1-1 失恋して、海で叫んで、スイカに愚痴る女の子の生歌が壁越しに刺さった夜
※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「浩太、あのさ。そろそろ私たち、別れない?」
東京の下町にある、築年数だけは一人前のボロアパート。
大学三年になって専門課程の校舎にかわり引っ越してきたばかりの部屋で、山本浩太は数時間前の一言が未だに正しく理解できずにいた。
「浩太との未来、なんかイメージできないんだよね」
別々の大学になってしまったが高校二年から始まった付き合いは、受験も、合格も、上京も、一緒に越えてきたはずだった。
引っ越しの段ボールも片付き、彼女にようやく会えた喜びに浸るはずだったのに、ファストフード店のプラスチック製のテーブル越しに、あっさりと終わりを告げられた。
「え……『そろそろ』って、どういう……」
「察してよ。そういうとこなんだよね」
そう言って、宮脇早苗は浩太が渡したばかりのアパートの合鍵を、浩太のトレーの上に置いた。
店内の賑わいが耳から遠ざかり、一瞬、頭の中が真っ白になる。気が付いたら既に彼女はカバンを持って立っていた。
振り返ることもなく自動ドアを抜けていく彼女の後ろ姿を、浩太はただ黙って見送るしかなかった。
ブレンド珈琲の苦みだけが喉の奥に残って記憶の底に沈んでいく。
越してきて間もない殺風景な部屋に戻ってからは、何もする気が起きなかった。
明かりもつけず、スチール製の安物のベッドにもたれたまま、時間だけが過ぎていく。
安物の目覚まし時計の針がコッ、コッ、っと静寂の中で響いている。
その時だった。
ベッド横の薄い壁を通して、隣の部屋から女の子の生歌が流れてきた。
引っ越してきて一週間。
毎晩のように続くその騒音に、浩太は何度も壁を叩いて抗議してきた。
「……よりによって、今日は失恋ソングかよ」
いつものように壁を叩こうとして、手が止まる。
『海に向かって叫ぶとか~
ほんまガラちゃうけど~ やってもうた~』
『君の悪口を~
スイカにぶつけてた~
グチグチ ネチネチ よう言うたわ~』
失恋して、海で叫んだ上に、スイカにまで愚痴をぶつける。
どう考えても救いようがないのに、なぜかそれが、今の自分よりずっと正直に思えた。
思わず、苦笑いが漏れる。
聞いたことのない、ローテンポのロックバラード。
昭和と今がごちゃ混ぜになったような歌詞に、ざらついたハスキーボイス。
流行りのダンス曲とは正反対で、感情を隠す気もない失恋の歌だった。
二巡目に入る頃には、浩太は小さく口ずさんでいる自分に気づいた。
涙が出た。
理由はよく分からなかった。
ただ、心の中に土足で踏み込まれたような感覚があった。
毎晩「うるさい」と思っていた隣人に、今夜は救われている。
その事実が、歌詞以上に可笑しくて、少し情けなかった。
最近の早苗さんとの記憶を辿ろうとしても、会話の内容はほとんど思い出せない。
「そろそろ、就職のことも考えないとな」
浮ついた大学生活も気が付けばあっという間に過ぎていく。
『浩太との未来、なんかイメージできないんだよね』
宮脇早苗の放った言葉がじわりとしみていく。
大学三年。
大人が敷いたレールから降りて、自分で未来を選ばなければいけない年齢。
その不安を、二人とも持て余していたのかもしれない。
「シンガーソングライター、か……」
壁一枚向こうで、そんな夢を本気で追っている人間がいる。
自分には想像もできない生き方だと感じた。
少しだけ、尊敬してしまった。
名前も顔も知らない隣人が、急に身近な存在に感じられた夜だった……。
『……あかん。もう無理。腹減って餓死するわ』
ドタン、とベッドに倒れ込む音が、壁越しに突然鳴り響いた。
……今の、放っておいていいやつなんか?
浩太は壁を見つめたまま、しばらく動けずにいた。
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<次回予告>
1-2 壁の向こうで女の子が倒れた夜、俺は千円札を持って廊下に出た
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※全話執筆完了、ミュージックビデオ(MV)作成済み。
エタらず、必ずハッピーエンドで完結します。




