魔王討伐の凱旋前夜、荷物持ちは全員に預かり物を返す――最後に勇者が返してくれたもの
凱旋前夜、荷物持ちは預かっていたものを全員に返す
魔王を倒してから四日目の夜、俺が古布から取り出したのは、折れた剣の柄だった。
「これが最後の仕事だ。預かってたものを返す」
「……おい、エルノ。そんなものまで取っておいたのか」
勇者ユリスは吹き出した。柄尻の鍛冶印を見た途端、その笑いが喉で途切れる。伸ばしかけた手が止まり、目だけが柄を追った。卓の端に置いた茶が冷めていくのに、誰も手を出さなかった。
「……残ってたんだな」
「受け取るか?」
「ああ。返してくれ」
俺は剣の柄を彼の手に載せた。幾度も剣を握ってきた指が、古い革巻きを傷つけまいと、そっと力を緩めている。
明日は王都への凱旋。今夜泊まる旧関所から東門までは、徒歩で二時間ほどだ。勇者ユリス、治癒術師マーヤ、魔術師リネ。そして荷物持ちの俺。十六か月続いた四人旅も、朝になれば終わる。
「戦利品じゃなくて、こんなものから始めるかね」
ユリスが柄を持ち直す。擦り切れた革巻きも、鍔の欠けも、あの日のままだ。
遠征四か月目、魔物に襲われた村で、子供が納屋に閉じ込められた。扉が歪んで開かず、ユリスは剣を蝶番の隙間へねじ込んだ。俺が扉を押さえ、リネが落ちそうな梁を支えている間に、ユリスは剣の柄をひねった。割れた板の向こうから煤だらけの小さな手が伸びる。子供が這い出してきたときには、刃は根元から折れていた。
助け出された子供は、納屋の外へ出たあともユリスの袖を握って離さなかった。ユリスは空いた手でその背をさすり、折れた剣をしばらく見つめていた。刃がなくなったことより、扉が開いたことを確かめるような顔だった。
新しい剣はすぐ調達できた。ユリスも折れた柄は捨てていいと言った。
けれど、修理屋の家に育った俺には、誰かを助けて役目を終えた道具を、ごみと同じように扱えなかった。
柄だけでも預かりたいと頼むと、ユリスは笑って了承してくれた。
「故郷の鍛冶屋のおやじに、これを見せに行く」
「修理するのか?」
「いや。最初の剣の代金、まだ半分払ってないんだよ。魔王を倒したって踏み倒したら、あの人、俺をぶん殴るぞ」
「勇者を?」
「魔王より怖いときがある」
マーヤが茶を吹きかけ、リネまで口元を押さえた。
ユリスは柄を布に包み直し、自分の鞄へしまった。そのあと、服の襟元に指を入れ、小さな革袋の上を軽く押した。
「で、次は誰のだ?」
「まだ二つある。それと、明日の朝のことを少し――」
言いかけたところで、廊下から足音が近づいた。
東門から馬を飛ばしてきた伝令が、明日の到着簿の写しを届けに来たのだ。
*
伝令が去ってから、俺たちは卓に置かれた紙を覗き込んだ。写しの端には王都の書記の印が押されている。長い旅の終わりが、たった一枚に収められていた。
凱旋者の欄にあるのは三人の名だけだった。
勇者ユリス。治癒術師マーヤ。魔術師リネ。
俺については、別欄に「運搬担当・給与精算」と書かれている。
指の腹で紙の端を押さえた。旅の荷なら、運搬用と戦闘用を分けて記録する。これもそういう紙なのだろう。それでも、三人の名前が並ぶところへ指を移そうとして、ためらった。
「四人なのに三人かよ。書記の数え漏れだな」
ユリスはすぐに言った。
「明日、東門にある正本を直してもらおう。俺が話す」
「給与の欄はあるんだ。手続きはそれで進むだろ。無理しなくていい」
「でも、お前だって一緒に――」
「明日の荷の引き渡しを間違えなきゃ、それで十分だよ」
事務の話に限れば本当だった。俺の雇用契約は、王都へ帰って荷を引き渡すまで。給金も約束どおり出る。
そのあとは別の隊商を探す。もう決めていた。
引き留められても、それが礼儀だけだったら。そう確かめるのが怖くて、俺はまだ言えなかった。
ユリスは不満そうだったが、押し問答にはしなかった。柄をしまった鞄を足元に寄せ、鍛冶屋への支払いが済んだら何を食べようかと話し始めた。
マーヤは故郷へ帰ると言う。リネは式典のあとも、しばらく王都に残るつもりらしい。
話しているのは三人とも、旅が終わったあとの暮らしだった。
遠征二か月目、避難民の荷車を直せなかったことがある。あの晩から、故郷に残る父の修理小屋へ帰ることさえ、考えないようにしてきた。
役に立つ間だけ、席がある。昔の隊商で覚えたことを、到着簿の空欄にまで重ねてしまう。
「エルノ、どうした?」
「いや。次の預かり物を返す」
俺は写しを畳み、荷袋から封蝋のついた一通の手紙を取り出した。
*
「マーヤ。これを返すよ」
宛名は彼女の母親。封は預かったときのままだ。
マーヤは手紙を見るなり、椅子を引く音を立てて身を起こした。
「……こんな夜に出すの?」
「生きて戻れたら本人に返す。そう頼まれたから」
「覚えてるわよ」
声がとがっていた。
遠征十一か月目、敵の包囲から抜けられず、誰もが翌朝を迎えられるか分からなかった夜。マーヤは母親へ手紙を書き、封をした。自分が死ねば届けること、生還すれば開封せずに返すこと。その二つを確かめて、俺が預かった。
差し出された手紙を、マーヤはしばらく睨んでいた。封蝋には、あの夜に彼女が指で押しつけた小さな刻印がある。握りしめれば折れてしまいそうなのに、彼女は紙の縁から手を離せない。
「生きて帰ったんだから、忘れてしまいたかったのに」
「……頼まれたとおり、返すよ」
「いい。私のよね」
マーヤは自分で封蝋を割った。
欠片が一つ転がり、空の皿の脇で止まった。誰も拾わない。マーヤは便箋を広げる前に一度だけ目を閉じ、膝の上の手を握りしめた。
誰も覗き込まない。紙を繰る音だけがした。
読み終えた彼女は、思いがけないほど腹立たしそうに、手紙を卓へ置いた。
「謝ってばかり。ごめんなさい、許して、心配をかけて。……帰ったら何をするか、一つも書いてない」
「死ぬと思って書いたんだろ」
「そうよ。だから腹が立つの。あのときの私、生きて帰る自分のことは、最初から数に入れてなかった」
マーヤの手は、魔物に裂かれた傷を幾度も塞いできた。旅のあいだ、彼女は誰より早く起き、誰より遅く眠った。休んでいいと告げても、最後の一人を診終えるまでは動かなかった。
その彼女が、今は自分の書いた言葉に怒っている。
俺は慰める代わりに、荷袋から白紙とペン、それに小さなインク壺を出した。
「何よ」
「返す手紙は返した。書き直したいなら、紙はある」
マーヤはしばらく俺を見つめ、やがて息を漏らした。
「まったく。荷物持ちって、何でも持ってるのね」
「予備の筆記具は補給品だ」
「そういうところよ」
彼女は古い手紙を破らずに畳み、自分の鞄へ入れた。しまうとき、角が折れないよう、鞄の縫い目を指で広げた。それから新しい紙を開き、ためらいなく筆を走らせ始めた。
「何て書いた?」とユリスが尋ねる。
「まだ書いてる途中。覗かないで」
「一行だけでも」
「『無事に帰ります。まず、しっかり眠ります』」
「よかった。だったら式典のあと、俺の背中も診てくれよ。昔の傷が――」
「他の術師へ行きなさい」
「勇者の頼みだぞ」
「休暇中の治癒術師に言う台詞じゃないわ」
リネが小さく笑った。ユリスは大げさに背中を押さえ、マーヤはようやく肩の力を抜いた。
書き終えた便りを乾かす彼女の横顔には、さっきまでの怒りは残っていなかった。
マーヤは新しい便箋の端を押さえ、封蝋のかけらを指で隅へ寄せた。
「ねえ、エルノ」
マーヤがペンを置いた。
「リネにも、何か預かってるんでしょう?」
俺は頷き、三つ目の包みを取り出した。
*
無地の油紙を細い紐で縛った、小さな包みだった。
表には名も紋章もない。俺が中身を尋ねることもなかった。
遠征十三か月目、大雨で荷がずぶ濡れになった夜、リネが自分で包み直して託してきたものだ。
『戦いが終わったら、そのときの私に返して』
依頼はそれだけ。
だから俺は、剣の柄や封書と同じように、皆のいる卓の上で本人に渡そうとした。
手を伸ばした、そのときだった。
リネの指が膝の上で強く握られた。
彼女の目は包みの結び目に向いている。顔から血の気が引き、口を開きかけたまま声が出ない。
俺は止まった。差し出した腕の影が、卓の上でリネの手に届いている。荷物を渡すための、いつもの距離だった。
リネは椅子の背に肩を押しつけた。膝の上の拳だけが、さっきより白くなっている。
包みをそっと引き戻す。
「リネ。二人で確認したいことがある。廊下へ出られるか?」
彼女は少し考え、頷いた。
ユリスは質問しなかった。マーヤも新しい手紙に目を戻したまま、俺たちの出ていく道を空けてくれた。
共同室から角を二つ曲がった廊下の突き当たりには、小さな燭台がともっていた。ここなら声が部屋まで届かない。
リネは壁の前で止まり、振り返った。
「……中、見てないわよね」
「預けた本人に断りなく開けない」
「そうだったわね」
彼女がようやく息を吐いた。俺は包みをすぐには差し出さず、彼女の言葉を待った。
*
「母が残した、出生記録の写しなの」
リネは壁際の燭台を見つめたまま言った。
母親が自分の手で書き写した一枚の紙。そこには母の名と、リネが生まれたときの名があるという。
「私は魔王軍に支配されていた土地で生まれた。戦いが終わっても、あの土地に生まれた人間を嫌う人はいるでしょうね」
紙には、魔法の力も、公的な身分を変える効力もない。ただ、母の筆跡と、かつての名が残されている。
持っていたくないのに、失くすのは嫌だ。その二つが、リネの中でぶつかっていた。
包みの結び目は端から少し毛羽立っていた。豪雨の夜、彼女がこれを何度も結び直していたことを思い出す。
「ユリスもマーヤも、信用していないわけじゃないの」
「うん」
「でも、二人に話すかどうかは、自分で決めたかった。あの包みが何か、訊かれたら……まだ、答えられなかったと思う」
リネは共同室の方へ一度だけ目を向けた。十六か月、あの二人と同じ卓を囲んできた。それでも彼女は戻ろうとはせず、包みを抱える俺の手へゆっくり視線を落とした。
「さっきは、悪かった」
「私も、何をしてほしいのか決められなかったから」
俺は包みを両手で持ち直した。
「三つ考えた。聞いてくれるか」
リネが頷く。
「一つ目は、今ここで受け取る」
リネのまばたきを待って、続けた。
「二つ目。まだ決められないなら、俺が引き続き預かる。明日契約が終わっても、個人として。連絡方法と引き渡す日を、後で二人で決めよう」
燭台の火が揺れた。
「三つ目は、君が立ち会う場所で処分する。……どれも、俺が勝手には決めない」
言いながら、二つ目の選択肢が自分の胸に引っかかった。
契約が終わっても預かる。
俺は明日、三人に別れを告げて新しい運搬先を探すつもりだった。なのに、リネとの約束を続ける未来は、ごく自然に口から出た。
リネはすぐに答えず、包みを見つめている。俺は燭台を少し遠ざけた。
リネは包みの結び目に触れ、一度指を離した。息を整えてから、俺を見る。
「……受け取るわ」
彼女は自分で紐をほどいた。中の紙を広げ、灯りに向ける。指が一行の上で止まった。
「ネリア。これが私の、最初の名前」
初めて聞く響きだった。リネはその字を何度かなぞり、紙を丁寧に包み直した。
「母の字まで捨てなくてもいいのよね。今は、私が持っていたい」
「そう決めたなら、それでいい」
「でも王都では、今までどおりリネと呼んで」
「分かった」
彼女は包みを懐へしまうと、共同室の方を見た。
「ユリスとマーヤには、今夜、私から話す。どこまで話すかも自分で決める」
俺は頷いた。廊下の灯が、彼女の懐から少しだけのぞく油紙を照らしていた。
*
共同室へ戻ると、リネは俺の前に出た。
「二人に、知っていてほしいことがあるの」
母が残した紙に出生名があること。自分の最初の名はネリアであること。ただし、これからもリネと呼んでほしいこと。
リネはそれだけを自分の言葉で伝えた。
ユリスもマーヤも、土地の名前や家族の事情を尋ねなかった。
「分かった。リネ」とユリスが答える。
「ええ。それでいいのね」とマーヤが確かめる。
「ありがとう」
三つの預かり物は、全て持ち主の手に戻った。
俺の荷袋には、返すべきものがもうない。
なのに、仕事を終えたはずの胸は、少しも軽くならなかった。
「三人に、話しておくことがある」
口にすると、マーヤが便箋を畳む手を止めた。
「俺の運搬契約は、明日、荷を引き渡せば終わる。給金を受け取ったら別の隊商を探すよ。三人とは、そこで別れるつもりだった」
ユリスは椅子から腰を浮かしかけた。さっきまで柄を手にしていたときとは違う顔だ。何か言いかけて、口を結び直している。
「……別れるって、急に何だよ」
「急じゃない。前にいた隊商では、契約が終わった朝、荷を下ろした俺に誰も次の行き先を訊かなかった。だから今回は、自分で次を探す」
ユリスは口を開き、何も言わずに閉じた。
マーヤが書きかけの便箋をそっと伏せる。
「それは前の隊商の話でしょう。エルノは、どうしたいの?」
言おうとすると、喉がつまった。
リネには、契約が終わったあとの約束まで、あっさり申し出られたのに。
「……荷を下ろしたら、次の荷を探す。それだけだよ」
マーヤはそれ以上聞かなかった。新しい便りを半分だけ折り、折り目をつけずに元へ戻す。リネも黙っている。俺は三人の顔を見られず、空になった荷袋の口を指で何度も合わせた。
ユリスの手が服の胸元へ伸び、革袋を押さえたまま止まった。
「エルノ。お前の返す物は、これで全部なんだな」
「ああ」
「じゃあ、今度は俺の番だ」
*
ユリスが首から小さな革袋を外した。
紐をほどき、卓の上に落としたものを見て、俺は息を止めた。
錆の浮いた、古い鉄の鍵だった。
小袋の端は、幾度も指でつままれたように色が薄くなっていた。ユリスが胸元へ手を伸ばすのを、俺は今夜二度も見ている。革の擦れたところへ視線が戻り、息がうまく吸えなかった。
マーヤが眉を寄せ、リネも卓の鍵へ目を落とした。
忘れるはずがない。父から継いだ修理小屋の鍵だ。
遠征二か月目、避難民の荷車を直せなかった日の続きが、胸の底から浮かび上がった。
車軸が折れ、魔物が迫る街道で、ユリスたちは人々を逃がした。俺は足りない工具を握ったまま、壊れた車輪の前に残された。助けられた子供たちの泣き声が遠ざかっても、工具をしまうことができなかった。
あの夜、父の小屋の鍵を街道脇の泥溝へ投げ込んだ。修理屋を名乗る資格などないと思ったからだ。鍵は濁った水に沈む前に石に当たり、乾いた音を一度だけ立てた。
後ろから、ユリスが声をかけてきた。
『あの鍵、俺が拾って持っていってもいいか?』
俺は振り返らなかった。
『好きにしろ』
それだけ言い捨てた。
彼が実際に拾ったかどうかも見ていない。旅のあいだ一度も鍵の話をしなかったから、どこかで捨てられたものだとばかり思っていた。
ところが、十四か月前に泥溝へ投げた鍵が、今は目の前にある。
「……拾ったのか」
「ああ。持ってていいって、お前が言ったからな」
「ずっと?」
「ずっと」
ユリスは鍵に手を添えたが、俺の方へ押しつけはしなかった。
「帰れって言うつもりはないよ。これを持つか、また置いていくかもお前が決めればいい。ただ、俺が持ってたことは知ってほしかった」
どうして今まで黙っていたのかと尋ねると、ユリスは少し困った顔をした。
「お前、あの日から故郷の話をしなくなっただろ。返したら帰れって迫るみたいで、嫌だった。式典が終わって、お前が帰りたいって言い出したら渡そうと思ってたんだ」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、お前が明日いなくなるって聞いてさ。待ってたら、もう渡せないかもしれない」
彼は再び鍵を卓の上に置いた。受け取れとも、家に帰れとも言わない。
俺が荷車を直せなかった、まさにその日から、この鍵は彼の手元にあった。
目の前の鉄は錆びている。けれど泥溝へ投げ捨てたときにはなかった、小さな磨き跡が歯の縁にあった。指で触られ、何度も確かめられたのかもしれない。
「……お前、よく十四か月も持ってたな」
「小さいからな。食料より場所を取らない」
「そういう話じゃない」
「分かってるよ」
ユリスは笑わなかった。答えを急かすこともしなかった。
俺は手を伸ばした。錆びた鍵は冷たく、掌のくぼみにぴたりと収まった。
親指で歯の欠けた部分をなぞる。父が鍵束を鳴らして仕事場へ入っていく、朝の音を思い出した。仕事に出る前、父は必ず戸口で振り返り、俺の工具箱の留め金が閉まっているかを確かめた。あの小屋には、まだ俺の使っていた作業台があるはずだ。
「……一度、帰ってみる」
鍵を握る手に、汗がにじんだ。言うべきことは、まだ残っていた。
「……もう一つ、頼みがある」
三人が俺を見る。マーヤが組んでいた腕を解き、リネは黙って背筋を伸ばした。
雇われた荷物持ちとしてなら、用事はいくらでも頼めた。薪を拾ってくれ、水を汲んでくれ。だが、旅に必要のないことを三人に頼んだことは、一度もなかった。
「俺の小屋は、十六か月も空けたままだ。扉が開いたって、きっと一人じゃ片づかない」
喉が渇く。三人の顔を見た。誰も答えを先にくれない。
俺は鍵をいったん握り直した。
「……小屋に帰っても、三人と会いたい。仕事じゃなくて、友達として。片づけを手伝ってくれないか」
暖炉で薪が崩れ、小さな火花が上がった。
返事のない間、卓の木目ばかりが目に入った。ここで断られたら、もう契約書のせいにはできない。
荷を運び始めてから、これほど長く誰かの返事を待った覚えがない。口を開いて言い訳を足しそうになり、やめた。今さら賃金を払うと言ってしまえば、また仕事の話になる。
「いいよ」
ユリスの声は、驚くほど普通だった。
「屋根は俺が直してやる。梁の一本くらい、持ち上げてみせるさ」
「待て。扉を開けるのに剣を折った男に、梁を触らせたら小屋まで壊れそうだ」
マーヤが先に噴き出し、リネも笑った。
「私は実家でたっぷり眠ってから行くわ。寝具のことなら任せて」
「私は道具を見たい。何が残っているか、一緒に確かめましょう」
俺は返事をしようとして、うまく声が出ず、手の中の鍵をもう一度握った。
*
翌朝、俺たちは七時に旧関所を発った。
六週間後、故郷の小屋で落ち合う約束だけは、昨夜決めていた。
空は薄く晴れ、荷車の轍が東門へ続いていた。
門へ向かう道には、野菜を積んだ車も籠を担いだ旅人もいた。道を譲ろうとすると、ユリスがいつもの調子で前へ出た。マーヤが彼の背を指でつついて歩調を落とさせ、リネは黙って俺の隣に並んだ。二時間の道のりの間、三人は門の向こうの予定を話していた。俺も、ときどき口を挟んだ。
九時ごろ、東門で迎えの係が到着簿の正本を開いた。昨夜、写しを届けた伝令とは別の役人だ。
「勇者ユリス様、治癒術師マーヤ様、魔術師リネ様。三名でよろしいですか」
「四人です」
ユリスが答え、俺の方を見た。あとは自分で言えというように、一歩横へ退いた。
「エルノです。十六か月、荷と補給を担当して同行しました。凱旋者の欄に、俺の名前も加えてください」
役人は三人と俺を見比べ、ユリスに確認を取った。それから羽根ペンを走らせ、正本の三つの名の下へ俺の名を書き加えた。
ペン先が一度引っかかり、俺の名の最後の文字だけ少し曲がった。書き直しを求めるほどでもない。それで、四人の名前になった。
出発前に紐を通して首から下げた小屋の鍵が、歩くたびにかすかに胸へ当たる。
「おい、エルノ」
ユリスが、俺の荷袋の持ち手を掴んだ。
「そっち、重いだろ。半分持つよ」
「まだ引き渡してない。俺の仕事だぞ」
「知ってる。手伝っちゃ駄目か?」
俺は少し考えて、反対側の持ち手を掴み直した。
「……じゃあ、頼む」
二人で持つと、荷袋は妙な具合に揺れた。俺が足を速めるとユリスの手が引かれ、ユリスが大股になると今度は俺がよろける。歩幅を合わせないと、かえって歩きづらい。
マーヤに遅いと笑われ、リネに右足からと言われ、ユリスがわざと左足を出して、俺も笑った。
荷物はまだ重かった。
それでも、四人で門をくぐった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
魔王討伐の旅を終えた四人の、ささやかな凱旋前夜のお話でした。
エルノたちの物語は、ひとまずここで完結です。
もし「この四人の旅をもっと読んでみたい」「凱旋後の暮らしも見てみたい」と思っていただけましたら、ぜひ感想で教えてください。
長編化も検討したいと思っています。
面白かった、心に残ったと感じていただけたら、評価やいいねで応援していただけると嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




