強欲な双子
光の中で、徐々に輪郭が現れた。
この景色は……見たことがある。
というより、さっきまでいた家の中だ。でも、先ほどよりも脱ぎっぱなしの靴下が転がっていたり、毛布が汚く椅子に掛けられていたり……机の上にも何が書いてあるのか不明な紙切れが何枚もおかれいて、ペンも数本転がっている。
片付いてはいないけど、良い意味で生活感あふれる部屋。さっきの屋内とは似ても似つかない、少し散らかった家庭のワンシーンに見える。
ばんっ!
部屋の中を観察していると、勢いよく玄関のドアが開けられた。振り向くと見覚えのある顔……チェスナットが入ってくる。こころなしか、さっきまで騒いでいたチェスナットよりも幼い表情だ。
「兄貴!バルサムが察知したってよ!またあいつらがやってきたぞ!!」
「……そうか、すぐ出るよ」
気づかなかったけど、部屋の奥に人がいたようだ。チェスナットとよく似た声質だけど落ち着いた、どこかふんわりした言葉遣い。
現れたのは、チェスナットと全く同じ顔をした白髪の少年。白い胴着の上から黒地に赤や緑の刺繍が入ったロングコートを羽織りながら歩いてきた。
顔は全く同じなのに仕草で性格が違うと分かる。チェスナットがチンピラなら、こっちはちょっと良いところの坊ちゃんみたいな。
マルローンが、普通に動いてる?
「今回もぶちのめしてやってくれよな!」
「ああ、もちろん。……チェス、村のことは頼んだよ。お前も、しっかりここを守ってくれるよね?」
そう言ってマルローンが心配そうに微笑みながらチェスナットの頭を撫でた。
でも、チェスナットは不服な顔をしている。
「なあ。なんで俺は行っちゃ行けねぇんだ?双子なのに、兄貴はもう3年も前から戦場に出て戦ってる。俺だって、もう充分レベルも上がって戦えるだろ?親父が一カ月前の襲撃で死んで……戦士の人数が、足りてねぇじゃねぇか」
この言葉に、マルローンの顔が曇る。
「……俺はチェスと、ここの景色を守れるなら本望だよ。いつでも死ねる。でも、お前は……」
「俺だって!俺だってこの景色を愛する魔族だ!死ぬのは怖くねぇ。ステータスに名前は載らなくても、俺も兄貴と同じ先祖を持つ、この村の戦士だ!!兄貴と一緒に、戦場で戦いてぇ!!」
マルローンが困ったように眉を下げた。そして無言でチェスナットを抱き寄せる。
「……村だって大事な拠点だよ」
「ここにはもう、手負の戦士しかいねぇ。呪いを受けたアセビの親父だって、ここは死を迎える準備のできたやつしかいない、守る場所じゃねぇって言ってる。……もう、守るような女も赤ん坊も、みんな居なくなっちまったじゃねぇか」
「…………」
マルローンの無言に、チェスナットは自信無さそうに目を泳がせた。
さっきまで居たチェスナットなら絶対見せないような表情だな、と冷静に見守る。どうせこの雰囲気、黒い世界の時と同じで干渉出来なさそうだし。
「俺が弱ぇから、みんな、俺を連れて行きたがらねぇのは分かるけどよ……俺、足は引っ張らないから……」
「……ごめん、違うんだチェス。お前は充分強いよ。戦場に行く戦士達だって、お前の力を喉から手が出るほど欲しがってるんだよ……でも、俺が止めてたんだ」
「はぁ?!なんだってそんなことっ!!」
ガバッとチェスナットが顔を上げて、信じられないと言わんばかりの表情で睨みつけた。
マルローンはその強い視線を受けても動じない。ただ困りきって、何かを諦めたような顔をして続ける。
「でも、もう、本人が行くって言ってるのに、止める理由なんて用意できないよなぁ」
「じゃあ……!」
「……お願いがある」
嬉しそうにチェスナットの顔が綻んだ。一方で真剣味を増すマルローンの表情は正反対だ。
それぞれの対照的な感情を映して、2対の深緑の瞳が交差する。
「この約束だけはしてくれ」
「約束?」
「何があっても、戦士の掟のとおり、チェスは景色のためだけに戦って生きろ。絶対に、俺のために戦わないでくれ。……守れるか?」
「何だそりゃ?何で、そんな変なこと……」
「約束をしてくれるなら……今日は戦場に連れて行くよ?」
チェスナットの目が輝いた。作ったような明るい表情のマルローンの眼が、暗い。きっと本心ではまだチェスナットを戦場に連れて行くのは嫌なんだろうなってのが見てとれる。
「約束する!約束するぜ!!」
一方、見事にエサに釣られた無邪気なチェスナットは、飛び上がるように歓喜を全身で表現している。
チェスナットの言葉に、漸くマルローンも穏やかに微笑んだ。
この約束は、いったい何の意味があるんだろうか?
「それから、チェス。俺より先に死なないでくれ。これは約束じゃなくて、俺の願いだ」
「それは戦士らしくねぇ!」
「……分かってるよ」
マルローンの不貞腐れたような声を残して、現れた時と同様にこの光景が白くなって消えて行く。
まるで夢から覚めるように儚く消えていき、ハッとした時には同じ構図の家の中、ガランとした現実の家に戻っていた。
本当に、さっきの光景と比べてここは真っ黒だよなぁ。
「今のは何だったんだ……」
呟きながら私がチェスナットを振り返ってみると、翠の瞳を見開いてマルローンを見つめながらポロポロと涙をこぼしていた。
「チェスナット?」
「……兄貴が、いた」
いや、今もいるけどね?
どうやらチェスナットも、さっきの幻覚を見ていたみたいだ。確かにさっきのマルローンは動いていただけじゃなくて、柔和な雰囲気でも生き生きとしていたから、目の前の子と比べても存在感があった。強い翠の色を発していた瞳と、今の暗緑の瞳は全く違う。
チェスナットが私の手を解いてヨロヨロとマルローンに近づくと、椅子に座っているマルローンを上から抱えるように力強く抱きしめる。
「……兄貴、何で、帰ってこないんだ?なあ、兄貴?」
縋るように小さく呟く問いかけが聞こえてくる。
こういうのは、聞かないほうがいいんだろうけど。距離が近いから聞こえてしまう。
それに、生まれた時から魂の抜けたこの人に、帰るって表現が果たして正しいのかどうか……。
私はというと、声をかけるかどうかで悩んでいる。聞いてしまった手前、私の一番苦手な分野、慰めるってやつをしないといけないんだろうけど。正直まだ、考えがまとまっていない。
この現状とさっきの現象の分析ができていないから。
さっきの幻覚みたいな光景は、チェスナットの願望なのか。それとも、サンの黒い世界の時と同様に並行世界みたいな現実としての映像か。
黒いモヤと対照的な魂の欠片が光って、私たちに見せた光景だとすると、後者の説は濃厚だ。みてる途中、私の姿は自分で認識できなかったから黒い世界と一定の共通点があったし。
でも、じゃあ、このもぬけの殻みたいなマルローンはいったい何でこうなったのか。その説明がつかない。
……気のせいか?マルローンの手がピクリと動いたような。
《カナメ》
「ん?」
いきなり呼ばれた。
あの地下講堂の時同様にチェスナットには聞こえてないみたいだけど。
やっぱり、サンを魔王の儀式から助けてくれた(気がする)あの光の声だ。幻覚の時よりも無機質だけど、マルローンの声と一致する。
今度は何をアドバイスしてくれるのだろうか、マルローンの顔を見つめて聞く体制に入る。
先ほどまで虚空を見つめていた瞳が、いつの間にか幻覚のシーンと似て強い意思を宿している。
《この子を頼みたいんだ》
「あぁ、まあ、私のできる範囲でいいなら」
アドバイスじゃなくて、お願いをされた。
それでも特に深く考えず、反射的に答えていた。
まあ、冷静に考えても、この子にはサンを助けてくれた時の借りがある。こんなふうに頼まれて断る理由がないんだけどね。
しかし……3000の大軍かぁ。頼まれてなくても八割がた行くつもりで考えてたけどねぇ。頼まれちゃったなら引くに引けなくなったっていう。
つい頭をガシガシかいて、深く息を吸ってしまった。良い作戦ないかなぁ?思い浮かばない。はぁ、行きたくないなぁ。
やってもやらなくても良いような宿題には燃えるけど、やらなきゃいけない宿題はやる気がなくなる現象に近い。これでも私がカナメとして生きてきて何年も経ってるんだ、自分が一番天邪鬼だと自覚している。
《あと出来れば、俺の魂の欠片も集めて欲しいかな》
「……できる範囲でいいなら」
意外と厚かましい。
流石はチェスナットの肉親と言ったところか。この強欲の兄弟め。
クスッと息を吐く音が聞こえる。
今、もしかして笑った?
《俺の欠片は、しーーずうみにーーひーーるはずーーから》
「ん?し……ずうみ?塩の湖てこと?」
急に聞こえなくなり始めた。
と、聞き返している間にグスグスと鼻を啜っているチェスナットの後頭部へ、マルローンの手がゆっくりと動いて乗せられた。
チェスナットは、はっと息を呑んで顔を上げ、マルローンの方を見る。
あの風景のようにスムーズとまではいかないけど、彼の手がチェスナットの片頬へ触れ、小さく口の端が動く。
「兄、貴……?動けるのか?」
チェスナットが包帯だらけの手で、頬にあたっているマルローンの手を握る。チェスナットの手は既に呪いで腐り始めてて布に染みが出来ている。
そしてそのままチェスナットの問いかけに応えることなく、マルローンは直ぐに動かなくなり、最初の状態に戻ってしまった。瞳は再び彩度を失い、虚空を眺めている。
しーん。
チェスナットが鼻を啜る音だけが、冷たく暗い部屋に響く。
私の方からは位置的にチェスナットの後ろ姿しか見えない。
「カナメ」
「ん?」
「欠片がどうのって、言ってたよな?」
「あぁ、魂の欠片だね」
「それが、さっきのを見せたのか?」
「多分」
「まだ、あの欠片は他にもあるのか?」
「そうみたい」
「……それを集めたら、兄貴は治るか?」
「どうだろう?……治るのかもしれない」
「そうか」
実際、今ちょっと動いてたし。本人が集めて欲しいって言ってたし。集めれば回復するのかもしれない。
「……困った」
ポツンとチェスナットが呟いた。
「何が?」
聞き返してみた。
「…………あの兄貴の約束、守れねぇ」
「ん?何で?」
チェスナットが振り返ってこちらを見る。
私が触れてないせいで、顔の原形が腐り始めて崩れ出してるけど、包帯で何とか形が維持されている。それでも目のパーツもドロドロになってて、頬の皮膚も剥がれかけている。
ハロウィンとかで見る特殊メイクみたいだ。
涙なのか汚れなのか分からないほど顔がぐちゃぐちゃになってるのに、何で声はこんなはっきり聞こえるんだろうな。
「これじゃ、兄貴のために戦って、生きたくなっちまう……もう死ぬとこなのに……死にたくない」
話している間にも、腐る呪いでドロドロになって溶け出している。顔の輪郭が辛うじて布で維持されている程度になる。
まともにチェスナットの顔が見えなくて、寧ろ良かったかもしれない。
あんなにくそ生意気だったくせに、こんな弱音を言うようになるんだ。きっと顔もこの上なく情けない表情を浮かべてそうだ。
コイツの性格なら黒歴史だとか言って、あとあと引きずると思う。幼児化状態の時に鑑定されて泣きかけてたくらいプライド高いもんな。
そんな子が、やっと弱々しいけれど自分の意思を発言したんだ。
弱々しい……しょうがないか。
何だかんだコイツは村の長として担ぎ上げられて……神の子の代わりに幻覚の中のチェスナットよりも、恐らく随分と早く戦場に立っている。弱い自分なんか見せる暇も余裕も、相手もいなかったはずだ。
そして多分、ずっとコイツは自分の為に戦ってこなかった。
一族の名前を背負って死んで、戦いを終わらせようとするようなやつ。この小さい頭できっと、村人を生かす方法をずっと考えてきたんだろう。
しょうがない。大人の私が屁理屈という名の知恵を授けてやろう。
「大丈夫だろ。それ、お兄さんのためじゃないでしょ」
「へ?」
「マルローンが回復したら、景色を守る戦士が増える。だから、あんたはお兄さんを取り戻したい。お兄さんのためでも自分のためでもなくて、景色のため」
「…………」
いや、別に景色を守ることに賛同してるわけじゃないよ?言いたいのは……気の持ちようだってこと。伝わるかな?
「でもさ、お兄さんのためとか景色のためとか難しいこと考えないで、今、一番やりたいことをやれば良いよ。そんな風に生きてみてさ、お兄さんが復活したらその時、咎められるもんなら咎めてみろって言ってやれば良い。あの子なら、笑ってくれるんじゃない?優しそうなお兄さんじゃん」
言いながらチェスナットの頬に軽く触れて呪いを無効化させてやる。
「人によって考えは違うけどさ、私は難しいことなんて考えずに自分が後悔しないために、今を生きてる。チェス、あんたもそういう部類だろ?」
綺麗に呪いが解けて回復した顔に笑いかけてやる。出来るだけ大胆不敵に映るように、コイツの真似をして。
チェスナットの翠に輝く二つの眼が、真っ直ぐ私を見上げてくる。
そして、涙の跡が見える目元が綻ぶ。
「あぁ…….確かに。オレ様はそういう部類だな。でも、カナメーー」
マルローンの手を丁寧に下ろし、言いかけながら立ち上がった。
「オレ様の名前、勝手に省略するな」
「ケチだなぁ」
「ケチじゃねぇ。二度目だぞ?!今は全っ然息上がってねぇくせに、何で省略したんだよ!?マジで次は殺すからな!?」
「え?だって、お兄さんにも呼ばれてたから良いかなって」
「良くねーよ!兄貴はオレ様の兄貴だぞ。お前と一緒にすんな」
「ケチ」
「オレ様はケチじゃねぇ!」
一通り騒いで、チェスナットがため息をひとつついた。
「よし、分かった。そこまでオレ様のことをそう呼びたいなら、対価として今からオレ様と一緒に戦場に来てもらおう。そしたら許してやる」
「えー。じゃあいいかな」
「はぁ?!オレ様がここまで譲ってやってんのに!ありがたいと思わねぇのか!?」
「だって既に呼べてるのに、条件必要ないじゃん」
「お前ぇな!ほんっと殺されてないのありがたく思えよな?!歴代の長ならお前なんか条件とかなく即死だぜ!?それに、オレ様の名前を省略出来るだけじゃなくて、戦闘を特等席で見せてやるって言ってんだぞ!オレ様の寛大さに感謝しろよ!」
チェスナットが拳をあげて反発の声を大にする。
「いやいや。どうせあんた、私を呪い解除器として利用したいだけでしょ。私が行かなかったらあんたが困るもんね?」
「う、それは……!えぇと……」
言葉が見つからなくなったみたいだ。
どうでもいいけど本当に呪い解除器だって思ってたんだね?何とも言えない気持ちになるよ。
でも、ちょっと揶揄いすぎたかな。
この子はまだ生きたくなった。だから、戦場に私を連れて行きたいみたいだ。それが分かって、少し嬉しい。
まあ、このくそ生意気なコイツが、まともに頭下げて頼んでくるなんて想像もつかないし。最初からそんな期待はしてない。
トントンとチェスナットの頭を軽く叩くように撫でた。
「まあ、戦場にはチェスと一緒に行くつもりだったけどね。マルローンからも頼まれたし」
「……兄貴と会話したのか?」
「うん、さっき腕が動く前に。まあ、途中から聞こえなくなった……けど……ね」
チェスナットが初めて寂しそうな顔をしたから、言い淀んでしまった。
「…………よし」
何がよしなのか分からないけど、両手拳を握ってチェスナットはそう呟いた。そしてすぐに振り向いてマルローンの肩を両手で掴む。
「聞いてたろ、兄貴。俺は俺のために戦って、また戻ってくる。もしそれが嫌だったら兄貴の口から文句を聞いてやるからな。待ってろ!」