【不幸の手紙:後編Ⅱ】
――魔界。
その世界は、人間界の裏側に存在している。
誰にも気づかれず、発見される事もない。
そんな影の世界の中、私は平凡な日々を過ごしていた。
何も変らず、何も得る事のない。そんな日常を。
――では、お主は何がしたいのじゃ?
そう、脳裏に言葉が浮かぶ。
何がしたいのか、そんな物は考えたこともない。
――なら……ソナタの闇は、童が預かろう。
私の闇?そんなモノ、私の中に存在しているのだろうか。
『おや?これはこれは姫殿下――』
両手を広げ、怪しい笑みを浮かべて男は言った。
その男は、私の従者だ。
だが正直な所、私は彼を好きにはなれない。
「アナタは、随分と暇そうね?――アグナス」
私は彼に、皮肉を混ぜてそう言った。
だが彼は、気にする素振りすら見せずに言う。
また笑みを浮かべながら、影を纏って
『――御冗談を。このアグナス……姫殿下の護衛になれた事は、大変喜ばしいと思っています。日々鍛錬を重ね、何時如何なる時も、姫殿下をお守りする為……心身共に鍛えている最中でございます』
彼は膝を地に付け、忠誠の証を見せながらそう言った。
だが私の眼には、それは映っていない。写らない。
彼は、黒色だ。彼の纏う影は、真っ黒だ。
そうか。これが先程〝彼女〟が言っていた闇なのだろうか?
吐き気がするように、気持ちの悪いモノが身体全体を走る。
「……そう。では、その鍛錬を続けるが良い。そして失せろ――〝童に近付くな、下郎〟」
『……姫、殿下?』
私の言動の対し、彼は目を見開く。
彼の目には、赤い瞳の私が映っていた。
「〝聞こえなかったか?主の力で護られる程、童は柔ではないと言っているのじゃ。もう一度言うぞ――」
私の中にいる、もう一人の私。
彼女の言動の一つ一つは、私を徐々に魅了していく。
「――失せろ〟」
『はっ!!……ちっ……』
彼は早足で、その場を急ぐように離れた。
――今、お主は何を考えておるのじゃ?
「……ふふ。さぁ、何だと思う?」
――主は主で、童は童はじゃ。何も分からぬよ、何も、な……。
私の……我の名は
フレドリカ・ブラックブレイド・グラン。
この影の世界を、消したいと思っている者だ。
・・・・・
――葛城月野、十七歳。
浜ヶ丘学園、二年に所属。
元バスケ部だったが、他校とのトラブルにより退部。
現在――
「おい、月野よ!ここはどうやって進めるのじゃ?!」
「……そこは、壁に沿って右回りだ」
「……ほうほう。なるほどのう♪」
ピコピコ、とダンジョンゲームをする彼女。
俺はその背後で、画面を見ずに本を読んでいる。
度々飛んでくる彼女の声に、こうしてアドバイスの声を出す。
彼女は、フレドリカ。
赤い髪と赤い瞳。部屋着なのか、黒いワンピースで身を包んでいる。
彼女は、この世の者ではない。
そう、現在俺は――吸血鬼という存在と暮らしている。
「それにしても、ゲームという物は、面白いのう」
「……満足したか?良く朝から長く出来るな、お前朝は平気なのか?」
「大丈夫じゃよ~。我は特別な存在じゃからな♪」
「さいですか」
彼女はコントローラを置き、背伸びをして言った。
俺はペラペラ、と本のページを捲る。
「……じー……」
彼女は口でそんな事を言いながら、こちらを見ている。
仲間になりたそうな目ではなく、じとっとした目でだ。
「何だ?本に集中出来ないから、無意味に視線を向けないでくれるか?」
「……お主は、やらんのか?」
「何を」
「このゲームとやらをじゃ。我とは、ダメか?」
「――!?」
彼女は物欲しそうに、上目遣いでそう言った。
「……じゃあ、少しだけだぞ」
「~~♪」
彼女は、ぱあっと目を輝かせてご機嫌になった。
正直、可愛いと思ったのは黙っておこう。
――ピンポーン。
「あ?客か?悪い、少し待っててくれ」
「~~♪」
彼女は返事をせず、無我夢中だった。
俺はやれやれと思いながら、扉の方へ手を伸ばす。
「はい、どちらさ、まぁ!?」
――ビュン、と俺の目の前を黒い何かが通る。
いや、壁に突き刺さるそれは鋭利な物だ。
俺はそれを見た事がある。
『久し振りだな、姫殿下はいるか?』
「お、お前、何しに」
『貴様には関係ない。オレは姫に用がある』
「ほ?レギルではないか。どういう風の吹き回しじゃ?」
「おい、鎌野郎。またフレドリカを連れ戻しにきたのか?それとも殺しにきたのか?」
『今のオレには、そんな命令は下っていない。強いて言うなら、届け物だ。――姫様、これを』
「ん、何じゃ?」
レギルは、彼女に一通の手紙を手渡した。
そこには、魔界の女王へと書かれていた。
彼女は封を開け、中身を早急に確認する。
その瞬間、彼女は目を見開いた。
「……月野よ。我は、戻らないといけなくなるかもしれぬ」
「はぁ?!何でだ。あんなに逃げてたのに、お前コロコロと考え変え過ぎだろ!」
「読んでみよ」
「……ったく、何て書いてあるんだ?――っ!?」
『期限は三日後の正午までです。それまでに良い選択を、姫様』
「……分かっておる」
『それでは、オレはこれで』
「どうすんだ、フレドリカ。このままじゃ、お前」
「…………」
彼女は何も言わず、俺の貸した部屋に入ってしまった。
手紙の内容は、ごく簡潔に書いてあった。
その内容は
――フレドリカよ。
お前に選択肢を与える。
魔界を選ぶか、人間界を選ぶか。
選択した内容によっては、人間界が滅びる。
お前なら、どっちが有益か。分かるな、と――
「つまりは、どっちを選んでも……人間界を壊すって言ってるんだよな、これは」
期限は三日後。
俺には彼女がどう選択するか、知る由もない。




