暗い記憶の終わり
「何を言ってるの?ニャーのこと、忘れたのか?好きって、返してくれたのに。お前もニャーを忘れるの?」
子供の顔がしっかりとこちらを向く。
輪郭は猫耳いや、獅子耳獣人の子供。確かにサンの記憶の子供の姿と同じ。画像の中にいたサンの幼い時の声、泣き方、全て同じ。
それでも。
あの子の記憶を見たから……いや、見てなかったとしても確信を持って言える。
「あのねぇ。一応訂正すると、普通の好きってやつに同意しただけだからね。でも、同意できるくらいには、私はアイツのこと分かるよ」
私はサンの考えを理解できない。
バカだなぁと思うだけだ。これっぽっちもサンの記憶に同意も納得も理解もしないけど、彼の考え方は分かっている。
「自分が苦しんだくせに、姉を守ろうと必死に縋り付く子でさ……他のやつの方が酷いと言われて「可哀想に」なんて言葉が出て泣いてしまう奴で……出会って2日の相手に血反吐はきながら「早く逃げろ」とか叫ぶ人間がさぁ?」
はは、改めて自分で羅列しといて笑えてくる。サンは何てお人好しなんだ。
「サンは、自分と同じ目に遭えばいいとか、お前みたいなことは言わないよ」
黒い少年の軽く息を呑む音が聞こえた。
「……ニャーのこと、嫌いになった?」
「何で?何も知らないのにどうやって嫌うのさ?サンはサンで、あんたはあんた。例え同じ経験をしたって感じ方が違うって話をしたいだけだし……私はあんたのこと何も知らないんだよ?だから聞いたのに。教えてくれたら、好きか嫌いかはその時に判断させてもらうけど」
隣に座っている子供が目を見開くのが分かる。
ただでさえ黒いのに、さらに暗い、真っ黒な瞳が見える気がする。
そう、サンも苦しんでいるけど、コイツも泣いている。
こんな真っ黒な世界で。記憶の中のサンが笑ってる時でさえも、ずっと泣いていた。今もその頬に白い涙が流れている。
手を伸ばして隣の子の涙を拭いてあげようとした。けど……自分の手を、いくら伸ばしても黒い子供に届く気配はない。
「あー、……ごめんね。これじゃ、何もしてやれないや」
「……いで」
ん?声が小さい。聞こえなかった。
ピシッ
何かが軋む音。
振り返るといつの間にか見覚えのあるユシララの街の景色が映り、そこにヒビが入っていた。
「姉貴!姉貴ぃ!!あ、あ、ああぁぁあ!!」
サンの大きな叫び声が黒い世界に反響した。
子供の声じゃなくて、聞き覚えのある、女性のサンの声。
鼓膜が破れて脳が震えるほどの大きな音声。
自分の耳も手も空中に消えているから、防げない。
ピシピシッ
さらに軋む音と共に画面のひび割れが進んだ。
でも映像の視界が激しく振動しているせいで、何が起きているのか判断がつかない。微かに見える景色に、紫と赤と黒の水彩絵の具が溶けるように混じっていく。
「やめてぇ!!ずっと、ずっと一緒じゃなくていいから!!やめてくれぇ!!あぁ……ああああああ!!!」
再度大きな叫び声。
いやマジで耳もないのにどこから聞こえてるんだ。ガチで頭が痛くなる。
ガシャーンッ
見えていた景色が砕け散った。
「怒らないで……許して……ニャーを捨てないで」「あああ、嘘だ……嘘だ嘘だ、どこかに隠れてるだけだよな?どこにいる?」「あぁ…… あの子は誰?ニャーのことを忘れたのか?……嫌だ、嫌だ嫌だ。もう、何も見たくない」
サンの声が、同時に発される。
それなのに、何でそれぞれ認識出来るんだ?
「「「ずっと一緒って言ったのに……また……あぁ、何て汚い、汚い……」」」
頭の中をサンの声が複数に重なって駆け巡る。
「「「こんなの消えてしまえ!!あああぁぁぁぁあああ!!!!」」」
砕け散ったそれぞれの欠片から、今度は男のサンの声が二重三重に聞こえて、後には言葉にならないバラバラの叫びがこだました。
地面に散らばったカケラの中に、赤い涙を流すサンが映っている。私の見知った、青年のサンの姿だ。
「サン?!」
それぞれのカケラの中に、目を閉じていたり、真っ赤な瞳を見開いて街をぐちゃぐちゃにして回る姿もあれば、一箇所でうずくまっていたり……同じ場面の様で、それぞれ違った動きを見せるサンがいる。
そして彼の身体の周囲を、あの儀式で見た幾何学模様の紫と黒のモヤが筒状に動きながら回転している。
何だこれ。サンが魔王になった並行世界?
サンはまだ魔王になってなかったはず。それに、この黒い世界が映してるのは、サンの過去の記憶じゃなかった?
絶えず聞こえてくる、何重ものサンの慟哭が、私の思考を掻き乱す。気の狂った叫び声だけで、もはや何を言ってるのかも分からない。
「うぅ、痛っ!」
頭が割れるように痛む。
グラグラと不規則に回転しているような感覚に見舞われて足がふらつく。
とにかく、過去だろうと未来だろうとそこは今はどうでも良くて……
「ぐっ」
頭をガンガンと鈍器で殴られているみたいに激痛が走るのを、歯を食いしばって耐える。
サンの苦しみ、哀しみ、傷みが、直接私を侵食してきているような……叫び声に呼応して頭痛が激しくなる。
どうしたら良い?どうしたら……こんな悲しい結末を変えられる?
「ねぇ!これ、どうやって止めたらいい?あんた、知ってるんでしょ」
隣にいた子をもう一度振り返る。
黒い子は、立ち上がっていた。
小さな子供のサンに似た姿形は変わらず真っ黒だ。でも、さっきまで頬を流れていた白い涙がない。
こちらを見ている……黒よりも黒い、渦を巻いているかの様な真っ黒な瞳を、強い気持ちで見つめる。
この子が求める言葉は何だろうか。
気が遠くなるような叫び声の中、しっかりとその目を見つめ返して考える。
「ねえ、止めよう。こんな、観てるだけなんてさ。サンと君は違うけど、君はずっと泣いてるくらい、あの子の苦しみが分かるんだよね?」
「…………」
「せめて、どうやったら助けられるか、私に教えて。私じゃ……ダメかな?」
黒い子供は、無言で視線を外して、砕け散った欠片を見下ろす。
ヒョイと、カケラの一つを無造作に手に取って、お手玉でもする様に空中に放り上げた。
その瞬間、耳をつんざくようなサンの叫び声が掻き消えた。
ーーもう、いい
空中に放り投げられたカケラが白い雫の形に変わり、ぽちゃんと池に落ちる。
池?そこは地面だったはず。
私の考えをよそに、雫の落ちたそこから白い波紋が広がった。
あれ、え?
雫に気を取られているうちに、黒い子供が消えた。
白い波紋がどんどん大きな波になって、遂には砕けた欠片を海岸線の波のように飲み込んでいく。
ザバァッ!
白い波が、私を押し流して……。
「う、がぼっ、何これ」
いつの間にか海に入った時のように、波に合わせて自分の身体が揺蕩いながら白と黒が入り混じった水中へ沈んでいく。
手足が思うように動かないけど、不思議と溺れている時のような恐怖感がない。このまま身を任せて、暫く眠っていたい。
眠っているのか、起きているのか境が分からなくなった頃……波の音が小さくなった。深い水の中にいるようなシンとした静けさ……そこへ、くぐもった音が混じる。
「ーー!ーん!!ーーじん!!」
ん?声……ダークに似てる。誰かを、呼んでる?
「ご主人!!」
突然すぐ近くで鮮明にダークの呼び声が聞こえた。
「?!うっ、けほけほ、はぁ、はぁ……」
目が開くと同時に新鮮な空気を求めて肺が膨らんだ。ずっと息を止めていた後みたいだ。新鮮な空気を求めて息継ぎする。
そして、仰向けで見る視界いっぱいにダークの今にも泣きそうな顔と、青ざめたサンの顔がある。サンの片頬は、手の形に赤く腫れ上がっている。
わー、サンのほっぺが漫画みたいだ。こんなクッキリ痕ってつくんだなー。
サンの肌が白いからこんな痕になったのか、それとも私の力が強かったのか。真相は謎である。
「謎じゃないだろ、思いっきりお前の力のせいだ。今ニャーのHPは10だぞ。普通に死ぬところだった」
「マジか、ごめん」
サンがブスッと膨れて返してきたので、謝っておく。
10て。や、マジで危なかったな。ステータス見れないから理解してなかったけど、人殺し一歩手前だったてことか。
でもまあ、元はと言えばサンが悪いわけで……と、ここでダークがサンを押しのけて上から覗き込むと、私の頬をそっと素手で触れた。
「ご主人、大丈夫ですか?大きな音がしたあと、すぐにここに来たけど、天井が崩れてて……瓦礫の中をいくら探し回っても見つからなくて……突然、探したはずのここに、ご主人が横たわってたんです」
「あぁ、そうだったんだ」
ホラーじゃん。って言いたいけどそんな空気じゃなさそうだから控える。
「でも。でもご主人……見つけた時、息してなくて……ペナルティだと思って、いっぱい薬飲ませたのに。起きなくて。僕、ご主人がもう……もう起きないかと……」
ダークが目に涙を溜めて言葉を搾り出した。瞳が蜂蜜でも溢れてきそうなほど潤んでいる。
「そっか。ありがとうダーク。おかげで全部満タンだよ。だからほら、ダークまで泣かないで……今、精神的にちょっと参ってて困るかな……て、言ってももう遅いか」
言ってる間に私の顔の周りに雨が降ってきて、苦笑いしてしまう。
はぁ、泣いてる奴が多すぎる。泣かれても、何もしてやれないのに。
いまだに隣に座っていた子の啜り泣きと最後に響いていたサンの慟哭が、耳の奥にこびりついている。
私が味わった苦しみじゃないのは重々承知してるけど、ただ見て聞くだけで何もしてやれないのは、心臓を抉られたような憔悴しきった気分になる。
泣くなって言ったからか、ギュッと眉間に皺を寄せて堪えるダークのオレンジの瞳が、陽光を遮ってキラキラと光っている。
相変わらず、綺麗な色だな。それこそ、溶けてきたら甘そうな色をしてる。
見上げながらダークの頬に両手で触れて、包みこむように目元を拭ってやる。溜まっていた涙がポタポタと私の顔に再度振ってきた。
掌から、ダークの温かな体温がじんわりと伝わって、指先が濡れる。
ああ、何だろう。少しホッとする。こうやって拭ってやれることに。
「良い子だね。私は大丈夫だから、泣きやんで。ダークは怪我してない?」
「……はい」
「良かった。心配かけちゃったね」
「はい……心配でどうにかなりそうでした」
「ごめんね」
「…………」
あー、うん。これは……後まで響きそうな不機嫌だなぁ。
一頻り拭うと、ダークはしかめ面しつつも何とか涙をおさめてくれたので、よいしょと声をかけて起き上がった。
起き上がった私の服のはじをダークが眉間に皺を寄せて、拗ねた顔をしつつ引っ張る。
あー、もう、何その表情。思い切り抱きしめたいんだが!……でも、流石に嫌がられそうで、何とか思いとどまる。
服の裾を掴む手に、自分の手を重ねて、ダークの頭をもう片手で撫でる。撫でてるうちにダークは私の鎖骨あたりに頭を寄せてきた。
なんか、猫に懐かれた時に近いわ。正直、悪い気はしない。
「で、サンは?怪我してない?」
ダークの後頭部をよしよししながら振り向く。
「右頬以外は痛くない」
「ごめんて」
あとでHP回復薬奢るよ。
「でも、目覚めると同時に天井が崩れてきた。……死にかけた」
「あ、まじ?それも、ごめん!正直戦闘に手いっぱいで……いや、サンを寝かせたところは入り口の高いところだから、大丈夫かなとは思ってたんだけど、まさか巻き込んじゃってたなんて」
入り口だったであろう所を見ると、鉄扉が融解したようにぐちゃぐちゃになっている。
あちゃー、あんな激しくサンの所まで天井崩れちゃったのかー……悪いことしたな。でもあの鉄扉あんな強度弱かったの?
「あの扉はダークが壊した。ニャーがお前を助けようとあそこから離れてなかったら、ニャーも溶けてた。だから、死にかけた」
「お、お、おう?」
ダークよ、お前どうやってアレ溶かしたんだよ。
お前の火魔法はレベル低いだろ。
当の本人は充電中のロボットのように動かないし、不機嫌になりそうなので、心の中でツッコミしておく。
「何にせよ、危険な目に遭わせたね。ごめんね」
「いや、どっちみち死んでた命だ……この戦闘跡を見るに、起きててもニャーは足手まといだっただろう」
肩をすくめて少し茶化しているものの、サンの表情はやさぐれてみせるって表現をした方が正しそうだ。
軽い自虐のつもりなんだろうけど、どうしても暗闇の中での記憶と重なって、心臓のあたりがピリついてしまう。深呼吸。
「不貞腐れるなって。サンがいたらいたで、別の案があったし、それに、そっちだとこんな無茶せずに済んだって説は否めないから……今度はしっかり連携とろう」
「今度……あぁ。今度は役に立つ」
サンが嬉しそうに笑った。桃色の瞳が太陽を浴びて、輝いている。その晴れやかな顔は、快晴の春の日に見た桜の花を彷彿とさせる。
「……サンは強くて、綺麗だな」
言葉が自然と出てきた。
心の底から、敬意を込めて。