第64日
先に片手キーボードについて書いた。今日は、普通のキーボードについて書いおこうと思う。キーボードというよりも、キー・バインディングだ。
昔、触れたあるエディタのキーバインドがお気に入りで、普段使うエディタのキー・バインディングもほぼそれに沿ったものに変更してある。あるいは、エディタだけではなく、比較的よく使うアプリケーションでもキー・バインディングの変更が可能なものも多く、それらはできるだけそのように変更している。あるいはそれに沿ったものに変更している。
いろいろなアプリケーションでよく使われているのは、CtrlやAltという修飾キーとともに命令の頭文字を用いるものだ。だが、そうでないキー・バインディングを、少なくともその一つを試してみるとわかるが、そのやり方はあまりよいものではない。単純に、両手の指を動かすコストや時間の面と、キー・バインディングのイメージのし易さの面から、頭文字を用いる方法は、正直に言えば馬鹿げた方法だ。
それが私の考えであり印象だった。
一昨日、エディタのキー・バインディングを全て書き出した。これは、エディタにその機能があったし、いずれにせよ設定ファイルで書いていたのだから、問題はなかった。問題は、キーバインドを書き出そうと思ったきっかけだった。つまり、複数キーの組み合せでの操作について、どのようにバインドしていたのか、それが怪しくなったからだった。頭文字を使うのとは異なり、キー・バインドそのものには何も意味がない。昔、使ったことがあるエディタのキー・バインドに似せていること、そしてそれはこの条件を満たしていたが、ホーム・ポジションからあまり指を動かさずにカタカタと入力できること。それが最大の条件だった。だが、意味がないということは、手がかりなしに覚えておかなければならないということだった。それは覚えているというものでもなく、そういう操作だとして指に染み付いていた。
手がかりなしに、そういう操作だと染み付いていたことが問題だったのだろうか。いちいち記憶を確認することもなく、意味のようなものを確認することもなく、ただ指が動いていた。それが問題だったのだろうか。
ある操作をしようとした時だった。指が動かなかった。その時には、エディタのメニューからそれを選んで済ませた。だが、また別の操作をしようとした時、また指が動かなかった。やはりメニューから選択し、その操作と、あと少しばかり書こうと思っていたことを書き、そこで一旦操作を止めた。
新しい空のファイルを開き、いくつか操作を試した。いくつか、いやいくつもキー・バインドが抜け落ちていた。書いたように、頭文字にもよらず、ただ記憶だけに依存したキー・バインドだった。いや、少し訂正しよう。いくつかの関連する操作は、キーの一文字めが共通するように、グループ化してあった。だが、その一文字めも、そして二文字め、場合によっては三文字めも、処理の頭文字ではなく記憶だけに依存したものだった。
そして、しばらく考えた。このキー・バインドは捨て、デフォルトのキー・バインドに乗り換えようかと。
だが、デフォルトのキー・バインドは使い難かった。両手の指をあちこちへと動かさなければならず、面倒だった。分かり易くはあるのかもしれない。命令の名前がキー・バインドを思い出す助けにもなるだろう。だが、それよりも指を動かす面倒くささが気になった。そう書いてしまうと、デフォルトのキー・バインドを使っている人や、そう設定している制作者に、もしかしたら失礼なのかもしれない。だが、それはどう考えても最善ではありえず、まぁ、それがあるとしてだが、また次善でもなかった。ただのやっつけにしか思えなかった。
そこで、私が設定しているキー・バインドを書き出し、目の前に貼ることにした。キー・バインドの書き出しは、先に書いたとおり、ただちょっとメニューから選ぶか、そもそも設定ファイルから書き写せばよかった。
プリント・アウトを見ながら、だが、と思う。もし、いちいちこちらを見なければならなくなるのだとしたら、結局これは捨てるしかないのだろう。これらのキー・バインドは結局、「意味を持たないキーの連打」によって機能を呼び出しているところが問題なのだろうと思う。長い間、そういうものとして使ってきたが、「意味を持たないキーの連打」ということは、「乱数列を連打」と、さして変わらないということだろうか。「記憶に基づいて乱数列を連打」することと。言うまでもなく乱数列を覚えることは難しい。ただ長い習慣で覚えているのだとしたら、無駄に脳機能を使っているということなのかもしれない。
いや、おそらくはあまり使わずにいたキー・バインドに対してのみ、失なわれたのだろうと思う。
よくあるキー・バインドを使っている人は、どう考えているのだろう。一時期、いろいろと論争はあった。だが、その論争はいつのまにか消え、今のデフォルトのキー・バインドが標準的なものとなった。それはわかりやすいからだろうか、覚えやすいからだろうか、それとも機能的であるからだろうか。考えたことはなかった。馬鹿げたキー・バインドが普及したと思っていただけだった。そして、いろいろなアプリケーションの制作者が、ー・バインドの変更を可能とする機能を提供している以上、制作者としてもそのキー・バインドは最善でも次善でもないと理解しているのだと思っていた。
だが、とも思う。アプリケーションごとにキー・バインドを書き換え、それを覚えるというのは、そのキー・バインドはほぼ統一されているとは言え、変更の操作を一度はやらないといけないというのは、確かに面倒だろう。
ただ与えられたものが全てである。それが普通なのだろうか。
〔初出 Dec 03, 2015 〕




