3.お前は俺の敵。
午前五時。寝不足だろうが、気絶していようが、長年に渡って規則正しく過ごしてきた習慣は身体に刻み込まれていて、その時間になると自然に目を覚ましてしまう。
ジンがうっすらと目を開ければ、ジンの腹周りをガッチリと締め、瞼を腫らして眠っているシエルの姿。一夜明け、そんな彼女の姿を見て、ジンは少し反省する。
イケメンにいい顔をしていたのは許せない。しかし、シエルが自分から離れるはずないじゃないか。
まだ勘違いしている上に、自意識過剰とも思える考えで冷静になり、ジンは深い溜め息をついた。
少し大人げなかった、と反省して、シエルの涙の跡が残る頬を指でそっとなぞり、それから優しい手つきで艶々とした栗色の髪の毛を撫でる。
ふと、自分の格好が目に入る。いつの間にかパジャマに着せかえられている。嫌な予感がして、シエルをどかせてから、そっとズボンの中身を見てみた。
黄金に輝くぞうさんが鎮座していた。
ぞうさんの柄をしたパンツではない。股間部分に立体的なぞうさんが付いている金色のブーメランパンツだ。
「………………………………………………」
怒りが爆発しそうなのを、心を無にする事によって乗り越えるため、三点リーダーが留まる事を知らない勢いで流れていく。
やがて少し落ち着きを取り戻したジンは、シエルの首根っこを掴み、ベランダに放り出した。
ふかふかの芝生がひかれ、空調を魔術陣で完璧に整えられた(ジン作成)ベランダで、シエルが幸せそうに眠っているのを横目に、ジンはいつものようにランニングに出かけるのであった。
その日はランニングから戻り、シャワーを浴びて出ても、シエルの姿がなかった。安堵した反面、何故来ないと理不尽に憤るジン。しかし、食卓でジンに何かを言いかけては口ごもり、眉尻を下げてモジモジしているシエルを見て罪悪感に襲われた。
だから、彼が家を出た時にそういう行為をしたのは謝罪と、仲直りという行為のためだった。
いつもは全力でスタートダッシュを切るジンが、振り返り手を差し出してきた。シエルは理解が追いつかず、差し出された手とジンの顔を見比べては混乱した。
「……なんだよ、いらねぇの?」
「……っ!? い、いる!!」
一気に顔色が明るくなり、嬉しそうに手を繋いできたシエルに、ジンの頬が緩む。その顔を見て、シエルはより笑顔になった。これで、ジンに笑顔を向けられた回数が、片手では足りなくなった。
シエルが喜びを胸いっぱいに溢れさせ、軽くスキップをするつもりがハイジャンプになり、ジェットコースターのようになり、ジンの三半規管を破壊しかけたのはそのすぐ後の話であった。
「あれ~? ジンくん、どうしたの~? 顔色が陸に上げられた半魚人みたいだよ~?」
「例えが……、分かりづれぇよ……、おえっ」
吐きそうになっているのに、ツッコミ魂は忘れない。それでこそ学院一のクールガイである。
ジンたちに声をかけて来たのは、シエルの数少ない貴重な友人の一人、オペリア=シリウス。腰まで伸びる白銀の髪をふわふわと波打たせ、眠たそうに垂れた紺の瞳の下にはホクロが一つ。無垢と、妖艶な雰囲気が同居する不思議な美少女――、と見せかけて、実は男。男だが、女子の制服を着ている。
類は友を呼ぶ、とはよく言ったもの。変人の友は変人という事である。
「またシエルちゃんが無茶させたんでしょぉ? シエルちゃん、めっ、だよ☆」
「てへへ☆」
てへへ、じゃねぇよ。お花畑な雰囲気についていけず、ついにツッコミ魂を忘れて無言になるジンであった。
「ねぇねぇ、それよりも今日は一時限目からデベラホーマン先生の授業だよ~。早く行かないとぉ」
それはヤバい。おじいちゃん先生の授業に一秒でも遅れると、マッスル地獄が待っている。(マッスル地獄とは、おじいちゃん先生がある一定周波数の咆哮を上げると、どこぞから現れるマッスルたちに囲まれ、筋肉の素晴らしさを暑苦しく説かれながら足腰が立たなくなるまで筋トレをさせられる事である)
なので、まだ世界がグラグラと揺れているようだが、授業に遅れる訳にはいかない。青い顔を上げて、ジンは移動のため実技用の服が入った袋を持ち、立ち上がろうとした時に、彼はやって来た。
「やあ、おはようシエルさん。まだ場所がよく分からないから、案内頼んでいいかな?」
またもやあからさまにジンを無視するノイン。それどころか、オペリアですら視界に入っていないかのような彼の態度に、オペリアの周りの温度が下がる。
「おはよぉ、ノイン君~。あのねぇ……、あんまりぃ、ちょーしノんないでねぇ? ――さん☆」
最後の一言はオペリアがノインの耳元で囁いたので、ジンとシエルには何と言っているのかは聞き取れなかった。ノインはというと、囁かれた直後、サッと表情が消える。しかし、それも一瞬の事で、すぐにまた爽やかな笑顔で彼らに向き直った。
「……ジン君、顔色が悪いみたいだね? 肩を貸してあげようか?」
「……? いや、いい。一人で歩ける」
「そんな事言わずに、ほら」
態度が急変したノインを訝しみつつ断るジンだったが、ノインは強引にジンを持ち上げた。
横抱きで。
「……なんのつもりですかねノインさん?」
肩を貸すのではなかったのか。まさかの横抱きに、別の意味で顔を青ざめさせるジンが聞く。しかし、彼の問いには何も答えず、ノインはただにっこりと爽やかな笑顔を向けるだけだった。
――男に横抱きされて恥ずかしいヤツだと思われればいい。
ジンには、そんな副声音が聞こえてくるようだった。
しかし、気づいて欲しい。それは諸刃の剣だという事を。
「そ、そんな……」
シエルが、そんな二人の姿を見て、プルプルと震えている。ノインが、どうしたの、と聞く前にシエルは叫ぶ。
「二人は……、おホモだちだったのね!? 酷いジン!! バカバカバカバカーーー!!」
二人の否定の言葉すら聞かずシエルは走り去り、それをどこか晴れやかな顔をしたオペリアが追いかけて行った。
ノインは無言でジンを降ろした。ジンもまた無言で袋を持ち直す。
青い顔で実技場へと向かう、哀愁漂う二人の姿を何人もの人間が目撃したという。
さて、ここで今さらだが、舞台となっている国立コルクール学院を紹介しよう。
ジンたちが生まれ育った国では、主に軍事面が発達している。かと言って、戦争をしたがっている訳でもなく、優秀な軍人を育て、他国に貸し出す事で利益を上げている。
ここコルクール学院は、他国に出品する前の商品磨きをするためのものである。
どこの国にも所属せず、フリーの各方面のプロフェッショナルとして活躍する人間もいるが、そんな人間はごく僅か。フリーは成功しづらいのだ。大抵が国から一定の報酬が貰えるという安定さを手放せない。
そんな安定収入を得られる機会が、まず最初は学院在籍中にやってくる。五年生で最後の商品磨きをし、六年生の始めに様々な国の要人が見守る中、大オークションとも言うべき“大集団演習”が行われる。
現役で活躍している軍人を呼び、その軍人対生徒という実践に近い戦いが行われるのだ。
そこで目を見張る活躍をした者はスカウトを受け、契約内容に納得できればその国に卒業後赴く事になる。
今、ジンたちは五年生の始め。来年の大集団演習に向けて、実技が授業の大半を占める。
学院の外れ。すぐ傍には大きく拓かれた平らな土の地面の訓練場。
中心に集められた生徒たちの前に、おじいちゃん先生がガクガクプルプルしながら立っていた。
授業の始まりを報せる鐘が鳴り、おじいちゃん先生が杖を投げ出した。丸まっていた背中は、いつの間にかビシッと伸ばされている。
「ぉ、ぉおおおおおぉぉぉおおおおおおおお!!!!」
「くっ……!! 今日も凄まじい闘志だっ!!」
「ああ、私、もう駄、目……」
「ぐっ……くぅ……!! お、俺は負けねぇ、ぞおおおおお!!」
闘志の炎がおじいちゃん先生の身体を包む。その威圧感に生徒たちは抵抗するが、しかし立っていられる生徒はほんの僅か。
「せぃやっっっ!!」
掛け声と共に、おじいちゃん先生の筋肉が盛り上がり、服が弾けた。今、おじいちゃん先生……否、伝説の戦士の服は、股間と尻を隠すようにしてしか残っていなかった。
「修行が足りんぞ小童どもおおおおおおお!!」
伝説の戦士の咆哮に地面が盛り上がり、大量のマッスルたちが湧いて出た!!
闘志に負け、膝をついてしまった生徒たちをマッスルが取り囲む。
「なんと貧弱な!!」
「そこの女!! 上腕二頭筋が垂れているではないか!!」
「なんだその腹直筋は!? それでも男か!?」
「立て!! 筋肉を漲らせろ!! 背中に羽が生えてるがごとく盛り上がらせろおおおおお!!」
どうやら五年生になってから授業に遅れずとも、闘志に耐えられない者はマッスルたちの餌食になるという方針に変えたようだ。なんという理不尽。だが、これも生徒たち(の筋肉)の事を思えばこその愛の鞭である。
「なんて……、おぞましい光景なんだ……」
マッスル地獄を初めて目にするノインは、ごくり、と唾を飲み後ずさった。
マッスルの恐怖に顔を青ざめさせてはいるが、闘志を受けてピンピンしている彼の様子に、ジンは少しズレてしまった眼鏡を直しながら片眉を上げる。
――調子のいいだけの優男って訳じゃなさそうだ。
ノインの評価を改めた直後、デベラホーマンの咆哮がまた響く。
「聞け!! 小童ども!! 来月、生徒対生徒の集団演習を行う!! それにあたり、本日は班決めをする!! 一つの班は一人から三十人!! 各自、既に決めた相手がいれば班を組み、申請しろ!! 見つからん者は、各組に分かれた後にくじ引きだ!! この場合、自動で二十人編成になるので気をつけるように!!」
さて、どうするか、とジンは手を顎に持っていく。
集団演習は頻繁ではなかったが、三年の頃から行われていた。その過程で既に相性の良い人間を見つけている。主に魔術を使って攻撃する者が十名。魔術は肉体強化用だけで、肉弾戦を好む者は七名。撹乱、諜報など、サポート全般を主とする者は三名。罠型の魔術を使う者は一名。回復魔術を使う者が四名。
この時点でジンを入れれば二十六名だ。充分だが、まだ空きはある。
ちらり、と一人でぼーっとしているシエルに目をやる。五年生までシエルはずっと一人で集団演習をこなしてきた。理由は、一人だけで充分だからである。ジンがどんな罠を周りに巡らせても、何十人で取り囲もうと、魔術一発でジンの苦労は吹き飛ばされる。だから、今まで誘う気も起きなかったのだ。
しかし。と、ジンは思う。
これからシエルがどんな道を歩もうとしているのかは知れないが、このままであればどこに行ったとしてもただの“兵器”としてしか求められないだろう。
連携を求められない代わりに、人としても求められない。ただ強大な力でねじ伏せるための“兵器”。そんな認識をされてしまえば、ジンがどんなに傍で頑張ったとしても認識を覆すのは難しくなるだろう。実際問題、連携ができない訳であるし。
シエルを加えるというのは、爆弾を抱えるのと同じ事。しかし、最初から諦めていては何も変えられない。シエルに連携の大切さを教えるいい機会だ。
シエルと同じ未来を歩むために、ジンは覚悟を決め、声をかけようとした。
しかし。
ノインがシエルの肩に手を置き、話しかける方が先だった。
少し離れた場所で話しているので、なにを言っているのかは分からない。シエルは少し困った顔をしているのは分かる。
だが、ノインが何かを耳打ちすると、花が咲き乱れるような幻覚を周囲に見せながら笑顔になった。
そして、嬉しそうにデベラホーマンの元へ行き、ノインと二人きりの班を申請をして、満面の笑みでジンの元へ駆け寄ってきた。
「ジン! 聞いて、聞いて、あのね……」
「お前の気持ちはよく分かった」
「え? もう? さすがジンだね~」
噛み合っているようで、噛み合っていない二人の会話。それをシエルの後ろでノインが緩む口元を手で隠しながら眺めていた。
頬を赤らめ、モジモジしているシエルの姿を、眼鏡が曇ってしまっているジンには、イケメンと二人きりの班になれて喜んでいるようにしか見えなかった。
今まさに、ジンがシエルとの未来を思い描いていた時に、だ。
「今日から、お前は俺の敵だ!!」
だから、勘違いとは言え、こう言ってしまったのは仕方ない事であった。
ノインが背を向けて肩を震わせていたとも気づかずに。
【マッスル】
デベラホーマンの想いに深く共鳴している大地の精霊たち。
最初は、可愛らしいお人形さんのような姿だったが、デベラホーマンに共鳴しすぎて、自ら形を変えていった。なんという愛。
大地の精霊なので、肌は土色。そして何故かテカテカしている。
股間部分は苔で隠しているものの、尻は丸出し。何故かと言うと、グレートな尻筋を見せびらかしたいからである。