ずっと吸血のターン
どのくらい時間が経ったかな。
遠慮のかけらもなくガブリとチェスナットが私の首に噛みついて10秒は確実に経った。
最初こそ抵抗したものの、思ったより噛み付かれたところは痛くないのですぐに諦めた。首元は舐められるんじゃなくて、牙で刺した傷から漏れる血を吸うように飲み込んでるみたいだから、くすぐったくない。
これなら耐えられるし、まあ好きにやってくれって感じ。
ただねぇ……。
コイツ、私の上にずっしりと乗ってて重たい。側頭部に手が回されて頭の位置がかっちりと固定されちゃってんだよなーコレ。そして何故か知らないけど、さっきチェスナットの頬に触れた左手もいつの間にか握られている。動かそうとしたら一段と強く握られたから、これも諦めたんだけど……でもね?
これだとぱっと見さ?
男女の睦ごとに見えるよね?私ら全然そんな関係でもないのにさ?
切羽詰まってたあの時よりも時が経つにつれて、徐々に冷静になるわけよ。特に他にすることもないから、抵抗感がね、じわじわと湧いてくるわけだよ。
何かないかな、気が紛れること……と、軽い気持ちでステータス画面を見る。
うわ!!私のHPがすごい勢いで減ってる!
慌ててダークの共有スキルで急速回復しようとして、気づいた。既にダークが共有スキルから発動してくれている。
え。
つまりこれ、急速回復スキルが発動してて、それでもなお、回復を上回る速度でHPが減ってるってこと!?
ガチでやばいじゃん!油断してたー!
てか確認してる間にHPが半分切ってるよ!!
気のせいか徐々に身体が怠くなってくる……これは、これはやばい。早く回復薬飲まないとダメなやつだ。
「ちょ、チェス!手、離して!首にそのまま噛んでて良いからさ!」
慌てて言うとあっさり繋いでた手が解放される。代わりに肩の辺りを固定するように押さえられた。
まあ固定するのは良い、傷が広がらなくて済みそうだし。
言ったら手を離してくれるならもっと早く言えば良かった!!て思うけど!!
解放された左手をカバンの中に突っ込み、回復薬らしき瓶を掴んで顔の上に持ちあげた。一応目視で確認する。
うん、この色は回復薬だ。
あとは、蓋を開けて飲むだけ……く、チェスナットの翼が、邪魔!
片手じゃ開けられないから聖杯を持ってる方の手で蓋を開けたいのに、チェスナットの背中にある翼に阻まれて手が届かん!
横になってるから口で開けたら溢れるし、なんとか強行突破するしかないんだけど。
「ちょ、チェス、翼をさ?もう少しコンパクトに出来ない?手がね、届かない」
気持ち翼が動いたけど……うん、あんまり変わんない。やっぱ体積が変わんないから動かしようがないのか?
「くっ」
ギュッとチェスナットを抱きしめるように両腕を無理やり寄せた。私の頭を押さえてた手がピクリと反応して後頭部に回される。けど、それにいちいち反応を返す余裕もない。
あれ、頭の固定の位置が変わったから、ちょっと頭持ち上げられるようになったわ。おかげで翼越しにギリギリ指がとどく。爪で引っ掻きながらなんとか半周ずつ回していく。
この翼、コウモリの羽みたいに革っぽいやつで良かったわ。ふわふわの鳥の羽だったらマジ指すらとどかなかった可能性ある。
ほんっと回復薬の蓋、片手で開けられる仕様にして欲しいよなー。
歯磨き粉とかもスクリュータイプだと困るんだよね。あれみんなどうやってスムーズに歯ブラシまで辿り着いてんの?
今度ギルドか店にカポっと開けられるタイプの瓶がないか聞くかぁ……。
あ、やべ、気のせいじゃなく頭がくらくらしてきた。急いで飲まないと!
やっとの思いでチェスナットの翼越しに回復薬を開けきる……
ゴォォッ
開けたところで冷たい風が吹いた。
「だ、ダーク?!……さん……早い、ね……」
風と共に降り立ったダークが氷点下の目線で私を見下ろしてくる。
うぉぉ、こえぇ……。
目が、目が怖いよぉ。
この目の時いつも思うけどさ、ダークの瞳の色、オレンジだよね?暖色系のくせに何でこんな冷え切ってるように見えるの?!真冬の北風が具現化してるって言われても信じるよ?
風魔法はもう発動してないはずなのにゴゴゴゴって音が聞こえてきそうな顔してる。
てか、ダークは風魔法使っても絶対2,3分かかる距離をどうやって戻ってきたんだ?
「あと2分くらいかかると思ってたのに……凄い、っすね」
「…………」
ダークの圧が強すぎて、思わずなんちゃって敬語になってしまう。
うっ、冷たい目で黙って見つめないで何でも良いから何か言って……。
私の祈るような思いが通じたのか、眉間に皺を寄せたまま目を閉じて、ふぅ……と一つ小さく長めのため息をつき、一転して笑いかけてきた。
「……僕がいつまでもご主人の要望に応えられない無能だとでも?」
言いながらニコッとダークが可愛く笑う。
ああ、この笑顔、ショウと同じ類のやつじゃん。ショウは何考えてるかわからなくて得体が知れないけど、ダークの場合は明らかに怒ってるって分かる点が違うな。
「さ、さすが、だね……後でどうやったか教えてね……」
「ええ、もちろんです。で、その様子だとご主人は僕を怒らせた自覚はあるんだよね?」
「はい……ごめんなさい」
その笑顔も叱り方も、怖いってば。よく叱ってくる先生にも母親にもこんな怖いって思わなかったのにさ?
「当然、一発くらいは僕に殴らせてくれますよね?」
「お、おう……うん」
想像の斜め上の提案だったわ。
「一発と言わず二発でもいいけど……でも、今はアレだから、後でね。お、お手柔らかに……頼むよ?」
「ではお言葉に甘えて、二発にします。言質は取ったから、後でとやかく言わないでくださいね?」
「う、うん……二言はない」
爽やかな笑顔と軽い調子のくせして、言ってること怖いんだわ。聞き間違いかと錯覚するやん。サイコパスの才能あるよ、ダーク。
てか、やべぇよ、ダークのガチ怒り。
今までどんなに怒らせても、ムスッとされるだけで殴るなんて言わなかったのに。
それだけ怒らせちゃったってことかな?
やっぱ放り投げるのは良くなかったかぁ……。
あー、怖すぎて冷や汗出てきた……ん?いや違う、これHP減りすぎた方の冷や汗だわ。
気づけば残りHPが100を切っていた。
しかも驚いた拍子にせっかく苦労して開けた回復薬もチェスナットの背中にこぼしてるし!
「ダーク、ごめん!悪いんだけど私に回復薬飲ませてくれない?!今、HP80しかない!」
「えっ?!」
ダークは私の言葉にハッとした顔をして、すぐ傍にしゃがみ込んで行動に移してくれる。
がぽっと開けた口に注がれた回復薬を、一気に飲み込む。
……ふう。危なかった。
ギリギリの所でHPの半分……3000くらい回復した。これで暫くは大丈夫か。
なんだかんだ吸血を甘く見てたわ。しかもまだ吸ってて終わりが見えないし。
「ご主人……その手、抱きしめてるんじゃなくて回復薬を飲もうとしてた、ってこと?」
「ん?うん。そだよ。回復薬の瓶の蓋が両手使わないと開けらんなくってさぁ」
「……そう」
ぽそっと呟いてダークがほっとしたような顔になり、何故か殺気のような冷たい圧が消えた。
なんか、機嫌が治ったようにも見える……私がチェスナットを抱きしめてることに怒ってたってこと?
「でも、急速回復でも足りない速度で吸血するなんて……暴走しすぎだよ。コレ本気で殺したくなってくる」
コレって。人扱いすらしてない。
「いやいや、ダメに決まってるでしょうが。それ、私のここまでの血が無駄になるからね?」
「じゃあせめて、もう一度ご主人に回復薬飲ませて良いですか?念の為に」
「ああ、うん。それは助かる。よろしくお願いします」
やりとりしてる間にもう1500切ってるからね……。
結局、HPの自動回復スキルで回復する速度が上回るまでの間、更に3回も回復薬を飲み足した。
うぅ、腹がタプタプで吐きそう……しかも頭がクラクラするのから頭痛に変わってきてるし。吐き気と頭痛で気分が最悪だわ。
HPの減少速度が徐々に落ちてくれなかったら、もう一つ回復薬を飲むハメになってさらに悪化してたと思う。
しかしこれ、HP2万以上は確実に吸ってるよな。徐々にHPが減るから攻撃認定されなくて不屈スキルが作動しないのも痛いところかな。
何とか吐き気に耐えて、吸い取る音が無くなったチェスナットの頭をトントンと叩いてみる。
「……チェス、もう良い?」
「…………」
投げかけると、傷のあたりを最後舐めとるように舌が動いて口が離れた。私の頭とかを抑えていた手の力も同時に抜ける。
でも数秒待っても退いてくれない。むしろ完全に身体が弛緩して、倒れてるような。
仕方がないから覆い被さってるチェスナットを無理やりグイッと持ち上げ、上半身を起こす。
さっきまで固定してきてた手がだらんと私の肩にかかってる。
気を失ってる……?何コレ、吸血スキルって吸う側も気絶するの?とんだ欠陥スキルじゃん。
「……チェス?え、あれ?!本当にこれ、チェスナット??」
ダークにこれ扱いするなと心の中で言ってたけどさ、今の私の立場に立ったらつい出てきちゃうと思うよ?
なんか、でかいのだ。身体のサイズ感が。
呼びかけてもチェスナットの反応がないので頭を両手で持って顔を見てみたら、なんと大人の男が私の手に顔を挟まれていた。
私に倒れかかってるチェスナットだと思ってた奴はチェスナットより二回りほど大きい。明らかに身長が180cm以上はありそう……だから重かったんだな。
こんなのが本気で上にのしかかってたら、そら動けんわ。
で?
「え、こいつ、誰?!」
羽があって、耳も尖ってて、少し緩めのカールが入った黒髪、そして目を閉じてても分かる生意気そうな面影。
見た目は確かにチェスナットだ。でも、大きさがまるで急に成長したみたい……。
「吸血して成体になったんだと思うよ。気絶してる理由は分かりませんが」
ダークが無造作にチェスナットの脇腹に足を当ててグイッと私の上からどかす。
重みが取れて呼吸が少し楽になった。けど。
「ダーク、気絶してる人を足蹴にしちゃダメだよ?」
「…………」
あ、ムスッとした。
「ご主人、二発殴って良いって言ったもんね?ちゃんと覚えててよ」
「あ、うん。覚えてる覚えてる。え、今する?!」
確かに清算は早い方が良いけどさ、ちょっと今は、頭が痛いんだよなー。
「いえ。今やっても覚えてなさそうだから、起きてからにします」
「……起きる?」
「気絶してるのに殴っても意味ないし」
「え?え、殴る、って、私にじゃないの?!」
「はぁ?!」
ダークは本気で意味がわからないと言う顔をしてみせた。
「まさかご主人、僕がご主人に攻撃すると思ってたの?」
「え、違うの?だって、ダークを投げ飛ばしたのは私じゃん。それで殴りたいのかと……」
あ、目が据わった。
これは……私の勘違いだったか。それにしても、チェスナットごめん、私のことだと思ってたから、あっさり二発殴って良いとか言っちゃったわ。
「……そんな風に思われること自体が、非常に遺憾です」
あ、怒ってる。
遺憾なんて言葉使うとか、ダークってたまに大人っぽいよね。普通使わないよね?
ムスッとした顔のままダークが、私の顔を包むように頬に両手を当ててくる。
「僕はご主人を傷つける奴を赦せません。もちろん僕を害する人も。でも……貴方がすることなら僕は許せます。だから……」
少し見下ろしてくる位置にある橙の瞳に、影が落ちる。
「だから?」
私が聞き返すとダークはフッと笑う。笑っているのに泣いてるのかと思うくらい悲しげな顔。
「…………いつか、僕のお願いを聞いてくださいね」
「お願い?」
今じゃダメなんだろうか?
願い事を聞くだけなら、いつでも良さそうだけどさ。叶えられるかは置いておいて。
ダークは悲しげな表情のまま、困惑する私の額にキスをした。
ああ、そういやユシララでも額にキスされた。これ、何かの意味がありそうなんだよね、いつかどんな意味か聞こう……。
それにしても、ダークは何か願い事があったのか。要約すると、私のすることは何でも許すからその代わり、願い事があるからそれを聞いてほしいってことか?
後ですごいこと頼まれそうでちょっと恐ろしいけど……やっぱお金かな?タダ働きしてる状態だもんね?でも、名前付け直して奴隷解除のお金もって考えるとすでに途方もない金額になるんだよね。
更に要るのか……。世の中金だなぁ……。
塩の湖にあるレアアイテム採って売り捌けば何とかなるかな??
まあそれよりも結界を何とかしないと……
「あ!聖騎士!」
やっべ、頭痛いし目の前のことでいっぱいいっぱいで忘れかけてた!