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無知性の凱歌: オリジナル  作者: 宮沢弘
第二章: 人権正規化法
11/19

第-447日

 172日前に、人権正規化法が施行された。内容は、障碍に対しての補助脳と代替器官への保険適用というものだった。

 ニュースなどで見る限りだが、マサ兄とハルたちは、施行まではすっかり悪者だった。

「障碍を持つ人の、人権の行使をどう考えているのか!」

 そう言うコメンテータなどに対して、マサ兄やハル、そして他の人々がこう答えるのを何回か見た。

「それを問題にしているのではないのです」

 だが、考えてみれば、そのような答えはあまりいいものではなかったのかもしれない。意味がなかったわけではないが。法制化されてから施行までの間に、多くの人が9/8という概念に、形はどうあれ、つまり認めるにせよ認めないにせよ、親しんだ。

 施行される頃には、マサ兄やハルたちの主張は、また別の誤解がなされていた。マサ兄もハルも、一貫して「その問題をどう考えるのか?」と問いかけているだけだった。だが、その問いかけは、別の理解がなされていた。つまり、差別であると言われ、中には優生学と結び付ける人もいた。

 だが、まずはこちらについて書いておこう。9/8に対して、人々は違和感を持つようになっていた。ただ、その違和感にはいくつかあるようだった。

 一つは、そもそもとしてこのような方法はよくないという人々だった。それはそれとして、理解できないわけではない。補助脳を埋込むということは、明らかに、そして公に、「あなたには障碍がある」と言ってしまうということだ。保険適用対象になり、社会としても、そう言ってしまうということだ。これまでは思い遣りの対象で済んでいた人々にとっても、補助脳を埋込むことを選ぶなら、自ら改めて障碍があることを認めることとなる。ここまでは、言ってしまうなら問題ではない。だが、その一歩先には、そしてそれはもう見えているが、「なぜ補助脳を埋込まないのか」という周囲からの無言の、あるいは明らかな圧力が現われる。そもそもとしてこのような方法はよくないと言う人々の多くが問題にしているのは、その圧力のようだ。一部には、脳に人体由来でないものを埋込むことへの抵抗を示す人々もいる。それもまだ理解できる。だが、極めて一部には、さらに異なる意見もある。つまり、障碍は試練であり、受け入れなければならないというものだ。これは論外だ。こちらが論外と考えるのと同様、そのような意見を持つ人はこのような技術を論外と考えている。

 別の一つは、障碍に対して1/1の確保ではなく、3/2の確保はできないのかというものだった。これはもっともな意見だろうと思う。そしてできないわけでもない。ただ、問題は、1/1を越えた機能をどのように確保するかだ。

 あるいは、自閉症スペクトラムの場合を考えてみよう。確かに高次機能における障碍が認められる例もある。その場合は、それとして補助脳を用いれば1/1に近づく。だが、障碍であると言うよりも、個性と言える場合もある。誰が、そしてどうやって、その個性を障碍であると言うのだろう。

 その他の場合であっても、つまりは1/1を持っている場合に、それを越える機能を提供する方法はどのようなものになるだろう。3/2の誰かの脳を参考に補助脳の機能を構成することもできるだろう。あるいは、外部の計算機に任せることもできるだろう。だが、それは「あなた」なのか。

 この、3/2の確保について考えている人々は、マサ兄とハルから聞く限り、概ね話し易いようだ。つまり、そこに何らかの問題が存在することを認識しているのだという。一部、天才願望と言えそうな人々もいるようだとのことだが。

 そして三つめは、全員を1/1にすべきだという意見だ。かろうじて理解できない意見でもない。一つめの極めて一部の人々の主張よりも、まだ理解はできる。ただ、納得できるかというと、それは別の話だ。障碍は昔から存在した。そして、時代によっては蔑みの対象であって、またそれによって周囲はある種の自尊心を満たすこともあった。また、時代によっては、周囲から隠され、社会的には存在しないかのようでもあった。見下していた、あるいは見えなかった人々が見えるようになったのだ。それに対して、これまで1/1付近だった人々の一部はどう反応したか。3/2を見て、それに対して、自分が見下される対象になったと考えた。聞く限りは、結局そういうことらしい。

 これらは、社会ダーウィニズムや生来的犯罪人説を再燃させたがごときと言ってもいいのかもしれない。だが、冷静であり思慮深い人が多かったことは幸いだろう。だが、それがどういう結果をもたらすかは別の問題であった。大半は、悪く言えば無関心だった。良く言えば、成り行きを見守っていた。そして、そういう人々に影響を与えるのは、声の大きい人だった。

 では、誰の声が大きかっただろう。それは、障碍は試練であるという人々だった。もちろん、そうと言わない場合が多かった。そして、自分が見下される対象になったと考えた人々だった。こちらは、少しばかりその主張を明らかにしていた。この二派は合流し、概ね後者の主張を歌い上げた。その言葉そのものではなかったとしても。

 そして、155日後には、1/1への正規化が義務化される。誓って言うが、そのコードを私は書いていない。使われたコードはあるが。

 いっそのこと、生殖細胞に対してのゲノム編集をするウィルスでも書いてやろうかとも思う。1/1がいいのだろう? ならばコードそのものを、そのようにしてやろうかと思う。おまけで、そのコードの排除や改変にも対応するコードもつけて。そこに手を着けたら、生存に関するコードにも影響がでるように。あるいは生存に関するコードの一部をこちらに移して。酵素の一個のコードだけでもそれは可能だろう。望みどおり、存在そのものから1/1になる。

 だが、まぁ、いつか何かが変わるかもしれない。それを考えると、ここでそうしてしまうのは、戸惑われる。


〔初出 Dec 01, 2015 〕


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