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黒い少年

※冒頭から虐待表現が含まれます。

苦手な方は薄目で読み飛ばしてください。

「ひぅ、やめ……うぐ、て、ください……あぅ……んぐ、こ、こわい、こわい……あぁあ、あぁ、やめて……」


 サンの引き攣ったようなか細い声が、小さく暗闇に溶けて消えていく。背中に嫌な汗が伝わるのがわかる。


「おら!力抜け!この!」


 バシッ

 乱暴に何かが叩かれる音。


「痛い!!やめて、やめて!!苦しい、苦しいよ、やめて、もうやめて……あぁ、お願い、します。あぁぁあ!」


 サンの悲痛な叫びが繰り返し響き渡る。自分の鼓動が耳まで聞こえているのに、この会話が掻き消えることなく無理やり頭の中に入り込んでくる。

 吐き気がする。何度も繰り返される虐待の音。


「熱い、あぁぁ!熱い、痛いぃ!やめて!汚いよ、もうやめて、ああ、ぅぅう!!」

「泣いてばっかじゃねぇか!もっと動けよ」

「はは、お前、そんなもの刺して何言ってんだ、気絶しねぇだけマシだろ」

「早くしろよ、俺はこの後ママのとこに行かなきゃなんねんだ」

「あ?はは、お盛んだな、お前こないだもハシゴしてたじゃねぇか」


 ……聞くに耐えない。

 耳を塞ぎたくても、暗闇で自分の手がからぶって、私の耳を触れない。何だこれ。身体が溶けてんのか?


 強制的に聞かされるサンの言葉にならない苦悶の叫びが、頭に響く。


 しばらく流れていたサンの声が徐々に小さくなると、下卑た男達の声も遠ざかっていく。


 しんと静かになった暗闇に、サンの小さな嗚咽だけが残された。


 私はまだ、自分の心臓の鼓動が嫌な音をして耳に届いている。全力疾走をしたかのような息苦しさだ。


 痛ましい。

 一体、私は何を聞かされてるんだ。何もできない。何もしてあげられないのに。


「姉貴……ぐす、姉貴ぃ……うぅぅ」


 ああ、そうか。そりゃ会いたいはずだ。

 こんな暗い苦しい中でも、あのお姉さんはサンの心の支えだったのか。


 街に向かうとき、あんなサラリと言ってたけれど、いったいどれほど会いたかったんだろうか。娼館に向かってた時だって、ここまで切実な感情を抱いてたなんて、微塵も感じさせなかったじゃないか。

 もちろんこんなのは知るはずもないことに対する勝手な後悔だけどさ、それでも、もう少し分かってやれたら良かった。


 すると、真っ暗だった画面に少し灯りが灯った。


 灯のない屋内の景色が映る。農家の家みたいな木造の床に土間のある殺風景な家だ。家具らしきものは見当たらない。


 窓から差し込む頼りない月明かりの中で、サンが床に転がり、その小さな肩を震わせている。後ろ姿でうずくまって泣く裸のサンの背中が、やけに青白い。ところどころ赤黒いあざがあるせいか、際立って青く見えた。


 そして、さらに奥。

 大きな男が戸口に寄りかかりながらサンを見下ろしているかと思えば、手に持っていた薄い布をサンの元に投げてよこす。


 暗くてこの男の顔はよく見えないな。


「ほら、これでも被ってろ。どうせまたすぐ脱ぐことになる」

「ぐすっ、ぐすっ」

「……まあ、精通するまでは我慢しろ」


 変わらず小さく嗚咽を漏らす少年に、先ほどの下衆たちとは違って罵るでも嘲笑するでもなく、淡々とその男は続けた。


「獣人ならあと1年もすりゃ、成体になれるだろ。そしたらその姉貴ってやつでも何でも、好きなだけ抱けば良いさ。連れてきてやる」

「っ!!だめ……違います!会いたくない。それだけは、どうかやめてください」

「あ?何だ、会いたくて呼んでたんじゃねぇのか」


 んー、この男の声、言い回し……なんか聞き覚えある気がするな。最近見かけたリフリィとは明らかに声が違うけど、話し方が近くもあるような……?


「あの、姉貴にだけは、来て欲しくないです。会いたくないんです。……どうか、どうか、それだけはどうか、お願いします」

「……ああ。まあ、良いけどよ」


 ーー仕上げに取っておくのも悪くないな。


 ぞくりとする冷酷な心の声が、流れてきた。


 この心中の一言で、この男が決してサンに同情して親切にしているわけではないんだと分かった。

 喉元に凶器を突きつけられたような気分だ。


「……しあげ?」


 サンも不審そうに顔を上げ、床から転げ落ちる勢いで土間の男の元に這い寄った。


「あの、お願いです。やめてください、お願いします、何も、姉貴にしないでください。何でもします。お願いします。もう痛がったりしません。言われたこと、何でもします、お願いします」


 大量の涙を流して男の足に縋り付くサンの姿が、胸を締め付ける。


 この子は……サンは、お姉さんに会いに行ってたんじゃなくて、この怪しいやつから護るつもりだったのかもしれない。


 いや、お姉さん探しの時の表情を思い出すに、ニャーなんていうごっこ遊びを続けるくらいには会いたくて、それでも会う勇気がもてないでいるっていうのが正しいのか。


 身体を穢されて深く傷ついた人間が、自分を好きな人の前に立つのは一体どれほどの勇気がいることだろう。私には量れそうもない。


「はぁ。お前ぇはよ、さも自分だけが苦しんでると勘違いしてるみてぇだな。禁忌の中でも色欲の役割にさられたことにゃ感謝した方がいい」

「…………しき、よく」

「後一年は、力抜いてただここにいるだけで終わるんだ。憤怒や嫉妬からすると、笑っちまうくらいの茶番だぜ。お前はまだずっとマシなんだ」


 ちっ。

 思わず舌打ちする。


「なんてこと言ってんだ、この男!」


 私の声がこの場面に割り込めないことは、百も承知だ。それでも言ってやらないと気が済まない。思わず立ち上がって怒鳴りつける。


「こんな小さな子が、自分の好きな子に自分を見せたくなくなるくらい、傷ついてるのに。他の人の方が酷くてお前はマシ?ふざけたこと言うな!クソ野郎!人の傷を、他人が勝手に比べるな!!」


 隣の子が、私の方へ顔を向けた気配がする。


 私の怒りの声とは対象的に男の足元に縋っていた少年は、びっくりした顔をして男を見上げている。


「……憤怒と嫉妬は、もっと酷いの?」

「ちっ、……ありゃぁ、死んだ方が良いくらい酷いぜ。喜べよ。同じ咎人でもお前は、地獄以上の生き地獄を知らずに死ねるんだ」

「地獄より、酷い……?」


 ムカつく。頭にくる。

 この男にも、咎人だ何だと強制的に苦しみを押し付けているこの世界にも。魔王って一体何のために有るんだよ。


「サン!そんな言葉無視して言い返せ!お前は、お前の傷のためだけに怒れ!他と比べさせるな!」


 言葉が届かないことは知っている。それでも言わずにはいられなかった。


「うぅ、可哀想に……」


 画面のサンは男の足から手を引いてそう呟くと、自分の顔を覆って泣き始めた。


 私は拳を強く握り込む。


「他人のために泣いてる暇はねぇ。早く寝やがれ。明日も明後日も、お前の役目が終わるまで、ずっとお前は同じ生活だ」

「「ぐす……ぐす、うぅ」」


 画面の中にいるサンの声と隣からの啜り泣く声が重なった。


 そして、また、真っ暗になる。再度繰り返し聞こえてくる乱暴な音と苦痛に耐える小さな叫び声……


 握り拳に痕がつくほど指が掌に食い込ませながら、隣にいる子を振り返った。


「ねえ!何でこんなもの観てるのさ!」


 私の呼びかけに無反応を返すサンに似た黒い子どもは、画像のあった方向の一点を見つめ続けている。


 画面の中はサンの記憶だから、固定の映像だ。この聞くに耐えない音も。出来事も全て、もはや変えられない。

 可哀想だけど、変えることのできない悲しい過去だ。それでも、こんなものを思い返しても、余計に苦しむだけじゃないか。

 何にもならない。傷口が深くなるだけだ。


「ぐすっ、ぐす」

「こんなもの見るから涙が止まらないんだろ!」


 私の怒声にあわせてビクッと子どもの肩が跳ねた。


「あ……ごめん、責めたいわけじゃないんだ。強く言い過ぎた」


 小さく深呼吸をする。


「ねえ。教えてくれないかな、何で観てるの」


 少し声を抑えて、ゆっくり尋ねなおしてみた。


 一点を見つめる少年の頬から涙が消えることはない。


「……こうしてると、この苦しみを忘れないから」


 黒い子供が返事した。声が届いているようでホッとする。


「忘れていいよ、こんなもの」


 せめて思い返すなら、お姉さんとの思い出だけでいいじゃないか。


「ニャーはコイツらに全部穢された。ニャーの身体には綺麗なところなんて何もなくなった。穢したやつ皆んな、皆んな同じ目に遭えばいい。こんな汚い世界、真っ黒に塗りつぶされて消えてしまえばいい」


 淡々と、無感情な抑揚のない言葉が紡がれた。少年の瞳からの涙がいっそう増える。


 静かな怒りのこもった、それでいて悲しい訴えだ。


「…………全部消えたら、最初の方に見た綺麗な思い出も、分かんなくなるけど良いの?」

「あんなもの綺麗じゃない。ニャーが役目を終えるまで、姉貴は結局一度も会いに来てくれなかった。助けてくれなかった。ニャーのことなんて全部忘れて過ごしてたんだ。全部汚い記憶だ」


 いつの間にか、画面の方のサンと男たちの声が小さくなっている。テレビのボリュームを下げたみたいな。


「心の中で皆んな、ニャーに汚い、居なくなれって言うんだ。自分の方が汚いくせに……だから、ニャーが皆んなを消したって良いだろ。みんな汚してやる」


 目の前のこの子の声が、暗闇に鈍く反響する。


「……あのさ、私は忘れっぽいけどさぁ?流石に自分が好きな人は忘れないよ」

「…………」

「あんたのことを好きな人も、あんたのこと、忘れてなかったと思うけどな」

「そんなの、嘘だ」

「嘘かどうか知らんよ。多分そうだろうなって、予想しただけ」


 白い輪郭の少年は相変わらず涙を流し続ける。もう微かな音も消えてしまって、暗闇しか写してない方向を見つめながら。


「……で?あんたは誰なの?」


 隣に座る黒い子供に聞いてみた。

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