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目標  作者: 風速健二
目標 第1部
7/31

別れ

 2月になると俺たちの仕事も普段通りになる。

1月の末の休みには真理ちゃんとデートをして一日中楽しんだ。

真里ちゃんは仕事の事で色々と悩んでいて「自分にはデザインの才能が無いかも知れない」とこぼしていた。

俺は「そんな事無いよ。気にし過ぎだよ」

と慰めたのだが、恋人が不安な時にはやはり傍にに居て励ましてやりたいとつくづく思った。

そんな時真理ちゃんは俺の胸の中でひとしきり泣いて甘えてくる。

俺はそんな真理ちゃんを愛しいと思うのだ。


まあ、のろけはこれぐらいにして、俺たちの世界ではこの2月は新年会が開かれる。

今年は、俺が入って始めてだと思うが、「新日本料理」の店と合同で行う事になった。

会場は、「新日本料理」の店のビルにあるビヤレストランだ。

日時だが向こうは駅のターミナルに入っているので土日は忙しいので向こうの休みの水曜の昼になった。

昼に新年会とは以外と思うが店の営業が終わってからだとほとんど出来る店等無いのでこうなるのだ。

その日はウチの店もランチタイムはお休みになる。

店長が渋い顔をしていたのもうなずける。

去年まではランチタイムの無い土曜にやっていたからね。


その日は両方の店の職員全員。アルバイトも参加出来る人は参加する様にと言われていて出席が義務付けられている。

俺は少し早めに行ったら健さんがスーツを着て店の中に立っていた。この時間は貸し切りになっているので関係ない人物は居ない。

「おう!暫くぶりだな。どうだい焼き方は?」

そう言って声を掛けてくれた。

「健さんも凄いそうじゃ無いですか!ステーキをかっこ良く焼いて切ってるんですって?」

「まあ、慣れだよあんなのはな」

噂話を咲かせていると、やがて飛鳥もやってきた。

飛鳥は今でもたまに手伝いに行くので、向こうの人とも顔なじみだ。にぎやかに話をしている。


やがて皆揃うとオーナーの挨拶が始まる。

俺はこの時始めてオーナーと言う人を見た。

飛鳥も同じだという。

隣の由さんに聞くと、何でも3年に1回ぐらいはこうして合同で新年会を行うのだそうだ。

由さんも2回目だそうだ。

去年までは店の傍のフレンチレストランで土曜の昼にやっていた。

そう、俺たち日本料理の料理人の世界ではこうしたプライベートな事では洋食とかフランス料理が出てきたりする。

日本料理だと色々とお互い判ってしまうからね。


料理はスープから始まってサラダ、メインの肉料理と続いて行く。

この時出されるのはもちろんパンだ。

ワインがたらふく用意されてるが皆あまり飲まない。

だが店が休みの向こうの連中はかなり飲んでる様だ。

俺は「これはハンデがあるじゃないか」と思わずにはおられなかった。

アイスクリームが出たのだが、甘いのが苦手な由さんは飛鳥にそれを譲った。勿論彼女がそれを喜んで食べたのは言う間でもない。


最後にコーヒーが出て終わりだ。

まあ、昼だからこんなものなのだろう。

後で聞いたが善さんが言うには、その昔は立食で行ったら評判が悪かったので、この様になったのだという。

俺は土曜が良かったと思わずにいられなかった。


終わるとホールの人もバイトの子も皆店に向かう。

歩いても1キロぐらいだから、酔い冷ましにゾロゾロと歩くのだ。

その中で由さんが

「飛鳥だけどな、もしかしたら向こうに好きな奴でも居るんじゃないか?なんかやたら嬉しそうに話していたな」

そう俺に言う。なんで俺?

「そうですか、、まんべんなく話していた感じでしたが」

「いいや、あれは居るな、完全に……うん」

まあ、由さんの個人的感情は俺にはどうでも良いが、そういえば今日は飛鳥とろくに口を利いていないと思う。

オーナーの事を訊いただけだったと思う。

まあいいけど……


店に帰ると何時もと同じ夜の営業の仕込みが始まる。

なんか変な感じだ。

最初から全員揃ってるなんて本当に変だ。

ホールの娘達は掃除や来客のセットを終えてしまうと暇になるので調理場に入って来て「何か手伝おうか?」と言う一見親切な感じの邪魔をしにくる。

「いいよお茶でも飲んでれば」

俺はそう言うのだが、何人かはおれの傍にくっついて仕事ぶりを見て「やっぱり大したものねえ」なんて言う始末だ。ホント困る。


それでも営業が始まれば何時もの店になっていく。

その日もまだ個人的なグループで新年を祝おうとするお客が来て結構忙しかった。

店が終わり帰ろうとすると飛鳥が俺の所にやって来て

「今日、これから時間ありますか? できれば相談したい事があるのですか……」

そう言ってきた。俺は「これは由さんが言っていた通りの恋愛の相談か?」と思い

「ああ、いいぞ。大丈夫だ。おまえは遅くなってもいいのか?」

そう訊くと飛鳥は「大丈夫ですよ。だから私の方から訊いたのですよ。正先輩ってそう言う処には気が回るんですね」そう言って笑っていた。

悪かったな……でもそういう処って何だ?

俺の小さな疑問を置いて、俺は飛鳥の相談を受ける事になったのだ。


俺と飛鳥は明け方までやっている居酒屋にいた。

飲みたかった訳じゃ無いがこの辺ではこの時間まで営業している喫茶店など無いし、

まさか「同伴喫茶」なんか入る訳にもいかない。


口の付けないビヤタンが二人の前に並んでる。

さっきから飛鳥は黙ったままだった。

「なあ、相談って何だ?」

俺は黙ったままの飛鳥に訊くのだった。

すると飛鳥はやっと口を開き始めた。


「今日、私みんなより先に呼び出されていたんです。店長に」

「そうなのか、何か話があって呼びだされたんだな」

「はい、隣の喫茶店を指定されました。それで行って見たら、ウチの店長と向こうの店長、それにオーナーがいて、3人に囲む様に座らされて……」

「何言われたんだ?」

「はい、まずウチの店長から『飛鳥くん君を向こうの店が是非欲しいと言って来てね。ウチとしては大切な人材だから困る、と言ったんだが、どうしても君にステーキを焼いて欲しいそうなんだ』って言われました」

それから飛鳥の言う事を要約すると……


ウチの店長の後を受けて向こうの店長が、「いや、飛鳥くんは良く手伝いに来て貰っていて前から思っていたんだけど、立ち姿が綺麗だから、お客さんの前でステーキを焼かせたら映えると思ってね。第一華があるから若しかしたらウチの看板になると思うんだ」

そう云われたのだと言う。

大したものだと思う。

確かにこいつは姿勢が良い。何時か訊いた事があったが、何でも家が合気道の道場を開いていて、自身も幼い頃から習っていて2段だそうだ。

それに華があると言うのも確かだと思う。

高校や調理師学校時代はモテまくったそうだ。

だが自分は日本料理に憧れていたので髪を切ってこの道に入ったのだと聞かされてる。

その後、オーナーも、移籍してくれたら給料のアップを約束してくれたそうだ。


俺は飛鳥の全ての話を聴いて、こう訊いた。

「それで、何を迷っているんだ?」

飛鳥は俺の顔をじっと見つめていたが、思い切った様に

「先輩は今、焼き方やってますよね。お客さんの評判も良いし、だからこのままウチの店にいても、焼き方には先輩が居なくならないとなれない、と言われて……」

飛鳥は辛そうな顔をして下を向いている。

「行くのが嫌なのか?」

俺の問に飛鳥は、顔をあげて

「私、先輩の事が好きです。男性としてでは無く、料理人として先輩として、大好きなんです。

だから、何時までも先輩の下で働きたいと思っていました。そんな事って無理だと判っていたんですが、若しかしたらずっとこのままで居られるかもって思ってたんです……」

飛鳥の目は真剣だった。

俺はどう答えれば良いか、考えていた。そこで、年末に親方から言われたこ事を話した。

「ええ!先輩でも店を移る事も考えておけって言われたのですか……」

「すぐじゃ無いけれどな」

俺はぬるくなったビールを腹に入れてこの先どう言おうか考えていた。

どうすれば、飛鳥を傷付けずに済むかを…・・


不意に飛鳥が語りだした。俺はそれを黙って聴いてやる。

「私、先輩が私に教えてくれた様に、圭吾にも教えていた積りでしたが、ある時圭吾に言われました。飛鳥さんは教え方がキツイって……訊いたら私がいない時に先輩が圭吾に色々と教えてくれたそうですが、その時は『キツイけど丁寧で親身だった』って、それで私とは違うって、言われて、私先輩は実は凄い人だったと思ったんです」

そこ迄言って喉が渇いたのか、飛鳥もビールを口にする。

「それからは、必死で先輩の仕事を盗んで見ていました」

「俺はそんな板前じゃ無いぞ。未だ半人前でだらしなくて……」

そう言うと飛鳥はムキになって

「でも柴崎さんに認められました。それだけでも凄いって、みんな言っています」

「柴崎さんとはたまたまウマが合っただけだ」

「先輩、先輩の集中力は凄いと思います。私には真似出来ません。でも先輩にも弱点があって、真理さんの事を忘れちゃうんですよね」

飛鳥は何だか違う方向へ話を持って行った。

「何だ? 真理ちゃんがどうした?」

そう言った俺の顔は見ものだっらしい。

「真理さんは、じっと先輩からの電話を待っていたんですよ。私、余りにも可哀想だから、言わなくても良いよ。と言われていたんですが、あの時言いました」

「ああ、あれか、あれはありがとうな」

今年の正月の事だと俺は思った。


飛鳥の言いたい事は大体判ったので、俺は飛鳥に言わなければならない事を告げた。

「なあ、俺もお前がそこでステーキを焼けば評判になると思うぞ。首に紅いネッカチーフかタイをすれば映えるからな。だけどそれよりも地道な料理の修行がしたい。料理人だったら誰でも思うよ、それは……だけど、料理の技術的な事は自分で練習すれば良い。大事なのは料理のセンスを磨く事だと俺は思う。だから今日の新年会の料理だって、何か得るものは無いかと俺は思いながら食べていたよ。お前はどうしてた?」

そう俺が言うと飛鳥は

「……そうか、そう言う事だったんですね。場所じゃ無く人じゃ無く、自分の心構えが大事だと言う事なんですね……」

「そう言う事さ。俺も自信は無いが、俺はそういう心構えをしている」

そう言って残りのビールを飲み干す。

「判りました。私もその心構えでやって行きます! やっぱり先輩、いい人です……」

そう言った飛鳥の顔に迷いは無かった。


次の週の冒頭から飛鳥は移る事になった。

俺は努めて感情を出さない様にしていた。

俺にとって始めて出来た後輩。

とっても可愛い後輩だ。

それが自分の元から去って行くのは正直つらい。

でも俺達の商売はそう言うもの。

店を移りながら成長していくものだから、俺は悲しみも涙も見せない様にしていた。


そして、最後の日になった。

仕事が終わると店長が飛鳥の移籍を正式に話す。

皆、知ってはいたが、口々にお別れの言葉を口にする。

誰かは花を用意したみたいで、飛鳥はいつの間にか小さな花束を持っている。

俺は「頑張るんだぞ」と言う月並みな言葉しか掛けられ無かった。

「みなさん、今までありがとうございました。向こう行っても頑張りますので、たまには遊びに来て下さい」

そう飛鳥が言って、お別れになった。


俺は圭吾を先に帰して、店でちょっとぼおっとしていた。

感慨に浸っていたのかも知れない。

俺が最後になったので、鍵を掛けて店の戸締まりを確認して帰ろうとすると、

入口の先の暗い空間に飛鳥が立っていた。

「どうした、忘れものか?」

そう言うと飛鳥は

「先輩……本当に好きでした! お別れに1度でいいから、思い切り抱きしめて下さい!

抱きしめて、先輩の事を忘れない様にして下さい。そして私に辛い事があったら、

抱き締められた事を思い出して、乗りきれるパワーを下さい!」

そう言って俺に迫ってきた。

別れの挨拶の時でも涙を見せ無かったのに、今はその目は涙で溢れている。

その時俺は飛鳥の本心が女心が判った様な気がした。

そして、俺は何も言わずに黙って思いきり抱きしめてやった。

背の割には華奢なその体を俺も忘れない様に、思い切り抱きしめたのだ。

「先輩……本当は本当は……」

「飛鳥、その先を言ったら駄目だ。言えば先輩後輩でいられ無くなる」

そう俺が言うと飛鳥は頷いて

「そうでした・・…じゃあ思い切り抱きしめて下さい」

俺はその望みを叶えてやった……


その後、飛鳥は涙の乾いた顔に笑顔を作りながら帰って行った。

俺はその姿が見えなくなるまで、そこに立っていた。

自分自身にも「これで良かったのだ」と言い聞かせながら……

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