神の子
「お邪魔します」
「…………」
チェスナットのお兄さん……チェスナットの二番目の名前だったから、確か、マルローンだったよな。声をかけたけどマルローンからの返事はない。
ドス黒い空気をかき分けて、マルローンを注視しつつ目の前まで近づいてみても何も動く気配がない。
「こんにちは、私はカナメって言います。チェスナットに連れてきてもらいました」
「…………」
返事がない。ただの屍のようだ。
いや、息はしてるみたいだけど。
この子、髪色以外でも目を惹くところがある。白地に色とりどりの細かい刺繍の入った礼服だ。
魔族って普段からこんなキラキラした儀式用ぽい服を着るもんなのか?
いや、チェスナットは動きやすそうな黒い胴着に最低限心臓あたりを守る胸当てという戦闘向きの中でも極めてシンプルな服装だ。だから、チェスナットの着ている方が普段着って言われるとしっくりくる。
それに村人たちもユシララとかの街で見かける冒険者みたいな格好だった。身を乗り出すと肩から落ちそうで、じっくり見れてなかったけど、マルローンの服装とは明らかに違う。
それとも、花火も上がってたし、祭典でもしてるんだろうか。
私がお兄さんの様子を伺ってると、チェスナットはいつの間にかテキパキと家の中を動き回って大量の布や服をかき集めている。
一通り集め終わったのか、自分の身長の半分くらいの高さまで積み上げた大量の布を抱えて私の近くに座った。
チラッと見ると、女物の服も何着か紛れている。私の視線に気づいたのか、チェスナットは聞いてもないのに弁明してくる。
「非常事態だからな。オレ様の分じゃ足りねー。これは母ちゃんの、こっちはステルトリアのだけど、ちょうど良さそうだから使う」
「勝手に使ったら怒られない?」
言ってみて失言に気づいた。
さっき、マルローンのことを唯一の生きてる肉親って言ってたはず……。
内心焦る私をよそにチェスナットはニヤッと笑う。
「ふん、まともに着なかったくせに奥にいっぱい溜め込んでやがんだぜ?死んでもオレ様が有効活用してやるんだから、喜ぶに決まってんだろ」
ああ、コイツは相変わらず明るく元気に横柄で憎たらしい奴だわ。
「いや。それ、きっと怒るよ?大事だから奥に閉まってたと思うし」
「まあ、本当に使うかどうかはこれから決める」
「そんなぐちゃぐちゃで持ち出した時点で怒られるけどな」
「確かに」
私もお手伝いの時、何度か母親に服を運んでるだけで怒られた。どこ持っても違うって言われるんだよなー。シワの寄らない持ち方って何なんだよ。あれ結構難しいんだわ。
一通り会話も済んだので改めて暗がりに目を凝らして見回すと生活感のない家だと感じる。
家具はある。あるけど長期間使われてないようなガランとした見た目だ。
でも、埃や塵一つ落ちてない。チェスナットはさっき久しぶりに帰ってきた風に言われていたから、別の人が掃除してるのか?
サンの言ってた咎人……堕天者になることを強制される魔王の卵みたいな人の待遇とは違って見える。
根本的に村全体で呪いに対する偏見というか、考え方が違うからだろうか?
「ねぇ、お兄さんて、咎人ってやつだよね?」
「あ?何だそら」
あ、そもそも咎人という概念すらないのか。
「……いや、豪華な服着てるなって思って」
「オレ様の兄貴は神の子だから当たり前だろ。オレ様を呼んだ時みたいに勝手に略して呼ぶなよ、お前でも許さねーから」
「神の子……?」
「魔族は基本髪が黒いのに兄貴は白いだろ。白は神の色だ」
宗教的な話だったか。髪が白いとむしろ崇められるのね。それなら、こんな礼服を着せられてるのにも納得だ。神の子本人は全然動く気配がないけど。
一方、私が家とかお兄さんを観察して思考してる短い間にも、チェスナットはマイペースにせっせと自分のことをしている。
合間に私の手にタッチして、こまめに腐りかけた身体を回復するのも怠らない。
……うん。この、私にタッチする時の、物に接するような適当な扱い、なんとかならんか?ガソリンスタンドの摩擦除去シートになった気分だ。さっきからタッチと言うより、パシパシと適当にタップされている。
突っ込んだら負けだと思って無視しているけどさ?コイツなら、「お前なんか解呪器でしかねぇだろ、それがどうした?」とか平気で言ってきそうだ。そう言われたらムカつくから言わずにいるってのが正しい。
さて、マルローンだ。
何かしら原因があってこんな無反応を起こしているみたいだし、まずは鑑定してみよう。
「あの、マルローン、さん?鑑定してもいい、ですか?」
チェスナットがさっき怒ったからな、しっかり鑑定の許可をもらっておこうと声をかけた。
雰囲気が厳かなせいで、チェスナットと同じ見た目のガキ相手だけど敬語になってしまう。
案の定反応はないけども。
「いいぜ、鑑定しても」
チェスナットは何を基準に選んでるのか分からないけど、イソイソと布や服を選定し、仕分けているみたいだ。手と目は自分の作業に向けながら返事してきた。
「え。でも……」
「兄貴は生まれた時から喋らねぇ。代わりに答えてやる」
「お、おう」
確かに、そういう呪いがあるかもしれない。
ダークも元々は感染の呪い以外に、言葉も分からない呪いがあって喋れなかったもんな。
ん?でも、今、生まれた時からって……?
まあ、まずは触って呪い無効化をして、鑑定してみないと始まらない。
椅子に座っているマルローンの手に触れて、一呼吸。見守る。
うん、変化なし。呪いのせいでこの状態というわけではないみたいだ。
鑑定してみた。
「……え」
つい、声が漏れる。
「どうした?」
「どうって、これ……どういうこと?」
「鑑定したんなら、見りゃ分かんだろが」
「いや、だってこれ。呪われてないし。全部、初期ステータスじゃん」
「……そうか」
そうかって……どういうこっちゃ。
チェスナットはまるで知ってたかのように淡々と布の選定を続けている。
私は再度、鑑定結果のステータスを見る。
名前:マルローン
種族:魔族(混血ヴァンパイア)
LV:1
称号:無欲なる敗者
加護:
ユニークスキル:精力吸収LV1、吸血LV1、継承LV5、拒絶LVmax
スキル:
HP:100/100
スタミナ:50/50
MP:850/50(+800)
物理攻撃力:505(+1500)
物理防御力:20
魔法攻撃力:123(+3500)
魔法防御力:25
回避力:318(+1000)
テクニカルポイント:0
《称号『無欲なる敗者』:無なる欲望のもとに無となりし者に与えられる称号。砕け散った魂の欠片は世を渡り彷徨い続ける。なお、この称号を冠する限り経験値は全て無効化。ユニークスキル『拒絶LV max』『継承LV5』》
んー。
唯一手がかりになりそうなのは称号だけど……砕け散った魂ってことは、やっぱ魂がない状態ってことか。てことは、実質植物人間か。
でも、無なる欲望うんぬんかんぬんは分からないけど、生まれた時からこの状態??赤ちゃんがそんなこと考えられる?何故?
それに、このマルローンて人、称号で得られたはずの継承スキルと拒絶スキル以外はスキルレベル1で初期ステータスのままだ。
魔族なら食事する過程で経験値が充分溜まっていきそうなのに……あ、称号のせいでレベルが上がらないのか。
でも称号を替えようにも称号ストック欄に何もない。レベルを上げようにも称号が邪魔して、称号を得ようにもレベルが足りないという負のスパイラルだ。
せめて、通常の人間くらい活動的であれば変わりそうだけど。魂がないせいか、全然動かないもんなぁ。
いや。そんなことより、私が気になるのは呪いの項目がないってところだ。
「これさ。呪いが原因じゃないのに、どうやって助けろっての?」
「何かやってみてくれ」
何だよ、そのざっくりした頼みは?
確かに、この子が何でこんな状態かは気になるけどさ?頼む相手を間違えてないか?
呪い無効化ならまだしも、医者でもないのに。魔法も使えないし、この世界の知識もないし……私は出来ることより出来ないことの方が多いぞ?
いっそ、ダークの方を連れてきてれば、まだ解決の糸口が見つかりそうな気もするのに。アイツ色々詳しいし。
何で私をわざわざ連れてきたんだろう?どこかにチェスナットがピンときた何かがあるはず……こういう直感タイプの勘は馬鹿にできないからな。聞いてもまともには応えてくれないのが玉に瑕だけど、考えてみる価値はありそうだ。
確かに思い返すと、私が呪いを解いた時点では村に連れ込むような雰囲気がなかった。マルローンに呪いがあると知ってるなら最初の時点で食いつきが良かったはずだもんな。最初は村に来るなら拒まない程度のふんわりした感じだった。村人もウェルカムとまではいかないけど、敵対関係のはずがそこまでヒトを嫌悪してないし。
何でいきなり気が変わったんだ?呪い無効をもとめてなくて、私にいったい何ができると勘違いしたのか。
今ここには3000人の軍隊が向かってるんだから、あまり悠長にもしてられない。
「カナメ、そんなことより、まずはオレ様を手伝え」
思考の海に沈みかけた時、チェスナットが声をかけてきた。
「てか、そんなことって……」
おい、あんたの兄貴だろ?最愛の。
なんか扱い雑じゃね?
「兄貴のことは、オレ様が行った後でやってくれりゃ良い。オレ様は時間がねぇ」
「ん?」
何のことだ?
チェスナットは、いかにも不器用な手つきで選定し終わった方の布の束を腕に巻き付け出した。
うん、上手く巻けてない。利き手とか関係なくダークは器用に巻いてるけど、まあ普通はこうだよな。
しばらくチェスナットが布地相手に格闘してるのを見守る。
「……ったくよぉ、くそめ。片手はカナメを触ってないといけねぇのが不便だ!!早くスキルレベル上げて、もっといい解除スキルを解放しろよな!!」
「こっちは善意で呪い解除してやってんのに、初めてそんな不満言われたわ」
「く、うぅ、だってよぉ」
ブスッとした顔のチェスナット。偉そうに注文をつけてきたから、言い返しておく。
やっぱちびっ子の時の面影があるな。本人だから当たり前だけど。
発言は全然可愛くないけど、しかめ面の頬がぷくっと丸いのを眺めてると割と許せる。
で、このガキ、かれこれ5分くらい自力で頑張って腕に巻き付けようとするけど、巻いたそばから解けている。全然巻けてない。
「ちっ、だーもう!腕に巻き付けたいのに!!これじゃ、出来ねぇじゃねぇか!!てゆーか、お前見てるだけじゃねぇで、早く手伝えよ!オレ様を見てニヤニヤすんな!」
おっと、ニヤけてたか。想像以上に不器用なのが面白くて見入ってたわ。
ただこいつ、ほんっと偉そうだよな。
これが人にものを頼む時の態度か?
ダークと過ごす以前の私なら軽く平手打ちくらい飛ばしてるぞ。
「はいはい。これ、腕に巻き付けて固定したら良いの?」
「……おう。この手首と肘のとこは曲げやすいようにしてくれ」
「はいはい。じゃ、腐らないようにどっか適当に触ってて」
癇癪起こしかけのチェスナットの腕にゆるく絡みついた布を取って、一から巻きつけてやる。その間、チェスナットは空いた方の手で、私の肘あたりに触れている。
私だって元々不器用だけど、ダークの手の包帯巻き、実はちょいちょい手伝ってたから慣れた。
ダークは自分の方が上手く巻けるくせに、1日一回は頼んでくる。
私もこの一ヶ月で結構変わったよなぁ。
こんなクソガキ相手にも甲斐甲斐しく世話するようになるなんて、想像もしてなかった。最近はニコチンも抜けてきてタバコも常に吸わなくて平気になってきたし……4日に一度は恋しくなってダークに作ってもらうけど。自分の色んな変化にしみじみとする。
「…….あ。そこは、もっときつめに巻いてくれ」
「はいはい」
「痛え、締めすぎ」
「はいはい」
口の減らない奴だ。次。なんか言ってきたらしばく。
それにしても、スキルの解放ねぇ。出来るならやってる。
私だってダークで慣れてきてるとはいえ、不便ってのはこっちのセリフだ。かなり利己的に言うと私自身が呪いに困ってるわけじゃないのに、割と不自由してるんだよな、コレ。
なんたってここ数週間は1日の大半、片手が塞がってるか、どこかしら触られてんだから。
まあ、その相手がダークだから負担に感じてないだけで、相手によってはずっと触られてるなんて発狂もんだよ。
元々他人に触れたり触れられたりとか嫌な方なのにさ?
触る以外の他の方法で呪いを解除できるならとっくにしてるんだわ。
しかも私、この目の前のガキにキスまでしたってのに、解除されなかったし。……うん、これは黒歴史だ。記憶の彼方に封印しよう。
確かにユシララでサンの呪いを解除した時にレベルは上がった。それでも生活が変わらないのには理由がある。
《呪い無効LV2:スキル所持者に向けられた呪い及び接触した呪いを全て無効化する》
これ。
LV1と変わってないんだわ。何のためにレベルが上がった?て感じ。隠れた表記があるのかと色々試してみたけど効果も表記も変化なし。
散々この3日間システムに「ばかやろー!」てツッコミ入れてきましたとも。でも、一向にこの表記が変わる気配がない。
マジでバグだよ。
他のスキルは熟練度が着実に増えていくのにさ。この呪い無効スキルはあれ以降、以前と同じように私のレベルが上がっても熟練度に変化がない。
で、一通りチェスナットの手足を布で縛り上げ……いや、巻きつけるのを手伝った。
腕だけかと思ったら脚もだった。脚は靴ごと布が巻かれて固定されている。首、頭、口と目以外の部位も布が巻かれて、お母さんたちの服も使われてて色とりどりの全身包帯少年の出来上がりだ。
一体何がやりたいのか……そんな寒い?と最初は思ってたけど。途中で気づいた。
こいつ、多分これから3000の軍隊がやってくる戦場に行くつもりだろう。
だからこの格好に……腐る呪いが発動して、ヘドロになっても動き続けるのか?流石に無理があるんじゃ……。
いったい、何が彼をここまでにしてるんだ。いっそ、私の称号の戦闘狂は私よりこのガキの方が似合うだろう。
それも、こんな彼を突き動かす動機が景色だなんて。私には想像もつかない。
家族の復讐をしたいのかと一瞬推測したけど、そんな単純な話でもないだろう。復讐を望む奴が心残りなく死ぬと言いきるわけがない。
「よし!」
包帯少年が立ち上がって、自分の手の感触を確かめるようにグーパーと掌を拡げては閉じる。
で、左手は私と接触できる程度には指先があいていて、私の手を取っている。
チェスナットはまだ子供だ。立ち上がって改めて見ても頭のてっぺんが私の肩より3cmほど上で、ダークより少し背が高い程度。それでも、すれ違った村人たちよりずっと子どもだ。こんな子が何で自ら望んで死地にいこうとしているのか。
「ねぇ、一応聞いとくけど。何で戦いにいくの」
「あ?」
何を今更、みたいな顔をして見上げてくる。剣呑とした視線だ。
「言ったろ、あの景色の中……」
「それは出会った時に聞いたけどさ?死ぬ理由としてあまり適切じゃないよな。だから聞いてる。今回も戦う理由にはなってないと思う」
だって、お気に入りの景色の中でただ死ぬだけなら、こんな格好は選ばないだろう。景色のために戦って、景色のために死ぬ……?でも、その先は?死んでしまうとまた別の人間がその場所を傷つけにくるだけだ。
このまま戦地に行って、どんなに戦果を上げたとしても、腐る呪いでこの子はHPが削られて死ぬだろう。そうなれば結局、この子はこの子の大切なものを守れないじゃないか。
そんなことも分からないほど、コイツは幼くもバカでもないように見える。
せめて私といればまだ、呪いで死ぬことはない。
……うん、嫌だけどさ。よっぽど頼まれれば考えなくもない。嫌だけど。それでも私に戦場に来てくれって頼む様子もない。
この子は文字通り、死にに行こうとしている。棺桶の中で鼻唄を歌っていた子ども……コイツは初めから大切なものを守っているようで、守っていない。
コイツの行動は、ひどく矛盾している。
でもこの違和感を上手く言葉にできない。
「確かに人間の手によって無惨に変えられる景色もあるけどさ……今は逃げ出してでも、生きてたら、今度は上手く守る方法だって見つかるかもしれない。景色のためにただ争って命を無駄にするのは、何か違うんじゃないか?」
「無駄……?」
ピクリと反応される。
「いや、無駄は言い過ぎた。馬鹿にしてるつもりはないんだけど……」
「ふんっ、意味わかんねーってか?景色のために死ぬのはここの魔族の唯一無二の生きる理由だ。理解しようとしねぇ余所者に、どんな言葉を用意しても、それこそ無駄だな」
はぁとわざとらしくため息を吐いて、肩をすくめ見上げてくる。珍しく馬鹿にするような嘲りのないその顔には、少し影がある。
その影も一瞬だけ映ったのみですぐに消えて、芯のある硬い色をした深緑の瞳が、私を見据えた。この眼……こいつの意思は動きそうにないと嫌でも悟る。
「知ってる。いつかは終わらないといけねぇ……でも。この村の歴史である先祖の名前を受け取ったこのオレ様が生きてる限り、この村は何も譲るわけにいかねぇんだ」
何だよ、それ。
それじゃあ、あの長い名前は、チェスナットの強さと言うよりも、逃げだすことをゆるさない楔じゃないか。
この子は、自分の命で、何を終わらせようとしてる?
ダメだ。何とかならないのか。
本当に何もできないんだろうか。
ダークよりも少し大きく、硬く筋張っているチェスナットの手を自然と強く握っていた。こんな風にしてたって振り解いてすぐ行っちゃいそうだけどな。
私にはコイツを止められる言葉が浮かばない。
最悪、兄のマルローンにはここで待機してもらって、私が呪い解除器としてついていくしかねぇか……。嫌だけど。
ふと、緑の目線が、私と繋いでいる手に移った。
「なあ。最後にもっかい精気吸って良いか?さっき咄嗟に吸ったから中途半端で……途中であの姿にはなりたくねぇ」
「あ、あぁ、まあ、……いいけど」
スタミナは動かないだけで自然回復する。半分に減ってたスタミナが休息スキルも働いて今は6000くらいになっている。
痛みもなかったから、これから死ににいく人間に出し渋るものでもない。
ちょっとでも引き留めてる間に方法を考えよう。このままじゃ話し合いにもならなさそうだ。
私の許可を聞いてから、チェスナットは私の左手……指先を掬い取るように持ち上げて、ゆっくり口元に持っていく。
最初は目を伏せていたのに、途中から何故か、宝石の埋め込まれたような眼でこちらを見てきて……なんか落ち着かないな。
これ、王子とか貴族が淑女に対してするような仕草に似てる。
相手は全身包帯……ぐるぐる巻きの着ぐるみ少年で、私もビリビリな服装だから、雰囲気はぶち壊しだけど。なんとなく品格が漂ってて、居心地が悪い。
てか、何で無言でこっちを見つめてくるんだ?このガキは。……ただ適当に吸えばいいくせに。こんなしっかり観察するみたいに見られてると妙に緊張する。
見つめ返すのもなんか恥ずかしいから、よそ見しながら脳内のステータス画面を凝視しておく。たっぷり1分ほど時間をかけたからなのか、スタミナはだいたい900くらい持っていかれた。
さっき吸われたのとあわせて1000……これでどのくらいクソガキのステータスが上がってんのか気になるところだ。
冷静に考えて、既に3000の兵と何回かやりあってきたみたいだし、呪われなかったとしても、ここまで怖気付かない子どももなかなか居ない。ただでさえスキルレベル高いもんな、ステータスが上乗せされるといかほどなものか、純粋に気になる。
また勝手に鑑定したら怒るかな?
「……ふーん。さっきは味わう余裕なかったけど、精気の濃度も悪くねぇな。人間のくせに。血も美味えかな?」
「は、味?血?!」
味とかあんの?
なんか、味わいながら見られてたかと思うと嫌なんですけど。そして、今こいつ、血って言った?!私、血とか苦手なんだけど?!ぞわぞわと鳥肌が立つ……これは恐怖というより、いっそ嫌悪感に近いかも知れない。
猫に舌なめずりされてるネズミの気分ってこんな感じか。
と、何を思ったのか。
チェスナットが数秒間自分の口から離れた私の手を見た後、私の手をヒョイと兄マルローンの口元に当てがった。
「……なにやってんの」
「いや、美味えから。兄貴もいるかなって、なんとなく」
「おい」
何兄弟で回し食いしようとしてんだ。たく、いくら平気とはいえ、勝手にすんなよ、このクソガキは。
普通だと3分の2の確率で死ぬんだよ?危険性わかってる?
「うっ?!」
違和感があってすぐマルローンから手を離す。
は?嘘だろ、このマルローン、植物人間のくせに触れた一瞬でガッツリ1500くらいスタミナをもっていきやがった!
幼児化もしてないくせに、弟より食ってんじゃねぇよ!
くっそ。この兄弟なんなの。
ちょっと、身体が流石にだるいんだけど。丘を越えた時みたいな疲労感がくる。
前言撤回、こりゃあ王侯貴族の仕草とは程遠い。盗賊の釜飯にでもなった気分ってのが正しいわ。
特にチェスナット、こいつほんと傍若無人のチンピラだ。
隣にいるクソガキに私は栄養補給器じゃない!って、文句を言おうとした。
言えなかった。
視界の端を見覚えのある光が過ぎったからだ。
小さな光の欠片が、マルローンの口に当てがった私の手から滲み出てきて、クルクルと回転する。
「これ、あの時の……?」
え。まさか、私の手の中に隠れてた?
ちょっと、それは勘弁してくれ。寄生虫みたいで気持ち悪いんだけど。
欠片が、しょんぼりしたように若干光が小さくなった。
いや、しょんぼりって。気のせいだよね?
光は弱くはなったけど、私の左手から離れてマルローンの周囲を弱々しく周っている。まるで、入り口がわからなくてウロウロしているかのような……。
自由に動かせる右手の人差し指で、その光に触れてみた。
「げ。くっついた」
右手の人差し指の先がキラキラする。
慌てて振っても取れない。別の指で擦ってみるけど、実体はないみたいで感触がない。
「あ?カナメお前、何をワタワタしてやがる」
「いや、これ。これ!」
欠片がくっついた人差し指を立てて。チェスナットに見えるように振って見せた。
「んん?……指が、どうかしたか?」
不審な顔をしつつも一通り眺めた後、再度聞いてくる。まるで何も付いていないかのような態度だ。
これ、もしかしてサンの時みたいに見えてないのか?
いや、見えてないにしてもなんかこれ、このままは嫌なんですけど?!
とん◯りコーンを指に刺してる感覚と同じだよぉ。小学生みたいで恥ずかしいよぉ。
ネイルならまだしも、もういい大人なのに、人差し指だけ欠片つけてキラキラさせて歩きたくない。
欠片……魂の、欠片?
ふと、マルローンの称号にのっていた言葉とこの光の形が引っかかる。
この欠片が、マルローンの魂の欠片だとしたら……?
よく思い出してみるとあの時聞こえた声は、何となく隣のチェスナットと声質が似ている。絶対このチェスナットが言わないフレーズとトーンだから気づかなかったけど……。
「ひょっとして、君、マルローンの魂?」
キラキラの人差し指に向かって声をかけてみると、呼応するように煌めいた。
……よし。なんか、こういうシーン漫画とかでよくあるし、勘でマルローンの額に人差し指を向けてみる。欠片は尖ってるから押し付けたら痛そうなので、様子見を兼ねて指と額の間隔を2cmくらいとっている。
「…………」
「何やってんだ?」
さて。
何も起こらないので、これからどうしようかなと思っていると、勝手に私の口が動いた。
「『汝のあるべきところに還れ』」
えー。本当に私の口から発されたの?自分の知ってる声とちょっと違ったんだけど。
不思議な抑揚の歌うような私の呼びかけに、指にくっついていた欠片が空中に浮いて白く発光する。
「おお!外れた!!」
「あ?何だこれ」
チェスナットも漸く欠片を認識できたみたいだ。不審そうに光に視線を向ける。
ただ、ホッとしたのも束の間でどんどん光度が強くなっていく。
「え、なんか、眩し!」
「何だ?!目が……」
白い光は私たちを飲み込み……しまいには完全に視界がホワイトアウトした。