ベッドの下男の妄挙
その日、あたしは友人から一つの相談を持ちかけられた。
「ねえ、一晩だけでいいから、私の家に泊まってくれない?」
大げさにも、手を合わせて頭まで下げてくる。あたしは注文したウインナコーヒーをすすり、どうしたものかと思った。
「何よ、何かあるの?」
友人とはいっても、現在こいつとはあまり接点がない。というのも、こいつ―――芳崎歩美と会うのは高校の時以来だ。
歩美とあたしは同じ部活に所属していて、エース目指して互いに競い合い、励ましあった仲だった。
二人して練習を重ねたが、エースにはなれなかった。幸いにもあたしはレギュラーに入ることができたが、歩美は補欠止まりとなってしまったのだ。
レギュラーと補欠では練習時間も違う。クラスが別だったあたしと歩美は次第に口をきくことも少なくなり、いつしか完全に決別していた。
そんな話も、今では遠い昔のことのように思える。
「何かあるから言ってるのよ。…よく、聞いてよね」
人目をはばかるような声で、歩美がひっそりと話し始めた。
昔のこととはいえ、嫌な思いをさせてしまったせめてものお詫びだ。できることなら何でもしてやろうという気持ちで、あたしは耳を貸した。
「……私のベッドの下に、男が寝てるの」
…は?
「え、どういう事よ。それってヤバイんじゃないの?警察に言った方が…」
「言ったよ。そっと家を出て、近くの交番まで行った。で、おまわりさんと一緒に家に戻ったら、男、いないのよ……」
「そんな。逃げちゃったんじゃないの?」
「でも、窓もドアも開いてなかったんだよ!私、寝る時に鍵閉めたんだから。私の部屋から男が出て行ったのなら、鍵は開いてるはずでしょ…?」
「うーん……」
何とも気持ちの悪い話ではある。正直言って、行きたくない。他人の危険に巻き込まれるのは気が引ける。
ふいに疑問を持ったあたしは、質問してみることにした。
「ねえ、ストーカーとかされてない?」
「え?」
ふわふわとした栗色の髪。大きめの目に、白い肌。歩美は美人だから、ストーカーの一人や二人いてもおかしくはない。
歩美は少しとまどいながらも、質問に答え始めた。
「今はされてないけど…高校卒業した後に、一回だけ…」
「誰にされたの?」
「…塚本」
その名を口にされて数秒後、あたしは彼の容貌を思い出した。
一度しかクラスを同じくしていないのでうろ覚えだけれど、他の男子と比べて体が大きく、弱気で卑屈な奴だったと思う。
彼が歩美をストーキングしていると言われても、確かに納得できる。
「でも、もうストーカーしませんって約束させたから」
「どうかな。まだ歩美のこと諦めきれてなかったりして。逆恨みして、毎晩忍び込んで…ってことも考えられるんじゃない?」
「ウソ…。じゃあ、鍵は?」
「そんなの、合鍵に決まってるでしょ? こっそり鍵盗んで、同じの作ってもらったんだよ。それで、毎晩歩美んちに忍び込んで、ベッドの下でニヤニヤしてた。どう?」
「そういえば…一回だけ、鍵なくしたことあったっけ…」
歩美の顔がみるみる強張っていく。腕を抱え込むようにして抱き、さする。寒気を感じているのだろう。
「やだ…どうしよう、もし塚本が…ねえお願い、一緒に寝て?」
「分かった、いいよ。幽霊とかそんなのだったらどうしようもないけど、人間相手だったら怖くもなんともないよ。泊まってあげる」
瞬間、歩美の顔は柔らかくなり、一気に血色がよくなった。
「ホント!? ありがとう、理枝!」
歩美はいそいそとカバンから財布を出して、「私が払うね」と言って伝票をすくい取り、素早くレジに向かった。
***
その後、あたしは自宅に着替えや洗面道具を取りに帰り、その足で歩美の家に向かった。
こじゃれたインターホンを鳴らすと、すぐに返事が返ってくる。
「はーい」
「あたし。理枝だよ」
一瞬の間を置いて、すぐさまドアが開けられる。開けたのはもちろん、嬉しそうな顔をした歩美だ。
「いらっしゃーい! さ、上がって上がって」
「お邪魔します」
垢抜けたワンピースを着た歩美は優雅にあたしを招きいれてくれた。あたしも靴をそろえて脱ぎ、上がらせてもらう。
「本当にありがとうね。ご馳走するから、今日はゆっくりしていって」
リビングに通される。まあまあの広さで、綺麗に掃除してある。花瓶まで飾ってあって、思わずじっと見てしまった。
「荷物とかは私の部屋に置いていいよ。ダブルベッドだから二人で寝られるし」
「うん。ありがと」
「そんな、お礼言うのはこっちの方だよ。無理言っちゃって、ごめんね」
歩美の部屋は2階にあった。全体的に薄ピンクでまとめられた、女の子らしく可愛い部屋だ。
「晩ご飯、何時にする?」
「もうちょっと後でいいよ」
「分かった。じゃ、テレビでも見ようか」
「うん」
テレビを見て笑いあったり、夕飯づくりを手伝ったり(手伝わなくていいよと歩美は聞かなかったが、何もしないのも無礼なので食器を運んだりしていた)、風呂に入ったりした。
風呂は私が先に入らせてもらった。髪を乾かして、心地よい気分でリビングに戻ると、パジャマとタオルとコップを抱えた歩美が歩いてきた。
「お湯加減どうだった?」
「ちょうど良かったよ」
「そっか、よかった。私もさっさと入っちゃうね。コレでも飲んでて。おかわりはテーブルの上にあるから」
コップの中身は、冷たそうな麦茶だった。随分と気をきかせてくれる。
歩美が風呂に入っている間、あたしは麦茶を飲みながらずっとテレビを見ていた。途中に見たニュースで「独身女性が変死」なる事件を取り上げていたが、あまり気に留めていなかった。
少しして、歩美が風呂から出てきた。
「おまたせ」
「んー…」
疲れが溜まっていたのだろう、眠気が出てきていた。
「もう寝る?」
「うん。眠い」
会話もそこそこに、歩美の部屋に上がる。その時ベッドの下を確認したが、誰もいなかった。
「おやすみ、歩美」
「うん。おやすみ、理枝…」
そのまま、睡魔に引きずり込まれるように、あたしは眠りに落ちていった。
***
少しして、目が覚める。
何だかお腹が痛い。冷たいものを飲みすぎたせいだろうか?
ともかくトイレに行こう。そう思って、ベッドから降り、ふと目の前の姿見を見た。
―――いてはいけないものが、そこにいた。
こちらに背を向けて、ベッドの下にいる黒づくめの男が。
男はどうも寝ているらしく、体を僅かに上下させている。あたしはこれ幸いとばかりに歩美に近寄り、ささやきながら揺り動かした。
「歩美…歩美」
「んー……」
「起きて、歩美。起きて」
「なあに、理枝……」
「ちょっとこっち来て」
歩美は眠そうに目をこすっていたが、少しふらふらしながらついてきてくれた。あたしは部屋から出てドアをそっと閉めると、歩美に向き直る。
「やばいよ…! 男、いたよ」
「えっ!?」
「今は寝てるみたいだけど。交番…いや、警察に電話しよう。早くしないと」
「う、うん」
一気に目が覚めたようで、歩美は震えている。あたしが手を引き、一緒に階段を下りた。
「あっ、しまった……!」
「どうしたの?」
「携帯、部屋に置いてきちゃった…」
「じゃあ、この電話使って。なるべく小さい声でね…?」
歩美は、棚の上に置いてあるコードレス電話を指差した。あたしはそれに従い、受話器を取る。
110番を押そうとしたその時、突然歩美が抱きついてきた。
「ど、どしたの?」
「イヤ……理枝、あれ…!」
「…ひっ!」
あの黒づくめの男が、階段をゆっくり下りてきたのだ。
ミシ…ミシ…と、足音を立てながら。
「は、早く、逃げ…!」
あたしは歩美の手を引っ張ると、玄関に向かって走り出そうとした。しかし、それは叶わなかった。
「ちょ……歩美!?」
歩美が力いっぱいあたしの腕にしがみついて、震えているのだ。おかげで動けない。
「歩美、何して…」
ギシ……
「離してよ!」
ギシ……
「お願い、離して…」
ギィ……
「イヤアっ!」
ギ……
すぐ目の前に来た男が、バールを振りかぶって――――――
振り下ろす。
視界に光が飛び散り、朦朧として意識が吹っ飛ぶ。
床に倒れたあたしを、男が執拗にバールで殴りつける。
(歩美………!)
助けを求めようとしたあたしの頭はガツンという衝撃とともにブラックアウトした。
激痛の中見たのは、ついさっきまで寝食を共にしたとは思えないほどの、冷徹で酷薄な歩美の顔だった。
***
「……死んだ、みたいだよ。歩美」
脳天をかち割られた死体を見下ろして、男は恍惚に満ちた顔をした。
「そう」
歩美は、冷たい口ぶりでそれだけ言った。
「死体、処理しておいてね」
「もちろんだよ。これで僕を許してくれるんだろう?」
「まだまだよ。もっと殺さないとダメ」
「うーん……道のりは遠いなあ。それに、警察に気づかれそうだしさ」
「そうね。そのうち引っ越さないとね」
「うひひ。で、こいつはどうして死んでほしかったの?」
「………高校の時、部活動で自分だけレギュラーになれて有頂天になっていたからよ。それだけならまだしも、こいつ、調子に乗りまくってたのよ。何かにつけて私をネタにするし……ムカついたわ」
「ふうん。とんでもない奴なんだね。歩美のこと、そんな風にしたんだあ…」
男は、めちゃめちゃになった理枝の頭を、もう一回バールで小突いた。
「来週、また人を呼ぶわ。その時もよろしくね……塚本君」
「ああ、もちろん。何だってするよ。君のこと、愛してるから」
「それじゃあ、頼んだわよ。おやすみ、『ベッドの下の男』さん?」
歩美は背を向け、階段を上っていく。
男はもう一度理枝の死体を見下ろし、「うひひ」と笑った。