魔王誕生の儀式
黒と紫の幾何学模様がサンの周りに楕円の形にそれぞれ浮かぶと複雑に模様を変えながら回転し始めた。
何か、空間が歪むような奇妙な揺らぎがその二つの輪っかから発されている。
ブゥンという何かの作動する嫌な音は、徐々に強くなっていく。
「あがっ……ぅゔぁあああっ、ゲホッ」
拘束された身体を強張らせ、抵抗するように身動ぎしながらサンがうめき声をあげて吐血した。
「サン!!」
何か良くないことが起きているのは分かる。
いや、起きようとしている?
まだ何か起こる気がする。
部屋に入った時に発された声が、魔王って言っていたから、サンが魔王と何か関係しているのかもしれない。
生贄みたいな?
うわ、この予想的中してそうな気もする。少なくともトリガーのような存在であることは確実だろう。
急いでサンの所に向かおう。
「あぁぁあ、カ……ナメ……ぇ、に……げて、く……ゔぅ」
痛みに耐えてギリギリと軋む歯の間から、言葉を捻り出しているのが分かる。
「一緒に逃げるに決まってんじゃん!お姉さんに会うんでしょ?!」
「うぐぅぅゔぁぁっ、に……げろ。いや……だ」
くそ、急いでいるのに。
次から次に来る黒い塊に、思ったよりも距離が縮まらない。思わず力加減を忘れそうになる。
「すぐ行く!耐えて」
「いやだ、かな……め、こ……ろした……くなあぁぁあ、にげ……ぐぅぅ」
「サン!」
サンはずっと同じ調子で、私に逃げろと言い続けているけど、私の声に反応を示しているわけじゃない。
とっくに痛みで声なんて聞こえてないかもしれない。
ちょっとでも近づこうとするけど、まだ私はこの講堂の真ん中くらいの位置にいる。サンの居るところまでは数メートほど距離がある。
その間を黒い集団が埋め尽くしている。
くそ、コイツら時間稼ぎだったのか。
邪魔だ。
いくら弱かろうとスプラッタ無しで数十人の肉壁を抜けるには、時間がかかる。
「ちっ、人が手を抜いてやってんのに……」
人殺しになりたくなかったのに。手段を選んでる場合じゃなくなってきた。手に力を込めようと諦めかけた時。
「カナメ、動くな」
え。
「天翔る風と光の精霊よ、我の名の下にかの敵を阻む雷となれ。サンダーショット」
後方から詠唱が聞こえたかと思えば、目の前に光の筋が走った。
バチバチバチッ
言われた通り動かなかった私には当たらず、敵に命中したらしい。光の走った筋に沿って黒い集団が吹き飛ばされる。吹き飛ばされなかったすぐ傍の奴らも固まって、動けないようになっているみたいだ。
っぶねぇ。今の魔法か?
キーマに私にとって魔法はアブナイコワイって言ったよね?もっと深刻に言ったほうがよかったかな?
「カナメ、大勢は任せろ。早く行け!」
後ろから追い抜いた影が長い棒と共に黒い集団に突っ込み、人が吹っ飛ばされてサンへと続く道が完全に開けた。
「カナメほどの破壊力はないケド、これでも槍があれば、ちょっとはマシになるんだ」
「キーマ……ありがとう。それ、槍じゃないけど」
手に持ってるのは箒だ。
どこにあったんだよ。
「もう!槍と思い込んで戦おうとしてたとこなんだから、ツッコむなよー!」
「あ、ごめん!分かった!ありがとう、殺さないようにね」
「オマエニ、イワレタクナイ」
キーマの引き攣った硬い声には返さず、先ほどできた細い道を縫うように駆け降りた。
上から駆け降りてきた勢いそのままに、錫杖を持った神官の1人にタックルする。
「ぐはっ」
相変わらず脆いけど、遠慮してる場合じゃない。
すぐ真上に迫った磔のサンを見上げた。サンの耳や鼻から血が滴っている。見るからにまずい状態だ。
続け様に残りの4人もタックルで蹴散らす。
「え、嘘。消えない?!」
ブゥンと起動した何かは、錫杖が全て地面に落ちても変わらず発動し続けている。
「儀式は完遂した!魔王様は完全体にて降臨なさる。すぐにかの御霊は我らが神、カオス様のもとへ昇華されるであろう!はははは、カオス様ー!万歳ー!!」
私に倒された神官の1人はまだ意識があったようだ。地面から狂気じみた歓喜の奇声を発した。
足元のこの煩いゴミを踏みつけたくなる衝動を堪える。
今はそんなことをしている場合じゃない。
「サン!まだ生きてろ!今助ける!」
こうなったらあの幾何学模様を何とかするしかない。
物理攻撃とか効くのか分からないけど、とにかく勢いで飛びつく。
バリバリバリバリッ
パンッ
「いっっってっ!」
弾き返された。
地面に尻もちをつく。
周囲に焦げ臭い匂いが広がる。
げ。今のでHPがゴッソリもってかれた。不屈も発動してるのに。
不屈が発動してこれかよ。
まぁでもまだHPは半分くらいある。
ここに来るまでにだいたい3000だったから、今ので1000持ってかれたってことか。残り2000。
ふと見ると、両手に黒い煤がついてる。
匂い的に、焦げかけてるみたいだ。でも、熱いわけじゃない。
グーパーを繰り返して……うん、動く。
まだ行ける。
もう一度当たろうと立ち上がった時、視界にキラッと光るものが走った。
キーマの魔法?いや、違う。
光を追うけど、さっきの閃光みたいに駆け抜けていった雷の魔法じゃない。
弱々しい、それでいて存在感のある小指ほどの大きさの発光体が、私の顔の位置に合わせて空中に浮いている。ガラスの欠片みたいな形だ。
顔を振ると私の視界に入るように付いてくる。
何だ?
煌めいているのに黒っぽい。黒かと思えば白色に変わる。いや、黒色?何かを反射してる?発光してるのに?
「何?これ……」
思わず人差し指で触れてみた。
触れた瞬間、ブワッと風が吹いた。煤のついた指から煤が消えて、発光体は発光体でパァッと眩しいくらいの白色に変わって一層強く輝いた。そして光は私の手から離れて変な音のするあの幾何学模様のところに……いや、サンの周りの模様をすり抜けて更にサンの頭上に行った。
アレは……。
サンの周囲にばかり気を取られていたけど、サンの磔の上に何かコップのようなものが黒く光っている。ドアノブみたいな……。
と、ここで強烈な違和感。
あのコップ……違う。パズルのピースが噛み合わない感触に近い。
ピーピーピーピーッ
いきなり危機感知が強い警告音と共に作動する。
本能でも分かる、時間がない。
線がギリギリまで引き延ばされ、引きちぎられる直前の、爆発寸前の空間に私たちはいる。
きっとサンがもたない……こいつらの言う魔王になりかけているのかも知れない。サンは気絶したのか、呻き声がもう聞こえなくなっている。
こんな儀式を経て魔王が誕生するとは思ってなかった。でも、まだ何か出来るはずだ。どうにかサンが魔王になるのを防ぐしかない。
迷ってる暇はない。
勘を信じて鞄に手を突っ込むと目的のものを掴んで引っ張り出し、地面を強く蹴った。
バリバリバリバリッ
先ほどと同じ衝撃が身体を襲う。
キィンッ
黒と紫色に押し返されそうになった時、先ほどの白い光が私の腕にまとわりついた。同時に少し抵抗が弱まる。
どうにかサンの身体にしがみつくと、頭上の盃を掴んでドアノブみたいなやつにすり替えた。
「よしっ!……うわっ!」
周囲にあった模様のうち、黒色がサンの身体に吸い込まれていく。
代わりに紫色の幾何学模様が私ごと外に弾き出された。
ドサッ
2回目に弾き飛ばされた先は地面じゃなかった。人の感触が背中に当たる。想像してた痛みとは違って柔らかい。
「カナメ、今、けっこう無茶してたでしょ」
キーマがキャッチしてくれていた。
気がつけばHPが残り700。
確かに無茶してたかも。
ふぅーと息を吐いた。
「サンキュー、キーマ。もう片付け終わったの?」
「うん、あらかた終わったよー。カナメほどじゃないケド、俺もこういうのは得意なんだよ。それに、強そうな神官はみんなカナメが倒してくれたしね」
キーマの腕越しに背後を振り返ると、伸び切った黒衣の人達が綺麗に山積みにされていた。
うめき声が聞こえるところを見るに、生きてるみたいだからホッとする。
「やるじゃん、キーマ」
「まあね。で?あの子、大丈夫なの?」
キーマは私を抱き留めた体制を変えずに顎をしゃくる。こうして見ると、ちょっとキーマの方が背が高いのな。
うん、今はサンのことだ。
いや、さっきもサンを見ながら落ちたんだけどね。
空中に浮かんでいた模様は完全に消えている。
「よく分かんないね」
「危なそうなら言ってよ。このままカナメと一緒に外に出るから」
なるほど。そう言う意図でまだ抱きかかえてくれてるのか。コイツはやはり、なかなか出来るやつだな。
気づけば背後の扉が開かれている。
「扉、キーマが開けたの?」
「いや、俺があの連中を全員倒したら勝手に開いた」
「そっか」
よく分からんが、そう言う仕様か。
ゲームで言うボス戦的な?ステージクリアで開く謎システム。
ということは、ステージクリア?
「サン、生きてんのかな」
「……」
誰にともなく声に出して、サンを見つめる。
キーマは無言だ。
「ん?」
目をよく凝らしてみる。
何と言うか、白い。
白い輪がサンの周りに発生し始めた。
何か模様がありそうだけど、モヤモヤと薄ら漂っていて輪郭がハッキリとしない。
そしてその輪がサンの黒衣を足元から白く染め替えているみたいだ。
サンの肌が黒かったわけじゃないけど、何となくそう見えるような。
白い輪がサンの何かを浄化している?
見間違えじゃないよな?目を擦る。
肌とは別に、目に見えやすい変化としてサンの服が白くなっていった。
どうなってんだ?科学的に気になるんだけども。
危機感知はさっきの警告音が嘘みたいに消えてるから、どうしたものかと眺め続ける。
と、サンの黒衣が全部白く染まって、黒色の包帯に届くかと言うときに磔が壊れてサンが倒れかかってくる。
「サン!」
慌ててキーマの腕から出て、サンを受け止める。
とりあえず重たいので床に寝かせてみる。包帯も外れたサンは目を閉じたまま微動だにしない。
ひょっとして、死んだんじゃ……。
間に合わなかった?
胸に耳を当ててみるけど。自分の心臓の音が邪魔して、サンの心臓が動いてるのかが分からない。
……動いてない気がする。
心臓マッサージした方がいい?間に合わなかった?魔王って、コイツがなるのかな。だとしたら私にこの子を殺せるのかな。
ぐるぐると頭によくない考えが巡る。
またキラキラした先ほどの飛行物体が私の側に現れた。
ほんとにこれ何だ?
《ーーをして。こーーではーーない》
白い発光体を見つめていると小さな声が頭に流れてくる。
え、なんか喋ってんの?コレ。
《この子ーーいをといて。早くーーておーれになる前に》
うーん、聞き取りにくい。
あ。感知使うか。
ダークの項目の共有スキルを作動させてみようとして、弾かれる音。やっぱダメか。
ここで徐にポーンと音が鳴る。
《発動許可がでました。パーティ外でも奴隷のスキルを発動出来ます》
ん?こんなシステム音初めて聞いた。
今まで使ってきたのに、こんなのなかったんだけど。
まあいいや。使えるというのなら使いましょう。
ダークの感知スキルを発動した。
すると、キラキラからの声がハッキリと頭に入ってきた。
《この子の呪いを無効化して。早くしないと手遅れになるよ》
無機質な少年の声が頭に響く。
無感情というか、機械的で抑揚が無い。抑揚がないくせに妙に人間味のある、システムとはまた違った声。ダークの声と似てるような……似てないような。
でも言動は焦ってると受け取れなくもない。
「え、呪いって、もう解けてるでしょ」
私が触ってるんだから。
実際、サンは女から男の体に変化している。
「お、男になってる……」
キーマがびっくりしたように私の背中越しにサンを覗き込んでいる。
まだキーマは避難準備をしてくれてるみたいで、私の背後にピッタリくっついている。
でも、キーマが無反応なところを見るに、このキラキラは見えてなさそうだ。
《違う。それはあなたに触れて一時的に無効化されているだけで、完全に解かれていない。早く、呪いを解いて。このままだと浄化が追いつかない。呪いの穢れが進行して彼が魔王になる》
「え、やっぱり魔王になんの?それはヤバい。どうしよう。解くってどうやったらいいのかな」
呪いの無効化と完全に解くの違いがわからん。
接触がなくなると呪いが復活するから、確かに完全に解かれてはないっていうのは理解できるんだけど。肝心の完全に解く方法がわからない。
「カナメ?誰と話してるんだよ?」
キーマが訝しむけど、後回しだ。
《女神の残滓がある。神殿で使徒に干渉して解こうとしたはず。それを実行するんだ》
女神?残滓?使徒?干渉?
ハテナだらけだけど、『神殿』というキーワードで思い当たった。
湖に突き落とされたあの場所か。さっきの盃みたいなやつもあそこで手に入れたし、サンは明らかに何かの干渉を受けてた。
そしてそのやろうとしてた行為……心当たりは、ある。
……でも、躊躇う。
「……マジ?」
《時間がないんだ。早くして》
うーん。
じ、人命救助。これは人命救助。人工呼吸だから、ノーカウント。
自己暗示をかけて、大きく息を吸って……。
「ちょ、ええ?!カナメっ?」
キーマの声が背後で聞こえるけどお構いなしだ。
サンの唇に、押し付けるようにキスをした。