2-3 後ろを向いて泣くより、つぎを歌にして前に進め
浩太が弁当箱を洗っている間、音和は手持無沙汰で彼の部屋を見回していた。
「な、浩太、なんかめんどくさそうな本ばっかあるけど大学で何勉強しとるん」
「言ってもわかんないと思うけど『マーケティング』ってやつ」
洗剤をスポンジに落として角の所を洗うがこびりついた油がヌメったままでイライラがちょっと声に乗る。
「それ、人の役にたつん」
「…まあ、立つんだと思うよ」
「そーかぁ、高校ん時の数学なんて、社会に出て使ったことないよ」
不思議そうに首をかしげる姿を盗み見た浩太は、すましていたら普通の女の子なのになって思った。
「あっ、理科や社会なんてテレビのクイズくらいやわ。ハハハハハ、ほんま無意味、アハハハハ」
音和さんはどこかのツボに入ったのか目に涙ためて笑い出す。
大学の授業かー。まあ、勉強は嫌いじゃないから普通に面白いけど、役に立つかと面と向かって聞かれるとどう何だろうって思う。
浩太がようやく弁当の角の汚れ落ちに納得して、水切り籠に置いた時だった。
「なっ、な、ななな。こっ、浩太、いや、浩太様。浩太殿は宇宙人やったんか」
ベッドの横で腰抜かして天を見上げて拝んでいる音和さんの奇行はもう慣れたものだ。
「普通に人間だけど。それが何か」
冷めた顔で受け答える。どうせ、天から可笑しな曲でも舞い降りたに違いない。芸術家にはよくある話だ。
「とっ、東京大学って書いてあるで」
両手を合わせる音和さんの小さな手のひらから小さな手帳がはみ出している。
「っ…。俺の学生証」
浩太は慌てて音和のもとに走り、奪い返そうとするが、さらりとかわされ、はねのけられる。
「東京大学って、東京にある大学って意味ちゃうよな。あの天下の東京大学だよな」
「そうだけど、それが何か」
浩太はあきらめ顔で認める。世間は東京大学という名のブランドにめっぽう弱い。
「はぁー、初めて見たわ。東京大学人。へぇー、脳みそんとこが巨大に膨らんどるとかないんやなー」
ペタペタと頭を触っての感想。ここまでの過剰反応はさすがに未経験で……。って、近い。
てかもう、色々と触れてるし、赤いジャージからなんか女性独特の甘い香り。小悪魔やな、こいつ。四つも年上だけど。
自然な動作で離れてベッドに座りなおす。上目づかいで見上げる音和さんの目がきらりと光っててニンマリ顔が怖い。
「言っとくけど、勝手に変な歌にすんなよ」
やりかねないから怖い。断然信用ならない。釘を刺すなら早い方がいい。
「浩太の恋愛事情は貧相そうだもんなー。残念だけど歌にはならんわ」
さり気なくディスってくる。まあ、昨日フラれたばかりですが。できたばかりの傷をえぐらないで欲しい。
生徒手帳からポトリと落ちる早苗さんの写真。間が悪いにもほどがある。
「あっ、メッチャ美人さんやん。浩太の恋人か…、いや、浩太のことだからストーカー。ふふーん。これなら歌になる」
それ、もうできてるだろ。音和さんの黒歴史『キミ依存症』。
「昨日、別れたんだよ。まぁ、価値観の相違ってやつだ」
隠し通す自信もないし、ここは素直に事実のみを告げて話を逸らしにかかった。
「そういや『マーケティング』ってのはだな。まあ簡単に言うと『キミ依存症』みたいに、いい歌なんだけと広まらないって言うようなものを大量かつ効率に売るための学問だな」
こいつ、ほふっ、って変な声上げて食いついてきやがった。正直、チョロい。まっ、四年先輩だけど。
あれっ、この流れってなんだ。俺が『キミ依存症』の拡販活動に関わるってことだよな。墓穴ほってんのはこっちかよ。
「浩太様、昨日はお楽しみのようで…。くくっ、お疲れのようですな。ほら、お肩がこんなにパンパンですよ」
音和さんはするっと後ろに回って肩をもみだす。
「わかったよ、やりゃーいいんだろ。まったく勉強なんて役に立たないって言った口が良く言うわ」
口では毒づきながらも、何者にもなれていない浩太は流れに乗ってみるのも悪くないと感じていた。
のめり込めるかなんて誰にも分らない。チャンスはきっと動いた先にある。
『もう完璧・完全、逃げ道なしの依存症』
『キミ依存症』の歌詞が切り取られて頭の中を駆け出した。
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<次回予告>
2-4 音和さんはあっち側、爆弾、放り込むのはやめてくれ
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