魔族と人と湖と
ちょっと遅くなりましたが何とか投稿…
「広いなーこの湖の水ほんとに全部塩が入ってんの?」
で、見える範囲の湖の端はところどころ白っぽいから塩の塊かな。塊だけで数百メートル規模の大岩じゃん。あれが全部塩だとしたら、かなりの量の塩が湖の岸辺だけで取れそう。
「こんなに塩があるんならさ、ちょっとくらいあげても景色変わらないから許せそうだけど。そんなに取られるのが嫌だったの?」
「オレ様が、いつ塩を取らせねぇって言った?そんな細けぇこと言うわけねぇだろ」
チェスナットが嫌そうな顔をする。
確かに言われてないし、言いそうもないな。
コイツは散々闘ってきたくせに、初めて会った時も魔族の村でも、他所の人間が訪れることに対する嫌悪は見られなかった。死にかけのくせに綺麗な景色の解説までしてくれたし、村人たちもチェスナットが魔族じゃないやつ連れてきたってビックリしてたけど、来るもの拒まずな雰囲気だった。だからこそ、ほんとに他国相手に戦争なんてしてるのか違和感があったんだよな。
「オレ様も先祖も、ここが魔族だけの土地だとか言わねぇぜ。塩なんか、欲しいヤツが持っていけばいい。そんなことのために今まで戦ってきたわけじゃねぇ」
「え?でも景色のためって」
「……街道があっただろ。あれはオレ様が産まれる前に先祖とこの辺りの国の奴等とで協力して作ったんだ」
ここで8秒経ったと思うので、チェスナットの話を聴きながら湖のほうに歩いて向かう。
今立っている所は崖上というより尾根状になっていて、ここから湖までは少し緩やかな下り坂だ。湖の岸辺までは目測で200メートルくらいかな。歩きながらでも話してるうちに到着するだろう。
それにしても魔族と国が協力してたのに、こんな争いに発展したってことは、何か不都合なことが起きたんだろうね。
景色を愛する魔族が許せないこと……何だろ?
「……街道が完成するとやつらはこの湖の水を堰き止めて、オレ様たちの住む魔族の村あたりに別の池を作るって言い出しやがった。より多くの塩を一気に採掘するためだとな」
「あー、なるほど?確かにありがちな考えかも」
でも、ノゾミさん曰くこの湖でレアアイテムが取れるらしいから、他国の人たちは塩というよりも、そっちに目が眩んだ説が濃厚だなぁ。
人間は、より安易に簡単な方法を取りたがる。それがどんな犠牲を伴うか、予測できていたとしても無関心で実行する。
結局自分たちの欲を優先しちゃうんだろうね。後に残るのは人間たちが食い荒らして完全に破壊されたまま放置された自然だけだ。
「んなことしたら、塩の湖が枯れるだけじゃねぇ。言ったと思うが、ここの湖の水源は聖水だぜ?この水の流れが変わると鏡の谷まで影響する。あそこは地下を通るここの聖水で抑えられてるが魔鋼床の下に精気の塊がいくつもある」
「精気の塊?」
「……精気が凝結した結晶です。言い換えると自然の魔力の塊で、この塊から大量の魔物が発生します。基本的に精気の塊がある所はダンジョンになるのでこの結晶をダンジョン核とも呼びます。その話によると、塩の湖が枯れると同時に複数のダンジョンが発生して、この辺りは魔物で溢れかえるでしょうね」
「なるほどね」
ダークの解説のおかげで理解できたわ。
「だから、『聖騎士の結界』を展開させることに繋がるわけか。そしたら精気の塊も含めて全部なくなるもんね」
「ちっ、精気が全くない土地で生活するなんて、正気じゃねぇ。魔族以外の人間だって精気が要るはずだぜ」
「そうなの?」
「身体にある魔力の根源が精気です。魔族以外の僕たち人類は普段、食べ物からそれを摂取していますから、影響がないとは言えません。精気のない土地に動物達は寄り付かなくなりますし、新たな生命も生まれなくなる。人類も精気のない植物を食べてもHPやスタミナは回復できません」
聞く限りだと、かなり悪影響があるんだね。一見無害な森だけど暮らすには有害って感じか。
「なるほどねー。じゃあ『聖騎士の結界』の跡って、果ての森とは違うんだね。あそこも動物居ないから、ああなるんだと思ってたわ」
ダークが歩きながらパチリと瞬きした。
そして隣を歩く私を見上げてくる。
「……ご主人て、たまに鋭いよね」
「褒めてるんだよね?それ」
橙の瞳が湖に向き直ると、思い巡らせるようにその瞳の色が濃くなった。
「僕は今まで果ての森は果ての森としてしか認識してなかったけど、確かに『聖騎士の結界』が張られた跡地だとすると諸々の説明がつきます。あそこは植物の恵み……精気の量が圧倒的に低かったから……」
「え、でも、私たち果ての森で2週間くらい過ごしたけど大丈夫だったよね」
「その程度の期間なら影響ないんじゃねぇか?カナメは女神の加護があるんだろ、ダークもエルフだしな……」
そう言いつつチェスナットが私の頭に自分の顎を乗せて寄りかかる。体が完全に起き上がった状態だから傷に響くんだろうね。
横柄な態度だから忘れがちだったけど……今からお姫様抱っこにする?うーん、あれもお腹に負荷ありそうだし……嫌がりそうだからやめとくか……。
それにしても、女神の加護か……堅固なる肉体保持だもんね、ちょっと厳ついけど、以外と役に立ってたんだな。
「でも、あそこが『聖騎士の結界』の跡地と仮定すると、その結界が張られたのは遥か昔だと思います。あの土地は恵みが圧倒的に低いとは言え、ゼロではありませんでした」
「回復傾向にあるから、大昔の『聖騎士の結界』跡地ってことね」
と、ここで湖の辺りに到着した。
さて、マルローンの欠片はどこだろうか?
ぐるっと見渡してみると、夜にしてはぼんやりと明るい。月や星を反射してるだけかと思ったけど、水が少し発光してるみたいだ。
キラキラしてる……これが聖水ってやつ?
何となく出来心で手に持った聖杯を普通の大きさに戻し、湖の水を汲んでみる。
「チェス、これ飲んでみる?」
「うえ、嫌だ。絶対しょっぱいぜ」
「うん、まあ、だろうね」
代わりに私がコクッと一口飲んでみた。
しょっっっぱ!
海水よりも塩の濃度が高い気がする。塩をそのまま舐めた感じだ。まあでも、それだけ……っぽい。特に変なところのない至って普通の塩水だ。
私が一口飲んだことでチェスナットも嫌そうな顔をしつつも少し口に含んだ。
「ぶっ!やっぱしょっぺぇ!」
吐き出すチェスナットの様子を見守ってみる。けど、特に変化なし。紫の魔王リングも消えてくれない。
ダメ押しで鑑定してみたけどステータスにも変化がなかった。
「まあこれ、ただの塩水だもんね。何となくこの聖杯で何かを汲むんだと思ったんだけどなー」
聖杯に汲んでいた塩水をパシャッと湖に捨てて再度他に何かないか目を凝らしてみる。
「何もないなー。チェス、何か神殿みたいなとことか気になるとこ……とか……」
抱えているチェスナットに視線を戻して、言葉が出てこなくなった。
みるみるうちにチェスナットの翠の瞳が赤く染められていく。
「チェス?どうし……え、わ?!」
服が引っ張られて戸惑ってると、先ほど聖剣が当たった首筋に熱いものが被せられた。
フワッとした黒髪が下顎から耳下にかけてチクチクとくすぐる。
視界から消えたチェスナットはどこだ?なんて、思考が麻痺する。いや、考えたらわかるんだけどね、考えたくないと言うか……正直言って考えることを放棄したい。
「ちょ、チェス、いきなり何を……うん?!」
首に変な感触が走る。ヌルッとして熱い塊が首筋を這う。
「ちょあ、や、め……くすぐった……んぁ」
くすぐったい!ゾワゾワと毛が逆立つような感触に、変な声が漏れてしまった。
ちょい!何だこれ?!何されてんだ?舐められてる?!
なんか、なんか恥ずかしいんだけど!!
ドンッグシャ
徐ろに首に伝っていた熱い感触が突然離れた。そしてショウを吹き飛ばした時と同じ音が聞こえる。
「どいつもこいつも。ご主人に変なことするな!」
ダークが私の前へ移動してくると、庇うように仁王立ちした。
「いや、うん、ありがたいんだけどダーク、一応さ、相手負傷者だから」
「関係ない!あの魔族、魔王になりかけてます」
「え、そうなん?!」
ダークとやりとりしてる間にチェスナットがむくりと起き上がった。真紅の瞳に、口元が真っ赤だ……私の血がついたのか。確かにさっきより紫のリングが濃い色になっている。
吹き飛ばされた衝撃のせいか纏っていた布が半ば破れて取れて、背中の翼が大きくバサっと広がった。
赤い瞳に、黒い翼、うっすら白い肌、口元から見える八重歯……あれ、なんか、ヴァンパイアって、こんな感じじゃなかったっけ?
と、ポカンとしてしまった私は悪くない。
だってさっきまでお子ちゃま然としてたクソガキが、いきなり首舐めてきたらさ、そりゃビックリする。口の周り真っ赤だし、なんかさ、とあるもののけの姫みたいじゃん?
「あの、チェスナット、だよね?」
まさか、今の一瞬で別人に?
淡い期待をして投げかけてみたけど、暗がりに見える顔つきはあのクソガキだからなぁ。やっぱりチェスナットだよなぁ。
何でいきなり首を舐めてきた?そして何でいきなり魔王になりかけてんの?
状況把握が追いつかないよ。
当の本人は、真っ赤な瞳で私を捉えてフーフーと肩で息をしている。
「……ち」
「ち?」
「血を、よこせ」
「ご主人!」
チェスナットがこっちに向かって呟くのとダークが私に呼びかけるのが重なった。
ドンッ
一瞬で移動してきたチェスナットを再度ダークが拒絶して弾く。
2回目の拒絶スキルは吹き飛ばす勢いがなくてチェスナットと近い。数歩の距離だ。
「ご主人、聖杯から手を離して!」
「っ!」
再度なりふり構わず私に向かってくるチェスナットを眼前に、怠惰スキルで時間を稼ぎながら聖杯から手を離した。聖杯がカランと乾いた音を立てて地面に転がる。
バチバチッ
「血を!!よこせ!!」
叫びながら魔王リングが発動して弾かれても無理やり私に手を伸ばし、弾かれては体当たりを繰り返してくる。
「く、ご主人、攻撃の許可を!」
ダークが私とチェスナットの間に割って入りながら投げかけてくる。ダークも勇者のパーティだからか、チェスナットの周りのリングに弾かれている。
それでも体格差が多少あるせいか、どちらかと言うと弾かれているのはダークの方だ。何とか踏ん張ってるけど……少しずつ押されている。このままだとあと数回タックルされたら弾き飛ばされるだろう。
「ダメ!チェスは怪我してるし!」
暴れ始めたけど布が破けて露わになった腹を見るに、怪我は治ってない。そして私との接触がなくなったから、こちらに伸ばしてくる手も若干腐り始めている。
暴走が始まってもステータスや状態異常は変わってないはずだ。聖剣の制裁だって残ってるだろうに、こんな風に動くだけでも身が保たないはずだ。攻撃なんかしたら本当に死ぬ。
「血を……くれ……」
チェスナットが引っ掻くように紫のリングを両手で掴み、赤い瞳で顔を歪ませる。
徐々に黒い霧が集まって、チェスナットを包み始めた。
嫌な予感がする。
このままだとチェスナットが返ってこない、そんな予感だ。
本当にこのまま魔王になるのか?ただの暴走にしてはどこか繋がりのありそうな……景色の歪む赤い瞳を冷静に見据えた。
赤い瞳……サンの時もあった。古い神殿みたいな岩のある湖で……ん?ここも湖だ。で、あそこでキスされそうになって……マルローンが女神の残滓って表現した行為……。
ごくりと空唾を飲みこんだ。確証は無いけど、時間がない。
私を庇おうとするダークの肩に手を置いて、囁く。
「ダーク、ごめん。ちょっとわがまま聞いて欲しい」
「っ!それ、絶対嫌です!」
「……ごめん。許してとは言わない。急ぐから、ごめん!!」
私は肩に置く手でダークの服を乱暴に掴んで抱えると、そのままの勢いで一周予備動作をつけてブンッと横投げした。ダークがポンと遠くに投げ出される。
うん、投擲スキルのレベルはまだ低いけど、そこそこ遠くに飛ばせたな。
飛んでった方向を確認し、あのくらいなら風魔法で空中に浮いて戻ってくるのに数分はかかるはずと予測を立てた。
一方チェスナットは、ダークを投げる時のタイミングと魔王リングの弾くタイミングが重なったみたいで少し後退している。
私は足元に転がった聖杯を再度掴んでチェスナットを見据えた。
「……来い!血くらい、くれてやるよ」
暴走状態のままチェスナットが勢いつけて私にタックルし、2人一緒に地面に転がった。
私は下敷きにされつつチェスナットを抱き止めながら、目を瞑り、噛まれたら痛いかなーなんて考えてみる。
あれだな、予防注射を打たれる時の心境に近い。
でも、いくら待てども痛みが来ない。
「チェス?」
見上げると、赤い瞳が時折翠に変化している。眉を寄せて歯軋りしながら私を見つめていた。
サンの時と一緒だな。ギリギリで自我が戻る感じ。
「カナ、メ、オレ様、まだ……どれだけ吸うか、わかんねぇ、ぞ」
「良い。だから早くやって」
ダークが帰ってくる前にやってくれないと困る。あー、ダーク絶対今ブチ切れてるよなぁ〜憂鬱だわ……。
「くっ、そ。こんな……したくねぇ、のに」
「……そういうのいいから、やるなら早くやれよ」
チェスナットが赤と翠に瞳を変化させながら苦悶の表情を浮かべる。
何か拘りでもあったんだろうか。
ステータスに混血ヴァンパイアって書かれてるし吸血スキルもあったから、血も吸い慣れてるんだと思ったのにさ。美意識みたいなものがあんのかな。
でもさ?でもだよ?サンの時も思ったけどさ、私も好きでしてるわけじゃないんだからね?そんな嫌がるなよな。
こっちだって私みたいな女が相手で悪かったなとしか言えないわけよ。何とか生き残って、好みのやつの血を後から吸ってくれ。
心の中で悪態吐きながらチェスナットを見上げて待つけど、なかなか噛みつかない。
でもチェスナットの理性?的なものも限界に近いのか、だんだん顔が近づいてくる。
「……ど、うなっても、知らねぇか、らな」
「うん、良い。大丈夫」
だから早よしろ!ダークが来る前に終わらせないと……本格的に殺されるよ!
ちょっとキスする時に近い距離感だから、妙に緊張し始めたわ。ガキ相手だとしてもさ、異性とこの距離って慣れてないんだよね……別のこと考えよう。
チェスナットのこの嫌がり方……私もヴァンパイアになったりはしないよね?混血らしいしそこは大丈夫だよね?
もう、チェスナットがぐずぐずするから腹をくくってたのに不安になってきたよ……。
やっぱ首かな?何故か首に噛み付くよね、ヴァンパイアって。首に動脈あるけどさ、腕で良くない?首って痛そうだからやだな。
黙ってると思考が忙しなく巡る。
「あ、じゃあさ。そんな躊躇うくらいなら手に噛んでくれないかな?首ってなんか怖いしさ」
言いながら手のひらをチェスナットの顔の前にやる。するとチェスナットは急に表情が緩んだ。目を伏せ私の手に視線を集中させると片手で私の手を取って精気を吸い始めた。
筋張った男の手……私の手を包んで余りある大きさだ。ガキなくせに、男女って手の差があるんだよなぁ。ダークはもうちょい小さいんだけど……いつか大きくなるんだろうか。一時的にこっちの世界に来ている勇者は見れないかも知れないダークの未来……。と、爪の尖ったしなやかな指を見て考えてると、チェスナットと視線が絡んだ。
精気を吸って完全に落ち着いたチェスナットの瞳……赤い。翠の方が綺麗だったのにな。
衝動的に口元から外れた手でチェスナットの頬を軽くなぞるように撫でた。
次の瞬間、紅の瞳が蕩けるように弧を描き、フッと懐かしむような笑みを作る。
「!」
クソガキの顔でも妙に大人びた笑顔だ。不覚にもドキッとした。
その一瞬をつかれた。
チェスナットはその笑顔を残したまま顔を近づけ、私の静止の暇も無く一息に私の首へと噛みついた。
「ん!ちょぉ、おい!手に噛んでって、言ったのに!」
私の渾身のツッコミも虚しく、ふわふわの黒髪が頬をくすぐるだけだった。