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魔王討伐の凱旋前夜、荷物持ちは全員に預かり物を返す――最後に勇者が返してくれたもの

作者: 他力本願寺
掲載日:2026/10/10

 凱旋前夜、荷物持ちは預かっていたものを全員に返す


 魔王を倒してから四日目の夜、俺が古布から取り出したのは、折れた剣の柄だった。


「これが最後の仕事だ。預かってたものを返す」


「……おい、エルノ。そんなものまで取っておいたのか」


 勇者ユリスは吹き出した。柄尻の鍛冶印を見た途端、その笑いが喉で途切れる。伸ばしかけた手が止まり、目だけが柄を追った。卓の端に置いた茶が冷めていくのに、誰も手を出さなかった。


「……残ってたんだな」


「受け取るか?」


「ああ。返してくれ」


 俺は剣の柄を彼の手に載せた。幾度も剣を握ってきた指が、古い革巻きを傷つけまいと、そっと力を緩めている。


 明日は王都への凱旋。今夜泊まる旧関所から東門までは、徒歩で二時間ほどだ。勇者ユリス、治癒術師マーヤ、魔術師リネ。そして荷物持ちの俺。十六か月続いた四人旅も、朝になれば終わる。


「戦利品じゃなくて、こんなものから始めるかね」


 ユリスが柄を持ち直す。擦り切れた革巻きも、鍔の欠けも、あの日のままだ。


 遠征四か月目、魔物に襲われた村で、子供が納屋に閉じ込められた。扉が歪んで開かず、ユリスは剣を蝶番の隙間へねじ込んだ。俺が扉を押さえ、リネが落ちそうな梁を支えている間に、ユリスは剣の柄をひねった。割れた板の向こうから煤だらけの小さな手が伸びる。子供が這い出してきたときには、刃は根元から折れていた。


 助け出された子供は、納屋の外へ出たあともユリスの袖を握って離さなかった。ユリスは空いた手でその背をさすり、折れた剣をしばらく見つめていた。刃がなくなったことより、扉が開いたことを確かめるような顔だった。


 新しい剣はすぐ調達できた。ユリスも折れた柄は捨てていいと言った。


 けれど、修理屋の家に育った俺には、誰かを助けて役目を終えた道具を、ごみと同じように扱えなかった。


 柄だけでも預かりたいと頼むと、ユリスは笑って了承してくれた。


「故郷の鍛冶屋のおやじに、これを見せに行く」


「修理するのか?」


「いや。最初の剣の代金、まだ半分払ってないんだよ。魔王を倒したって踏み倒したら、あの人、俺をぶん殴るぞ」


「勇者を?」


「魔王より怖いときがある」


 マーヤが茶を吹きかけ、リネまで口元を押さえた。


 ユリスは柄を布に包み直し、自分の鞄へしまった。そのあと、服の襟元に指を入れ、小さな革袋の上を軽く押した。


「で、次は誰のだ?」


「まだ二つある。それと、明日の朝のことを少し――」


 言いかけたところで、廊下から足音が近づいた。


 東門から馬を飛ばしてきた伝令が、明日の到着簿の写しを届けに来たのだ。


     *


 伝令が去ってから、俺たちは卓に置かれた紙を覗き込んだ。写しの端には王都の書記の印が押されている。長い旅の終わりが、たった一枚に収められていた。


 凱旋者の欄にあるのは三人の名だけだった。


 勇者ユリス。治癒術師マーヤ。魔術師リネ。


 俺については、別欄に「運搬担当・給与精算」と書かれている。


 指の腹で紙の端を押さえた。旅の荷なら、運搬用と戦闘用を分けて記録する。これもそういう紙なのだろう。それでも、三人の名前が並ぶところへ指を移そうとして、ためらった。


「四人なのに三人かよ。書記の数え漏れだな」


 ユリスはすぐに言った。


「明日、東門にある正本を直してもらおう。俺が話す」


「給与の欄はあるんだ。手続きはそれで進むだろ。無理しなくていい」


「でも、お前だって一緒に――」


「明日の荷の引き渡しを間違えなきゃ、それで十分だよ」


 事務の話に限れば本当だった。俺の雇用契約は、王都へ帰って荷を引き渡すまで。給金も約束どおり出る。


 そのあとは別の隊商を探す。もう決めていた。


 引き留められても、それが礼儀だけだったら。そう確かめるのが怖くて、俺はまだ言えなかった。


 ユリスは不満そうだったが、押し問答にはしなかった。柄をしまった鞄を足元に寄せ、鍛冶屋への支払いが済んだら何を食べようかと話し始めた。


 マーヤは故郷へ帰ると言う。リネは式典のあとも、しばらく王都に残るつもりらしい。


 話しているのは三人とも、旅が終わったあとの暮らしだった。


 遠征二か月目、避難民の荷車を直せなかったことがある。あの晩から、故郷に残る父の修理小屋へ帰ることさえ、考えないようにしてきた。


 役に立つ間だけ、席がある。昔の隊商で覚えたことを、到着簿の空欄にまで重ねてしまう。


「エルノ、どうした?」


「いや。次の預かり物を返す」


 俺は写しを畳み、荷袋から封蝋のついた一通の手紙を取り出した。


     *


「マーヤ。これを返すよ」


 宛名は彼女の母親。封は預かったときのままだ。


 マーヤは手紙を見るなり、椅子を引く音を立てて身を起こした。


「……こんな夜に出すの?」


「生きて戻れたら本人に返す。そう頼まれたから」


「覚えてるわよ」


 声がとがっていた。


 遠征十一か月目、敵の包囲から抜けられず、誰もが翌朝を迎えられるか分からなかった夜。マーヤは母親へ手紙を書き、封をした。自分が死ねば届けること、生還すれば開封せずに返すこと。その二つを確かめて、俺が預かった。


 差し出された手紙を、マーヤはしばらく睨んでいた。封蝋には、あの夜に彼女が指で押しつけた小さな刻印がある。握りしめれば折れてしまいそうなのに、彼女は紙の縁から手を離せない。


「生きて帰ったんだから、忘れてしまいたかったのに」


「……頼まれたとおり、返すよ」


「いい。私のよね」


 マーヤは自分で封蝋を割った。


 欠片が一つ転がり、空の皿の脇で止まった。誰も拾わない。マーヤは便箋を広げる前に一度だけ目を閉じ、膝の上の手を握りしめた。


 誰も覗き込まない。紙を繰る音だけがした。


 読み終えた彼女は、思いがけないほど腹立たしそうに、手紙を卓へ置いた。


「謝ってばかり。ごめんなさい、許して、心配をかけて。……帰ったら何をするか、一つも書いてない」


「死ぬと思って書いたんだろ」


「そうよ。だから腹が立つの。あのときの私、生きて帰る自分のことは、最初から数に入れてなかった」


 マーヤの手は、魔物に裂かれた傷を幾度も塞いできた。旅のあいだ、彼女は誰より早く起き、誰より遅く眠った。休んでいいと告げても、最後の一人を診終えるまでは動かなかった。


 その彼女が、今は自分の書いた言葉に怒っている。


 俺は慰める代わりに、荷袋から白紙とペン、それに小さなインク壺を出した。


「何よ」


「返す手紙は返した。書き直したいなら、紙はある」


 マーヤはしばらく俺を見つめ、やがて息を漏らした。


「まったく。荷物持ちって、何でも持ってるのね」


「予備の筆記具は補給品だ」


「そういうところよ」


 彼女は古い手紙を破らずに畳み、自分の鞄へ入れた。しまうとき、角が折れないよう、鞄の縫い目を指で広げた。それから新しい紙を開き、ためらいなく筆を走らせ始めた。


「何て書いた?」とユリスが尋ねる。


「まだ書いてる途中。覗かないで」


「一行だけでも」


「『無事に帰ります。まず、しっかり眠ります』」


「よかった。だったら式典のあと、俺の背中も診てくれよ。昔の傷が――」


「他の術師へ行きなさい」


「勇者の頼みだぞ」


「休暇中の治癒術師に言う台詞じゃないわ」


 リネが小さく笑った。ユリスは大げさに背中を押さえ、マーヤはようやく肩の力を抜いた。


 書き終えた便りを乾かす彼女の横顔には、さっきまでの怒りは残っていなかった。


 マーヤは新しい便箋の端を押さえ、封蝋のかけらを指で隅へ寄せた。


「ねえ、エルノ」


 マーヤがペンを置いた。


「リネにも、何か預かってるんでしょう?」


 俺は頷き、三つ目の包みを取り出した。


     *


 無地の油紙を細い紐で縛った、小さな包みだった。


 表には名も紋章もない。俺が中身を尋ねることもなかった。


 遠征十三か月目、大雨で荷がずぶ濡れになった夜、リネが自分で包み直して託してきたものだ。


『戦いが終わったら、そのときの私に返して』


 依頼はそれだけ。


 だから俺は、剣の柄や封書と同じように、皆のいる卓の上で本人に渡そうとした。


 手を伸ばした、そのときだった。


 リネの指が膝の上で強く握られた。


 彼女の目は包みの結び目に向いている。顔から血の気が引き、口を開きかけたまま声が出ない。


 俺は止まった。差し出した腕の影が、卓の上でリネの手に届いている。荷物を渡すための、いつもの距離だった。


 リネは椅子の背に肩を押しつけた。膝の上の拳だけが、さっきより白くなっている。


 包みをそっと引き戻す。


「リネ。二人で確認したいことがある。廊下へ出られるか?」


 彼女は少し考え、頷いた。


 ユリスは質問しなかった。マーヤも新しい手紙に目を戻したまま、俺たちの出ていく道を空けてくれた。


 共同室から角を二つ曲がった廊下の突き当たりには、小さな燭台がともっていた。ここなら声が部屋まで届かない。


 リネは壁の前で止まり、振り返った。


「……中、見てないわよね」


「預けた本人に断りなく開けない」


「そうだったわね」


 彼女がようやく息を吐いた。俺は包みをすぐには差し出さず、彼女の言葉を待った。


     *


「母が残した、出生記録の写しなの」


 リネは壁際の燭台を見つめたまま言った。


 母親が自分の手で書き写した一枚の紙。そこには母の名と、リネが生まれたときの名があるという。


「私は魔王軍に支配されていた土地で生まれた。戦いが終わっても、あの土地に生まれた人間を嫌う人はいるでしょうね」


 紙には、魔法の力も、公的な身分を変える効力もない。ただ、母の筆跡と、かつての名が残されている。


 持っていたくないのに、失くすのは嫌だ。その二つが、リネの中でぶつかっていた。


 包みの結び目は端から少し毛羽立っていた。豪雨の夜、彼女がこれを何度も結び直していたことを思い出す。


「ユリスもマーヤも、信用していないわけじゃないの」


「うん」


「でも、二人に話すかどうかは、自分で決めたかった。あの包みが何か、訊かれたら……まだ、答えられなかったと思う」


 リネは共同室の方へ一度だけ目を向けた。十六か月、あの二人と同じ卓を囲んできた。それでも彼女は戻ろうとはせず、包みを抱える俺の手へゆっくり視線を落とした。


「さっきは、悪かった」


「私も、何をしてほしいのか決められなかったから」


 俺は包みを両手で持ち直した。


「三つ考えた。聞いてくれるか」


 リネが頷く。


「一つ目は、今ここで受け取る」


 リネのまばたきを待って、続けた。


「二つ目。まだ決められないなら、俺が引き続き預かる。明日契約が終わっても、個人として。連絡方法と引き渡す日を、後で二人で決めよう」


 燭台の火が揺れた。


「三つ目は、君が立ち会う場所で処分する。……どれも、俺が勝手には決めない」


 言いながら、二つ目の選択肢が自分の胸に引っかかった。


 契約が終わっても預かる。


 俺は明日、三人に別れを告げて新しい運搬先を探すつもりだった。なのに、リネとの約束を続ける未来は、ごく自然に口から出た。


 リネはすぐに答えず、包みを見つめている。俺は燭台を少し遠ざけた。


 リネは包みの結び目に触れ、一度指を離した。息を整えてから、俺を見る。


「……受け取るわ」


 彼女は自分で紐をほどいた。中の紙を広げ、灯りに向ける。指が一行の上で止まった。


「ネリア。これが私の、最初の名前」


 初めて聞く響きだった。リネはその字を何度かなぞり、紙を丁寧に包み直した。


「母の字まで捨てなくてもいいのよね。今は、私が持っていたい」


「そう決めたなら、それでいい」


「でも王都では、今までどおりリネと呼んで」


「分かった」


 彼女は包みを懐へしまうと、共同室の方を見た。


「ユリスとマーヤには、今夜、私から話す。どこまで話すかも自分で決める」


 俺は頷いた。廊下の灯が、彼女の懐から少しだけのぞく油紙を照らしていた。


     *


 共同室へ戻ると、リネは俺の前に出た。


「二人に、知っていてほしいことがあるの」


 母が残した紙に出生名があること。自分の最初の名はネリアであること。ただし、これからもリネと呼んでほしいこと。


 リネはそれだけを自分の言葉で伝えた。


 ユリスもマーヤも、土地の名前や家族の事情を尋ねなかった。


「分かった。リネ」とユリスが答える。


「ええ。それでいいのね」とマーヤが確かめる。


「ありがとう」


 三つの預かり物は、全て持ち主の手に戻った。


 俺の荷袋には、返すべきものがもうない。


 なのに、仕事を終えたはずの胸は、少しも軽くならなかった。


「三人に、話しておくことがある」


 口にすると、マーヤが便箋を畳む手を止めた。


「俺の運搬契約は、明日、荷を引き渡せば終わる。給金を受け取ったら別の隊商を探すよ。三人とは、そこで別れるつもりだった」


 ユリスは椅子から腰を浮かしかけた。さっきまで柄を手にしていたときとは違う顔だ。何か言いかけて、口を結び直している。


「……別れるって、急に何だよ」


「急じゃない。前にいた隊商では、契約が終わった朝、荷を下ろした俺に誰も次の行き先を訊かなかった。だから今回は、自分で次を探す」


 ユリスは口を開き、何も言わずに閉じた。


 マーヤが書きかけの便箋をそっと伏せる。


「それは前の隊商の話でしょう。エルノは、どうしたいの?」


 言おうとすると、喉がつまった。


 リネには、契約が終わったあとの約束まで、あっさり申し出られたのに。


「……荷を下ろしたら、次の荷を探す。それだけだよ」


 マーヤはそれ以上聞かなかった。新しい便りを半分だけ折り、折り目をつけずに元へ戻す。リネも黙っている。俺は三人の顔を見られず、空になった荷袋の口を指で何度も合わせた。


 ユリスの手が服の胸元へ伸び、革袋を押さえたまま止まった。


「エルノ。お前の返す物は、これで全部なんだな」


「ああ」


「じゃあ、今度は俺の番だ」


     *


 ユリスが首から小さな革袋を外した。


 紐をほどき、卓の上に落としたものを見て、俺は息を止めた。


 錆の浮いた、古い鉄の鍵だった。


 小袋の端は、幾度も指でつままれたように色が薄くなっていた。ユリスが胸元へ手を伸ばすのを、俺は今夜二度も見ている。革の擦れたところへ視線が戻り、息がうまく吸えなかった。


 マーヤが眉を寄せ、リネも卓の鍵へ目を落とした。


 忘れるはずがない。父から継いだ修理小屋の鍵だ。


 遠征二か月目、避難民の荷車を直せなかった日の続きが、胸の底から浮かび上がった。


 車軸が折れ、魔物が迫る街道で、ユリスたちは人々を逃がした。俺は足りない工具を握ったまま、壊れた車輪の前に残された。助けられた子供たちの泣き声が遠ざかっても、工具をしまうことができなかった。


 あの夜、父の小屋の鍵を街道脇の泥溝へ投げ込んだ。修理屋を名乗る資格などないと思ったからだ。鍵は濁った水に沈む前に石に当たり、乾いた音を一度だけ立てた。


 後ろから、ユリスが声をかけてきた。


『あの鍵、俺が拾って持っていってもいいか?』


 俺は振り返らなかった。


『好きにしろ』


 それだけ言い捨てた。


 彼が実際に拾ったかどうかも見ていない。旅のあいだ一度も鍵の話をしなかったから、どこかで捨てられたものだとばかり思っていた。


 ところが、十四か月前に泥溝へ投げた鍵が、今は目の前にある。


「……拾ったのか」


「ああ。持ってていいって、お前が言ったからな」


「ずっと?」


「ずっと」


 ユリスは鍵に手を添えたが、俺の方へ押しつけはしなかった。


「帰れって言うつもりはないよ。これを持つか、また置いていくかもお前が決めればいい。ただ、俺が持ってたことは知ってほしかった」


 どうして今まで黙っていたのかと尋ねると、ユリスは少し困った顔をした。


「お前、あの日から故郷の話をしなくなっただろ。返したら帰れって迫るみたいで、嫌だった。式典が終わって、お前が帰りたいって言い出したら渡そうと思ってたんだ」


 そこで一度、言葉を切る。


「でも、お前が明日いなくなるって聞いてさ。待ってたら、もう渡せないかもしれない」


 彼は再び鍵を卓の上に置いた。受け取れとも、家に帰れとも言わない。


 俺が荷車を直せなかった、まさにその日から、この鍵は彼の手元にあった。


 目の前の鉄は錆びている。けれど泥溝へ投げ捨てたときにはなかった、小さな磨き跡が歯の縁にあった。指で触られ、何度も確かめられたのかもしれない。


「……お前、よく十四か月も持ってたな」


「小さいからな。食料より場所を取らない」


「そういう話じゃない」


「分かってるよ」


 ユリスは笑わなかった。答えを急かすこともしなかった。


 俺は手を伸ばした。錆びた鍵は冷たく、掌のくぼみにぴたりと収まった。


 親指で歯の欠けた部分をなぞる。父が鍵束を鳴らして仕事場へ入っていく、朝の音を思い出した。仕事に出る前、父は必ず戸口で振り返り、俺の工具箱の留め金が閉まっているかを確かめた。あの小屋には、まだ俺の使っていた作業台があるはずだ。


「……一度、帰ってみる」


 鍵を握る手に、汗がにじんだ。言うべきことは、まだ残っていた。


「……もう一つ、頼みがある」


 三人が俺を見る。マーヤが組んでいた腕を解き、リネは黙って背筋を伸ばした。


 雇われた荷物持ちとしてなら、用事はいくらでも頼めた。薪を拾ってくれ、水を汲んでくれ。だが、旅に必要のないことを三人に頼んだことは、一度もなかった。


「俺の小屋は、十六か月も空けたままだ。扉が開いたって、きっと一人じゃ片づかない」


 喉が渇く。三人の顔を見た。誰も答えを先にくれない。


 俺は鍵をいったん握り直した。


「……小屋に帰っても、三人と会いたい。仕事じゃなくて、友達として。片づけを手伝ってくれないか」


 暖炉で薪が崩れ、小さな火花が上がった。


 返事のない間、卓の木目ばかりが目に入った。ここで断られたら、もう契約書のせいにはできない。


 荷を運び始めてから、これほど長く誰かの返事を待った覚えがない。口を開いて言い訳を足しそうになり、やめた。今さら賃金を払うと言ってしまえば、また仕事の話になる。


「いいよ」


 ユリスの声は、驚くほど普通だった。


「屋根は俺が直してやる。梁の一本くらい、持ち上げてみせるさ」


「待て。扉を開けるのに剣を折った男に、梁を触らせたら小屋まで壊れそうだ」


 マーヤが先に噴き出し、リネも笑った。


「私は実家でたっぷり眠ってから行くわ。寝具のことなら任せて」


「私は道具を見たい。何が残っているか、一緒に確かめましょう」


 俺は返事をしようとして、うまく声が出ず、手の中の鍵をもう一度握った。


     *


 翌朝、俺たちは七時に旧関所を発った。


 六週間後、故郷の小屋で落ち合う約束だけは、昨夜決めていた。


 空は薄く晴れ、荷車の轍が東門へ続いていた。


 門へ向かう道には、野菜を積んだ車も籠を担いだ旅人もいた。道を譲ろうとすると、ユリスがいつもの調子で前へ出た。マーヤが彼の背を指でつついて歩調を落とさせ、リネは黙って俺の隣に並んだ。二時間の道のりの間、三人は門の向こうの予定を話していた。俺も、ときどき口を挟んだ。


 九時ごろ、東門で迎えの係が到着簿の正本を開いた。昨夜、写しを届けた伝令とは別の役人だ。


「勇者ユリス様、治癒術師マーヤ様、魔術師リネ様。三名でよろしいですか」


「四人です」


 ユリスが答え、俺の方を見た。あとは自分で言えというように、一歩横へ退いた。


「エルノです。十六か月、荷と補給を担当して同行しました。凱旋者の欄に、俺の名前も加えてください」


 役人は三人と俺を見比べ、ユリスに確認を取った。それから羽根ペンを走らせ、正本の三つの名の下へ俺の名を書き加えた。


 ペン先が一度引っかかり、俺の名の最後の文字だけ少し曲がった。書き直しを求めるほどでもない。それで、四人の名前になった。


 出発前に紐を通して首から下げた小屋の鍵が、歩くたびにかすかに胸へ当たる。


「おい、エルノ」


 ユリスが、俺の荷袋の持ち手を掴んだ。


「そっち、重いだろ。半分持つよ」


「まだ引き渡してない。俺の仕事だぞ」


「知ってる。手伝っちゃ駄目か?」


 俺は少し考えて、反対側の持ち手を掴み直した。


「……じゃあ、頼む」


 二人で持つと、荷袋は妙な具合に揺れた。俺が足を速めるとユリスの手が引かれ、ユリスが大股になると今度は俺がよろける。歩幅を合わせないと、かえって歩きづらい。


 マーヤに遅いと笑われ、リネに右足からと言われ、ユリスがわざと左足を出して、俺も笑った。


 荷物はまだ重かった。


 それでも、四人で門をくぐった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


魔王討伐の旅を終えた四人の、ささやかな凱旋前夜のお話でした。


エルノたちの物語は、ひとまずここで完結です。


もし「この四人の旅をもっと読んでみたい」「凱旋後の暮らしも見てみたい」と思っていただけましたら、ぜひ感想で教えてください。


長編化も検討したいと思っています。


面白かった、心に残ったと感じていただけたら、評価やいいねで応援していただけると嬉しいです。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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