【悲痛の叫び】
――十二月二十五日、午後十八時。
レギルという大鎌を持った少年から逃げ、俺は闇雲に走っていた――
居場所なんてものは分からないけど、足は止まらずあの場所へと向かう。
彼女がいるのは、あの初めて会った公園。
なんとなくそう思って、確証は無いはずなのに……。
「――フレドリカっ!!」
公園に到着して、周囲を確認して彼女の姿を探す。
この公園まで休まず走った所為で、身体全体が自分の物では無いと思えるぐらいに重たい。
歩きながら、上がった息を整える。
公園の中心には、子供が遊ぶような山形の遊具がある。
広さは無いにしても、良く近所にありそうな普通の公園だ。
その中心の遊具の上に――彼女の姿はあった。
「……フレドリカ、話があるんだ」
「…………」
彼女は俺の言葉に反応せず、ただ空を見上げていた。
初めて会った時と同じ、ただ一人で……。
「フレドリカ、レギルって奴から聞いた。お前にとって、人間界の空気は身体に毒なんだって。それで、お前がもう少しで消滅する事も――俺は!」
「童に何の用じゃ、人間?」
「……え?」
平坦な口調で、俺の言葉を彼女は遮る。
振り返る彼女の表情は、冷たくて……さっきまでとは違う雰囲気を出していた。
まるで、別人のように――
「――どうしたんだ、フレドリカ。俺の事、忘れたのか?」
「人間のような下級生物の知り合いなど、童の記憶には存在しない。童の名は、フレドリカ・ブラックブレイド・グラン。魔界の女王にして、吸血鬼の王じゃ。下等な人間如き者を童は存在を認めん」
……ガクッ。
何故か俺は酷くショックを受けてしまった。
膝の力が抜けて、全身の力が抜けていく感覚が身体を襲う。
体力が急激に減り、眩暈までが生じる。
「身体が、重い……」
「人間よ。悪く思うなよ」
スッと彼女は俺に近付き、俺の頭を片手で鷲掴みにする。
そのまま俺は、彼女に地面に叩きつけられた――
「――っ!?」
叩きつけられた衝撃と眩暈の中、俺は彼女の顔を見た。
何で、そんなに……悲しそうな顔をしてるんだよ。
赤い瞳と冷たい表情に対して、彼女の眼には涙が浮かんでいた。
「何でお前、泣いてるんだよ」
「……?童が、泣く?そんな馬鹿な事……」
彼女は自分の目元に触れ、冷たかった表情が動揺という感情によって揺らぐ。
「な、何故、童が涙を――」
彼女は立ち上がり、俺から後ろへ下がっていく。
彼女が感じているのは、恐らく恐怖という感情。
少なくとも、俺はそう勝手に解釈した。
もし消えるのが今日だとしたら、消滅はいわゆる死だ。
「……フレドリカ、俺はお前が消えない方法を見つける」
「……黙れ……」
「でもその前にやる事が、一つだけある」
「……黙れ……」
彼女は頭を抱え、俺を睨みながらそう言葉を吐く。
それを無視して、俺は自分の意志を告げる。
「人間界の空気が毒となるのなら、人間に近付けばいい」
「……黙るのだ、つきのぉぉぉぉぉぉ!!!!」
彼女は叫んだ。大声で、大きく広がる空に向かって……。
その声に反応して、雲が大輪のように広がる。
まるで彼女の声が、その輪の中を貫通するように――
「――何だよ。覚えてるんじゃねぇか、俺の事」
「今すぐ童から離れるのじゃ、月野。満月というのは、童の中にある魔の力が暴走する期間なのじゃ。暴走する力を出し切らなければ、童は消えて無くなる。お主を傷つけたくは無いのじゃ。じゃから――」
「それで?俺に困ってる奴を見逃せって?」
「そうじゃ。お主は人間で、童は吸血鬼じゃ。お主には、関係の無い話だろう?」
胸を抑えて、彼女は俺にそう話す。
今でも多分、暴走する力とやらを抑えているのだろう。
じゃあちょっと、そんな彼女にお説教と行きますか。
「確かに関係無いかもな」
「――ならっ!!」
「だが断る!!」
「……ほえ?」
………………。
高らかにポーズを決め、俺は羞恥心も無くして叫んだ。
沈黙が多少傷ついたが、まぁ気にするのはやめとこう。
「……ゴホン。関係無いかどうかは正直どうでもいい。お前は魔界とやらの生活が嫌で、この人間界へ来たんだろう?だったら、たった一日二日で消えるなんて言うのは、俺が許さない。魔界ではどうだか知らないけど、人間界には上手い食い物や楽しい事だってある。時にそれが、もしかしたら大きな不安要素になるかもしれない。でもな、フレドリカ」
「あ、はい」
「俺はお前にまだ消えて欲しくない。平凡な日常を送っていた俺でも、過去に罪を背負っている俺でも、何か役に立てるかもって思った。自分勝手かもだけど、俺はお前の役に立ちたい」
「――っっ!!」
「お前がここで生き残る方法だけど、試したい事がある」
……すー、はー……。
息を整え、自分の緊張を解こうとする。
吸血鬼に向かって、こんな事を言うのは命知らずって思われるかもな。
「……俺の血を吸え、フレドリカ」
俺は意を決して、彼女へそう言った。
=================================
「――俺の血を吸え、フレドリカ」
関わりの少ない彼は、童にそう言った。
それがどういう意味なのか。どんな意思表示なのか。
彼は恐らく、何も知らないだろう。
「……な、なな、なななにを……」
「だから俺の血を吸えって。吸血鬼とやらは眷属って奴を作って、下僕か何かにするという話を聞いた事がある。あくまでも、俺の浅い知識だ。だけど眷属を作り、俺の血だけを吸えば――」
彼は言う。見た事の無い、優しい笑顔で……。
「――ここに居られるかもだろ」
血を吸う事で、確かに童はここに居られるだろう。
だが一度吸ってしまえば、この者の血だけでこの暴走は収まるだろうか?
「お主は、それで良いのか?」
「男に二言は無いよ。それにお前にも、ここを気に入って欲しいからな」
「…………お前は馬鹿じゃな…………」
「あ?何か言った?」
「何でも無い。では月野、お主の血をもらうぞ」
「……おう」
彼は首元を出して、童は彼に抱かれるように向かい合う。
か、かかかか、顔が近い。動悸が収まらない。
あ~~、ドクンドクンと鬱陶しい!!早く収まらんかっ!
「……はぁ……はむ」
――ドクンッ!!
彼の血を吸った瞬間、身体の鼓動が一気に跳ね上がる。
これが吸血鬼の契約。こんなに温かいモノ、なんじゃな。
童は知った。自分が感じるこの感情は、恋という事に――
――バーンッ!!!!!!!
「……う……」
「……つき、の……」
ポタポタ、と彼から赤い滴が地面へと落ちる。
手を広がる滴は、まるで細い川のように流れ落ちる。
童ではなく、彼から流れている事まではっきり分かる程に――
「……あ、ああ、あああああああああああああああああああああっ!!」
彼女の叫び共に、周囲が赤い色に染まっていく。
自然も、家も、空も、月も……世界が真っ赤に染まっていく。
『やれやれ、人間の血を吸ってしまっては……貴方を殺すしかありませんね』
背後から彼の胸だけを撃ち抜く事が出来るのは、童の記憶には奴しか知らない。
振り返る先には、その人物が不吉な笑みを浮かべて立っていた。
……彼をゆっくり寝かせ、彼女は立ち上がる。
その人物を睨み、彼女は悲痛を耐えて叫んだ。
ただ一言、簡潔に――
「――殺すっっ!!!」