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浦島太郎のリスタート、のんびり浦島さんの現代暮らし。  作者: カジキカジキ


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令和

「あれはクルマ、あれは信号、あれはビル、あれは横浜マリンタワー、あれはマック!」


 儂は、学生さんや歌を聞いてくれる人たちとの会話で覚えた言葉や名前を繰り返しながら街を歩いておった。まるで、言葉を覚えたばかりの稚児が、アレやこれやと興奮して、指差して歩いているように。


 いや、仕方がなかろう? これだけ目に付くもの全てが新しい物ばかりなのだ。千四百年前の、山と木と畑と海だけの三浦の里が、この様にまで変わっておるとは……。


「今は令和七年、二千二十五年だとな。儂が生まれた推古天皇十一年は六百三年。あれから千四百年が過ぎると、日本もこの様な景色へと変わるのか」


 街には、見た事が無いほどの人に溢れ、そこに身分はなく。男女問わず、どんな色でも思い思いの服装で街を歩いておる。


 国内に争いはなく、好きに行き来が出来。さらには国外へも行けると言う。何と言う時代になったものじゃ。若い者たちは「自由」と言うておうた。

 

 儂は、山下橋の横断歩道を渡り右へと曲がる。この首都高速と言うのも凄いのお、頭の上からゴーゴーと音が響いておる。そして、ドン・キホーテの横の路地へと入り、細い通りをズイズイと歩いて行くと、港の見える丘公園じゃ。


「ここはいつ来ても良いのお。土があり、花があり、木々がある。何より神奈川近代文学館がある」


 この場所を教えてくれたのは、古典を教えてくれと言って来た女子(おなご)たちじゃった。文字の方はまだ読めんが、催しがある日には講師の話が聞ける。普段の日でも、職員の手が空いておれば儂の話を聞いてくれるのじゃ。お陰で、最近はちょくちょくここに来ては話しを聞かせて貰っておる。


◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆


「ほら、また来たよ『浦島太郎さん』」


 その男性は、初めて来館されたのは近所のお嬢様学校の生徒さん達と一緒だったので引率の先生かと思っていたけれど。閲覧室に入ってすぐに、女の子が「万葉集はありますか?」と聞きてきたので思わず苦笑してしまった。


 ここは近代文学館。少なくとも明治以降の書物や文献しか置いていない。万葉集でしたら国立図書館か、奈良県立万葉文化館へおいで下さい。と言いたい気持ちを抑えて、此処には無い事を伝えると。


「じゃあ、じゃあ。有名な詩人の歌が書いてある本はありますか?」


 女の子がそう聞いてきたので。


「近代の歌人で有名と言えば。与謝野晶子か北原白秋ですね」と、書架に並んでいる【みだれ髪】を出してあげた。今時の女の子には、少し物足りない恋の歌集かな。


「何となく 君に待たるる心地して 出でし花野に 夕月夜かな」


「臙脂色は 誰かにかたらむ血のゆらぎ 春のおもひの さかりの命」


 女の子がスラスラと歌を読み上げると。


「ほぉ」


 歌を聴いたその男性は、まるで恋に落ちたかのような憂いだ顔をして、感嘆の息を吐いてみせた。


 女子学生達が交代で与謝野晶子の詩を読む。男性は、歌に対する感想や時には返歌まで披露した。


 少女の、声は小さいが、鈴の音のような爽やかな詩を詠む声が漂う。それに対し男性のとても心地よい声が返ってくる。


 いつの間にか、閲覧室には来場者やスタッフが集まり、皆静かに詩を聞いていた。


 私も、その内の一人として聴き入っていると。一人の少女が私の袖を引っ張り、少し離れた場所へと連れ出した。


「何か?」


 少女は、男性の方を気にしながら、声を潜めてそっと話し始める。


「あの、あの男の人なんですけれど。まず私達の学校の関係者ではありません」


「……え?」


 事案? 事案なの?


「そして、あの男の人なんですけれど。多分、記憶喪失か何かだと思うんです」


「は?」


 事件? 警察呼ぶ?


「で、あの男の人は、自分の事を浦島太郎だと言っているのですが」


「へ?」


「今の日本語の文字で書かれた本は読めなくて。古い漢文とか、教科書に載っている日本書紀とかの昔の資料的な文字なら読めるみたいなんです」


 あー、待ってね。情報が多過ぎて訳わからなくなってきた。


「で、こないだまでは。私たちの古典の教科書を読んであげてたんですけれど、流石に読むところが無くなって。今日、此処に連れてきた訳なんですよ」


 あれ? 連れてきた? あれ?


「お姉さん、もし良かったら。あのおじさんに本を読んであげてくれませんか? まあ、ほら。あのおじさん、結構かっこいいし? 一緒にいられたら、お姉さんも満更ではないでしょ?」


 ちょっと、あなた……何を言っているのかしら?


 と、閲覧室にいる男性の方に目線を向けた時だった。


 ザワッ!


 急に閲覧室が騒ついたかと思うと、いきなり静かになった……そして聞こえてくる男性の声。


 男性が、詩を誦んじ始めたのだ。


 本来であれば、閲覧室でその様な行為はお断りさせて貰うのだが。見ると、館長が一番前で黙って聞いていた。


 男性は、リラックスした自然体で立ち。軽く手を広げ、時には詩に合わせて手を動かしている。

 

 静かで、それでいて耳に心地よく響く声が。万葉集の中の一編の詩を詠う。


 あぁ……まるで海辺の潮騒か、清らかな川のせせらぎ、朝焼けの森の鳥の囀り(さえずり)が、詩の波となって静かに私の心を満たして行く。


◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆


 今日も、神奈川近代文学館では満喫した時間を過ごせた。職員の皆も親切じゃしの。学生の女子(おなご)達から小学校時代の国語の教科書と言うのを貰い、現代の文字も勉強しておるが、その教科書を見ながらの読み書きも楽しいものじゃ。


「年重ね 心はなお学びの喜びに咲く 万葉の歌のごとく」(風ノ歌)


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