焼き方として板前として
焼き方になり、元気一杯の俺だが、飛鳥が盛り付けになったので洗い方に一人入って来た。渡利圭吾と言う奴だ。今まで全く調理の経験が無く、前はガソリンスタンドでアルバイトしていたのだという。
歳は飛鳥と同じで俺より2歳年下だが、この世界は歳は関係ないので、飛鳥も「圭吾」と呼び捨てにしている。
洗い方も全くなっていないので、飛鳥が着き切りで教えている。
「先輩、圭吾は特別不器用ですよ」
そう言ってコボしていた。
季節はいよいよ夏だ、焼き方で夏となれば鮎と相場は決まっている(俺だけかも知れないが)
6月の1日が関東では解禁日だ。
この日以降なら天然の鮎を売れるのだ。
最も最近多いのが「天然仕立て」と言う奴だ。
これは、養殖である程度大きく成るまで育て、その後川に放流するのだ。
そして数週間後に捕まえて市場に出すのだ。
全くの天然でない為に「天然仕立て」と呼ばれるのだ。
ウチの店は基本天然だけど、市場に入荷が無かったり、少ない時は「天然仕立て」を使うのだ。
焼き方としては、天然は身が締まっており、苔のいい匂いがする。
これは天然は育つ時に川底の苔を、下顎で掬うように削いで食べるので下顎が出て居るのだ。
だから顔つきが養殖と違い厳しい顔をしている。
養殖は全体的に身が締まっておらず、脂肪が乗ってるので柔らかいのだ。
苔なんか食べていないので顔つきは優しい感じがする。
焼き手としてはやはり天然がやりやすいが、「天然仕立て」はどうなのだ?と言うと
両者の間と言う感じだ。まあ妥協の産物かな。
鮎は1年魚だから秋には死んでしまう。儚い命なのだ。
鮎は串を刺すのは簡単だ
そう難しいものではない。だが焼き方と言うと中々大変だ。
鮎は裏も表もぎりぎり黄金色が基本。
それ以上は駄目なのだ。
焦がすなんてもっての外なのだ。
6月になっていく日か経った頃だった。
その日も鮎の注文があったので焼いていた。
ウチの店はお皿に蓼を引いて、その上を鮎が跳ねて居る感じで盛り付ける。
はじかみ生姜を忘れずに付ける。
それを蓼酢と言う蓼をもち米を蒸かした御飯とお酢を入れて当たり鉢でゴリゴリと当たって緑のお酢を作るのだ。それを付けて食べるのだ。
やや古風な食べ方をさせるのだ。
それが気に入って、味に煩い客が来てくれるのだ。
その日も鮎が結構出ていた。俺は一生懸命にやっていたのだが、
ある時仲居さんが調理場に顔を出して
「正さん、奥の個室に居るお客さんなんだけど、一口食べて『焼き方が替わったね』って言うのよ。それで、『手が空いたら是非話したい事があるから来て欲しい』って言うの……どうする?」
そう言うのだ。こう言う事はたまにある。
小言を貰う事もある場合と喜んでくれて、チップをくれる時もある。それは行ってみないと判らない。
俺は手が空いたので奥のさっきのお客の所へ行ってみた。
「先程は失礼致しました。私が焼き方で御座いますが、何か……」
そう言うとその客はメガネを掛けて痩せていて神経質な感じがした。
「やあ、君か、君は焼き方になってまだ間が無いのじゃ無いかね?」
そう言われたので、俺は正直に
「はい、この春から焼き方になりました」
そう正直に言った。すると
「じゃあねえ、一つ教えてあげよう。鮎はねえ熱い焼きたては兎も角、冷めてからね、こう箸でね」と言いながら鮎を何箇所か押さえて行く
「そして、こう」と今度は尾をつまみ、頭を押さえると、すっと、鮎の骨を抜いて見せた。
「どうだい、ちゃんと抜けただろう。ところが、さっき君が焼いたのは骨にほら身が付いてるんだ。これはねえ、未だ未だ焼きがなってないと言う事なんだ。判ったかい」
そう言って俺にその鮎を見せた。
確かに骨に身が付いてるのだ。
そのやり方は知っていたが、元は芸者さんがそう言う事をして旦那に食べさせた、と言うのが始まりと聞いた事があるくらいだった。
まさか、ここで言われるとは思わなかった。
下を向いて何も言えない俺にその客は
「どうだい、これから、10月の「落鮎」までの間に君がちゃんと焼ける様になるか、賭けないかい?」
「掛けるのですか? お金ですか?」
そう俺が言うとその客は
「冗談じゃ無い、男が本気で掛けるのは自分の名前、名誉だろう。君が俺が納得する鮎を出せたら、俺はこの店を本気で俺の周りの人間に宣伝しよう。こう見えても俺の一言で50人は動かせる。逆に駄目だったら、事あるごとにこの店だけは辞める様に言う。結構影響力あるぞ。どうだい」
客は俺を挑発するように言うのだった。
俺は店長と板長さんの方を見ながら
「やります!やらせて下さい!」
そう言っていた。
「いいのかい?場合によっては、この世界に居られ無く生るぞ……いいのか?」
「俺も男です。必ずお客さんの満足の行く鮎を出してみせます」
俺がそう言い切るとお客は
「そうか、気に入った!勝負だ。期限は10月の10日でどうだ。それ以降だと鮎も品が落ちる」
「構いません」
「よし、この店の板さんや仲居さんが証人だ!楽しみにしてるぞ」
そう言うと客は俺に名刺を渡して勘定して帰って行った。
名刺を見ると、有名な雑誌の編集長だった。
それを見た向板の善さんは
「知ってるぞ、この人、食通で有名な人だよ。この人が褒めるととんでも無く繁盛するが、貶した店は尽く潰れているんだ。
正、とんでもない人と勝負する事になってしまったな」
そんな人だとは知らなかったが、俺も男だ。未だ10月迄日にちもある。
必ず満足行く鮎を出してやると、心に誓うのだった。
次の日からはもう1匹1匹が真剣勝負だった。
仲居さんに頼んでそれとなく鮎を食べるお客さんの様子を見ていて貰う。
だが殆どは食い散らかして帰ってしまう客ばかりだ。
あのような客は滅多に来ない。
ああ、そうだ名刺を貰ったのだからちゃんと名前で呼ぼう。
あの人の名は「柴崎」さんと言い、某雑誌の編集長だ。
それまで、ぱっとしなかったその雑誌を発行部数でトップにまで押し上げたのは柴崎さんの力だという事だった。只者では無いのだ。
店で出すだけでは練習にならないので俺は店長に頼んで、市場に仕入れに行く時に連れて行ってくれる様に頼んだ。
一緒に行って自分用に鮎を買って来るのだ。
そう思い頼んで見ると
「朝5時半に店まで来られるか? 毎日じゃ無いがな」
そう難しそうな顔をする。俺は正直に
「市場を見るのも雰囲気になれるのも勉強ですし、鮎も一枚は買いたいですから」
一枚とは鮎が木の薄い箱に並べられていて、鮎の大きさに従って10本入とか12本入りとかあるのだ。大体10~12本入りが丁度良い大きさだ。それで練習をするのだ。
「始発に乗れば余裕で間に合います。お願いします。荷持持ちでもなんでもしますから」
「そこまで思っているなら仕方がないな」
そう言って店長は許してくれた。
翌日から早速築地に行く事になった。
始発電車に乗ると分けなく店には着く。始発が意外と混んでるのには驚いた。
店の前で待っていると店長の乗った車が店に着く。
店長は店の点検をしてから築地に向かうのだ。
築地は大きな屋根のある場内と塀の外の場外に別れる。
昔は場内は一般の人は入れ無かったのだ。
いまは誰でも入れるが買う量は多い。
店長はまず妻屋で妻物を注文しておく、妻物とは野菜だが、特に刺身に使う大葉とか穂紫蘇、赤目蓼、小菊、それに海髪や大根などを言うのだ。
これらや、その他煮物や酢の物、天ぷらにに使う野菜も頼んでおく。
大体は前の晩にFAXで送っているのだが、一応確認する。
その次は鮪屋さんに行き今日入荷した鮪から予算と品を天秤に掛けて、丁度良いのを買って来る。鮪屋さんでは毎日が「鮪の解体ショー」をやってる。ここに見に来ればスーパーより只で見放題なんだけどな。
そこでも、品物をチェックして次に向かう。
次は魚全般だ。刺身用に使う鯛から焼き物の魚まで買うのだ。
ここで俺も自分様に鮎が欲しかった。
店長が事情を言うと、向こうの店員さんが
「こっちおいで」と手招きするので行くと鮎が色々の大きさで並んで居る。
迷った挙句10匹入りを買う。
「2500円だけど2000円に今日はまけておくよ。頑張りなよ」
その言葉に礼を言って、そこを後にする。
次は練り物などを買って大体終了だ。
買ったものが車に乗るまで時間があるので店長は
「飯でも食うか?」
そう言って広い道路沿いにある飲食店街に俺を連れて行ってくれた。
「ラーメンでいいか?」
「はい、なんでもいいです」
そう言うと「井上」と書かれた間口5メートル程の店に俺を連れて行ってくれた。
店には3人しか座れないので、歩道にテーブルと長椅子が置いてある。
品物を受け取ったらその長椅子に座って食べるのだ。
「ラーメンふたつ」と店長が注文するとものの30秒でラーメンが出て来る。
麺が見えないほど大きな焼き豚とてんこ盛りの刻み葱が凄い。
熱々を片手で丼を持ちながら麺をすすって行く。
誰もテーブルなんかは使わない。
もし使っていたら素人だ。
ここはラーメンを食べるにも技が要るのだ。
店に着くと、車から買ってきた荷物を下ろして整理する。
これが意外と大変で、結構時間がかかる。
店長は今までこれを一人でやって来ていたのだ。
普段は調理をする訳でも無く、売上の計算ばかりやってて楽だと正直思っていた事もあったのだが、大違いだった。
きちんと冷蔵庫に仕舞うものを仕舞うともう9時を過ぎている。
あと少しで皆が来る時間だ。
「小一時間でも寝ておけ」
そう言われて眠くなって来た。
店長と二人で奥の座敷でごろ寝をする。
あっという間に寝てしまった。
圭吾に起こされた。
「正さん起きて下さい」
時間を見るともう10時だ、急いで着替えて普段の仕事に戻る。
こんな事をずっと繰り返していた。
練習に焼いた鮎はまかないで皆に食べて貰うのだが、そのうちに
「もう、飽きたな」と言われて仕舞った。
それからは、串を自分用に買って、家で焼ける様に串がガス台に置ける様に小物を買ってみたりして兎に角、家で練習が出来る様にした。
家ではと言うより小料理屋ではそんなものは出ないから必要無いからだった。
店で焼き、家でも買って来た鮎を焼く。
お袋は焼いた鮎を結構なんだかんだと言って客に食べさせていた。
だがどうしても綺麗に身と骨が剥がれないのだ、完璧にはならない。
あれから柴崎さんはひと月に一度は来て俺の鮎を食べて行くが、7月も8月も駄目だった。
残るにはあと僅かだ。
由さんなんかは「これでも良いと思うがなあ」と言ってくれるが、柴崎さんがOKを出さない限り俺の負けなのだ。
9月も進んだある日、仕事は休みだった。
家でも練習するために家に鮎は持って来てあった。
でもその日は何だかやる気にならなかった。
裏口でチャイムが鳴るので出て見ると何と真里ちゃんだった。
真理ちゃんとはお袋にも紹介済みだし、一度俺も真理ちゃんの実家に行った事があった。
「どうしたの?今日は仕事じゃなかったの?」
俺はいきなり来た真理ちゃんに面食らっていた。
「おじゃましてもいい?」
「ああ、どうぞどうぞ」
そう言って上がって貰う。
「飛鳥ちゃんから電話貰ってね。先輩が可笑しいから相談に乗って下さいって」
飛鳥にまで心配させるほど俺は可笑しかったのか。自分では判らなかった。
この二人は真理ちゃんがバイト時代に結構連絡していたと後から判った。
真理ちゃんに技術的な事を言っても仕方ないのだが、俺は何時の間にか話していた。
「ふううん。なんかあたし達の生地の扱いに似ているな、なんて思ったわ」
「え、どういう事?」
俺は参考になれば何でも聞く姿勢だったのだ。
真里ちゃんは俺にも判る様にお針子さんの事を話してくれた。
「あのね。生地を縫っていても、何か針が通り難い箇所があるのね。そこを縫わなくてもチョットだけずらして縫っても出来るんだけど、そう言う服は何だか変なのね。
固くても縫い難くてもそこに針を通して縫った服はねやはり違うのよ」
真理ちゃんは俺にも判る範囲で俺に語ってくれた。
そうか、そういう事もあるんだ。そう思ったのだが、俺はそこまで考えて
ハッとお思いあたった。
焼き方じゃ無い、串だ!串の打ち方だ!
鮎の骨を綺麗に貫通させて無かったのだ!だから綺麗に身が剥がれ無かったのだ。
鮎は串も大事だったのだ!
「真理ちゃん有難う!恩にきるよ!」
そう言って俺は店に出て早速鮎を出して串を打つ。
丁寧に、きちんと鮎の骨を貫通させて行く。
完璧な綺麗な串を打った鮎が出来た。
これを丁寧に焼いてみせる。
真理ちゃんも傍で見ていてくれる。
そして焼き上がった。
冷めてから箸で押さえてから骨を抜くと……今度は綺麗に身ひとつ無く骨だけの鮎が抜け出たのだ。
「正ちゃん、出来た!出来たじゃ無い!」
真理ちゃんが嬉しそうに俺に抱きついて来る
「うん、出来た!出来たよ。俺まだこの世界に居られるよ」
そう言って俺も真理ちゃんを抱きしめる。
気がつくと真理ちゃんの唇が目の前にあった。
それに優しく俺の唇を近づけて触れる。
柔らかい感触が俺を襲う。
もう一度忘れない様に今度はしっかりと唇を吸う。
この日の事を忘れない様に……
「やっと出来たな!」
柴崎さんはそう言って俺を認めてくれた。
以外にも柴崎さんも嬉しそうだった。
それから俺は柴崎さんの一番のお気に入りになったのだ。
この日程この道に入って良かったと思う日は無かった。




