【眷属の覚醒】
――童は知った。
人間の中には、良い奴がおる事を……。
その者がおれば、童の人生が変ったかもしれぬのに……
――奴はそれを奪った!
敵だ、敵だ、敵だ!
「――あああああああああああああ!!!!」
真っ赤になった空に、彼女の叫びが響き渡る。
真空は揺れ、木々はざわめく。
狂おしく、嘆くように……
「――殺す!お主は許さんぞっ!」
『おやおや、姫がご乱心のようだ。こうなっては、何があっても魔界は私を咎めないでしょう。それでは――』
――バンバン!!
シェイドは二発の銃弾を放ち、即座に戦闘態勢に移行した。
帽子を抑え、彼女の胸と頭に狙いを定める。
「…………」
『――殺してしまおうと思いましたが。そう簡単には、行かないかもですね』
放たれた銃弾は、彼女は軽々と避ける。
そして獣のように、両手両足を地面に付けて着地した。まるで猫のように。
『厄介なお姫様ですね。大人しくしてもらえませんか?』
「……ぐるるるる……」
彼女は喉を鳴らし、我を失っているようにシェイドへ飛び掛る。
シェイドはその行動を察知し、再び距離を取る。
一歩進めば、再びもう一歩。常に距離を開けている。
戦闘行為において、恐らくは常等手段だろう。
だがこの場合は、シェイドはあるミスをしていた。
――彼女は『彼の血を吸っている』その警戒を外にしていた。
ただの人間の血、ただそう思っていたのだ。
「――っ!?」
ドクン、と彼女の鼓動が跳ね上がる。
吸った彼の血が、ようやく身体に循環したのだ。
吸血鬼にとって、血は最低限必要なもの。だが戦闘行為に対しても、それは不可欠でもある。
血を吸う事によって、通常よりも遥かに順応性が増すのだ。
その理由――
『――クッ!?』
「――っ!!……ゴフッ」
彼女の一撃が、シェイドの脇腹へ炸裂する。
そのまま身体が横に飛び、口から血が逆流する。
『(な、何て威力……まさかこれ程とは。骨が二、いえ三本ですか)不味いですねぇ、これは』
「……ふぅ、ようやく我の自我が戻ってきたぞ――さて、お主。素直に身を引け」
彼女の眼に光が浮かび上がり、先ほどまで無かった冷静さを取り戻す。
だがまだ彼女は危ない状況。一度浮かび上がってしまった殺意は、抑えるのは彼女でもギリギリだ。
恐らく、立って話すだけで精一杯だろう。
『また甘い事を。ここで私を逃がせば、彼の命を粗末にしますよ?』
「戯言を言うでない。お主はそう見えて、ただの痩せ我慢なのじゃろう?」
『……さぁ、どうでしょう?貴方は私の事を、甘く見過ぎなのでは?』
「身を引かぬと言うならば、お主は死ぬだけだ」
『そうかも――知れませんねっ!!』
――バンッ!!!!
シェイドは上体を起き上がらせ、不意を突くように彼女へと銃弾を放つ。
だがそれを彼女は、避けるが……
『(ニヤリ)良いのですか?それを避けて……』
「――っ!?」
シェイドの言葉を確認するように、彼女は背後へ振り向く。
銃弾は彼の方へと放たれていた。
それは現実。だが彼女の眼には、全てがスローモーションのような世界へと変る。
彼女は身を翻し、彼の元へと足を急がせる。
だが自我を取り戻したはずの身体は、全くその行動を良しとはしなかった。
「(どうした?動くのじゃ!動いてくれ!でなければ、我のもらった光が完全に消えてしまう!)」
『無駄ですよ、もう間に合いませんよ』
シェイドは銃の弾を換え、空間の移動を計る。
入れ換えた弾は、人間界と魔界を移動する為の銃弾。
それがあれば、シェイドは魔界へ帰る事が出来る。そして傷を治す事が出来る。
「――残念だけど。俺には当たらない、これは現実だ」
『――っ!?』
「――あっ!?」
ふと聞こえた声に、シェイドは目を見開く。
声の主は起き上がり、赤い眼でシェイドを睨む。
目の前にある、銃弾が何かに阻まれているかのように空中で止まっていた。
「――月野っ!!」
『――そんな、バカなッ!?有り得ない!有り得ない有り得ない有り得ない!』
彼女は歓喜の声を上げる中、背後では顔を抑え何度もシェイドは叫んだ。
その叫びは疑問の叫びではない。シェイドは初めて感じたのだ。
赤く光る、彼の瞳を見て――
「フレドリカ……ここは俺がやる。何でか分からないけど、今なら勝てる気がする」
「お主、傷が…(ない?治っている?これではまるで――)」
彼は一歩ずつ、シェイドへ近付く。
シェイドはその彼に向かって、闇雲に銃弾を放った。だが――
銃弾はまた、彼の目の前に壁があるみたいに封殺される。
『……るな……来るな来るな来るな来るなぁぁぁぁぁ』
「もう撃たない方がいい。その銃弾は、特別な銃弾なんだろう?何故だかは分からないけど、俺の眼には違うように見える。色が違う。今なら、はっきり分かる――」
「(――我と同じ吸血鬼、もしくはそれ以上の回復力じゃぞ)」
『やめろ、来るな!た、助けてくれ、私は上の命令で動いていただけだ!』
「だからフレドリカに銃を向け、何度も傷を付けたのか?」
シェイドの言葉を確認しながら、彼は近くにいる彼女の姿を確かめる。
その小さな身体には、若干の銃弾をギリギリに避けた傷があった。
彼女は理性は失っていても、銃弾を避ける事は出来ていた。
だがギリギリで、所々に傷があった。腕や足、そして頬にも――
「……覚悟は出来てるか?シェイドとやら……」
『ま、待て!そうだ!取引だ。私を魔界へ帰せば、上の者達に彼女を追跡しないよう言い聞かそう!そして君にも手を出させない!そうだ、そうすれば、お互いに』
「――黙れよ、下郎」
シェイドの言葉を否定し、静かに彼はそう呟いた。
そのまま上体あを起こしている彼へ向かって、手を突き出した。
その手はシェイドの胸を貫き、その瞬間に彼はシェイドの耳へ口を近づけた。
「……彼女を傷つければ、全員殺す……」
『…………』
シェイドの姿が消えてゆき、最期には彼の手だけがそこに残った。
そして彼は、ゆっくりと立ち上がり彼女へ近付いた。
「……お主、一体……何者じゃ?」
「何言ってるんだ?俺は俺だ。それ以上でも、それ以下でも無いよ」
「――っ!?」
彼は近付いて、彼女へ手を伸ばす。
彼女は恐怖を感じ、勢い良く目を瞑る。
だが――
「……(?)ひゃ!?つ、月野?」
「……すー、すー、すー」
倒れかけた彼を抱き、彼女は一瞬動揺する。
だが寝息を立てた瞬間、緊張が一気に通常運転へと戻っていく。
抑えていた別の自我も、気づけば元に戻っていた。
「葛城月野。お主は一体……」
そう言って、彼女は疑問と安堵の間を彷徨った。
真っ赤になった空は、いつの間にか元の空へと戻っていた。
そして、そのまま聖なる夜は終わって行った――。




