかな?
「ねえ、何で1週間以内なの?」
「「「………………」」」
私の問いかけに、何故か無言で私を見つめて何とも言えない表情を浮かべる魔族達。チェスナットは一人変わらず手遊びを続けてるけど。
え、私、なんか変なこと言った?
「普通は飲み過ぎて気絶するんだよ、……俺みてぇに」
チェスナットが膨れツラでぶっきらぼうに答えた。
「いや、うん。それは何となく分かるんだ。でも、それなら吸血した日から何日以内じゃなくて、気絶から目覚めて何日後って決めるでしょ」
「…………」
この私の問いにはチェスナットも他の魔族と同じく言いにくそうな顔をする。
これは、別に理由があるけど言いたくないって感じか?
「……普通は死ぬからな」
「ん?気絶するんでしょ?」
「いや、相手が」
「ああ、そうみたいだね」
「…………」
あ、黙った。
何でちょいちょい言葉を選んでる風なんだ?
チェスナットを囲むおっさん達の1人が見かねたように口を開いた。
「成人の儀にゃあ、初血の相手が要るんだ」
「……あ、なるほど。死体が腐らないうちにってことね」
確かに1週間以内にしないと死体は腐るだろうね。
初血の相手も儀式に必要ってことは、私も参加するってことか?たった今聞かされたんだけど、準備とかしなくて良かったのかな。
ああでも、だからウォルナットさんがチェスナットのお祝いのためにも私が早く元気になれって言ってたわけね。ようやく納得する。
「まあ、カナメさんは恐ろしくHPがあったってことか?運が良かったよなぁ」
「すげぇよな、普通死ぬのによ」
気を遣ってお世辞みたいなことを言ってくれるおっさん達。
HPが高くても、死にかけたのは事実だけどね。
「でも、俺は気絶しちまった。そんな場合じゃなかったのに、止められなかった」
チェスナットは反省するようにポツリと言葉を漏らした。
直接謝られてないけど、気にしてはいたんだな。
「まあ、吐くまで飲むか、気絶するまで飲むってのは初めのうちは、やっちまうよなー」
「ああ、みんなが通る道だ。気にすんな」
……うん?
「だな。自分の容量がわかんねーから、気絶するまで飲んじまうんだよな」
「俺も最初の3回はやらかしたぜ。……でもそうやって、だんだん自分の飲む量がわかる様になって、次第にコントロール出来るようになる。そうやって大人になってくもんだぜ……」
「お前は今でも時々容量超えて飲んで迷惑かけてるだろ」
「つい飲み過ぎて、森で転がってるよなー」
いやちょっと待て。何かさ、ノリがさ、おかしくない?
吸血って成人後の酒飲みみたいな扱いなのか?その、酔っ払って吐くとか気絶みたいな言い方に聞こえて紛らわしいんだけど。
漏れなく相手死んでるんだよね?なんか扱いがさぁ、軽くね?
「それに、チェスナットは気絶したくないって、飲まず嫌いしてたからなー」
「実際、飲める機会も少なかったし仕方がねぇが……でもお前、これからはいくら飲んでも死なねぇ女が側にいるとか、羨ましすぎるぞ?」
「常に飲み放題じゃねぇか!俺もそんな風にのんだくれてぇ」
「本当に飲んだくれになったら困るからな、気をつけねーといけねぇな」
おいそこのおっさんども、人を飲み放題のビールサーバー扱いすんな。そしてそれに対してチェスナット以外の皆んなは頷くな。
チェスナットは突っ込む気も失せたのか、ガン無視を貫きだしたので、代わりに私が心の中でツッコミを入れておく。
「チェス坊も大人だ。そこは大丈夫だろ。ああ、しかし、そう思うと……死んじまった親父さんも浮かばれるぜ」
年配のおっさんが徐に目を抑える。
泣いてんのかな。笑いのツボはよく分かんなかったけど、泣くツボは何となく分かった。
「ち、歳をとると涙もろくなっていけねーや」
「ちげぇねぇ。だが、危うくチェス坊が死ぬところだったと思うと、大人になるだけじゃねぇ、こうやって家で飯食ってるってだけで……俺ぁそれだけで嬉しい」
年配者に見える2人が鼻を啜り始めた。
コイツら、良いやつだな。
「だからよぉ、もう絶対ぇ1人で死のうとか馬鹿なこと考えんなよ」
「ああ、俺たちゃそれを言いにきたんだ」
なるほど。それにしては前置きが長かったけど、まあ良いか。よそもんの私がツッコミするわけにいかない。スープの最後の一口を口に入れた。
「ちっ……はぁ。それは昨日悪かったって言ったろ。何度も言わせんなよ」
「いいや。お前は何も悪くねぇし、何もわかってねぇ!俺らが悪かったんだ。もう俺ぁ、俺が生きてる限り、ずっと言い続けるぜ」
「俺だって、俺が生きてる間は二度とそんな気は起こさせねーぜ。邪魔だ何だと言われても関係ねぇ」
「次からは絶対お前1人じゃ闘わせねぇ」
私が寝てる間に何を話したのかは知らんが、チェスナットが死のうとしたっていう私の発言が効いてるらしいのは読み取れた。
何となく、微笑ましい気持ちになる。良かった。これでチェスナットは独りで過ごすこともないはずだ。
独りで居ると、どうしても心が弱くなる。魔族の価値観では成人するんだろうけど、相変わらず見た目が子どもなコイツにそんな寂しさを感じて過ごしてほしくない。
「……ふん。俺が戦場に行くかどうか決めんのは、もう俺じゃねーだろ。ここで闘うかどうかも知らねーよ」
飾り紐を引っ張り、深緑の瞳が意味ありげにこちらに向く。
少し機嫌は治ったみたいだ、睨むような目つきじゃなくなっている。
「確かにそうだな」
「けどよ。カナメさんの言うことなら、俺ぁ文句はねーぜ。チェスナットを大事にしてくれそうだしな」
「なんたって聖騎士を全員引っ捕えた上で、俺らに発破かける度胸があるんだからな」
「しかもあの混乱の中、残りの聖騎士から無事、鎧を剥ぎ取れたんだろ?」
「村に残ってた奴曰く、勇者に対して自分の手足のように指示したって聞いたぜ」
何か、話が盛られてない?聖騎士の話に至ってはダークの手柄だし。
それになに?この空気感。
マルローンの魂の欠片探しに一緒に行くから、私に任せたって話か?それにしては、ちょい違ったものを感じる。
不思議に思いつつ瞬きをして、ハテナマークを浮かべながら解説求むとチェスナットを見る。
怪訝な私の反応に、片頬ついて、諦めたようなため息を吐いたチェスナットは苦笑いした。
宝石のような翠の眼が、自嘲気味に私の姿を捉える。
「笑えるぜ。オレ様の今後は、初血の相手……お前が握ってんだよ」
何とも煩わしくも複雑な、魔族のルールを最初に聞かされた瞬間だった。
チェスナットが意味深な言葉を吐いてすぐ、ウォルナットさんが魔族のおっさんとチェスナットを追い出した。どうやらチェスナットと私は儀式のための服に着替えないといけないらしい。
チェスナットの呪いを心配してたけど、どうやら10分くらいは触らなくても大丈夫になっているとのこと。何故か腐る進度が遅くなったみたいだ。
「魔族の成人の儀は、誓いの場なんですー」
いそいそとウォルナットさんが豪華な魔族の服を私に着込ませながらこの成人の儀について解説してくれる。すでに着てる服の上から重ね着で羽織っていくんだけど、これで5着分くらい。だいぶ重たい。
「でも初血の相手は基本死んじゃうのでー、死んでしまった相手の埋まる土地、この景色を守ることで成人の儀の誓いは終了しちゃうんですねー」
「へー」
いわゆる形式上の誓いみたいな感じなのね。
「でも!今回は形だけじゃない本来の誓いの場になりますよー!カナメさんが無事に生き残りましたのでー!本当に凄いですよねー!」
ニコニコと満面の笑顔溢れるウォルナットさん。うん、美人なお姉さんに笑いかけられて悪い気はしない。この人こんなに腰が低めで働き者なのに本家筋の偉い人なんて思えないよ。魔族の直系の扱いがよく分からないんだけどさ。
「まあでも、魔族にとってこの成人の儀は、本来はもっとロマンチックなんですー」
「ロマン、チック……?」
全然結びつかない単語が出てきて混乱する。血のスープゴクゴク飲んで酔っ払いみたいに気絶する連中のどこがロマンチックだ?
「そもそも魔族は、血を飲まない幼体のままなら全く歳を取らないので老いる事がありませんー。レベルや能力値、熟練度も、幼体と成体で大きく変化しないのでー、体格差がある以外に戦闘で優位なことは特にないんですー」
「え、それじゃ、大人になる意味なくない?」
チェスナットがいつまでも血を飲まないわけだ。
聞くからに吸血するメリットないじゃん。
お酒ポジションだったけども。飲んだら老化していくって酒よりタチ悪いわ。
「はい、成体になっても長寿なことに変わりませんが、老いていくのはあまり良いことではありませんー。だから本来魔族は、なかなか成体にならない種族なんですー」
ウォルナットさんが寂しそうに目を伏せた。
「そして魔族は幼体の姿で、その長い長い時間を初血の相手を探すことに費やすんですー。自分の欲望を完璧に抑えられるほどに愛する相手、殺さないで済む相手を求めて……」
「……へー」
愛する相手探し……血を飲む行為を簡単に割り切って片付けるわけじゃないんだね。そして、ようやく見つけた愛する相手の血を飲んで誓いを捧げる。確かに、ロマンチックかも知れない。
……さっきまでビールサーバー扱いされてたけど、ものは言いようって感じだな。
「でも、困ったことに私達魔族は、成体にならないと子供を産めないんですよー」
ウォルナットさんの黄緑色の瞳が小さく揺れる。
ああ、何となく、分かった。
今は戦時中だから、いつ誰が死んでもおかしくない。それでも自分達の種族、子孫だけは残しておきたいと考えるのは普通だ。
「戦争中だから、無理矢理大人になるしかないってことか。誰かの命を犠牲にして」
眉尻を下げた悲しげな顔がニコッと笑みを作り、小さく頷いた。
「でも、愛する人なら殺さないで済むって、私は御伽話だと思いますー」
明るい調子のまま、私に椅子に座るよう促す。どうやら着付けは終わったみたいで私の背後に回るウォルナットさん。
髪を結ってくれるみたいだ。私の髪、短いけど大丈夫なんだろうか。
「御伽話?」
「そのくらい現実味がない話なんですー。寧ろ、愛する相手を初血の相手にする方が、悲惨な結果をうむと思いますねー。私が成人する時は、相手を殺さない自信があったんですけどー、理性が本能に勝つなんて、到底無理でした」
まあ、確かに、最愛の相手を自分の手で殺してしまうなんて、最悪すぎて目も当てられない。ロマンスじゃなくて一気にスリラー化する。
「アレに抗うのはなかなか出来ませんー。相手の血の味で頭の中が埋め尽くされて、どんどん次が欲しくなってー。相手の声も、動きも、体温も、何も感じなくなっちゃうんですー。漸く血の味がしなくなって気がつけば、私は冷たくなった相手の身体を抱えて、座ってましたー」
明るくて軽い調子だけど、内容がゾッとする話だなぁ。
「回数を重ねるとその欲望にも慣れてくるんですけどねー」
「でもウォルナットさんは、吸血し過ぎて気絶はしなかったんだ?」
「ふふ、そうですねー。チェスくんのために、気絶せずに大人になる方法を探してましたからー」
「へー」
確かに、神の子のいる家系が途絶えるのは良くないだろう。……マルローンが植物人間だから、チェスナットに子孫を残させようって魂胆なのも何となくわかる。
チェスナットもその話がわからないほど、責任感がないヤツじゃない。
どうせチェスナットは自分が気絶してる間に誰かが死ぬのが嫌で、成人しない道を選んでたんだろう。だから気絶しないならチェスナットの嫌がる理由も消えそうだし、ウォルナットさんの観点は間違ってないかも知れない。
「それはそうとカナメさん、良いことをお教えしますよー!成人の儀で成人した魔族は、初血の相手の三つの願いを聞き入れる誓いを立てるんですー」
「三つの願い?……え、私がチェス……チェスナットにお願い事をするってこと?」
「はいー。初血の相手が死んでしまうと、その人の名前を自分の名に刻み、その人の眠る景色を守り、その地に命を捧げることで三つの願いとするんですけどー。今回はカナメさんが生きてますのでー!」
「え、その三つの願いって、何を言うもんなの?」
「何でも大丈夫ですよー!いつ言っても良いですしー、魔族はその願いを叶えるという誓いを、一生かけて全うするのですー」
へー。そうなんだ。
愛し合う2人の間の話なら、そう言われると確かにロマンチックの極みだな。
でもチェスナットは何も教えてくれなかったんだけど、アイツ地味にバックレようとしてないか?まあ別に大した願い事も無いし、いつかは日本に帰るから一生かけて全うしてくれなくて良いんだけどさ。なんか一生とか重いし。
「そこで一つ、私からカナメさんに頼みたい事があるんです」
不意にウォルナットさんが、いつもの語尾を伸ばす口調じゃなくなった。ゆっくりとした発音は変わらないけど、声も少し低く、男と言われても納得しそうな深みのある声音になった。
「ん?……お願い?」
結い上げ終わったみたいで櫛のような木を近くの台に置き、ウォルナットさんは私の前に片膝をついてこうべを垂れた。
黒いストレートな髪が地面につきそう……。
「あなたのその願いの一つを使って、私に……チェスナットと闘う権利を与えてくださいませんか?」
お願いを使うという、お願い事をされた。