【聖なる夜Ⅰ】
『行かないで』
誰かがそう言って、俺の名を呼ぶ。
夏の花が咲き誇る場所、そして青く広がる海。
その場所は、海岸のようだった。
幻想のような世界は、夢の世界だという事は理解出来た。
だけど、妙に懐かしい場所。その懐かしいという感情が、夢の世界の中で足を進ませる。
「……ここは?」
『月野、アナタはまだここに来てはダメ』
「……アンタは?誰だ……どうして、俺の名前を……」
そのまま手を伸ばそうとした時、俺の身体が透明になっていく。
身体が透き通り、その人物への道が狭まっていく。
その透明になった身体のまま、俺はその人物を……彼女を追うとした瞬間――
「――行かないでくれ、月野」
「――っ!?」
その声と共に、俺は夢の世界から離脱した。
俺の部屋、俺の部屋の天井だ。いつも暮らしてる場所だ。
「……ん?」
服の袖が、何かに引っ張られる。
それは布団の中からで、俺はすかさず布団を剥いだ。
「――げっ!?」
「……すー……すー……」
寝息を立てて寝ている女の子が、裸ワイシャツというマニアックな格好で寝ている。
しかも俺の部屋で、俺の布団で……だとっ!?
「……ん、んん。……むにゃむにゃ……」
艶のある肌、寝汗でくっついているシャツ。そして、全てを曝け出している足。
どうしよ……ここで触れてしまえば、人間失格な気が……。
でも触れなかったら、健全な男子高校生として失格な気が……っ!
「何を一人で、悶えておるのじゃ。お主は」
「(起きやがった!?)」
何を考えてやがるんだ、このバカ吸血鬼!
ここでのシチュエーションは、ゲームの王道だというのに!!
俺が選ぶ選択肢によって、物語が大きく左右されるかもしれないのに!
「……ふわぁ~~。もう朝になってしまったのか。魔界とは違って、夜が短いのう人間界は」
「これがこっちでは普通だ。それより、まず服を着てくれないか!」
「どうしてじゃ?このシャツとやら、動きやすくて気に入っとるのじゃが?」
「動きやすいのは分かったから!やたらと足を伸ばすな!」
見えそうで見えない光景によって、目のやり場に困ってしまった。
対処法としては、多分正解だろう。
――十二月二十五日。世間ではクリスマス。
俺にとって、一応特別な日だ。
『つきの~!今日は起こしに来たよ~!』
階段を上がる足音が聞こえて、尚且つ聞きなれた声が飛んできた。
その瞬間、俺は自分の部屋にいる彼女を見た。
「――ヤバイ!おいフレドリカ、俺の影とかに入れるか?」
「ん?可能じゃが?……そんな青い顔をして、どうしたのじゃ?」
「いいから!出来るなら早く入ってくれ!お前がここに居られなくなるかもしれないぞ!?」
「ふむ。それは今は困るのう。では失礼するかの」
――バタンっっ!!
勢い良く開けられた扉から、良く知っている人物が出現した。
「月野、起きてたんだ。起きてるなら、返事の一つでもしたら?」
「何だ恵美か。お、脅かすなよ」
「何だとは失礼しちゃうなぁ。せっかく今日を選んで、起こしたのに」
「はいはい。ありがとうさん。分かったから、早く下で待っててくれ」
「早く来なよー、バカ月野!」
「……はぁ」
下に下りる階段の音を聞いて、安堵の息を漏らす。
その瞬間、ヒョコッと赤い髪が俺の影から出てきた。
「ふむ。あの者は誰じゃ?」
「恵美の事か?あいつは、腐れ縁の幼馴染だ」
「幼馴染とは何じゃ?」
「簡単に言うと、小さい頃から一緒にいる奴……かな。さて、お前は留守番だ。ひとまずは、ここにいれば大丈夫だろ。適当にくつろいでいてくれ」
「ドコかに出かけるのか?」
「学校」
「学校とは何じゃ?」
「はぁ……えっと、だなぁ」
説明が面倒だな、まぁ仕方ないか。
えっと、確かここの本棚に……お、あったあった。
「はいよ。字は読めるか?」
「問題は無いが、変った書物じゃな」
「それは俺の学校のパンフレット。軽い紹介が載ってるから、それでも読んで待っていろ。俺が帰るまで、ドコにも行くな。また魔界とやらからの追っ手に見つかるからな」
「…………」
「何だよ、ジッと見て。俺の顔になんか付いてるか?」
「お主は優しいの。正直言って、ここまでしてくれるとは思えなかったぞ」
「嫌なら出て行けば良い。ただ、そこら辺で何かあったりしたら……目覚めが悪いだけだ」
「恩に着るぞ、月野」
「……行って来ます」
部屋を後にして、月野は家を恵美と出て行った。
部屋で一人、取り残された彼女は……胸を抑えて、優しい声で呟いた。
「――かつらぎ、つきの。か」